【R18】王太子は初恋の乙女に三度、恋をする

瀬月 ゆな

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誰に何を思われてもいい

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 夕方から降り出した雨は風を伴ってどんどん強まり、夜九時を過ぎる頃には嵐と言ってもいいほどの荒れ模様になっていた。
 記憶を失ったリヒトが来てから初めての嵐だ。

 嵐の夜に一緒に眠った記憶は、なぞるべきじゃないかもしれない。
 だけど、いつものように一人でシーツに包まって眠りに落ちるのを待っていても心細い気持ちは増すばかりだ。
 今までは助けて欲しくてもいないから耐えられた。
 でも今だけはいてくれる。

(もしお休みになっていらしたら、諦めて戻ればいいだけだもの)

 夜が更け、アリーシェリナはそう結論づけて自室を出た。
 小さな灯りだけがつけられた廊下は薄暗く、嵐の音と相俟あいまって何か大きな生き物の中に入り込んでしまったかのようだ。
 また一人で戻って来ることを思えば足がすくみそうになる。そうなった時は、キッチンに寄ってミルクを温めて部屋に持ち帰ろう。少しだけ父のブランデーを拝借して垂らしてもいい。心地良く眠る為にホットミルクに入れたのだと言えば父も大目に見てくれるはずだ。

 誰にも会わずに階下へと行き、客間に着いた。

「どうしたの、アリィ。――こんな時間に」

 眠っていたら起こしてしまうかもしれないノックを躊躇ためらっている間にドアが開かれる。部屋からは廊下のそれよりは少し明るい程度の光が漏れていた。これから眠るところだったのかもしれない。
 アリーシェリナがいると、どうして分かったのだろう。
 驚いた目で見上げるとリヒトはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「人の気配にはさといんだ」

 王族が持つ自己防衛本能だろうか。
 アリーシェリナこそがいたずらを見つかった子供のように目線を落とした。

「嵐で眠れないから、ホットミルクを用意して飲もうかと思って……。リヒト様もどうかしらって」

 言い訳がましいと自覚している。
 だから歯切れが悪くなった。リヒトの顔も見られずに両手の指を胸の辺りで組む。やっぱり、正当性のない理由で来るべきではなかった。

「嵐が怖いの?」
「あまり、慣れたものではありません」
「だったら僕が守ってあげるから一緒に眠る?」

 受け入れてくれた。
 懐かしさすら感じる言葉に安堵し、アリーシェリナの唇から笑い声がこぼれる。

「なに?」
「ごめんなさい、笑ったりして。でも――以前のリヒト様も、私にそうおっしゃってくれたから」
「その時の君は僕のベッドで眠ったの?」
「――はい」

 家族じゃないから一緒に眠ってはいけないのだと一度は断ったことは言わなかった。
 今それを言えば、リヒトは「じゃあやめた方がいいね」と言うかもしれない。それが怖かったのだ。

 ところがリヒトは何かを思案するように自分の顎に手を当てると、思いがけないことを口にした。

「いつも君の後ろにいる騎士のところには行かなくても良かった?」
「え……」
「恋人じゃないの?」

 後ろにいる騎士ということはゲオルグのことを言っているのだろう。
 リヒトの前でそんなそぶりなど一度も見せたことはないのに、彼が恋人だと思われていたのだろうか。
 言いようのないショックが胸に広がる。
 頭の中が真っ白になって、居場所をなくした言葉がとりとめもなく次々と口をついた。

「ち、違います。もし、恋人なのだとしたら――リヒト様に何度も会いに行ったりしません。それにリヒト様だって、私に恋人がいると思っていたのならどうして」
「意地悪なこと言ってごめん。君がそういう女の子じゃないのは分かってるけど、自分の為に確認はしておきたかったんだ」

 リヒトの指がそっと、アリーシェリナの目元をなぞった。
 知らない間に泣いていたのか濡れた感触に気がつく。小さく鼻を鳴らし、リヒトを見つめた。

「本当にごめん。おいで、アリィ」

 リヒトに手を引かれて導かれるまま部屋に、ベッドに入る。

 シーツは冷たかった。
 それだけに腕枕をされながら寄り添えば、自分のもの以外の体温と鼓動が鮮明に伝わって来る。
 アリーシェリナの記憶の中にあるそれとは比較にならないほど逞しくなった身体は知らないものだ。だけど前にも包み込んで守ってくれた時と同じ安心感を与えてくれる。

「おやすみ、アリィ。良い夢を」
「おやすみ、なさい。リヒト様……」

 あっという間に押し寄せた睡魔に意識が流されて行く。
 おやすみの挨拶もまともに言えずに目を閉じた。

 怖い夢は、見なかった。


「ん……」

 よく眠れたけれど、眠った時間は普段よりも短かったように思う。
 アリーシェリナが目を覚ますと薄暗い部屋の中に、白いガウンを纏った人の首筋が見えた。首から鎖骨にかけてうっすらと筋肉が浮かび上がっており、目の前の人物は男性なのだと実感させる。

「アリィ、起きたの?」

 声をかけられて視線を上げた。
 薄闇にもひときわ明るい青色の瞳がじっとアリーシェリナを見つめている。
 胸が締めつけられて苦しい。
 愛おしいのだと理解すると共に何故だか泣きそうになって、懸命に声を振り絞った。

「おはようございます、リヒト様」
「おはよう」

 今は何時なのだろうか。
 客間はどこに時計が置いてあったか記憶を手繰ろうとすると、リヒトはアリーシェリナの後方に目を向けた。

「まだ五時前だけど、もう少し眠る?」

 皆が起き出す前に自室に戻らなければいけない。
 無意識に強く思っていたことが、いつもより目覚めを早くしたようだ。
 まだ――このままずっとリヒトの腕の中にいたい。

(でも、戻らないと)

 いつまでも甘えていたら永遠に離れられなくなる。
 アリーシェリナが身を起こすとリヒトはほっとしたような、惜しむような表情になった。

「ごめん、アリィ。もう僕の部屋に来たらダメだ」
「ど、どうして?」
「――僕が眠れなくなる」

 初めての拒絶の言葉に声が震える。
 けれど、リヒトの目は確かにうっすらと充血していて、本当に一睡もできていないようだった。
 ただでさえ記憶が戻らずに心身に負担がかかっているのに、アリーシェリナが来るとさらに余計な負担をかけて眠れなくしてしまう。些細なわがままで、迷惑をかけてしまうだけなのだ。

「ごめんなさい。私、何も気が利かなくて――」

 もう来ないから。

 言葉を続けようとした時、抱き寄せられた。ふいを突かれ、なすがままリヒトの腕の中に囚われる。
 心臓が早鐘を打った。そろりと熱い吐息をこぼすアリーシェリナの前髪を優しくかき上げ、リヒトはあらわになった額に口づける。
 途端に弾かれたように肩が跳ね、唇が触れた場所の奥で小さな花が咲き開いた。
 嗅いだことのない甘い匂いがアリーシェリナの体内を満たす。

(ああ……。この感覚はきっと――)

 アリーシェリナが答えに辿り着く寸前でリヒトは身体を離した。
 銀色の長い髪を耳にかけると頬に触れる。
 のぞき込む目に、見たことのない色が混ざっていた。きっと今のアリーシェリナの目にも同じ色が潜んでいるに違いない。そしてそれこそが、先程分かりかけていた"答え"だ。

 けれどリヒトはアリーシェリナに触れる手を強く握り込んで顔を背けた。

「君が大人になる覚悟・・・・・・・ができているのなら残された時間は少ないし、もう僕も遠慮や我慢はしない。でも君にとってとても大切なことだから、流されたりしないでよく考えて」



 今夜も二体の精霊の機嫌はあまり良くないらしい。
 あるいは、その人智を超えた恐ろしく強大な魔力とは裏腹にどちらも美しい乙女の姿をしているという風と水の精霊は、アリーシェリナの恋を応援してくれているのだろうか。
 窓の外に吹き荒れる嵐は一人で眠るのが心細いというアリーシェリナの行動に正当性を理由づけ、ほのかな灯りに照らされた廊下を歩くアリーシェリナの足音をかき消していた。思えば昨日、湖で不自然に吹いた突風も風の精霊の後押しだったのではないだろうか。そう思うくらいの出来事だった。

 父には愚かな娘だと思われるだろう。
 朝、起こしに来る侍女にはそれと分かるよう手紙を残して来た。
 全ての責任は自分で取るから、朝になってアリーシェリナがシーツの中にいなくても決して騒ぎ立てたりはしないように、と。

 我ながら、ふしだらで愚かな行動だと思う。
 でも、それでも、どうしようもなかった。

 客間に行けば、昨夜と同じようにノックを待たずにドアが開かれる。
 昨日と違って部屋には煌々と灯りがついたままで、アリーシェリナを待ってくれていたと思うのは自惚れだろうか。
 いや――自惚れなんかじゃない。リヒトは昨夜、先にその"答え"を出していると教えてくれていた。そのうえでアリーシェリナによく考えるように言ったのだ。

「……アリィ。夜、男の部屋に一人で来るって、そういうこと・・・・・・だよ。君は本当に分かってるの?」

 最後の確認にアリーシェリナはしっかりと頷いてみせた。

 分かっている。
 分かった。
 よく考えたって、何も考えなくたって、答えなんて最初から一つしかない。

 抱かれてもいいと――抱かれたいと思って、部屋を訪れたのだ。

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