野良魔道士は百合ハーレムの夢を見る

むぅ

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2.お嬢様&メイド編

6.類ほど友を呼ぶものなし

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ところでダンウェル・ノックピードと言う男はクランテットにおいて知名度の高い人間ではない。

彼の擁する組織「宵闇の鴉」に表向きの顔が無いために世俗的認知度が他の大規模な組織と比べて低いことや、彼が「宵闇の鴉」の頭領として直接対面した人間の大半が彼自身の手によって、あるいは何かしらの荒事によって亡き者になっていることが主な原因だろう。

ダンウェルの個人情報はクランテットの暗部に深く踏み込まねば知ることのできない情報でありながら、この街の陰には知らなくても良いことが多すぎる。見てはいけないものを見たというだけの理由でその生を終えてしまう者が多いこの街で、彼の情報を手に入れることがどれだけ危険なことかなど想像に難くない。

そういった事情も相まって壮年の男性ダンウェル・ノックピードと「宵闇の鴉」の頭領を結び付けられる人間はそう多くない。せいぜいが彼と同じステージに立つ支配者層とその付き人くらいなもので、そこらの人間からすればダンウェルは多少身なりのしっかりとした一市民にしか見えないのだ。

「ナイトロチェリーが5つにクロサシ草が3束っと……お客さんは薬師なのかい? この組み合わせじゃあ毒薬か強心剤しか作れないはずだが」
「いえ、そろそろ旬ということでチェリーパイに挑戦してみようかと。クロサシ草は刺激的な隠し味になると聞いたので」
「チェリーパイってのは何かの隠語か? まあ、買ってくれるなら文句は言わねえが」

百万都市のクランテットに片手で数えるほどしかいない支配者階級であるダンウェルが、こうして商店街に出向いて食材を買い歩いて何事も無くいられるのはそういう訳だ。

これまでは無趣味な人間であったが故に大して気にも留めなかった余暇の時間だが、こうして呑気に買い物をしようという時に自由度が高いというのは実に都合が良いものだとダンウェルは過去の自分に称賛を送る。

ダンウェルは実に機嫌が良かった。何をせずとも組織としての謀略の進展に支障も無ければ、その裏で彼個人のささやかな願望すらも満たされる目があるというのだから、その高揚も当然の話だ。


「――という女の子を探しているのですが。心当たりがあったりはしませんか?」
「ああ、それなら知っているぜ。ウチの宿に泊まっている。――案内してやるからついて来な」


だからだろうか。柄にもなく舞い上がっていたダンウェルの目にふと1人の少女が路地裏に連れ込まれる光景が留まって、そして柄にもなく見過ごせない気分になったのは。

この街に来たばかりの旅人がゴロツキ紛いの小悪党の戯言に引っかかって食い物にされるなど、クランテットではよく見る光景。

だが、ちょっとした気まぐれにとお節介を焼きたくなったのだ。そう思うや否やダンウェルの身体は音も無く動き出し、気配無く少女と男の間に割って入る。

「ほらこっちだ、ってうぉ?! 誰だオッサン、何時からそこに居た?」
「誰かと問われれば通りすがりのお節介おじさんで、何時からと問われれば今来たと答える他無いのですが」

ただ割って入っただけだというのに、これでもかと言うくらい面食らう男。ダンウェルとしては気配を隠したつもりはなかったのだが、そういう動きが癖になっているのか、それともただ単に影が薄いのか。男と少女、そのどちらにも割り込むその瞬間まで気付かれなかったらしく、男のみならず少女の方も目を見開いている。

「確か貴方はダウンタウンに住むロニー・マイヤーでしたね? 私の記憶では貴方は奴隷商で子飼いの用心棒をやっているはずでしたが、何時の間に民宿なんて始めたのでしょうか」
「――ッ! 邪魔してんじゃねえよ!」

何故ダンウェルが自らの名前を知っているのか、その疑問を抱くことすら無く、軽く揺さぶりをかけただけで激昂してナイフを取り出す男。

力任せに振るわれたそれは明らかに訓練した者の手腕ではなく、いともたやすくダンウェルに手首を絡めとられ、そしてそのまま捻り上げられる。

ナイフを取り落とし、そのまま体勢を崩した男は地面に押さえつけられて身動きが取れなくなった。口ほどにもないとはまさにこのことだろう。心なしか男を見る少女の目も冷ややかだ。

「テメエ、やりやがったな! ……だが、後悔するんじゃねえぞ?」

腕を捻り上げられながら、しかし男は何故か勝ち誇った表情でこちらを見やる。

奥の手はまだある、といった表情だ。しかしその奥の手とやらに心当たりがあるダンウェルからすれば、これ以上滑稽なものもそう無いだろう。

「あまり気乗りしませんが、どうぞ。言いたいことがあるなら」
「ふ、俺のバックにはあの「宵闇の鴉」が付いてるんだ。この街に殺せない者などいないとまで言われる暗殺者【白影】を頭に据えた、冷酷無比の闇ギルドだ。
そんな俺に手を出したんだ。――お前ら、生きてこの街を出られると思うなよ?」

勝利を確信したような笑みを浮かべる男に、【白影】ダンウェル・ノックピードは深く深く溜息を吐く。

多少この街に慣れている風を見せているダンウェルにならともかく、何故その脅し文句がどう見てもクランテットの住人ではない少女に通じると思ったのか。そして仮に通じたとして、何故それで交渉すらしないうちから勝ち誇れるのだろうか。そもそも口封じという言葉の意味をちゃんと理解しているのであれば、この状況でそれを言うのは悪手だろうに。

初対面のはずの男の名前をダンウェルが知っていた時点で、ほんの一瞬でも「宵闇の鴉」との繋がりを考えて欲しかったのだが――さすがにそれは高望みだとしても救いようのない、この街で食い物にされる人間の手本のような男だ。

「なんかもう、いいです。少し眠っておきなさい」
「は? お前俺の話を聞いてな――」

そんな男に名前を使われるこの街に殺せない者などいない暗殺者は何とも情けない気分になり、そのまま首を絞めて意識を刈り取る。

下っ端も下っ端とはいえ、仮にも「宵闇の鴉」傘下を名乗る男。もう無いだろうが、次顔を合わせることがあったらもう少し頭の回転を速くしてほしいものだと思いつつ気を失った男を放し、少女に向き直る。

「貴女は大丈夫ですか? 荒事になる前に割り込めたと思うのですが」
「あ、はい。おかげで傷一つありません」

居住まいを正し、ぺこりと頭を下げる少女。その姿に警戒心らしきものは感じないが、かといって先の男ほど目立った隙も見当たらない。

そして何より姿勢を正す直前まで、その手は不自然ではない程度に背中の槍の柄に添えられていた。ついて行くつもりだったとは言え、あまりにもあからさまな男の態度を信用する気にはなれなかったらしい。

そうなるとこれは本当に余計なお節介だったかと思い、知られてはいないとは言え身内の無能を晒したこともあって恥じらいに頬を掻く。

「してお嬢さん。こんな見え見えの釣り文句に縋ってまで、一体誰を探していたのですか? 一応私はこの街では顔が広い方なので、もしかすると力になれることもあるかもしれませんよ?」

そうして照れ隠しついでに、ダンウェル自身も怪しさ満点の売り文句で悩みを聞いてみる。

話を聞いた限り、どうやら人探しのようだ。邪魔をしたのは身内である以上、彼女が望むのであれば時間潰しのついでに力になってやっても問題は無いだろう。見る者が見ればすわ何事かと思われる絵面ではあるが、機嫌が良い時なんていうものはそういうものだ。

「でしたらその、今私こんな女の子を探しているんですけれど、心当たりなんかはありますか?」

怪しいからと言って聞き込みを止められるほど彼女には余裕がある訳でも無いらしく、迷うことなく尋ね人の人相を告げてくる。

少女の風貌を見るに、誰かを尋ねてクランテットまで出向いた、という風ではない。むしろこの街に来て、はぐれてしまった誰かを探しているようにも見える。だとすれば心当たりなど無く、虱潰しに街を歩く少女に一日付き合うことになるのだろうかと思いつつ少女の言葉に耳を傾ける。

しかし物腰柔らかにそう言ってその少女が伝えてくる尋ね人の人相は、聞けば聞くほど心当たりのある物ばかり。もしやと思ってその名を訪ねてみれば、やはりと言うべきか想像した通りの答えが返ってくる。

奇遇というよりも、これは1つの運命の形なのだろうか。不意に笑いが込み上げてくるほどに、ダンウェルは少女の邂逅に因果めいたものを感じてならない。

「今どこに居るとは言えませんが、彼女が行きそうな場所なら心当たりがあります。
今夜、この街で最も賑やかな場所に行ってみると良いでしょう。待ち人来たれり、ですよ」

――恐らくは彼女にとって、私はそういう役割の持ち主なのだろう。

そんな確信のもと放たれたダンウェルのその言葉に、少女はただ白銀の髪を揺らし首を傾げるばかりだった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――




「こ、これが主従サンドイッチ……! ハーレムしてるの? 今私ハーレムしてるの?!」

眩しいくらいの月明かりが照らす空の下、ミーシャが興奮したようにそう言う。

その背にはお嬢様がおぶさるようにしがみ付き、かくいう私も正面から全力で抱き着いている。ハーレムがどうのこうの、女の子がどうのこうのと言っていたミーシャからすれば夢見心地な光景であることだろう。

「いやこの状況、全然ハーレムとは程遠いですから。……ああちょっと! 揺らさないで!」

だが私もお嬢様も、別に血迷ってミーシャに媚びを売り始めたという訳ではない。確かに危機的な状況と数少ない協力者であることを考えれば媚びを売ってもおかしくは無いのだが、どういう訳かそういうことをする気にはなれないし、しなくても良いとも思っている。

今こうしてミーシャに抱き着いているのは、ひとえにここがクランテットを見下ろす遥か高空、地面よりも雲の方が近い場所だからだ。



今、私たち3人はミーシャの飛行魔法で宙を舞っている。

飛行魔法は使い手が非常に限られているという都合上、人による警備ではどうしても空中が疎かになる。その上、屋敷を逃げ出した時点では私たちに飛行魔法を使う手段は無かったことから、空中からの侵入は相当な確率でロッシーニュの想定を振り切っていることだろう。

その隙を突いての高空からの急降下で一気に屋敷へと突入し、そのまま人が集まり切る前にお館様と魔王の左腕を回収。そのまま飛行魔法で屋敷から空中へと脱出し、セーフハウスである「宵闇の鴉」の擁する談話室へと逃げ込む。

これがお嬢様の立案した作戦の概要。そしてこの作戦において最も重要なのはミーシャという高速移動手段を失わない事。

お嬢様がミーシャを戦力として数えられないと断言したもう1つの理由がこれだ。ミーシャの実力が不明瞭なこともそうだが、その飛行魔法が私たちにもたらす移動能力としての利点が大きすぎて、それを失うリスクを考えれば軽々に戦力として動かすことができないのだ。

だからミーシャはお嬢様と同じく最重要の護衛対象となる。となれば他ならぬ私が2人を庇えるように前に出て、戦闘能力が無く、しかし司令塔として突入に参加せざるを得ないお嬢様をミーシャの背に隠すのは安全策として自然なこと。

屋敷に近付くまで可能な限り高度を取り、突入前に発見される確率を減らすことも安全策の1つだと納得はできる。――だがそれにしたって、街の中央に悠然とそびえる屋敷が犬小屋のように見える高さまで来てしまうのは、ちょっとやりすぎな気がしないでもない。

もし仮にこの高さから落ちてしまえば、命が助かる道理は無い。飛行魔法を使っているミーシャに曰く「ちゃんと3人別々に飛ばしてるから滑って落としたりしない」とのことだが、それでも経験したとの無い視点の高さにどうしても掴めるものを探してしまう。人は地に足を付けて生きるものなのだ。

つまりはそういう人間として当然の反応の結果手近なものに抱きついてしまっているだけであって、ミーシャの言うような恋愛感情は一切抱いていない。

だから妙な勘違いをせず、役得だと思って静かに抱きしめられていれば良いものを、ミーシャは先ほどからもじもじと姿勢を変え、決め顔を作っては私やお嬢様に見せようとしてきくる。

その度に揺れ動く体に恐怖を感じずにはいられないのだ。ミーシャの癖になんて厄介な。

「で、でも月をバックに見上げる私って格好良いでしょ? 超究極最強魔導士的イケメン! って感じで。……惚れちゃっても、良いんだぜ?」
「付き合いの長いお嬢様ならまだしも、出会って3日のミーシャに誰が惚れてやるものですか。ミーシャなんてせいぜいが……なんでしょう、そうですね……友人、くらいじゃないでしょうか?」
「それってやんわり断るときの定型句じゃん! ずっと友達でいましょうね、ってやつ!」

相も変わらず良く分からない理論を振りかざしては唸り吠えるミーシャ。だが少々悩んだ末に絞り出したこの友人という言葉に、思う所が無い訳でも無い。

これまでの人生で、最も私に近い場所に居たのは間違いなくお嬢様だ。

幼くして両親が死にのたれ死ぬのを待つばかりだった私を拾い上げ、衣食住に事足りない生活を与えてくれた大恩のあるお嬢様。同性で、年も近く、友人と呼べる可能性があったのは、確かにお嬢様くらいしかいないだろう。

だがそんなお嬢様を敬うことこそあれど、友として見ることは一度として無かった。受けた恩があまりにも大きすぎて、どうしても友人などという対等な存在として見ることができなかったのだ。

そしてお嬢様に護衛として恩返しをしようと思うのであれば、見据えるべきは敵の影であり、友の顔ではない。そもそも気を許せば寝首を掻かれるこの街で、心の底から友と呼べる者を知る者がどれほどいるというのか。少なくとも、私は知らない。

そう考えれば、存外私は孤独な人生を送ってきたとも言える。友を知らない、寂しい人生だ。

でもこの人を騙すだけの知恵も持ち合わせていなければ、そのようなことをする心根の持ち主でもないようなミーシャなら。心を許すことに何の恐れも抱かせないミーシャなら。友と呼ぶことを許されるのではないか。

――いつか親友と、そう呼べる日が来るのではないだろうか。

そんな期待をふと抱くのだ。ミーシャを見ていると。

だからミーシャは友人で良い。いや、友人が良い。

「うぅ……せっかく呼び方が「ミーシャ様」から「ミーシャ」にしれっと変化して親密度アップしたと思ったのに……。もう告白イベント以外残っていないと思ったのに……」
「だってミーシャが私に惚れるならともかく、私からミーシャに惚れるなんて想像できませんから。ミーシャは友人で良いんです」

そう告げればがっくりと肩を落とし、捨てられた幼ランドキャットのような震える瞳で私を見据えるミーシャ。

その姿に微かな罪悪感を抱かないでもないが、そもそもこんなのがハーレムなどという甲斐性持ちの極致のようなものを目指す方が違和感があるのだ。

彼女の友人を自称するのなら、厳しい言葉になったとしても叶わぬ夢だと忠告してやったほうが良いのかもしれない。

人間、知るべきは引き際と自らの適性だ。そのどちらも知っていそうにないミーシャであれば、陰謀の街クランテットで濃厚な人生経験を送ってきたからこそ言うことのできる含蓄深い私の言葉を聞くだけでも感涙ものだろう。そして私は経験豊かな頼れるお姉さんメイドとしての立ち位置を手に入れ、この一件が終わり次第そのままミーシャを引き込んで後輩メイドとして一緒にお嬢様にお仕えするのだ。そうだそれが良――

「はいはい、ご機嫌な所悪いけどお喋りはそこまで。心の準備ができているのなら、もう突っ込むわよ」
「あ、も、申し訳ありませんお嬢様」

お嬢様に呆れたような声音でそう言われ、ふと正気を取り戻す。

そもそも、実際にミーシャが私たちのことをどう思っているのか分からない以上、友人だのなんだのは私の一人相撲にすぎない。それでも舞い上がってしまうのは自分が思っていた以上に友人というものに飢えていたのか、それとも事ここに至ってまだ状況の変化に精神がついて行っていないのか。

どちらにせよ、情けないったらない。一体誰が「頼れるお姉さんメイド」なのやら。一応ミーシャの方が年上だろうに。

茹で上がった頭を冷やすためにふるふると首を振り、軽く頬を叩いて気を引き締める。

隙を見せた者から明日を失っていくのは戦場の常。そして今から突入するのは、その最前線。

――今一度、心を研ぎ澄まさなければなるまい。武人として生きてきたその全てを戦場に捧げる覚悟無くして、勝利など訪れるはずもない。

「……ほら、ミーシャもいつまでもしょぼくれていないで。ここからが正念場なんですから」
「「ふらぐ」を折った張本人が何を言うかぁ! もうこうなったら一心同体スカイハイ、荒ぶる急降下の吊り橋効果でイリーちゃんだけでも落としてやるんだ!」
「それは恋に? それとも地面に? どちらにせよ心構えはできたようね。じゃあ――」

行くわよ。そうお嬢様が言った瞬間、私たちを抱えるミーシャが自由落下の如き高速で屋敷へと突っ込んで行く。

目標は吹き抜けになったエントランスの2階にはめ込まれた硝子窓。そこをメイド服のおかげで肌の露出が少ない私が窓枠ごと蹴破り、そのまま1階の通路の端まで進んで地下階へと潜る算段。御館様か、魔王の腕か。少なくともそのどちらかは抜け道に続いている地下倉庫にあると踏んでの侵入経路だ。

魔王の封印を解かせないことがジューディス家としての最優先である以上、両方を得ることができずともお館様と魔王の左腕を引き離すことは最低限の目標だ。そしてその最低限の目標を達成することを重視した地下室への直行は、比較的成功の目が高い選択肢だと見てのことらしい。

「空から突っ込んで行くなんて結構怖いものだと思っていたのだけれど、高すぎて地面との距離感がつかめないからか風が気持ち良いだけね。それはさておきマリー、そろそろ屋敷が近付いて来たわよ」
「了解です。お嬢さ――」

そして土属性身体強化魔法である「ブーステッド・バイタリティ」を封入したマジックポーションを飲み下し、いざ窓を蹴破らんと屋敷に視線を向けた瞬間――


「――やはり、来たか」


瞳を殺意一色に染め上げる老齢の男と、目が合った。

「ミーシャ、避けてぇ!」
「ふぇ? ってちょっ?!」

即座にミーシャを引き剥がし、力尽くで飛行の進路を変える。そして二手に分かれたと思った次の瞬間には矢の如き速度で男が窓を突き破って飛び出し、その手に構えられた刺突剣が侵入者の心臓を串刺しにせんと私に突き立てられる。

「――ッ……!」
「ふむ、これを躱すか。やはりクランテットに生きる武芸者は奇襲に強い」

逃げ場の無い空中でその死の一撃を避けることができたのは、反射的にその刃を殴りつけて逸らすという博打じみた行動が成功したからだろう。しかし剣の腹を狙えるほどの余裕は無く、右手の指に切り落とされないまでも骨まで届く切り傷を負ってしまう。

主兵装となる仕込み刃は手首回りに仕込んだものであるが故に、それを振るうにあたっては問題無いだろう。だが数多く仕込んだ投げナイフを扱うには厳しい傷だ。別に左手だけで投げても構わないのだが、牽制手段が左手のみに制限されるのは状況次第では厳しいものがある。そして恐らくは、今がまさにその状況だ。

「え? マリーちゃんどうしたの?! というかこのお爺ちゃん誰?!」

屋敷の外壁にぶつかる直前でお嬢様ごと急停止したミーシャが、困惑したように問いを投げかける。

だがその困惑ももっともで、ミーシャはこの男の顔を知らない。

この齢50を超えながらもそれを感じさせない力強さを感じさせる男こそが。今まさに剣を手に取り、その刃を突き立ててきたこの男こそが。

ジューディス家に反旗を翻し、魔王の復活を試みる逆賊。ロッシーニュ・エルグランその人なのだということを――!

「――ロッシーニュ。まさか貴方、この突入を読んでいたの? 時間も、場所も」
「いやなに、とか裏の裏だとか、そういうものを考えているうちに読み合いでは貴様に勝てんと思ってな。開き直って玄関で出迎えてやろうと思っていたのだよ。
まあ、実のところただの勘だったのだが――鈍っていないようで何よりと言ったところか」

驚きに目を見開いてロッシーニュに問いを投げかけるお嬢様。だがその答えはあまりに非論理的で、しかし何故か納得してしまうものだった。

私の知るロッシーニュ・エルグランという男はまさしく小悪党といった手合いで、仕事ができることを除けば一山いくらの、せいぜいが税金から小金を懐に入れる程度の悪行しかできない老獪だったはずだ。

しかし今見るとどうだろう。今までゴマを擦るばかりだった手は固く拳を握り締め、へこへこと頭を下げて曲がっていた背は威風堂々と真っ直ぐに伸びている。これに加えて胸の前に構えた直剣を見れば、それはもうどこに出しても恥じることの無い武人の姿だ。

もし先の発現を「小悪党のロッシーニュ・エルグラン」が言っていたのなら。その言葉で誤魔化そうとする何かを探っただろう。

しかし「今目の前に居るロッシーニュ・エルグラン」が放った言葉であるのなら――そういうこともあり得る。

そう思わせるだけの風格がそこにはあった。そして恐らくは、これこそがロッシーニュの本性。

敵を嚙み殺す、獣の本性だ。

「偶に居るのよね。完全に裏をかいたはずの目論見を勘だとか虫の知らせだとか、そんな不確かなもので当然のように透破抜いてくる奴。まさかロッシーニュがその手の輩とは微塵も思わなかったけれども」

一体何年、昼行燈をやっていたのかしら? 溜息交じりにそう問いかけるお嬢様。

そう、それが私にも不可解だ。

ロッシーニュはジューディス家に長く仕えていた男。少なくとも私がお嬢様に拾われる以前から、そしてお館様の言を信じるのであればお嬢様が生まれるよりもずっと前から、ジューディス家の財布の管理をしてきた男。

何時から叛意を抱いていたのか。何時の間に自らを鍛えたのか。その疑問は尽きず、目の前に立つロッシーニュから目を離さないまでもその会話に意識を向ける。

「イリュメリア嬢が生きた年よりもずっと長く、と言っておこうか。
本当ならもっと早くにダンピエール・ジューディスから魔王についての情報を抜き取るつもりだったのだが――この屋敷に潜り込んだ当初はダンピエールの奴もなかなか隙が無くてな。結局今日この日まで無能を演じ続けていた訳だ」

何事も無いように告げられたその言葉は、まさしくその執念を感じさせる代物だった。

お嬢様が生まれる以前ということは少なくとも15年。それよりずっと長くということは恐らくは20年以上。その長きにあって本性を隠し切り、その牙を腐らせずにいる――それがどれほどの難事か、既に私の想像できる範疇を超えている。

そして今、それだけの執念を持った傑物が私たちの目の前に立っている。これを危機的状況と言わずして、何を危機と言うのか。

「ご武運を、お嬢様」
「こっちの台詞よ」

お嬢様と目を合わせ、ミーシャと共に先に行くよう促す。

誰かが足止めをしなければならない状況だ。そしてその役目は、私以外にあり得ない。

ミーシャは未だ困惑気味だが、未だ宙に舞うお嬢様に手を引かれて屋敷の中へと入っていく。だがそれを追う気配の一つも見せず、こちらを見据えるロッシーニュ。

「2人を行かせて良かったのですか? 隙だらけだったというのに」
「追っていたらその背中を刺していただろう? さすがにこの老骨では背中を気にするほどの余裕も無くてね。
それに所詮は非戦闘員が2人。見張りをかき集めれば、なんとかならないことも無いだろうさ」

そう言って構えと共にこちらを見据えるロッシーニュ。それに応じ、私も仕込み刃を袖口から引き出す。そして――

「だから、私が今殺すべきは貴様だ。マリスリース」
「ですが、今死ぬべきは貴方だ。ロッシーニュ」

言葉の残滓も消えぬうちに、その刃を互いに突き出した。
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