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悪い企み

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「姫様、ご所望されていたものを厨房の方々から譲っていただけましたが……今度は何をたくらんでいらっしゃるのです」
「お疲れ様、イレーヌ。でも企むだなんて人聞きの悪いことを言わないで」

 こちらに置いておきますね、と大きすぎるでも小さすぎるでもない茶色の紙袋をティーテーブルの上に乗せ、イレーヌは顔をしかめた。

「何に使われるのか怪訝そうな顔で二度も聞かれた私の身にもなって下さい」
「とても大切な"儀式"用よ。イレーヌは何て答えたの?」
「姫様は何も教えてくれませんでしたし、厨房の方々に詳しく聞かれても困りますから、姫様がご必要とされている、としか答えておりません」
「ふふっ、そうよね。ありがとう」

 イレーヌも厨房の人々も困惑している様が浮かんで、少し面白くなってしまった。
 くすくすと屈託なく笑うプリムローズにイレーヌは「笑いごとではありません」と厳しくたしなめ、すぐに表情を緩ませる。

「何に使われるおつもりか分かりませんが、くれぐれもアルバート王太子殿下やイルダリアの方々にご迷惑をおかけしませんよう」
「それはもちろん、分かってるわ」

 本当は昨夜アルバートに対して迷惑をかけてしまったばかりだ。
 でも"毒キノコ病"のことは秘密にと言われたし――ああ、その前に、白い結婚だと言われたことをイレーヌに打ち明けていない。

 イレーヌも結婚をあんなに喜んでくれた。
 だからまだ、一年経ってフィラグランテに帰るしか道がなくなってしまうまでは、できる限り言わずにおきたい。
 もしかしたらその前に、懐妊の兆しを見せないことで何かあると思われてしまうけれど。

(アルバート様は、御世継ぎはどうなさるつもりなのかしら)

 ふと、疑問を抱く。

 夫婦の営みは身も心も一つになれる素敵な行為である以前に、子を成す為の行為だ。ましてや直系の王太子アルバートの血を継ぐ御子が必要ないはずがない。
 プリムローズがその役割を果たせないのなら――悪い方に考えが行きそうになって、静かに首を振る。白い結婚なんてやめた方がいいとアルバートが思い直してくれたら、それで全てが解決するのだ。

(だから、わたくしも今できることをしなくては)

 フィラグランテから嫁入り道具の一つに持って来た、お気に入りの裁縫箱から刺繍糸を取り出してティーテーブルと揃いの椅子に腰をかける。

「姫様……くれぐれも決してご迷惑はおかけしませんよう」

 イレーヌは渋い顔をしてさらに強く念を押した。





 アルバートは戻りが遅くなると聞いている。
 だから楽しくておいしかった朝食とは打って変わって、豪華だけれど寂しくて味気無ささえ感じてしまった夕食を一人で摂った。それからイレーヌと少しお喋りをして、湯浴みを済ませてベッドに潜り込む。

 今夜は例の下着もどきではなく、純白の絹のローブを身に纏った。
 できれば他にも可愛い下着もどきが欲しいところだけれど、どこで手に入れたら良いのか分からない。もう三着くらい送ってくれないか、デイジーにお願いしてみようかと思った。

 手持ち無沙汰に本を読み、でも内容は全然頭に入って来ない。

(アルバート様は何時頃お帰りになられるのかしら)

 待ち侘びてぼんやりとして、とうとう眠りかけた時、続き部屋のドアが開く音がした。それからアルバートのものらしき声が聞こえる。帰って来たのだ。

 プリムローズは跳ね起きると、昼間準備したものを手に寝室の奥にあるバスルームに向かった。
 昨夜とは違う意味でどきどきする。
 上手く、やらなくては。

「――姫?」

 ベッドにいないプリムローズを探してくれているのだろう。
 プリムローズは嬉しさを噛みしめ、バスルームからアルバートを呼んだ。
 ところが待てと暮らせどアルバートがやって来る気配はない。湯浴みをしている最中だと思われたのだ。プリムローズは慌てて言葉をつけ足した。

「ちゃんと服は着ております。どうぞこちらにいらして下さい」

 まだ少しの間があって、根負けしたのかアルバートがようやくやって来た。言葉通り、ローブを着ていることを見て取って安心したような顔をする。
 アルバートがバスルームに足を踏み入れたのを確認すると、プリムローズは背中側に隠し持っていたものの一つを手探りで取った。

「アルバート様、少しだけ身を屈めてはいただけませんか」
「身を?」

 不審そうにしながらも言う通りにしてくれる。
 そんなところも、やっぱり好きだ。

(わたくしが一刻でも早く、アルバート様をお救いして差し上げなくては)

 改めて使命感にも似た強い想いに駆られ、手にしたそれをアルバートの頭上にかざす。
 ニンニクを輪っか状にした、いわばニンニクの首飾りだ。イレーヌに頼んで厨房から何個かもらって来てもらったものを、プリムローズ自ら糸で繋ぎ合わせたのである。――それを見守るイレーヌの目は、心なしか冷たかったけれど。

 服の上からアルバートにかけようとするも、長さが不十分で首飾りと言うよりは冠に近い。顔を斜めに横切るニンニクにアルバートが気を取られている間に、もう一つ頼んでおいた紙袋を引き寄せる。

 中には塩がぎっしりと詰められていた。湯浴みした後だからか、水気を含んでしまってぼったりと固まるそれを掴み、アルバートの"毒キノコ"にぶつける。

 本当は直接その場所にぶつけたかったけれど、もう勝手に脱がせたりしないと淑女としては非常に不名誉な約束をした。
 だから、妥協して服を着たままでも効果があるように少し頑張った。

 プリムローズの腕力なんてたかが知れている。
 けれど比較的至近距離であったことと、塩がそれなりの量だったことが噛み合い、思っていた以上に重たげな音を立て、ぶつけた側のプリムローズが悲鳴をあげた。

「ご、ごめんなさい……!」
「いえ……。それで今度は何を企んでいらっしゃるのです?」

 狙い通りの場所には当たらなかったらしい。
 それが良かったのか良くなかったのか、アルバートは左の脇腹辺りを押さえて微妙に眉を寄せている。全く痛くなかったというわけではないようだ。申し訳ない気持ちが再び湧いて頭を下げる。
 それにしても、イレーヌと同じことを言われてしまった。

「あ、あの……アルバート様に取りついた毒キノコの悪い妖精を追い払おうと……」
「だからニンニクと塩を?」
「はい。どちらも魔除けに効果があると昼間、本で読みましたので」

 ニンニクと塩で大ダメージを受けた悪いキノコの妖精が悶え苦しみ、最後の手段として自らの回復の為にアルバートの体力を奪おうとするのではないかと予想していた。
 けれど、少なくとも元気そうだ。アルバートが元気なのは良いことだけれど、内面で激しく戦っているような様子もまるでない。弱ったところに追い打ちをかけるつもりでいたのにあてが外れてしまった。

「これで頭からオリーブオイルをかけられていたら、私は我が国の郷土料理のようですね」
「あの麺料理の! わたくし、シンプルだけどとてもおいしいあのお料理大好きです」

 言われてみたら確かに、イルダリアには小麦から作られた細い麺を塩茹でし、オリーブオイルとニンニクで炒めた料理がある。
 イレーヌはあまり好きではないようだけれど、プリムローズは嘘偽りなく好きな料理だ。良質な小麦の風味とオリーブの香り、そこにニンニクの濃厚な味と赤いスパイスがピリッと辛くておいしいと思う。

「でもアルバート様、あのお料理には真っ赤な辛いスパイスも使われていますわ。わたくし、オイルだけでなくそれもご用意しておりません」
「そうですね」

 多分そういう問題ではないし、言い草に呆れただけなのだろうけれど、アルバートが表情を少し綻ばせた。
 笑ってくれた。
 嬉しくなってプリムローズは心からの笑みで応える。するとまた顔を背けられてしまった。あからさまな態度は、やっぱり悲しい。

「このまま湯浴みしてしまいますから、姫は寝室にお戻り下さい」
「アルバート様がご自身で毒キノコの妖精を追い払えるよう、お塩は置いておきますか?」
「姫の優しいお気持ちはとてもありがたいですが、すでに試して効果がないと判明しておりますので」
「あ……、そう……そうですよね」

 すでに試したことがある。
 もっともな話だ。

 塩まみれの手を洗い流してリネンで拭う。
 そうしてアルバートから受け取ったニンニクの首飾りと、底が破れて中身が溢れたりしないように気を遣いながら塩の詰まった紙袋とを別のリネンにしっかりと包み、バスルームを出ようとする。

「――姫」

 あまりにも落ち込んだ様子に気が咎めたのか、アルバートが声をかけた。
 ゆっくりと振り返ると、もうのぼせてしまったかのように頬をわずかに上気させてアルバートが口を開く。

「明日の晩は早めに帰って来られます。姫が良かったら――麺料理を用意させます。だから夕食も一緒に摂りましょう」
「は、はい! ぜひご一緒したいです」

 夕食も、と言った。
 明日は朝食だけでなく夕食も一緒にできるのだ。
 先程までの沈んだ気持ちはあっという間に影も形もなくなり、明日が待ち遠しくてたまらなくなる。


 その夜はアルバートと一緒に麺料理をたくさん食べる夢を見て、こんなにニンニクを食べてしまったら口づけができないと思った。

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