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それからの日々
父と娘
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応接室で待つ父は、やはり何か察するものがあるのか非常に険しい顔をしていた。
母はアリーシェリナの身体を気遣いながらソファーに並んで座り、心配そうな視線を向ける。ちゃんと自分で言うから大丈夫だと決意を込めて母に頷き返し、アリーシェリナは父を真っすぐに見つめた。
「お父様、申し訳ありません。嫁ぎ先もまだ決まらぬ身でありながら子供を身籠りました」
声も言葉も震えなかった。
父の意に背きはしたけれど後悔はしていない。
むしろ妊娠を知って嬉しかった。ほんの二週間あまりの短い間でもリヒトと愛し合った確かな形だ。胎内に芽吹いたばかりのその小さな命が、今はもう何よりも愛おしい。
「――胎の子の、父親は」
むしろ父の声の方が掠れ気味だった。
父は事の重大さをアリーシェリナより理解している。そして、何かあった時に主として矢面に立たなければならない。
いかに自分が浅慮だったのか。アリーシェリナは改めて痛感する。
だけど自分の中では幼いものでも覚悟があった。
記憶を失った相手に身を捧げて身籠る可能性を受け入れていた。
「お父様がご想像されている方に相違ありません」
「やはり、リヒト王太子殿下なのか」
「――はい」
「そうか……」
父は悲痛な表情で声を振り絞った。
アリーシェリナは領地はおろか屋敷からですら数えるほどしか出ていないのだ。ましてやこの一か月間はリヒトと共に湖に行ったくらいとなれば、子供の父親の可能性を持つ相手は必然的に限られて来る。
ゲオルグか、リヒトか。家に忠実に仕える騎士と、恋を禁じた王太子のどちらかとあれば辿り着く答えは一つしかなかった。
組んだ指に額を押しつけ、目を閉じる。そして開いた時にはいつもの家督の表情に戻っていた。
「王太子の子を身籠っているから妻に、などと言ってもまかり通るはずがない。信じてもらえないばかりか下手をしたら胎の子を始末される可能性も高い」
「私は王都に行くことも、リヒト様の妻となることも望んではいません」
リヒトと共に子供を育てることが叶わないと分かっている。
誰が信じると言うのだろう。
多少の縁があるとは言え王都から離れた土地に住む娘が、王太子が記憶を失っている間に恋仲となって子を身籠った。
古いお伽噺をお粗末にしたような作り話は、王位簒奪を目的とした勢力の差し金だと思われてもおかしくはない。そして、その場合は父があらぬ疑いをかけられることになる。
子供が無事では済まされないという父の言葉は、脅しでも何でもないのだ。
「我が子を産み育てたい、それだけなのです」
だけど子育てに必要な知識も経験も、先立つ資産もないアリーシェリナ一人ではそれも叶えられないと分かっている。
なおも甘い夢を見ているのだと。
まだ実感のないお腹を慈しみを込めて優しく撫でる。それでも自分のものではない鼓動を感じられるような気がするから不思議だ。母もアリーシェリナを身籠っていた時のことを思い出しているのか、穏やかな笑みで見守っている。
アリーシェリナはお腹を庇うように両手を当てた。
いちばん望んではいけないことだとしても、他には何も望まない。
「だが、王太子殿下の……王族の血を継ぐ子だ。王位継承権にも大きく関わる御子を、王家の承諾もなしに産み育てることは許されない」
「でもこの子の存在は誰も知りません。――父親のリヒト様でさえも」
もっともな事実を突きつける父に抗いながらも悲しくなった。
父親が誰なのか教えられない。会わせてあげるなんて以ての外だ。アリーシェリナと共にウィンドルフ領から出られず、寂しい思いをたくさんさせてしまうだろう。
たった二週間の幸せな思い出を得る為の代償を、全てこの子に背負わせ続けてしまうのだ。嵐の夜、覚悟を決めてリヒトの部屋を訪れたつもりが、本当の覚悟なんてできてはいなかった。
それでも、アリーシェリナは母親になる。リヒトの子供の母親になりたい。
「この子の命を奪うと言うのなら、私も命を絶ちます」
最悪の選択肢を提示したアリーシェリナに両親は口を噤む。
ウィンドルフ侯爵は、代々の領主が治め続けて来た領地に政治絡みの大問題を持ち込みかねない子供の存在は認められない。
これが大貴族なら話はまた違っていただろう。王太子の嫡子であると名乗り出て、正妃に迎えさせることもできたかもしれない。
でも実際は、四大精霊のうちの二精霊の加護を得ているとは言え政には大きな発言力を持たない家だ。王都の貴族にとっては疎ましい子供であり、どちらにしろウィンドルフ侯爵家は大きな勢力に飲み込まれるのがおちだろう。
一方でアリーシェリナの父親でもある。娘が命がけで守ろうとしている小さな命を奪うほど非情な決断も下せなかった。
応接室に漂う重苦しい空気を吹き飛ばすようにドアがノックされた。父自ら立ち上がってドアを開ける。外にいたのはゲオルグだった。
「お話中、大変失礼致します」
「どうした?」
「私の話を旦那様方にお聞きしていただく為、勝手ながら差し出がましい真似を致しました」
「――入りなさい」
父に促されて応接室に足を踏み入れたゲオルグは、ソファーに再び座る父の前に片膝をついた。
深く頭を垂れ、おもむろに切り出す。
「お嬢様が身籠られた御子の父親に、私がなってはいけませんでしょうか」
「ゲオルグさんを巻き込むわけには行きません! それに、私は――」
アリーシェリナはソファーから腰を浮かせかけ、思い留まった。
「愛を捧げるのは王太子殿下だけだからですか?」
何故ゲオルグが妊娠を知っているのか。
疑問を抱いたものの、先に返された問いかけを肯定もできずに俯く。
最後の夜と同じだ。嘘がつけずに黙ることで肯定している。
「私はそれでも構いません。お嬢様のお力になりたいのです」
「まあ、少し待ちなさい」
どこか結論を急いだ様子のゲオルグを父が一旦制した。
それと、とゲオルグを見やる。
「ゲオルグ、君はアリーシェリナの妊娠を前提に話しているようだが」
「お嬢様のここ最近のご様子から推察し、失礼ながら鎌をかけさせていただきました。謝罪して許される行動ではありませんが大変申し訳ございません」
「――なるほど」
深く息を吐き、父はアリーシェリナに視線を移した。
家督として、領主としての結論が出たらしい。ゆっくりと母、ゲオルグの顔を見てから口を開く。
「ここより少し離れた場所に……父の古い友人が治める領地がある。そして夫人が修道院を管理しているはずだから……アリーシェリナ、君はそこでお世話になりなさい」
母はアリーシェリナの身体を気遣いながらソファーに並んで座り、心配そうな視線を向ける。ちゃんと自分で言うから大丈夫だと決意を込めて母に頷き返し、アリーシェリナは父を真っすぐに見つめた。
「お父様、申し訳ありません。嫁ぎ先もまだ決まらぬ身でありながら子供を身籠りました」
声も言葉も震えなかった。
父の意に背きはしたけれど後悔はしていない。
むしろ妊娠を知って嬉しかった。ほんの二週間あまりの短い間でもリヒトと愛し合った確かな形だ。胎内に芽吹いたばかりのその小さな命が、今はもう何よりも愛おしい。
「――胎の子の、父親は」
むしろ父の声の方が掠れ気味だった。
父は事の重大さをアリーシェリナより理解している。そして、何かあった時に主として矢面に立たなければならない。
いかに自分が浅慮だったのか。アリーシェリナは改めて痛感する。
だけど自分の中では幼いものでも覚悟があった。
記憶を失った相手に身を捧げて身籠る可能性を受け入れていた。
「お父様がご想像されている方に相違ありません」
「やはり、リヒト王太子殿下なのか」
「――はい」
「そうか……」
父は悲痛な表情で声を振り絞った。
アリーシェリナは領地はおろか屋敷からですら数えるほどしか出ていないのだ。ましてやこの一か月間はリヒトと共に湖に行ったくらいとなれば、子供の父親の可能性を持つ相手は必然的に限られて来る。
ゲオルグか、リヒトか。家に忠実に仕える騎士と、恋を禁じた王太子のどちらかとあれば辿り着く答えは一つしかなかった。
組んだ指に額を押しつけ、目を閉じる。そして開いた時にはいつもの家督の表情に戻っていた。
「王太子の子を身籠っているから妻に、などと言ってもまかり通るはずがない。信じてもらえないばかりか下手をしたら胎の子を始末される可能性も高い」
「私は王都に行くことも、リヒト様の妻となることも望んではいません」
リヒトと共に子供を育てることが叶わないと分かっている。
誰が信じると言うのだろう。
多少の縁があるとは言え王都から離れた土地に住む娘が、王太子が記憶を失っている間に恋仲となって子を身籠った。
古いお伽噺をお粗末にしたような作り話は、王位簒奪を目的とした勢力の差し金だと思われてもおかしくはない。そして、その場合は父があらぬ疑いをかけられることになる。
子供が無事では済まされないという父の言葉は、脅しでも何でもないのだ。
「我が子を産み育てたい、それだけなのです」
だけど子育てに必要な知識も経験も、先立つ資産もないアリーシェリナ一人ではそれも叶えられないと分かっている。
なおも甘い夢を見ているのだと。
まだ実感のないお腹を慈しみを込めて優しく撫でる。それでも自分のものではない鼓動を感じられるような気がするから不思議だ。母もアリーシェリナを身籠っていた時のことを思い出しているのか、穏やかな笑みで見守っている。
アリーシェリナはお腹を庇うように両手を当てた。
いちばん望んではいけないことだとしても、他には何も望まない。
「だが、王太子殿下の……王族の血を継ぐ子だ。王位継承権にも大きく関わる御子を、王家の承諾もなしに産み育てることは許されない」
「でもこの子の存在は誰も知りません。――父親のリヒト様でさえも」
もっともな事実を突きつける父に抗いながらも悲しくなった。
父親が誰なのか教えられない。会わせてあげるなんて以ての外だ。アリーシェリナと共にウィンドルフ領から出られず、寂しい思いをたくさんさせてしまうだろう。
たった二週間の幸せな思い出を得る為の代償を、全てこの子に背負わせ続けてしまうのだ。嵐の夜、覚悟を決めてリヒトの部屋を訪れたつもりが、本当の覚悟なんてできてはいなかった。
それでも、アリーシェリナは母親になる。リヒトの子供の母親になりたい。
「この子の命を奪うと言うのなら、私も命を絶ちます」
最悪の選択肢を提示したアリーシェリナに両親は口を噤む。
ウィンドルフ侯爵は、代々の領主が治め続けて来た領地に政治絡みの大問題を持ち込みかねない子供の存在は認められない。
これが大貴族なら話はまた違っていただろう。王太子の嫡子であると名乗り出て、正妃に迎えさせることもできたかもしれない。
でも実際は、四大精霊のうちの二精霊の加護を得ているとは言え政には大きな発言力を持たない家だ。王都の貴族にとっては疎ましい子供であり、どちらにしろウィンドルフ侯爵家は大きな勢力に飲み込まれるのがおちだろう。
一方でアリーシェリナの父親でもある。娘が命がけで守ろうとしている小さな命を奪うほど非情な決断も下せなかった。
応接室に漂う重苦しい空気を吹き飛ばすようにドアがノックされた。父自ら立ち上がってドアを開ける。外にいたのはゲオルグだった。
「お話中、大変失礼致します」
「どうした?」
「私の話を旦那様方にお聞きしていただく為、勝手ながら差し出がましい真似を致しました」
「――入りなさい」
父に促されて応接室に足を踏み入れたゲオルグは、ソファーに再び座る父の前に片膝をついた。
深く頭を垂れ、おもむろに切り出す。
「お嬢様が身籠られた御子の父親に、私がなってはいけませんでしょうか」
「ゲオルグさんを巻き込むわけには行きません! それに、私は――」
アリーシェリナはソファーから腰を浮かせかけ、思い留まった。
「愛を捧げるのは王太子殿下だけだからですか?」
何故ゲオルグが妊娠を知っているのか。
疑問を抱いたものの、先に返された問いかけを肯定もできずに俯く。
最後の夜と同じだ。嘘がつけずに黙ることで肯定している。
「私はそれでも構いません。お嬢様のお力になりたいのです」
「まあ、少し待ちなさい」
どこか結論を急いだ様子のゲオルグを父が一旦制した。
それと、とゲオルグを見やる。
「ゲオルグ、君はアリーシェリナの妊娠を前提に話しているようだが」
「お嬢様のここ最近のご様子から推察し、失礼ながら鎌をかけさせていただきました。謝罪して許される行動ではありませんが大変申し訳ございません」
「――なるほど」
深く息を吐き、父はアリーシェリナに視線を移した。
家督として、領主としての結論が出たらしい。ゆっくりと母、ゲオルグの顔を見てから口を開く。
「ここより少し離れた場所に……父の古い友人が治める領地がある。そして夫人が修道院を管理しているはずだから……アリーシェリナ、君はそこでお世話になりなさい」
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