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1.新人冒険者編
6.ねえ、それ私がやりたかったやつ
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「う~む……しっかし、こりゃまた……」
その日、Bランク冒険者のクリックズ・アーカロイは「赤蛇の森」に足を運んでいた。鬼の受付嬢エミル・コットの命令により、「赤蛇の森」の生態調査の依頼を受けさせられたのだ。
実のところ、クリックズはあまりこの依頼を受けたくは無かった。生態調査の依頼は本来手間暇こそかかるものの報酬の悪くない依頼なのだが、ランヴィルドの住民に、冒険者ギルドに、そしてエミル個人に対しても借金を重ねているクリックズは、その報酬の九割五分を借金の返済に充てられることとなっており、彼の手元に残るのは子供のお小遣い程度の世知辛い額となるからだ。
無論、クリックズ自身そのことに不満が無い訳でもない。
むしろこんな依頼を受けるくらいならどこぞの遺跡に潜って掘り出し物を探し、一獲千金を夢見たほうがよっぽど返済の目があると彼は思っていたのだ。そもそも生涯現役だとして、1億クロムを超えた借金を民間からの依頼だけで返し切るのは不可能に近いだろう。
しかしセレス・ベルックムーンが想定外の強敵に出会って九死に一生の目にあった、と弟子を引き合いに出されては依頼を断ることもできず、何か良い言い訳は無いかと考えているうちに依頼を受注扱いにされて街を追い出されたのだ。
こういう時に立ち場が弱いと断りにくいなとぼやくも、それは自業自得だろうとエミルを含むギルドの職員に怒鳴られたことは言うまでも無い。
「うん、こりゃヤベえな。セレスの奴、俺が思っていた以上に悪運が強いらしい」
しかしセレスがフォレストボアを倒したという現場に辿り着いた今、この依頼は自分が受けて正解だったと考えを改めた。いや、厳密にはフォレストボアの死体の代わりにとぐろを巻いて眠るその魔物を見て、だろうか。
それはセレスが出くわせば、そしてそれに立ち向かおうものなら、万に一つも命が無いであろう大物だ。それが一匹ならクリックズとて偶然だと笑って済ませていただろうが、彼がここに辿り着くまでに都合四度、同じ魔物に遭遇している。
これが生息地の中央部であればよくあることだろうが、その魔物は縄張り意識の強さで有名なだけに、川を挟んだ外縁部にここまでの数が現れるのは異常事態と言って差し支えないだろう。
「こりゃエミルに連絡しといたほうが良いな。――巡る風よ、我が一筆の言の葉を乗せて舞い上がれ……【レターバード】っと」
伝書鳩代わりの初級風属性魔法を唱え、簡潔に纏めた情報を書いた紙を風に乗せてランヴィルドに飛ばす。
冒険者ギルドの建屋まで狙って飛ばせるほどクリックズの魔力制御は精緻なものではないが、慣れ親しんだ街のどこかに向けて飛ばすくらいのことはできる。とは言え街のどこに落ちるかは彼自身も知らぬ話。紙の隅に冒険者ギルドの印が押してあるので、街の誰かが拾えば届けてくれるだろうと考えての投げっぱなしだ。
「さて、原因調査の方はエミルに任せといて、俺は少し森のお掃除と行きますか。外縁部でこれってのは流石にマズいだろ」
本来の依頼を放棄すると当然のように口にするクリックズ。しかしこの場にそれを諫めるエミルの姿はなく、故に彼は止まらない。
よっこらせ、と立ち上がったクリックズはついさっきまで腰かけていた赤燐の大蛇――「赤蛇の森」の名の由来ともなったAランク魔物、デザイアパイソン――の死体から愛槍を引き抜き、その回転する穂先を森の中に蠢く赤燐の群れに向ける。
「さて、何匹居るかは知らねえが、たかが蛇如きが螺旋槍のクリックズ様にかなうと思っているのか! 全部まとめて、かかってこいやぁ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「ゴブリン如きがこの超究極最強魔導士のミーシャちゃんにかなうとおもうてか! 全部まとめて、かかってこーい!」
「ちょ、ミーシャさん静かに! なんで叫んじゃったんですか?!」
「いや、何か魂の共鳴とも言うべき熱いものを感じて……ドリル的な?」
「ドリルが何故今?! ……ああ、気付かれちゃいました!」
エミルさんからスラみぃちゃんを切り売りした代金を受け取ってから、早三日が経ちました。クリックズさんに新しい槍の練習に付き合ってもらい、その重さと長さに体が慣れたことから、ついに私たちだけでゴブリン討伐の依頼を受けることとなったのです。
そして今、私たちはランヴィルドからクランテットへと続く街道の脇で、2体の緑蛮人――Fランク魔物のゴブリン――と相対しています。
ゴブリンは大きさとしては私の胸元に届く程度の、緑色で毛の無い脈打つ皮膚と、小柄ながら隆起した全身の筋肉が特徴的な人型のFランク魔物です。手にこん棒や小岩と言った簡単な武器を持っていることも多く、また接敵から早めに討伐しないと仲間を呼ばれて、数の暴力で圧殺されてしまうこともままある、俗に「Fランクの壁」と呼ばれ恐れられている魔物でもあります。
と言うのも、このゴブリンという魔物は他のFランク魔物のように「これより下に格付けしようがないからFランクになっている」という訳ではなく、正真正銘Fランクの冒険者が戦うのに相応しい相手だと判断されてのFランクですので、Fランク魔物の中では相当強い部類に入るのです。
これを知らずにジェリースライムやレッドラビットを狩るのと同じ気分でゴブリン討伐に行って、そのまま亡き者になった新人冒険者は数知れず、とはエミルさんの言。先日戦ったフォレストボアと比べれば強敵ではないとは言え、気を抜いて戦える敵でもありません。
「と、とにかくミーシャさんは後ろへ! 私は前に出ます!」
「あいあいさー!」
嫌悪感をもたらす奇声を上げてこちらに駆け寄るゴブリンたち。それに応じて私たちは前後に分かれてそれを迎えます。
前衛後衛の役割分担はパーティーでの戦闘のスタンダードです。別に奇をてらう必要はありません。テンプレートは優秀だからテンプレート足りえるのです。
『クリックズも言っていた通り、引導火力となる後衛が居るパーティーにおいて前衛が敵を倒す必要はありません。後衛が呪文詠唱を終えるまで――ミーシャさんの場合は攻撃が当たるまで、ですかね――敵を後衛に近付けさせなければいいのです。変に欲目を出さず、攻撃は全て後衛に任せなさい』
エミルさんのこの言葉通りに槍の間合いでゴブリンを牽制し、自分から攻め込むようなことはしません。
自分から攻めなくても良いとなると、一人で戦っていた時と比べて気が楽です。ゴブリンはフォレストボアと比べれば多少すばしっこいですが、同じ振り下ろしでもフォレストボアの尻尾とゴブリンの持つ木の棒とではその威力も範囲も雲泥の差ですので、フォレストボアを基準に立ち回れば、安全マージンを大きくとることができるのです。
かつてはその醜悪な外見と凶暴性に腰が引けていましたが、フォレストボアと比べれば怖くも何ともありません。
多分、これがクリックズさんの言うところの「一皮剥けた」ということなのでしょう。間合いを取りながら隙を見て足を払ってミーシャさんが狙いを付けるだけの隙を作りだすという流れを自然と体が行い、危なく思う場面は今のところ一つもありません。
「頭はクレバー、気分はスナイパー! 今ならいけるぜヘッドショット! いっくぞー、超究極ファイアーボール!」
そして転んだゴブリンに杖の先端を向けてミーシャさんがそう叫ぶと同時、熱波と共にあのフォレストボアを焼き尽くした規格外の一撃が杖の先から放たれました。
真上に向かって。
「……頑張りましょう! ミーシャさん!」
「い、いやこれは、みんな上を向いて生きようっていう高度に詩的な比喩だから! 次は絶対当たるから! 超究極ファイアーボール!」
そう言って再び放たれたファイアーボールは、今度はミーシャさんから2メートルも離れていない地面に突き刺さりました。しかし残念ながらその破壊力は肝心のゴブリンに掠りもしていません。
それでも威力はすさまじいらしく、ファイアーボールの通った跡は円柱をくり抜いたように地面に穴が開いています。
「うー、だってだって! 私の超究極魔法ってもっと広範囲にばーんどーん! っていくのばかりだから、こういう風に狙いを付けるのは苦手って言うか……そう、ファイアーボールに当たりに来ないゴブリンが悪い!」
「えーと、気を落とさないでくださいね。その辺りはその、織り込み済みですから」
気まずい空気に顔を赤くしたミーシャさんが、手をわたわたと振り回します。ですがこれは、先ほども言ったように予想していた事なのです。
実は昨日ギルドの建屋裏にある特訓スペースで判明したのですが、ミーシャさんの魔法は、びっくりするほど狙った的に当たらないのです。
上を狙えば下に飛び、下を狙えば前に飛ぶ。毎回毎回予測不可能な方向に飛び跳ねるファイアーボールは、逆に狙ってやっているんじゃないかと思わせるほど。
3メートル先にある的を狙ったファイアーボールが、ミーシャさんの真横に居る私の鼻先を掠めた時は背筋が凍りました。あの時フォレストボアに命中したのは、いやむしろ私に当たらなかったのは奇跡だったと言外に告げているレベルです。
エミルさんに曰く、内包する魔力量に魔力制御技術が追い付いていない魔導士にはままある話だそうで、こういう魔導士ほど無差別で広範囲な攻撃を得意とし、その派手さから自らの実力を勘違いして死にやすいとのことです。
また実力を勘違いしていなくとも、何を改善すれば良いかを理解できずに持ち前の魔力だけでどうにかしていく人も割と早い段階で壁にぶち当たって死にやすいらしいです。おまけに戦争時に貴族に目をつけられれば、使い捨ての兵器代わりに戦場に投げ込まれることもあって死にやすいそうです。仮にそれを生き延びようと今度はその能力の高さから政争に巻き込まれることもままあり、暗殺等の対象になって結局死にやすいそうです。そもそも好んで冒険者になるような馬……夢見がちな人は誰よりも早死にするらしいです。
エミルさんはどれだけミーシャさんを殺したいのでしょうか。しかしそんなミーシャさんを死なせないのが私の役目です。
頑張ってミーシャさんに敵の魔手を近付けさせないようにしましょう。そしてそれと同じくらい頑張ってミーシャさんのファイアーボールに私が当たらないようにしなければ。
何故か挟み撃ちの形になっていますが、その辺りは気合いでどうにかするのです。
「ええい、とにかく当たれ! 超ファイアーボール! 超ファイアーボール! ファーイーアーボォーーール!」
「ちょ、ミーシャさん! 私の方にも飛んできています!」
……でもやっぱり、前より後ろが怖いのは問題かもしれません。
「やっと、やっと当たった……けどなんだろう、この釈然としない達成感は」
「お疲れ様です、ミーシャさん。魔力の方は大丈夫ですか?」
「あ、うん。超最強だからそれは大丈夫」
ゴブリンとの戦闘が終わり、一息つきます。
2分足らずの戦闘の間に放たれたファイアーボールの数は圧巻の計47発。その内3発が私への至近弾という怒涛の攻撃の末、2体のゴブリンはその業火に呑まれてついに倒れました。
冷や汗を拭い、後ろに向き直ればそこには何とも言えない表情で拳だけ高らかに掲げているミーシャさんの姿が。あれだけ大量の魔法を使ったからには魔力切れ―――確か、正式名称は急性魔力欠乏症でしたっけ――で倒れていてもおかしくはないのではと不安に思ったのですが、見ている限り無理している様子も無く、どうやらその心配はミーシャさんには無縁の話らしいです。
「でもなんというか、もっとスマートに当てたかったなぁ……でもエミルさんは「Fランクの間はファイアーボールに専念するように」って言ってたし……」
「魔法は意識して使い続ければ徐々に精度が上がっていくとも言っていましたし、気にすることはないですよ」
「そうなの?」
「そうらしいです」
魔導士を武闘家と言い換えた時、魔法は技であると同時に一種の「型」であると言われています。
魔力を放出し、杖の先にそれを留め、望む形に変質させ、そしてそれを操る。
どの魔法にも共通するこの一連の流れを淀みなく、正確に行うことで魔法はその魔力効率も、その精度も高まっていくのだそうです。そして戦いの場に魔法を持ち込むからには、とっさに出す魔法であっても一定以上の完成度が求められます。
だからこそ魔導士は同じ魔法を何度も繰り返し唱え、自分の武器として鍛え上げていくのだそうです。要するに、慣れれば魔法は強くなるのです。
「うー……でもでも、ファイアーボールの制御って難しくない? なんというか、指先の上に乗った砂粒を大きく振りかぶって狙った場所に投げ飛ばせって言われてる気分なんだけれど」
「えっと、私は魔法が使えないのでその辺りの感覚は分からないんですけれども、そんなに難しいんですか?」
「うんうん、超難しい。こんなんだったらあそこの山を消し飛ばす方が楽だよ」
「そ、そうですか」
ミーシャさんがそう言って指さすのは、遠くに見やるグリマルス山脈。比喩表現でしょうが、そこまで言うからにはやはりファイアーボールの制御は難しいのでしょう。
……ミーシャさんが特別不器用なだけ、というのは流石に穿った考えでしょうか。
「まあとにかくゴブリンは倒せたことですし、素材を剥ぎ取りましょうか。早く済ませないと、血の臭いでグラスウルフが寄ってきちゃいますから」
「そういやゴブリンって売れるの? いかにも害獣です、数減らしたらお金あげます、って扱いだったけれども」
確かにゴブリンは食用薬用武器の素、あらゆる用途に使えないガッカリ素材の塊です。素材を剥ぎ取ると聞いて疑問を抱くのも無理はありません。が、実はこれでもお金にはなるのです。
「一応、討伐証明を兼ねた牙が討伐報酬とは別に30クロム程度で売れますね。ですが主にお金になるのは、時折出てくる魔力結晶かと」
「え、魔力結晶? あれって掘り出すものじゃないの?」
「はい、掘り出すあの魔力結晶です。……あ、出てきますね」
「ほぇ?」
そう言って見つめる先は仰向けに倒れたゴブリンの死体。ですが先ほどまでと違ってその死体は胸のあたりで淡い緑の光を放っていて、しばらくその光が渦を巻いたかと思うと、雑草を引き千切るような音と共に皮膚を突き破って角柱形の石が生えてきました。
指先でつまめる程度の大きさの、硝子のように透き通った石。これこそが無属性の魔力の塊、魔力結晶です。
「大抵の魔物は死んだ後、体に残った魔力が体のどこかに集まって魔力結晶を作るんです。あの光は魔力結晶になれなかった魔力が変化したもので、体に魔力結晶がを作れるほどの魔力が無い時には全身が少しだけ光って、しばらくするとただの死体になるんです」
「ほぇー、初めて見た」
「私も見るのはこれで4回目ですね。初めて見た時は、私もびっくりしちゃいました」
ちなみにこの現象は魔力を持つ生き物、つまりは魔物なら共通して起こる現象で、ついでに言えば魔導士なんて職業があるくらいですから人間にも同じことが起こります。広義で言えば魔物とは「魔力を持つ生き物」なので、人間もその分類に入るのです。
「それにしても、いきなり魔力結晶が手に入るなんて幸先が良いです。ミーシャさんのおかげかもしれませんね」
「む、それはまさか「お前が私の幸運の女神さ」的なアプローチ? ダメだよセレスちゃん、そういうのはもっと雰囲気を作ってから言わないと」
「あ、いえ別にそういう訳ではなく……魔力結晶ができるかどうかは、その魔物の体内に残った魔力の量が関わってくるので、魔法で倒すと魔力結晶が手に入りやすい、かもしれないと言われているんです」
「フェ、フェイントだったか……!」
「閃いた! みてみてセレスちゃん!
ぅ燃える女のバーニング・ニー! 熱い乙女のエクストリーム・エルボゥ! ほら、こうすれば絶対当たるよ! 百発百中、鷹の目のミーシャなんて呼ばれる日も近いね!」
「えーっと……それはちょっと、鷹の目とはまた別の代物なんじゃないでしょうか。
あ、また魔力結晶が出ましたよ。今度は少し大きめです」
転々と狩場を変えながら、あまり多くで群れていないはぐれゴブリンを見つけては狩っていく私たち。その狩りは順調と言って差し支えない物でした。
私が前に出てゴブリンを引き付け、その後ろでミーシャさんが当たるまでファイアーボールを乱射し、私がそれを避けるという一連の流れは、ゴブリンの数が最高で3体に増えても問題なく行うことができました。むしろ時が経つにつれ息が合ってきたのか、ゴブリンとの戦闘に意識を向けながらのファイアーボールの回避にだんだんとキレが増していったような気がします。ゴブリンの攻撃は、ミーシャからの攻撃と比べればあまりに些細な問題です。
「しっかし、意外と獲れないもんなんだね魔力結晶。もっとこう、ザクザクいけるもんだとばかり思ってたけど」
「これでもたくさん獲れている方ですよ。運が悪いとまだ1個も取れていないこともあるそうなので」
「これで? むぅ、世知辛い」
ゴブリンから入手できる魔力結晶は、平均的なサイズで1つ1500クロム程。クロモリ草で言えば6束程度の値段です。
それが今、私たちの手元には4個。10匹狩ってこの数ならばかなり運が良い方なのだそうですが、クロモリ草に換算すれば、討伐報酬を合わせても30束ほどで追い付けます。私なら特に危険も無く、30分もあれば余裕で採取できる数です。
……いえ、クロモリ草で換算するのは止めましょう。今までの報酬が良すぎただけで、Fランクの実力に見合った収入と考えればこちらが正しいのです。
「んー、じゃあ森に寄って、クロモリ草を採って帰るってのは? ほら、ここからならこの前の森が近いし」
スラみぃちゃんを飼うことにしたため受け取れていないとは言え前回の報酬額が報酬額だったからか、もどかしさのようなものを感じているらしいミーシャさんがそんな提案をしてきます。
言われてみれば私も未練があったのか、狩り場が徐々に赤蛇の森へと近づいて行っていました。道理で群れたゴブリンを見かける数が少しずつ少なくなっていったわけです。
たしかに森にそう深く潜るでもなく狙い目の場所を1つ見て回る程度なら、今からでも暗くなる前に森を出ることができるでしょう。報酬も、何個魔力結晶を獲れるかも分からないゴブリン退治よりも安定したものが望めます。
ですが――
「実を言うと一度は私も同じことを考えたのですが……やめておいたほうが良いと思いますよ?」
「ほぇ? なんで?」
「エミルさんが怒ります。多分本気で」
「あっ……」
それをするには間違いなくエミルさんが立ち塞がるのです。クロモリ草を持ち込む訳ですから誤魔化しもききません。
気に食わないからと言って報酬を減らしたり買取の拒否をする人ではありませんが、その後は間違いなく長時間の説教と、気が狂いそうになるほどの座学の時間が待ち構えているでしょう。「貴女のような命知らずには良い薬です」とエミルさんが私たちに言い放つ姿が容易に想像できます。
特にミーシャさんはエミルさんに目を付けられている節があるので、やらない方が無難でしょう。最悪、心を折られて冒険者を辞めてしまうかもしれません。大げさかもしれませんが、似たような流れで冒険者を辞めた前例が居るらしいので無茶はできません。
「まあそういう訳で、森に行くのはナシです。近くの林を見て回るだけにしましょう」
「あーうん、そうだね。エミルさん怖いもんね」
そうして見晴らしの良い道沿いから、赤蛇の森にほど近い、少し物陰の多い林へと移動します。奇襲に気を付けなければならないのは難ですが、逆にゴブリンに奇襲をかけることができれば非常にスムーズに狩りを行える場でもあります。
「ミーシャさんの魔法は今のところ命中性に難があるので、初撃は私が仕掛けます。
奇襲で決着が付けばそれまで。そうでなければ先ほど通り――」
「私のファイアーボールが火を噴くんだね。大丈夫、この林を火の海にしてでも当ててみせるよ!」
「ちょっとそれは勘弁してほしいです。頑張ってゴブリンだけを狙ってくださいね」
林を火の海にされては大騒ぎになることですし、目指すは一撃必殺です。こうやって肩を並べて戦うのですから、ちょっとくらいは頼りになる、格好良いところを見せたいですね。
――そう意気込んで林の中に踏み込んでいったのですが、肝心のゴブリンが一匹も見当たりません。
はて、これはどうしたことかと考えながらしばらくゴブリンを探し続け、そしてその原因に思い当たり肩を落としました。
そもそもゴブリンやグラスウルフといったある程度危機察知能力のある魔物は、森の中心部に巣くうデザイアパイソンを恐れて赤蛇の森に近づこうとしません。だからこそ外縁部が安全な空白地帯となっているのであり、そこにほど近いこの林もまた、ゴブリンの行動範囲から外れているということに気付くべきだったのです。
それでもはぐれゴブリンの一匹や二匹、居てもおかしくないような気もしますが――まあ、そこは運でしょう。魔力結晶の数から考えれば、これでもFランクの平均収入を上回っているはずです。
「ゴブリンも居ないようですし、今日はそろそろ引き上げ――」
「あ、みてみてセレスちゃん! ゴブリンいたよ! 二匹!」
「本当ですか? じゃあ、最後にそれだけ狩っちゃいましょうか」
「うん! 私のファイアーボールがめっちゃ唸るよ!」
自信ありげな表情でぶんぶんと杖を振るミーシャさん。見ていて微笑ましくなる光景ですが、魔法を打つ時には杖はちゃんと敵に向けて欲しいです。
「ほらほらあっちあっち! ……あーでも食べられちゃった。ざーんねん」
「え、食べられたってどういう――」
ミーシャさんが指さす先を目で追っているうちに、唐突にそんな言葉が放たれます。
食べられたとはいったい何に、と思って目を凝らせば、一面の緑の中、その影は難なく見つけることができました。それは太く、長く、緑を切り裂くような赤い――
「――ッ!? ミ、ミーシャさん! こっちへ!」
その姿を見つけると同時、慌ててミーシャさんの口を押さえ込み、身体を抱きかかえて近くにあった木のうろの中に身を隠します。ゴブリン相手なら負けはしないと猛っていた私の闘志は、気付けば恐怖に押し潰されていました。
しなる大樹のような全身が見えない巨体に、燃えるような紅蓮の鱗。牙の一本ですら私の身の丈を超え、その先端から溢れる毒液は乾いた土を毒の泥濘に変えるほど。
まさに化け物と呼ぶべき、見ただけで竦み上がりそうな強烈な威圧感。私とてその姿を見るのは初めてですが、ここまで情報が出揃えば嫌でも理解してしまいます。
【森の赤蛇】デザイアパイソン。ランヴィルド周辺の生態系の頂点が、今私たちの目の前に現れたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ヤバい。何がヤバいって何もかもがヤバい。
まずはセレスちゃんに押し倒されてるこの状況。まずこれがヤバい。この状況に有無を言わさず持ち込まれたこともそうだが、口も押さえられてまともに言葉も発せない屈服感からしてかなりヤバい。
そして今にも触れあいそうな顔の距離。これもマズい。汗の臭いを嗅がれちゃっているんじゃないかっていう羞恥心とか、それでも服越しに感じるセレスちゃんの体温が心地良くて落ち着いちゃうだとか、そういった精神的な飴と鞭が同時に襲い掛かってくるのは非常にマズい。
トドメにセレスちゃんの今までにないくらいの真剣な表情。もう何も言わない。惚れる。
「声を出さないで。気付かれたくはありませんから」
「もごぉ?!」
様々な本に出てくる、伝説的シチュエーションこと壁ドン……とは少し違うか。木のうろにドンっと押し込まれた訳だし、あえて言うなら「うろドン」とでも名付けるべきこの状況。声を出してしまいそうな「何か」。そして何より――決意にも似た強い意志を秘めた、その瞳。
……もうここまで証拠が揃えば勘違いのしようも無いだろう。百戦錬磨のセクシャルモンスター、セレス・ベルックムーンが私をミーシャ・ベルックムーンに改名させんとついにその牙を剥いたのだ。
まさかこの前のプレゼントが露骨すぎて、セレスちゃんを狙っていることがばれたのか? そしてセレス・ストレイルはスが並んで語呂が悪いからと私を嫁入りさせようとしているのか? ……細かな疑問は尽きない。
だが確実に言えることがあるとすれば、それはセレスちゃんに屈してしまっては私の百合ハーレム建造計画が水泡に帰してしまうこと。そしてこのままでは「もう逃がさないぜ超究極可愛い子猫ちゃん」と言わんばかりの圧力で押し切られて幸せ家族計画されてしまうことだけ。いや正直狙っていたシチュエーションではあるんだけれども、私が子猫ちゃんの方になるとか想定外だから。
くそぅ、私がセレスちゃんとの身長差を埋めるだけの段差がすぐそこにある壁を探しているうちに、まさかより密着度を上げた改良版を開発して先手を打ってくるなんて。
嫁一号にあるまじき圧倒的恋愛性能。だけど私は負けない。か、身体は自由にできても、心までは屈しないんだから……!
「……大丈夫です。デザイアパイソンは蛇型の魔物にしては非常に感覚が鈍いので、このままじっとしていればやり過ごせるはずです」
「もご?」
目をぎゅっと瞑って貞操を奪われる覚悟を決めた頃、囁くような耳をくすぐる声でセレスちゃんはそんなことを言ってきた。
恐る恐る目を開いてみれば、先ほどと変わらない真剣な表情で木のうろの外を睨みつけるセレスちゃん。その視線の先には先ほど私たちのゴブリンを横取りした真っ赤なヘビが木々を圧し折りながらずるずると動いている。
もしかして、アレから隠れているのだろうか。よくよく見ればセレスちゃんの額には冷や汗が流れ、私の口を押さえる手はかすかに震えている。
確かに真っ赤で大きくて強そうだけど、そこまで怯えるほどのものには見えない気もする。いやでもセレスちゃんがこんなに怯えているくらいだし、もしかしたら特殊能力か何かを持っていて、見た目以上の強さを持っているのかもしれない。赤いし。
……ふむ、これはまたとないアピールチャンスかもしれない。
セレスちゃんと出会った当初、私がセレスちゃん攻略戦線の基本戦略として考えていたのは「とにかく頼れるところを見せる」ことだった。
超究極最強魔導士的にどんな相手も一撃必殺。溢れ出す魔法のレパートリーで細かな気配りすら見せ、その日の夜には「素敵! 抱いて!」と目をハートにさせている予定だったのだ。
が、現実はエミルさんと言う説教魔神のせいで魔法のレパートリーを誤解され、ファイアーボールを使ってからはそれ以外の魔法を使うなと言明され、革新的炎属性魔法「バーニング・ニー」、革命的風属性魔法「エクストリーム・エルボー」の二つの新魔法にいたっては何か違うと一蹴された。むぅ、頑張ったのに。
しかし今なら。なんだか緊急事態っぽい今なら。……何をやってもエミルさんに怒られないのでは?
「モータルフレア」も「テンペスターランス」も「超魔導ゴーレム グラントリオンV」もなんだって使ってオッケー。どうせ立場も何もないんだから緊急事態なら何やっても良いってエミルさんも言ってたし、もうこれはやるしかない。
「むぐ……んぐ……ぷはぁ! 大丈夫だよセレスちゃん。私に任せて! 超究極最強魔導士的に、あんなヘビなんて一撃で倒しちゃうんだから!」
そう考えたら俄然やる気が出てきた。さあ来いすぐ来い当て馬スネーク。既に戦場はお前の生き死にではなく、どうかっこよく私を魅せるかになっているんだ。
「ダメです! デザイアパイソンは身体能力だけなら竜種にも匹敵する、Aランクの中でも上位の魔物なんですよ! 勝てっこないです!」
「いやいやイケるイケる。だって私最強で天才だし――」
「その才能を散らすような馬鹿な真似はしないでください!」
「……えうぅ」
しかしそれを口にした瞬間、セレスちゃんが目の色を変えて怒り始める。
まるでエミルさんが乗り移ったかのように回る口先。それに臆してしまったが最後、みなぎるやる気はどこかへ飛んで行ってしまった。何をやっても後で怒られる気がする。
……そういえばセレスちゃんは私よりも一ヶ月もエミルさんと長く付き合っているんだった。そうともなればエミルさんの口調が空気感染してもおかしくはないのかも知れない。
悪鬼羅刹の受付嬢エミル。まさかその姿すら見せずに私のハーレム道を阻むとは……!
「ところであの……デザイアパイソン? は普通にこっちに近付いているけれど、それは大丈夫なの?」
「こちらに気付いている様子ではありませんが……巡回ルートのようですね。
ここから出たらデザイアパイソンの正面に出ることになりますし、かといってここで待っていてもじきに見つかります。これは、万事休すかもしれませんね」
少し投げやりな雰囲気になりながら、セレスちゃんはそう言う。気付けばセレスちゃんの体の強張りも無くなっていて、私の口を押さえる手もいつの間にか頭を撫でている。
「――私が気を引きます。ミーシャさんはその隙に逃げてください」
少しの間をおいて、セレスちゃんは意を決したようにそんなことを言った。ん? でもそれって矛盾してない? さっきは勝てないって――
「え、それってセレスちゃん大丈夫なの? セレスちゃん、さっき勝てっこないって言ってたじゃん」
「分かりません。分かりませんが――私なんかのために、私よりも才能のある人が死んじゃあいけないんです。そうでなければ私が村を出た意味が――」
「セレスちゃんは「なんか」じゃないから! 凄い頼りになるから! 超可愛いから!」
「――……ありがとうございます。ミーシャさん、大好きですよ」
「にゃ、にゃんとぉ!?」
ちょっと自虐入ったセレスちゃんのポイントを稼ごうとフォローを入れてみれば、まさかまさかの突然の告白。
猛烈すぎるカウンターだ。これだから恋愛上級者は手に負えない。
「私なら大丈夫です。私、死んだことだけはありませんから。勇気も貰いましたしね」
「え、あ、ん? えーっと……それなら安心、だね?」
「はい、じゃあ行ってきます。ランヴィルドまで少し遠いですが、頑張って走ってください」
言われるがままに頷き、そしてそれを見るや否やデザイアパイソンの前に飛び出していくセレスちゃん。そんな状況の変化に先ほどの告白も相まって一瞬動けずにいたが、すぐに正気を取り戻す。
「い、いやそれやっぱり駄目! それ絶対にフラグ折れる奴だから!」
セレスちゃんの背を追って木のうろを飛び出せば、いつかのフォレストボアの時のように大口を開けてセレスちゃんに突っ込もうとするデザイアパイソンの姿。
あれこれヤバくね? 既にクライマックスじゃね? そう思って全身に身体強化の魔法と、絶対に誤射しないミラクル魔法バーニング・ニーを重ね掛けしてセレスちゃんの元に向かい駆け抜ける。
「見ィつけたァ! 逃がしゃしねえぜ、最後の一匹ィ!」
最強だから余裕で間に合うね。そう思った矢先、どこからか棒状のものがデザイアパイソン目掛けて落着し、周囲に土煙が舞う。
えっちょっと待って。まさかこの展開――
「おぉう。なんか居るかと思ったら、やっぱりお前悪運強いなァ、セレス!」
煙が晴れた先には顔面に大穴の開いたデザイアパイソンと、ドリルを肩に担いだドリル兄貴が立っていた。
……最後の最後に持っていきおってからにー!
その日、Bランク冒険者のクリックズ・アーカロイは「赤蛇の森」に足を運んでいた。鬼の受付嬢エミル・コットの命令により、「赤蛇の森」の生態調査の依頼を受けさせられたのだ。
実のところ、クリックズはあまりこの依頼を受けたくは無かった。生態調査の依頼は本来手間暇こそかかるものの報酬の悪くない依頼なのだが、ランヴィルドの住民に、冒険者ギルドに、そしてエミル個人に対しても借金を重ねているクリックズは、その報酬の九割五分を借金の返済に充てられることとなっており、彼の手元に残るのは子供のお小遣い程度の世知辛い額となるからだ。
無論、クリックズ自身そのことに不満が無い訳でもない。
むしろこんな依頼を受けるくらいならどこぞの遺跡に潜って掘り出し物を探し、一獲千金を夢見たほうがよっぽど返済の目があると彼は思っていたのだ。そもそも生涯現役だとして、1億クロムを超えた借金を民間からの依頼だけで返し切るのは不可能に近いだろう。
しかしセレス・ベルックムーンが想定外の強敵に出会って九死に一生の目にあった、と弟子を引き合いに出されては依頼を断ることもできず、何か良い言い訳は無いかと考えているうちに依頼を受注扱いにされて街を追い出されたのだ。
こういう時に立ち場が弱いと断りにくいなとぼやくも、それは自業自得だろうとエミルを含むギルドの職員に怒鳴られたことは言うまでも無い。
「うん、こりゃヤベえな。セレスの奴、俺が思っていた以上に悪運が強いらしい」
しかしセレスがフォレストボアを倒したという現場に辿り着いた今、この依頼は自分が受けて正解だったと考えを改めた。いや、厳密にはフォレストボアの死体の代わりにとぐろを巻いて眠るその魔物を見て、だろうか。
それはセレスが出くわせば、そしてそれに立ち向かおうものなら、万に一つも命が無いであろう大物だ。それが一匹ならクリックズとて偶然だと笑って済ませていただろうが、彼がここに辿り着くまでに都合四度、同じ魔物に遭遇している。
これが生息地の中央部であればよくあることだろうが、その魔物は縄張り意識の強さで有名なだけに、川を挟んだ外縁部にここまでの数が現れるのは異常事態と言って差し支えないだろう。
「こりゃエミルに連絡しといたほうが良いな。――巡る風よ、我が一筆の言の葉を乗せて舞い上がれ……【レターバード】っと」
伝書鳩代わりの初級風属性魔法を唱え、簡潔に纏めた情報を書いた紙を風に乗せてランヴィルドに飛ばす。
冒険者ギルドの建屋まで狙って飛ばせるほどクリックズの魔力制御は精緻なものではないが、慣れ親しんだ街のどこかに向けて飛ばすくらいのことはできる。とは言え街のどこに落ちるかは彼自身も知らぬ話。紙の隅に冒険者ギルドの印が押してあるので、街の誰かが拾えば届けてくれるだろうと考えての投げっぱなしだ。
「さて、原因調査の方はエミルに任せといて、俺は少し森のお掃除と行きますか。外縁部でこれってのは流石にマズいだろ」
本来の依頼を放棄すると当然のように口にするクリックズ。しかしこの場にそれを諫めるエミルの姿はなく、故に彼は止まらない。
よっこらせ、と立ち上がったクリックズはついさっきまで腰かけていた赤燐の大蛇――「赤蛇の森」の名の由来ともなったAランク魔物、デザイアパイソン――の死体から愛槍を引き抜き、その回転する穂先を森の中に蠢く赤燐の群れに向ける。
「さて、何匹居るかは知らねえが、たかが蛇如きが螺旋槍のクリックズ様にかなうと思っているのか! 全部まとめて、かかってこいやぁ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「ゴブリン如きがこの超究極最強魔導士のミーシャちゃんにかなうとおもうてか! 全部まとめて、かかってこーい!」
「ちょ、ミーシャさん静かに! なんで叫んじゃったんですか?!」
「いや、何か魂の共鳴とも言うべき熱いものを感じて……ドリル的な?」
「ドリルが何故今?! ……ああ、気付かれちゃいました!」
エミルさんからスラみぃちゃんを切り売りした代金を受け取ってから、早三日が経ちました。クリックズさんに新しい槍の練習に付き合ってもらい、その重さと長さに体が慣れたことから、ついに私たちだけでゴブリン討伐の依頼を受けることとなったのです。
そして今、私たちはランヴィルドからクランテットへと続く街道の脇で、2体の緑蛮人――Fランク魔物のゴブリン――と相対しています。
ゴブリンは大きさとしては私の胸元に届く程度の、緑色で毛の無い脈打つ皮膚と、小柄ながら隆起した全身の筋肉が特徴的な人型のFランク魔物です。手にこん棒や小岩と言った簡単な武器を持っていることも多く、また接敵から早めに討伐しないと仲間を呼ばれて、数の暴力で圧殺されてしまうこともままある、俗に「Fランクの壁」と呼ばれ恐れられている魔物でもあります。
と言うのも、このゴブリンという魔物は他のFランク魔物のように「これより下に格付けしようがないからFランクになっている」という訳ではなく、正真正銘Fランクの冒険者が戦うのに相応しい相手だと判断されてのFランクですので、Fランク魔物の中では相当強い部類に入るのです。
これを知らずにジェリースライムやレッドラビットを狩るのと同じ気分でゴブリン討伐に行って、そのまま亡き者になった新人冒険者は数知れず、とはエミルさんの言。先日戦ったフォレストボアと比べれば強敵ではないとは言え、気を抜いて戦える敵でもありません。
「と、とにかくミーシャさんは後ろへ! 私は前に出ます!」
「あいあいさー!」
嫌悪感をもたらす奇声を上げてこちらに駆け寄るゴブリンたち。それに応じて私たちは前後に分かれてそれを迎えます。
前衛後衛の役割分担はパーティーでの戦闘のスタンダードです。別に奇をてらう必要はありません。テンプレートは優秀だからテンプレート足りえるのです。
『クリックズも言っていた通り、引導火力となる後衛が居るパーティーにおいて前衛が敵を倒す必要はありません。後衛が呪文詠唱を終えるまで――ミーシャさんの場合は攻撃が当たるまで、ですかね――敵を後衛に近付けさせなければいいのです。変に欲目を出さず、攻撃は全て後衛に任せなさい』
エミルさんのこの言葉通りに槍の間合いでゴブリンを牽制し、自分から攻め込むようなことはしません。
自分から攻めなくても良いとなると、一人で戦っていた時と比べて気が楽です。ゴブリンはフォレストボアと比べれば多少すばしっこいですが、同じ振り下ろしでもフォレストボアの尻尾とゴブリンの持つ木の棒とではその威力も範囲も雲泥の差ですので、フォレストボアを基準に立ち回れば、安全マージンを大きくとることができるのです。
かつてはその醜悪な外見と凶暴性に腰が引けていましたが、フォレストボアと比べれば怖くも何ともありません。
多分、これがクリックズさんの言うところの「一皮剥けた」ということなのでしょう。間合いを取りながら隙を見て足を払ってミーシャさんが狙いを付けるだけの隙を作りだすという流れを自然と体が行い、危なく思う場面は今のところ一つもありません。
「頭はクレバー、気分はスナイパー! 今ならいけるぜヘッドショット! いっくぞー、超究極ファイアーボール!」
そして転んだゴブリンに杖の先端を向けてミーシャさんがそう叫ぶと同時、熱波と共にあのフォレストボアを焼き尽くした規格外の一撃が杖の先から放たれました。
真上に向かって。
「……頑張りましょう! ミーシャさん!」
「い、いやこれは、みんな上を向いて生きようっていう高度に詩的な比喩だから! 次は絶対当たるから! 超究極ファイアーボール!」
そう言って再び放たれたファイアーボールは、今度はミーシャさんから2メートルも離れていない地面に突き刺さりました。しかし残念ながらその破壊力は肝心のゴブリンに掠りもしていません。
それでも威力はすさまじいらしく、ファイアーボールの通った跡は円柱をくり抜いたように地面に穴が開いています。
「うー、だってだって! 私の超究極魔法ってもっと広範囲にばーんどーん! っていくのばかりだから、こういう風に狙いを付けるのは苦手って言うか……そう、ファイアーボールに当たりに来ないゴブリンが悪い!」
「えーと、気を落とさないでくださいね。その辺りはその、織り込み済みですから」
気まずい空気に顔を赤くしたミーシャさんが、手をわたわたと振り回します。ですがこれは、先ほども言ったように予想していた事なのです。
実は昨日ギルドの建屋裏にある特訓スペースで判明したのですが、ミーシャさんの魔法は、びっくりするほど狙った的に当たらないのです。
上を狙えば下に飛び、下を狙えば前に飛ぶ。毎回毎回予測不可能な方向に飛び跳ねるファイアーボールは、逆に狙ってやっているんじゃないかと思わせるほど。
3メートル先にある的を狙ったファイアーボールが、ミーシャさんの真横に居る私の鼻先を掠めた時は背筋が凍りました。あの時フォレストボアに命中したのは、いやむしろ私に当たらなかったのは奇跡だったと言外に告げているレベルです。
エミルさんに曰く、内包する魔力量に魔力制御技術が追い付いていない魔導士にはままある話だそうで、こういう魔導士ほど無差別で広範囲な攻撃を得意とし、その派手さから自らの実力を勘違いして死にやすいとのことです。
また実力を勘違いしていなくとも、何を改善すれば良いかを理解できずに持ち前の魔力だけでどうにかしていく人も割と早い段階で壁にぶち当たって死にやすいらしいです。おまけに戦争時に貴族に目をつけられれば、使い捨ての兵器代わりに戦場に投げ込まれることもあって死にやすいそうです。仮にそれを生き延びようと今度はその能力の高さから政争に巻き込まれることもままあり、暗殺等の対象になって結局死にやすいそうです。そもそも好んで冒険者になるような馬……夢見がちな人は誰よりも早死にするらしいです。
エミルさんはどれだけミーシャさんを殺したいのでしょうか。しかしそんなミーシャさんを死なせないのが私の役目です。
頑張ってミーシャさんに敵の魔手を近付けさせないようにしましょう。そしてそれと同じくらい頑張ってミーシャさんのファイアーボールに私が当たらないようにしなければ。
何故か挟み撃ちの形になっていますが、その辺りは気合いでどうにかするのです。
「ええい、とにかく当たれ! 超ファイアーボール! 超ファイアーボール! ファーイーアーボォーーール!」
「ちょ、ミーシャさん! 私の方にも飛んできています!」
……でもやっぱり、前より後ろが怖いのは問題かもしれません。
「やっと、やっと当たった……けどなんだろう、この釈然としない達成感は」
「お疲れ様です、ミーシャさん。魔力の方は大丈夫ですか?」
「あ、うん。超最強だからそれは大丈夫」
ゴブリンとの戦闘が終わり、一息つきます。
2分足らずの戦闘の間に放たれたファイアーボールの数は圧巻の計47発。その内3発が私への至近弾という怒涛の攻撃の末、2体のゴブリンはその業火に呑まれてついに倒れました。
冷や汗を拭い、後ろに向き直ればそこには何とも言えない表情で拳だけ高らかに掲げているミーシャさんの姿が。あれだけ大量の魔法を使ったからには魔力切れ―――確か、正式名称は急性魔力欠乏症でしたっけ――で倒れていてもおかしくはないのではと不安に思ったのですが、見ている限り無理している様子も無く、どうやらその心配はミーシャさんには無縁の話らしいです。
「でもなんというか、もっとスマートに当てたかったなぁ……でもエミルさんは「Fランクの間はファイアーボールに専念するように」って言ってたし……」
「魔法は意識して使い続ければ徐々に精度が上がっていくとも言っていましたし、気にすることはないですよ」
「そうなの?」
「そうらしいです」
魔導士を武闘家と言い換えた時、魔法は技であると同時に一種の「型」であると言われています。
魔力を放出し、杖の先にそれを留め、望む形に変質させ、そしてそれを操る。
どの魔法にも共通するこの一連の流れを淀みなく、正確に行うことで魔法はその魔力効率も、その精度も高まっていくのだそうです。そして戦いの場に魔法を持ち込むからには、とっさに出す魔法であっても一定以上の完成度が求められます。
だからこそ魔導士は同じ魔法を何度も繰り返し唱え、自分の武器として鍛え上げていくのだそうです。要するに、慣れれば魔法は強くなるのです。
「うー……でもでも、ファイアーボールの制御って難しくない? なんというか、指先の上に乗った砂粒を大きく振りかぶって狙った場所に投げ飛ばせって言われてる気分なんだけれど」
「えっと、私は魔法が使えないのでその辺りの感覚は分からないんですけれども、そんなに難しいんですか?」
「うんうん、超難しい。こんなんだったらあそこの山を消し飛ばす方が楽だよ」
「そ、そうですか」
ミーシャさんがそう言って指さすのは、遠くに見やるグリマルス山脈。比喩表現でしょうが、そこまで言うからにはやはりファイアーボールの制御は難しいのでしょう。
……ミーシャさんが特別不器用なだけ、というのは流石に穿った考えでしょうか。
「まあとにかくゴブリンは倒せたことですし、素材を剥ぎ取りましょうか。早く済ませないと、血の臭いでグラスウルフが寄ってきちゃいますから」
「そういやゴブリンって売れるの? いかにも害獣です、数減らしたらお金あげます、って扱いだったけれども」
確かにゴブリンは食用薬用武器の素、あらゆる用途に使えないガッカリ素材の塊です。素材を剥ぎ取ると聞いて疑問を抱くのも無理はありません。が、実はこれでもお金にはなるのです。
「一応、討伐証明を兼ねた牙が討伐報酬とは別に30クロム程度で売れますね。ですが主にお金になるのは、時折出てくる魔力結晶かと」
「え、魔力結晶? あれって掘り出すものじゃないの?」
「はい、掘り出すあの魔力結晶です。……あ、出てきますね」
「ほぇ?」
そう言って見つめる先は仰向けに倒れたゴブリンの死体。ですが先ほどまでと違ってその死体は胸のあたりで淡い緑の光を放っていて、しばらくその光が渦を巻いたかと思うと、雑草を引き千切るような音と共に皮膚を突き破って角柱形の石が生えてきました。
指先でつまめる程度の大きさの、硝子のように透き通った石。これこそが無属性の魔力の塊、魔力結晶です。
「大抵の魔物は死んだ後、体に残った魔力が体のどこかに集まって魔力結晶を作るんです。あの光は魔力結晶になれなかった魔力が変化したもので、体に魔力結晶がを作れるほどの魔力が無い時には全身が少しだけ光って、しばらくするとただの死体になるんです」
「ほぇー、初めて見た」
「私も見るのはこれで4回目ですね。初めて見た時は、私もびっくりしちゃいました」
ちなみにこの現象は魔力を持つ生き物、つまりは魔物なら共通して起こる現象で、ついでに言えば魔導士なんて職業があるくらいですから人間にも同じことが起こります。広義で言えば魔物とは「魔力を持つ生き物」なので、人間もその分類に入るのです。
「それにしても、いきなり魔力結晶が手に入るなんて幸先が良いです。ミーシャさんのおかげかもしれませんね」
「む、それはまさか「お前が私の幸運の女神さ」的なアプローチ? ダメだよセレスちゃん、そういうのはもっと雰囲気を作ってから言わないと」
「あ、いえ別にそういう訳ではなく……魔力結晶ができるかどうかは、その魔物の体内に残った魔力の量が関わってくるので、魔法で倒すと魔力結晶が手に入りやすい、かもしれないと言われているんです」
「フェ、フェイントだったか……!」
「閃いた! みてみてセレスちゃん!
ぅ燃える女のバーニング・ニー! 熱い乙女のエクストリーム・エルボゥ! ほら、こうすれば絶対当たるよ! 百発百中、鷹の目のミーシャなんて呼ばれる日も近いね!」
「えーっと……それはちょっと、鷹の目とはまた別の代物なんじゃないでしょうか。
あ、また魔力結晶が出ましたよ。今度は少し大きめです」
転々と狩場を変えながら、あまり多くで群れていないはぐれゴブリンを見つけては狩っていく私たち。その狩りは順調と言って差し支えない物でした。
私が前に出てゴブリンを引き付け、その後ろでミーシャさんが当たるまでファイアーボールを乱射し、私がそれを避けるという一連の流れは、ゴブリンの数が最高で3体に増えても問題なく行うことができました。むしろ時が経つにつれ息が合ってきたのか、ゴブリンとの戦闘に意識を向けながらのファイアーボールの回避にだんだんとキレが増していったような気がします。ゴブリンの攻撃は、ミーシャからの攻撃と比べればあまりに些細な問題です。
「しっかし、意外と獲れないもんなんだね魔力結晶。もっとこう、ザクザクいけるもんだとばかり思ってたけど」
「これでもたくさん獲れている方ですよ。運が悪いとまだ1個も取れていないこともあるそうなので」
「これで? むぅ、世知辛い」
ゴブリンから入手できる魔力結晶は、平均的なサイズで1つ1500クロム程。クロモリ草で言えば6束程度の値段です。
それが今、私たちの手元には4個。10匹狩ってこの数ならばかなり運が良い方なのだそうですが、クロモリ草に換算すれば、討伐報酬を合わせても30束ほどで追い付けます。私なら特に危険も無く、30分もあれば余裕で採取できる数です。
……いえ、クロモリ草で換算するのは止めましょう。今までの報酬が良すぎただけで、Fランクの実力に見合った収入と考えればこちらが正しいのです。
「んー、じゃあ森に寄って、クロモリ草を採って帰るってのは? ほら、ここからならこの前の森が近いし」
スラみぃちゃんを飼うことにしたため受け取れていないとは言え前回の報酬額が報酬額だったからか、もどかしさのようなものを感じているらしいミーシャさんがそんな提案をしてきます。
言われてみれば私も未練があったのか、狩り場が徐々に赤蛇の森へと近づいて行っていました。道理で群れたゴブリンを見かける数が少しずつ少なくなっていったわけです。
たしかに森にそう深く潜るでもなく狙い目の場所を1つ見て回る程度なら、今からでも暗くなる前に森を出ることができるでしょう。報酬も、何個魔力結晶を獲れるかも分からないゴブリン退治よりも安定したものが望めます。
ですが――
「実を言うと一度は私も同じことを考えたのですが……やめておいたほうが良いと思いますよ?」
「ほぇ? なんで?」
「エミルさんが怒ります。多分本気で」
「あっ……」
それをするには間違いなくエミルさんが立ち塞がるのです。クロモリ草を持ち込む訳ですから誤魔化しもききません。
気に食わないからと言って報酬を減らしたり買取の拒否をする人ではありませんが、その後は間違いなく長時間の説教と、気が狂いそうになるほどの座学の時間が待ち構えているでしょう。「貴女のような命知らずには良い薬です」とエミルさんが私たちに言い放つ姿が容易に想像できます。
特にミーシャさんはエミルさんに目を付けられている節があるので、やらない方が無難でしょう。最悪、心を折られて冒険者を辞めてしまうかもしれません。大げさかもしれませんが、似たような流れで冒険者を辞めた前例が居るらしいので無茶はできません。
「まあそういう訳で、森に行くのはナシです。近くの林を見て回るだけにしましょう」
「あーうん、そうだね。エミルさん怖いもんね」
そうして見晴らしの良い道沿いから、赤蛇の森にほど近い、少し物陰の多い林へと移動します。奇襲に気を付けなければならないのは難ですが、逆にゴブリンに奇襲をかけることができれば非常にスムーズに狩りを行える場でもあります。
「ミーシャさんの魔法は今のところ命中性に難があるので、初撃は私が仕掛けます。
奇襲で決着が付けばそれまで。そうでなければ先ほど通り――」
「私のファイアーボールが火を噴くんだね。大丈夫、この林を火の海にしてでも当ててみせるよ!」
「ちょっとそれは勘弁してほしいです。頑張ってゴブリンだけを狙ってくださいね」
林を火の海にされては大騒ぎになることですし、目指すは一撃必殺です。こうやって肩を並べて戦うのですから、ちょっとくらいは頼りになる、格好良いところを見せたいですね。
――そう意気込んで林の中に踏み込んでいったのですが、肝心のゴブリンが一匹も見当たりません。
はて、これはどうしたことかと考えながらしばらくゴブリンを探し続け、そしてその原因に思い当たり肩を落としました。
そもそもゴブリンやグラスウルフといったある程度危機察知能力のある魔物は、森の中心部に巣くうデザイアパイソンを恐れて赤蛇の森に近づこうとしません。だからこそ外縁部が安全な空白地帯となっているのであり、そこにほど近いこの林もまた、ゴブリンの行動範囲から外れているということに気付くべきだったのです。
それでもはぐれゴブリンの一匹や二匹、居てもおかしくないような気もしますが――まあ、そこは運でしょう。魔力結晶の数から考えれば、これでもFランクの平均収入を上回っているはずです。
「ゴブリンも居ないようですし、今日はそろそろ引き上げ――」
「あ、みてみてセレスちゃん! ゴブリンいたよ! 二匹!」
「本当ですか? じゃあ、最後にそれだけ狩っちゃいましょうか」
「うん! 私のファイアーボールがめっちゃ唸るよ!」
自信ありげな表情でぶんぶんと杖を振るミーシャさん。見ていて微笑ましくなる光景ですが、魔法を打つ時には杖はちゃんと敵に向けて欲しいです。
「ほらほらあっちあっち! ……あーでも食べられちゃった。ざーんねん」
「え、食べられたってどういう――」
ミーシャさんが指さす先を目で追っているうちに、唐突にそんな言葉が放たれます。
食べられたとはいったい何に、と思って目を凝らせば、一面の緑の中、その影は難なく見つけることができました。それは太く、長く、緑を切り裂くような赤い――
「――ッ!? ミ、ミーシャさん! こっちへ!」
その姿を見つけると同時、慌ててミーシャさんの口を押さえ込み、身体を抱きかかえて近くにあった木のうろの中に身を隠します。ゴブリン相手なら負けはしないと猛っていた私の闘志は、気付けば恐怖に押し潰されていました。
しなる大樹のような全身が見えない巨体に、燃えるような紅蓮の鱗。牙の一本ですら私の身の丈を超え、その先端から溢れる毒液は乾いた土を毒の泥濘に変えるほど。
まさに化け物と呼ぶべき、見ただけで竦み上がりそうな強烈な威圧感。私とてその姿を見るのは初めてですが、ここまで情報が出揃えば嫌でも理解してしまいます。
【森の赤蛇】デザイアパイソン。ランヴィルド周辺の生態系の頂点が、今私たちの目の前に現れたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ヤバい。何がヤバいって何もかもがヤバい。
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くそぅ、私がセレスちゃんとの身長差を埋めるだけの段差がすぐそこにある壁を探しているうちに、まさかより密着度を上げた改良版を開発して先手を打ってくるなんて。
嫁一号にあるまじき圧倒的恋愛性能。だけど私は負けない。か、身体は自由にできても、心までは屈しないんだから……!
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恐る恐る目を開いてみれば、先ほどと変わらない真剣な表情で木のうろの外を睨みつけるセレスちゃん。その視線の先には先ほど私たちのゴブリンを横取りした真っ赤なヘビが木々を圧し折りながらずるずると動いている。
もしかして、アレから隠れているのだろうか。よくよく見ればセレスちゃんの額には冷や汗が流れ、私の口を押さえる手はかすかに震えている。
確かに真っ赤で大きくて強そうだけど、そこまで怯えるほどのものには見えない気もする。いやでもセレスちゃんがこんなに怯えているくらいだし、もしかしたら特殊能力か何かを持っていて、見た目以上の強さを持っているのかもしれない。赤いし。
……ふむ、これはまたとないアピールチャンスかもしれない。
セレスちゃんと出会った当初、私がセレスちゃん攻略戦線の基本戦略として考えていたのは「とにかく頼れるところを見せる」ことだった。
超究極最強魔導士的にどんな相手も一撃必殺。溢れ出す魔法のレパートリーで細かな気配りすら見せ、その日の夜には「素敵! 抱いて!」と目をハートにさせている予定だったのだ。
が、現実はエミルさんと言う説教魔神のせいで魔法のレパートリーを誤解され、ファイアーボールを使ってからはそれ以外の魔法を使うなと言明され、革新的炎属性魔法「バーニング・ニー」、革命的風属性魔法「エクストリーム・エルボー」の二つの新魔法にいたっては何か違うと一蹴された。むぅ、頑張ったのに。
しかし今なら。なんだか緊急事態っぽい今なら。……何をやってもエミルさんに怒られないのでは?
「モータルフレア」も「テンペスターランス」も「超魔導ゴーレム グラントリオンV」もなんだって使ってオッケー。どうせ立場も何もないんだから緊急事態なら何やっても良いってエミルさんも言ってたし、もうこれはやるしかない。
「むぐ……んぐ……ぷはぁ! 大丈夫だよセレスちゃん。私に任せて! 超究極最強魔導士的に、あんなヘビなんて一撃で倒しちゃうんだから!」
そう考えたら俄然やる気が出てきた。さあ来いすぐ来い当て馬スネーク。既に戦場はお前の生き死にではなく、どうかっこよく私を魅せるかになっているんだ。
「ダメです! デザイアパイソンは身体能力だけなら竜種にも匹敵する、Aランクの中でも上位の魔物なんですよ! 勝てっこないです!」
「いやいやイケるイケる。だって私最強で天才だし――」
「その才能を散らすような馬鹿な真似はしないでください!」
「……えうぅ」
しかしそれを口にした瞬間、セレスちゃんが目の色を変えて怒り始める。
まるでエミルさんが乗り移ったかのように回る口先。それに臆してしまったが最後、みなぎるやる気はどこかへ飛んで行ってしまった。何をやっても後で怒られる気がする。
……そういえばセレスちゃんは私よりも一ヶ月もエミルさんと長く付き合っているんだった。そうともなればエミルさんの口調が空気感染してもおかしくはないのかも知れない。
悪鬼羅刹の受付嬢エミル。まさかその姿すら見せずに私のハーレム道を阻むとは……!
「ところであの……デザイアパイソン? は普通にこっちに近付いているけれど、それは大丈夫なの?」
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少し投げやりな雰囲気になりながら、セレスちゃんはそう言う。気付けばセレスちゃんの体の強張りも無くなっていて、私の口を押さえる手もいつの間にか頭を撫でている。
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少しの間をおいて、セレスちゃんは意を決したようにそんなことを言った。ん? でもそれって矛盾してない? さっきは勝てないって――
「え、それってセレスちゃん大丈夫なの? セレスちゃん、さっき勝てっこないって言ってたじゃん」
「分かりません。分かりませんが――私なんかのために、私よりも才能のある人が死んじゃあいけないんです。そうでなければ私が村を出た意味が――」
「セレスちゃんは「なんか」じゃないから! 凄い頼りになるから! 超可愛いから!」
「――……ありがとうございます。ミーシャさん、大好きですよ」
「にゃ、にゃんとぉ!?」
ちょっと自虐入ったセレスちゃんのポイントを稼ごうとフォローを入れてみれば、まさかまさかの突然の告白。
猛烈すぎるカウンターだ。これだから恋愛上級者は手に負えない。
「私なら大丈夫です。私、死んだことだけはありませんから。勇気も貰いましたしね」
「え、あ、ん? えーっと……それなら安心、だね?」
「はい、じゃあ行ってきます。ランヴィルドまで少し遠いですが、頑張って走ってください」
言われるがままに頷き、そしてそれを見るや否やデザイアパイソンの前に飛び出していくセレスちゃん。そんな状況の変化に先ほどの告白も相まって一瞬動けずにいたが、すぐに正気を取り戻す。
「い、いやそれやっぱり駄目! それ絶対にフラグ折れる奴だから!」
セレスちゃんの背を追って木のうろを飛び出せば、いつかのフォレストボアの時のように大口を開けてセレスちゃんに突っ込もうとするデザイアパイソンの姿。
あれこれヤバくね? 既にクライマックスじゃね? そう思って全身に身体強化の魔法と、絶対に誤射しないミラクル魔法バーニング・ニーを重ね掛けしてセレスちゃんの元に向かい駆け抜ける。
「見ィつけたァ! 逃がしゃしねえぜ、最後の一匹ィ!」
最強だから余裕で間に合うね。そう思った矢先、どこからか棒状のものがデザイアパイソン目掛けて落着し、周囲に土煙が舞う。
えっちょっと待って。まさかこの展開――
「おぉう。なんか居るかと思ったら、やっぱりお前悪運強いなァ、セレス!」
煙が晴れた先には顔面に大穴の開いたデザイアパイソンと、ドリルを肩に担いだドリル兄貴が立っていた。
……最後の最後に持っていきおってからにー!
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