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第一章 青き誓い

10、十戒、その身に帯びて(3)

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「どちらもなんだろうな」

 騎士の静かな同意が、新手のウミネコの甲高い鳴き声に混ざった。

「陛下は、ご自身が獅子王でありたかったのだ。そのお気持ちが殿下に向くのは、もっともな成り行きだろう。それに世継ぎの王子であらせられるグラスタン殿下が経験を積むのは、よいことだ。殿下もまた、王国にかしずく騎士のお一人なのだからな」

 セルゲイは理解に思わず鼻を鳴らした。納得はしていない。

「お前の言う通り、その気になればいつでも本物の戦争を起こされるような陛下が茶番で澄まそうというのだ。丸くなられたものよ。これには付き合って差し上げねばなるまい」

 ドーガスが国王の肩を持つのはもっともだ。彼は、善きを讃え悪しきに苦言を呈する男で、それは主君であっても変わらない。己の正義に実直な騎士だ。
 しかしセルゲイには、彼の言うようにどっちもどっちだとは思えないのだ。
 金色の鬣(たてがみ)をたなびかせ青い瞳を燃やす国王のほうがよっぽど獅子然としているではないか。
 内気な王子の黒髪をわざわざ逆立て、青い瞳を悲しみに波立たせることもなかろうに。
 セルゲイは思わず、空へ腕を伸ばした。
 海鳥がひらひらと自由奔放に飛ぶ。掴めるものなら掴んでみろと言っているようだ。
 彼らはどこからやってくるのだろう。緑の島々で休まず、わざわざ海原の上を泳いで。
 ご機嫌な彼らの足を引っ張ってやりたくなるが、手のひらは虚空を掴むばかりだ。

「でも、こんなこと正義じゃない。騎士道に反してる」

「ならば、この作戦に参加しなくてもよかったのだぞ」

 セルゲイは返す言葉もなく黙りこくる。
 ドーガスの言う通りだ。

「知っているだろう。我々が帰依するのは主人ではなく、あくまで騎士の十戒なのだから」

 先輩の声は暖かく、そしてどこか乾いていた。
 騎士の十戒。優れた技術を持て。勇気をもって、弱者を救え。いつも正直に高潔たれ。誠実であれ。慈悲深く寛大であれ。信念を持て。常に礼儀正しく、無私にして崇高な行いに身を投じよ。これは剣を手にするとき、何度も暗唱させられたものだ。
 食事のたびに、この世に満ちるマナと魂(スィエル)へ感謝を述べるように。
 騎士がただひとつ封建制を覆せるとき、それは君主が十戒を逸脱するときだった。
 今回の国王の命令は、それにまったく当てはまる。
 でも。セルゲイは首を振った。

「それじゃあ、逃げるのと同じです。それに、グレイズがやると決めた。俺はあの人の信念に忠義を尽くさないといけません」

 ドーガスはうんともすんとも言わず、セルゲイの顔をじっと見据えてきた。
 主君との約束――友として名を呼ぶことで、ドーガスに角が立ったのかもしれない。
 なんだかばつが悪い。

「俺の主人はグレイズです。あいつが言う正義になら俺は従います」

 改めたセルゲイの声は、もごもごと言い訳じみた。
 緊張の一瞬のあと、先輩は破顔した。
 そして、一回り年上の彼は、優しく、だがしっかりと後輩の肩を抱いてくれた。

「立派になったな」
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