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第一楽章 手紙を書く女-Allegro con brio-

1-1 遠い伝言(9)

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 メイドの姉妹が出ていき足音が遠のいたのを確認すると、言われたことをさっそくなおざりにしたセシルは、扉に鍵をかけて姿見の前にふんぞり返った。

「リア! ちょっと、リア! いない?」

 少年の刺々しい呼び出しに一呼吸遅れて、鏡の国の友人は現れた。
 ふわふわの亜麻色の髪が宙に泳いでいる。まるで水の中にいるかのようだ。

「やっと、二人っきりだね、セシル。会いたかったよ」

 リアがうふ、とコケティッシュに投げてきたキスを、少年は手ではたき落とした。

「冗談はいいから。ちょっと。ずいぶんと久しぶりだよね、こうやって話すの? いつもどこに行ってるのさ! 呼んでも来ないし!」

 セシルの剣幕に驚いて、少女は途端にしどろもどろになった。

「だ、だって、セシル、最近はなかなか一人になれないみたいだったし……」

「モルフェシアに来たはいいよ? パーシィも変なところ除けば本当にいい人だし、友だちもできたし、学校も楽しいし、探偵の手伝いだって悪くない。でもさ、リア。リアはどこにいるのさ?」

 角張ったボーイソプラノを恐れたのか、少女はわざとらしく茶化す。

「あっ、ご飯の時間だわ!」

「そういうのもいいから。オレ、困ってるんだよ」

「……ごめん」

 しゅんとするリアの口から聞きたいのは、謝罪ではなかった。

「だってオレ、リアに会いに来たんだよ。歩ける限りは探してみた。でもモルフェシアでも、このケルム市内なのか、そうじゃないのかじゃあ、全然違うだろ。どこにいるか教えてくれなかったら迎えに行けないだろ!」

「……そう、だよね」

「そうだよ!」

 二人は、どちらともなく視線を逃がし続けていた。セシルの視界を彩る内装の典雅さは彼の心を和ませない。
 重苦しい沈黙を破ろうにも、セシルが口を開けば問い詰めてしまいそうだった。だからリアが折れてくれるのをじっと待っていた。彼女から誘ってきた話だ。したがって、彼女から口を割ってもらわねばならない道理があった。少なくとも、セシルはそう思っていた。

「うぅ……」

 リアが背を向けてうずくまる。
 こういうとき、そばで抱きしめてあげられたらいいのに。セシルは痛いほどそう思った。
 母や父、祖母がそうしてくれたように、温もりが言葉以上に雄弁なのを知っていたから。

「リア……」

 セシルは、姿見に映るだけの小さな背中に、そっと触れた。硝子は平たくて冷たい。
 指先から気持ちと温かさが伝わればいいのに。指の腹で撫でさすってみる。
 少年の思いに反して、きゅ、と空しい音がした。

「セシル……わたしの言うこと、信じてくれる?」

「信じないわけないよ。今まで色んな事を教えてくれたのは、リアだよ?」

 ちらと横顔を見せてくれた少女は、鼻を赤くしていた。ついでに一つ啜った。

「あのね……わたしね……」

「うん」

「……ケルムのね、空の――」

 少女がぽつぽつと話し始めてくれていた矢先だった。ノックが三つ鳴り、整ったハイバリトンが少年を呼んだ。

「セシル、入るよ」

「ちょっと待って、今は――!」

 セシルの許可が無いまま、鍵がかかっていたはずの扉があっさりと開いた。鏡の向こうの少女は姿を隠した。

「待って!」

 少年は、侵入者を睨みつけて吠えた。

「パーシィ! 待ってって言ったのに!」

 マスターキィを首にかけなおした紳士は、悪びれずに言った。

「僕も入ると言った」
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