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「お姉さまはそんな事しないわ!」

 叫んだ声と同時に、馬車の扉が開かれる。金髪の柔らかそうな髪を肩に届くほどで切り、花飾りとオレンジのドレスを纏った少女。太陽のような、見ているだけで誰もが笑顔になってしまいそうな、その可憐で華奢な姿。

 アリシア。呟いたはずだった声は霊体としての言葉にもならず溶けてしまう。ああ、クローディアの悪い噂が渦巻く中、彼女だけはいつもそうだった、と思い出す。クローディアをお姉さまと慕うアリシアは、いつだって彼女の事を悪く言わなかった。

 つかつかつか、と白い靴を鳴らして歩み寄ってきた姫君は、兵士たちを一瞥した。彼女もまた身分ある姫君、宰相の娘でありながら顔を扇で隠す事すらしない。

「あれって……」

「アリシア様と、クローディア様だ……!」

「どうしてこんなところに……?」

「そういえばさっき、クローディア様は暗殺容疑だとか言われて……」

 民がざわめくのも意に介さずに、アリシア姫は片眉を釣り上げた。

 細い腰に片腕を当てて、足を開く。仁王立ちではないけれど、それに近い迫力があった。太陽の姫と呼ばれるのには所以がある。彼女は、陽の光のように惜しみなく誰にでも笑顔を振りまくが、いざ怒ったときのその激しさは夏の灼熱の日差しが如し。

 クローディア姫の恋敵とされながらも、彼女をいつだって慕っていた優しいアリシア。俺の妹のような、大切な存在。

 彼女はきつい声を出した。少女の幼さを持ちながら、身分ある令嬢の威厳もある声を。

「お前たち。これはどういうことなの。説明してくれる?」

「ア、アリシア様……何故ここに……」

「大神官ゲオルグ様に呼ばれた帰りよ。週に一度の礼拝から戻ってきたら、クローディアお姉さまを往来の中で暗殺犯呼ばわりで侮辱するだなんて、いつから宮廷衛兵はそんなに偉くなったのかしら!」

 くってかからんばかりのアリシアに、クローディアが歩み寄る。格好としては庶民か、下級貴族の娘のようでありながら、黒い髪を三つ編みにして白いワンピース姿で立つ彼女からはアリシアに負けず劣らぬ気品が立ち上っていた。

「アリシア嬢。……いいのです」

「何もよくないわ!」

 衛兵に向かってくってかかっていた声とはまるで違う、微かに泣きそうな声でアリシアが言う。彼女はいつもそうだった、とまた懐かしく思い出した。感情的になり、怒り、それが昂ると泣いて、そして漸く静まる。

 感情に素直で、真っ直ぐな姫。

 それとは対象的に無表情を貫くクローディアは、アリシアに向かって少しだけ微笑んだ。

「いいえ。いいのです。……私を連行して構いません。どうせ、証拠とやらがあるのでしょう」

 凛とした眼差しで兵士たちを見つめるその瞳。

「そ……そうです。クローディア姫、あなたの部屋から殿下を暗殺したと思われる針が見つかった!」

「私、裁縫が趣味なのです。針なんて何本持っているか忘れましたわ」

「毒が塗ってあったとの証言が。殿下が亡くなった日に、殿下の部屋の辺りをうろついていたとの証言もあります、姫。無罪放免とするにはいささか証拠がありすぎるのでは?」

『クローディア……』

 俺はどうしたらいいか、段々分からなくなりはじめていた。

 勿論彼女を信じたい気持ちはある。だが、王宮が誇る宮廷の衛兵たちがこうも証拠を挙げ連ねてくるということは、やはり何かあるのではあるまいか。暗殺犯が彼女自身ではないとしても、何かが……。

 いや。

 だめだ。信じろ。

 一度信じたいと思った俺自身を信じなくてどうする。俺の写真に向かって、泣きじゃくっていた彼女を忘れたのか。逢引をしたいといった時の無邪気な顔、町の中で物珍しそうに辺りを見ていた時の子供のような表情。

 どれもこれもが、謀略に長けた冷酷な令嬢というイメージに反したものだった。……愛おしくさえ感じられるものだったじゃないか。

『殿下』

 唇だけを微かに動かして、クローディアは囁いた。

『今は一旦、おとなしく捕まる事に致します。私が数日以内に出られたらその時は……』

 また、逢引ができたら、嬉しく思います。



 クローディアはかすかな微笑みだけを残して、兵士たちに連れられていく。

 ただで死ぬような玉ではない、とは思う。そう信じている。だけど。

 ああ。今そんな事を言うのか。もしかしたら二度とできないかもしれない事を知っていて。

 王族を殺した罪は、大罪だ。当然の事ながら、どんな身分の人間でも死刑になる事が、この国では決められている。数段の階段を上り、首に縄をかけて、足の下の台を外す処刑法で殺される。

 そうやって苦しんで死ぬかもしれない運命を見つめながらも、彼女は俺にああいったのだ。



 クローディアだって、死んだら俺と同じ幽霊になるかもしれない。そうしたら二人で数日間だけのんびりとできるのかもしれない。でも、それは俺が嫌だ。俺がいない今、彼女は別の男と結婚するのだろうが、それでも、……それでも、生きたまま、幸せになってほしいから。

 それが、今ここにいる幽霊の俺の、切実な願いの中の一つだ。

『だから、……そのために』

 ……無罪を証明しなくては、と思った。なんとしてでも。なんとしてでも証明しなくては。

 俺が見える、誰か他の誰かを探して。協力者を見つけて、彼女の無実を、潔白を白日の下に。



『待っていてくれ、クローディア……必ず、必ず助けるから!!』



 大声で叫ぶ。

 誰も、勿論気づきやしない。民も、兵士たちも。クローディアだけが、肩を震わせて、立ち止まった。

 振り返る。瞳に淡く涙が光っていた。また、そんな顔を。  

 見たことがなかった君を、死んでから、どんどんと知るなんて。そうして、また好きになるなんて、どうして運命はこうも上手くいかない。



 けれどせめて、幽霊としてでも、お前の側に。

 そう思いながら俺は、連れて行かれるクローディアに着いていこうとした。



 した……のだが。



「……お兄様……?」

『え、』



 アリシアが。

 何かを見つけようとするように、辺りを見回していた。その目は俺の上を素通りする。それでも、確かに誰かを探している。

「姫様、どうなさいました」

「今、お兄様の……レオンハルト殿下の声が……」

「まあ、アリシア姫様……お疲れなのですね。殿下の死は、大変な不幸でした。ですが、心を病んではいけません」

「病んでなんかいないわ!本当に聞こえたの!」

「姫様……今日はお城に戻りましょうか、ベッドでよくお休みなさいませ」

「本当なんだってば!」

 無理矢理馬車に押し込まれるアリシア。何度も、俺の声を聞いたと主張する。

 もしかしたら、これはもしかするかもしれない。千載一遇の好機かもしれない。彼女を助けるための、協力者を得る機会。絶対に裏切らず、気質もよく分かり、身近で、俺とも彼女とも関係がある人物。

 俺は走り出す直前の馬車の中に滑り込んだ。耳元で囁く。

『アリシア』

「ひゃっ!?」

『しっ。黙って聞いてくれ』

 隣に座っているのに、見えないのだろう。でも、声だけは聞こえている。

 アリシアは恐る恐るといった調子で、辺りを見回した。オレンジのドレスの胸元で華奢な両手を組んで、その指先に緊張か恐怖か、ぎゅっと力が入っている。

『……俺は、死んだ。今の俺は幽霊だ。だが、俺を殺したのは、恐らくクローディアではない。このままだと、クローディアは暗殺犯の濡れ衣で死刑になる。……俺はそれを阻止したい』



 協力を。

 協力、してくれないだろうか。お前なら、分かってくれるんじゃないか。

 クローディアを、死なせたくないんだ。



 その言葉を聞いて、アリシアは辺りをもう一度見回す。

 それから、まっすぐ前を向いたまま、こくりと頷いた。彼女には俺が見えない、だが俺たちは今、同じものを、同じ目標を、見ようとしていた。 

「色々、信じられないけれど……お姉さまを、お兄さまと私で、助けたいという話、なのよね?」

『そうだ』

「……、ためらってたら、きっと……あの方は死刑にされてしまう」

 その瞳は太陽の如き輝き。どこかの詩人が、かつてそう称したという煌めく青い瞳。

 意志の強さを目に宿して、彼女はこくりともう一度頷く。



「……やるわ。やってやろうじゃないの」

『恩に着る』



 目指すは月の姫君、魔女と呼ばれた神官令嬢クローディアの奪還。

 同盟を組むのはかつて氷の貴公子と呼ばれた幽霊と、太陽の姫君。

 奇妙な共同戦線が、今始まろうとしていた。

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