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第一章 青き誓い

9、金色の姉弟(7)

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 落ち着くまでのしばらくの間、侍女の胸を借りた王太子妃は、浅い呼吸もそのままに立ち上がった。頭がぐわんぐわんと痛む。

「少し、涼んでくるわ」

「ご一緒いたします」

 と、かいがいしく言うイーリスに首を振った。

「独りになりたいの」

 イーリスのランプから火をわけてもらったランタンを手に、古めかしい石造りの廊下に出る。
 宵闇が、頭を冷やしてくれる。
 足元に敷かれている真新しい絨毯を踏みしめながら散策しているうちに、外が見たくなって見張り台を目指すことにした。
 それにもしかしたら、やってくる〈栄光なる王子〉(プリオンサ=グローマ)号が見えるかもしれないわ。
 ほんの小さな、子どもじみた希望がうち沈む心に芽生える。
 暖かく前向きな心持ちになれそうな予感だ。
 その時、どこからともなく音が聞こえた。
 よく枯れたヴィオラ・ダ・ガンバのような、少しくぐもった音だ。

「マルティータ」

 それが人の――少年の声だと気づくと、少女の背筋が凍り、足が止まった。
 ぞっとした拍子に振り返りランタンを突き出す。
 だがあたりには誰もおらず廊下の奥には永遠のような闇がぽっかりと口を開けているだけだ。
 いつしか、涙はすっかり引いていた。
 立ちすくむマルティータの耳に、また同じ声が聞こえた。

「マルティータ、助けて」

 しゅるしゅると弓が弦を掠めるような弱々しい声に、首を回すが誰もいない。
 少女は確信した。彷徨える霊魂(スィエル)だわ。そう思えば少しほっとする。
 生者の命を脅かすのは生者であると、主人である神子姫ミゼリア・ミュデリアが常々教えてくれていたからだ。
 でも。少女は訝しんだ。〈ギフト〉のないわたくしにどうして霊魂(スィエル)の声が聞こえるのかしら。

「霊魂(スィエル)のささやきが自分への語りかけならば、耳を傾けることよ」

 自分には無縁だと思っていた神子姫の助言が、急に現実味を帯びはじめる。
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