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第一章 青き誓い

8、最高で最低の日(1)

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 グレイズは、晴れて国王近衛騎士となったセルゲイ・アルバトロス――同い年の騎士にして唯一の〈盾仲間〉が下がるのを見届けた。
 心臓が張り裂けそうに暴れている。これで終わりではない。次は、自分の番だ。
 一度下がり、傍に控えていた大臣の手を借りて、騎士のマントを王太子のシロテンのマントに替えると、再び〈水の祭壇〉の前に向かった。
 頬に、背に、後頭部に、参列者の注目を浴びる。痛いほどだ。視線が矢ならば、グレイズは穴だらけになっていただろう。彼らに悪意はないことはわかりきっている。参列者の誰もが、今日、この日、これからヴァニアス王国の新たな歴史が刻まれるのを目に焼きつけんとして、常春の庭へ集まったのだから。だが、壺中(こちゅう)の自覚があればこそ、萎縮せずにはいられない。
 この無数の目に慣れる日が来るのだろうか。
 真新しいシルクのスーツは、グレイズを守ってはくれない。
 遠い未来に持つ錫杖や宝玉、王冠でさえも。
 祭壇の前で待つ時間は、永遠のように長かった。
 視界の端で、セルゲイが身じろぎをした。日頃飄々としている彼でも、緊張することがあるようだ。もしくは、儀式に飽きたか。
 セルゲイらしいな。そう思うと面白くて、グレイズのわなないていた指先が次第に落ち着きはじめるから、不思議だ。
 その時突然、奏者の素早いブレスがあった。
 あまりにも大きく聞こえたそれにグレイズが体ごと驚いた瞬間、コルネットたちが高らかに祝福の和音を天空へ捧げた。
 天も、明るい響きと小気味よいリズムを喜んだらしい。
 雲間がみるみるうちに開き、常春の庭へ陽光が惜しみなく降り注ぎはじめた。
 間もなくだ。渇いた喉にはもはや、飲み込むものは何もない。
 コルネットの余韻が残る中へ、微かな鈴の音がどこからともなく混じりだす。
 清涼な音色に気づいた参列者たちがざわつく。彼らがまばらに首をまわしたそのほうから、スィエル教の司祭を先頭に、神職の乙女たちの行列が現れた。
 鮮やかな刺繍の白装束を身に着けた彼女らは、左右それぞれの手に鐘と香とを持っている。
 涼しげな音と香りとをあたりに振りまいて、場を清めているのだ。
 水を打ったように静まりかえっている中、乙女たちの鐘の音と、行列のしずしずとした足音、〈水の祭壇〉から生まれ続ける小川のささやかな流音が、いつになく大きく聞こえる。
 その行列の殿(しんがり)に斎主たる神子姫ミゼリア・ミュデリアが、そして神子姫の手前には、グレイズが待ちわびた生娘の姿があった。
 顔はヴェールに覆われていて、見えない。
 ああ。
 グレイズはこみあげた思いを吐息にして、落とした。
 早く、顔を見たい。
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