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1.新人冒険者編
4.其は女体に触手を延ばす者。あるいは甘味と呼ばれる物。 後編
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「……ふぅ、なんとかここまで辿り着きましたね。もう大丈夫でしょう」
「だってさ、良かったねスラみぃ」
赤蛇の森を抜けて昨日一夜を過ごした野営地まで辿り着くと、安堵からため息が漏れ出ます。
まだ焚き火の跡が残るそこは生き物の気配も無ければ見晴らしも良く、よほどのことが無い限り魔物に襲われても余裕を持って逃げ出すことのできる環境です。またランヴィルドに続く道からも近く、万が一があっても助け呼べる目があるので安心です。
結局絶命したフォレストボアは、諸々の用途に使える部位の多い頭が燃えてしまったこともあってその場に放置することにしました。気休めだったかもしれませんが多少鱗を剥いで血を撒き散らしたので、臭いにつられて大抵の魔物はそちらに向かうはずだと考えたのです。
「ここで少し休憩にしましょうか。……っとと?」
「ほれ? 大丈夫セレスちゃん?」
「……ええ、大丈夫ですよ。ちょっと疲れちゃっただけです」
「そうなんだ。やっぱり前衛って疲れるんだね」
どうにせよ山場は越えたのだと納得すると同時、ついに緊張の糸が切れたのか自然と足が崩れ落ちてしまいました。もしかしたら気付いていなかっただけで、もう立っているのも限界だったのかもしれません。
緊張と恐怖はそれに押し潰されさえしなければ、目の前の逆境を切り開くだけの力を与えてくれます。しかしそれは後先考えず死力を尽くした結果のものですから、こうして気が緩めば身体が言うことを聞かなくなるのは至極当然の話です。
フォレストボアとの攻防は、それくらい厳しいものでした。いえ、無謀だったと言い換えたほうが正しい表現かもしれません。
槍は分厚い鱗に阻まれてその肉を貫き通すに至らず、どれだけ必死に大地を蹴って逃げ回っても悠々その牙を振り切ることはできない。手も足も出ないとはまさにこのことでした。
分かり切った話ではあったのですが、全くと言って良いほど歯が立たない相手との戦いというものは、ひどく精神を擦り減らしていくものです。もうほんの数秒ミーシャさんの攻撃が当たるのが遅かったら、屍を晒していたのは追い詰められていた私の方だったでしょう。
……思い返すと背筋を寒いものが走ります。今回は助かりましたが、もう首元にまで死神の手が迫っていたと言っても過言ではありません。
その死神の手を振り払えたのは、他ならぬミーシャさんのおかげです。ミーシャさんが目くらましに留まらない高威力の魔法を扱える魔導士だったからこそ、私は今、生き永らえているのです。
「なーにセレスちゃん。そんなにじっと見つめてきて……惚れちゃった?」
「ああいえそういう訳ではないんですが……さっきはありがとうございました。あんなに強いファイアーボール、見たことないです」
「でしょでしょー! なんてったって超究極最強魔導士の超究極ファイアーボールだからね! どんな敵でも一撃粉砕なんだから!」
あどけなく笑うミーシャさん。力の抜けた私は、それに釣られて笑みがこぼれます。
こうして見ると、とてもフォレストボアを一撃で倒した張本人とは思えません。こう言うと侮辱に聞こえるかもしれませんが、冒険者よりも街角の店先で看板娘をしていた方がしっくりくるくらいです。
しかしその魔導士としての実力の高さは既に結果でもって証明しています。いくら蛇型魔物が炎に弱いからと言っても、フォレストボアを一撃で倒せるほどの威力を持ったファイアーボールなんて見たことがありません。
ランヴィルドの冒険者ギルドにはフォレストボアを苦も無く討伐できるBランク冒険者の魔導士も居るのですが、彼とて一撃でフォレストボアを倒すにはより高位の魔法を使わざるを得ないでしょう。それを中級魔法――戦闘に利用できる最低限の威力の魔法――でやり遂げたことはもはや偉業とも言えることです。
これはBランク冒険者よりも遥かに高い魔力を保持していることだけでなく、その魔力を無駄無く魔法に込めることのできる技量の高さを表します。俗にBランクで一流冒険者と呼ばれるこの業界で、私と同い年でありながらその域に足を踏み入れているミーシャさんは、まさしく天才と呼ぶべき人種なのでしょう。
「でもミーシャさん。私、エミルさんからはミーシャさんは土魔導士だと聞いていたのですが、そちらは?」
「土属性だって当然使えるよ! 見る? 見ちゃう? 細部のディティールまで凝りに凝った会心のゴーレム!」
「ああいえ、今は良いですよ。魔力も勿体無いですしね」
「えー」
しかも数のそう多くないと言われている二属性持ち。いえ、口ぶりからするともっと多くの属性を使えたとしても不思議ではありません。だとすればミーシャさんは魔導士としてこれ以上ない素質を持っていることになります。
――きっとですが、ミーシャさんはすぐにでもその頭角を現すでしょう。そして見る間に私の手の届かない高みへと昇りつめていくであろうことは想像に難くありません。
そうなれば足手纏いになるであろう私と肩を並べることもなくなるのでしょう。このパーティーは、そう長く続くものではないのです。
悔しくはない、とは言いません。嫉妬はしない、とも言いません。ですがそれ以上に強く感じるのは孤独感でしょうか。比較され続け、どんどんと引き離され、そして今では会うことすらできなくなった才気あふれる妹のことを思い出したのかもしれません。村を出た時も、感じたものはやはり寂しさでした。
「むぅ、セレスちゃんが浮かない顔してる……ほら、スラみぃ貸してあげるから元気出して?」
「あ、はい。ありがとうございます…………ぷにぷにしてますね」
そんな考えが顔に出ていたのか、ミーシャさんがこちらを気にかけてシュガースライムを膝の上に乗せてきます。スラみぃと名付けられたその子は先ほどまでのしがみつきっぷりはどこへやら、大人しくミーシャさんの手から離れて私の腕の中に納まります。
確かにこうして見るとシュガースライムは可愛らしいかもしれません。プニプニとした弾力のある胴体はほんのり冷たく、抱きしめれば火照った体を冷ましてくれて気持ちが良いです。
都市部ではジェリースライム種が時たま愛玩魔物として飼われているという話を聞いたことがありますが、この抱き心地を知ればそれも納得と言うものです。が、欲目を出したのはこちらとは言え、ここまで消耗することになった原因もこの子にあると思うとなんだか腹立たしいものがあります。この子が妙な事さえしなければあんな危険な橋を渡るハメにならずに済んだというのに……!
「ちょ、セレスちゃん抱きつき過ぎ! スラみぃ絞られてる!」
「はい? あ、す、すみません!」
言われてスラみぃちゃんを潰してしまう寸前だったことに気付き、慌てて手を離します。
無意識に苛立ちが腕に伝わっていたのか、スラみぃちゃんを抱く腕は軽いベアハッグのように強く締め上げられていたのです。もっと力を入れて潰してしまっていたら、先ほど潜り抜けた死線がものの見事に骨折り損になってしまうところでした。
「ベタベタしちゃいましたね。あ、でも本当に甘い……」
抱きしめた際に染み出て手に付いたシュガースライムの体液を舐めてみれば、話に違わず甘みを感じます。それは今までに口にしたどんな果実よりも濃厚な甘みで、舌が蕩けてしまいそうな感覚すら覚えます。
これは、高値が付くのも納得です。売ることに若干後ろ髪を引かれる気分になり、気付けば夢中になって手に付いた体液を舐めていました。元はと言えば貧相な村の娘でしたのでこういった贅沢品とは縁遠く、村に行商人が来ても物欲しげに眺めるだけだった甘味は憧れですらあったのです。
そんな貧乏性も手伝ってか、最後の方は舌を出して舐めるというよりも、手に舌を絡めてしゃぶりついていると言った方が正しいような状態でした。啜るような音を立ててしまうこともあって少々はしたない姿だったかもしれませんでしたが、ミーシャさんはそれに不快さを表すでもなく恍惚とした表情を浮かべ、ついでに何故か手で鼻を抑えています。
「よくやった……よくやったよスラみぃ……! これぞ君に求めていた光景だぁ……!」
はて、何があったのでしょう? 今、目で見て楽しいものはそう無いと思うのですが……そういえばミーシャさんはシュガースライムを飼おうとしていたのでしたっけ。もしかすると、私が手を舐めるのに夢中になっている間に、何かスラみぃちゃんがミーシャさんの琴線に触れる行動をしたのかもしれませんね。
――そういえば、そろそろスラみぃちゃん(シュガースライム)についての話をしておかないといけません。ほぼ間違いなく、私とミーシャさんでこの子に対する認識が異なっています。
ミーシャさんがスラみぃちゃんを猫可愛がりしている現状すごく言い出しにくいのですが、少なくとも私の認識ではその子は売り物なのです。一匹50万クロムの超高級スウィーツなのです。
この子を冒険者ギルドの買取カウンターに突き出すだけで一人頭25万クロム。これは平均的なFランク冒険者の月収のほぼ倍額で、普段の収入も合わせれば駆け出し冒険者の大半が直面するという、装備の買い替えやマジックポーションなどの消耗品を買い揃える際に起こる金銭問題を乗り越えるには十分な金額です。
逆に言えば、このお金が無いとその苦境を乗り越えられる保証が無いのです。主に先ほどの戦闘でフォレストボアの鱗に弾かれて穂先の欠けてしまった槍の買い替えあるいは修理という、目前に差し迫った問題が。
しかしさて、ミーシャさんにどう切り出したものでしょう? ミーシャさんの中ではもう既に飼うことは決定事項のようで、何やら芸を仕込もうとしているのかスラみぃちゃんの目の前でクロモリ草を振り回し、待てだお手だと唸っています。
これで「そのシュガースライムは飼えません」などと言おうものなら色々と気まずい空気になること必至です。しかもその理由がわりかし自分本位なものなので、言う方も気が重いです。
……いえ、言いにくかろうがここで告げなければ余計にぎくしゃくとするでしょう。もう手遅れかもしれませんが、情が移る前にケリを付けておけばミーシャさんの傷も浅いはずです。
「あの、ミーシャさん。凄く言いにくいんですが……」
「なぁに? スラみぃもう一回抱きたいの?」
「いえその……その子、私は売るつもりで捕まえようとしていたんですけれど……」
「…………………………………………えっ」
そう告げた瞬間ミーシャさんは硬直し、言っていることが理解できないというように首を傾げます。私も立場が違えば似たような反応を返していたかもしれません。
そんなミーシャさんにシュガースライムの市場価格とその理由を告げ、諦めてもらうよう説得するのは非常に骨な作業でした。私の懸念通り完全に情が移ってしまっていたらしく、私がスラみぃちゃんを売ると言ってからは涙目になってスラみぃちゃんを抱きしめ、どんなに言っても手放そうとしません。
「やだぁ……やだやだやだぁ! スラみぃは私が飼うの! 魔導士がどこからともなく召喚する触手枠にするの!」
「そんなこと言っても、シュガースライムを飼うのはすごく危険なんです。所かまわず味覚と嗅覚のある魔物をおびき寄せますし、街中で見られたら強盗に狙われたりもするんですよ?」
「最強だからどうにでもなるもん!」
「確かにミーシャさんは強いですけれど、生き物を飼うのに強さは関係ないです。……ほら、今だって抱き潰しちゃいそうじゃないですか!」
「こ、これはたまたま! たまたまだから!」
気の立った猫が毛を逆立てるような必死さでミーシャさんは反対の意を示します。私が何を言ってもミーシャさんは首を縦に振ることはなく、どうしたものかと思った矢先に天啓の如く妙案が浮かびました。
そうだ、エミルさんに投げよう。
エミルさんは常々余計な危険を寄せ付けないよう、資金に余裕を持って行動しなさいと口が酸っぱくなるほど言っている人です。その弁論は有無を言わさぬ威圧感と誰が聞いても納得する道理に沿っているが故に誰も反論することができず、過去にただ一人、ただ一度だけ論破することのできたクリックズさんはランヴィルドの冒険者ギルドにおける英雄的存在と化しています。
たったこれだけでクリックズさんにはランヴィルドの中でのみ通じる【受付越しの勇者】という二つ名が付いてしまっている辺り、どれだけの激闘が繰り広げられたのか推して知るべきでしょう。そんな【受付越しの魔王様】ことエミルさんであれば、ミーシャさんもスラみぃちゃんを引き渡してくれるかもしれません。
ミーシャさんも多少駄々をこねるかも知れませんが、魔王の前では些細な抵抗に過ぎないでしょう。嫌われ役の押し付けになってしまうかもしれませんが、もとよりそのつもりで受付嬢をやっていると本人が言っていたので、そこは利用させてもらいましょう。「利用できるものは全て利用しなさい」と言ったのもエミルさんですしね。
となれば話は一度ここで打ち切って、早くランヴィルドの街に帰りましょう。日はまだ高いですが、だからと言ってシュガースライムと言う天然の獣寄せを抱えたままもう一度クロモリ草を探しに森の中に入る気にもなれません。
なのでスラみぃちゃんの処遇は一度保留にして、ミーシャさんと共に野営地を後にします。ミーシャさんはその間スラみぃちゃんを手放そうとはしませんでしたが、今度は潰してしまいそうになるほど強く抱きしめるようなことはありませんでした。
「……ねぇねぇスラみぃ。触手もあるんだし、こう、媚薬みたいなのを出してセレスちゃんを篭絡できたりしない? ……できないんだ。そっか……」
え? 会話してる?
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「何を戯けたことを言っているんですか貴女は。悪いことは言いませんから、早くそのシュガースライムは隣の買取カウンターか、商人ギルド主催のオークションに持って行きなさい」
「なんでさ! こんなに可愛いのに!」
ランヴィルドの冒険者ギルドに辿り着き、セレスちゃんを背得するようエミルさんに頼み込むと、即座にこんな無慈悲な言葉が帰ってきた。
隣を見ればセレスちゃんもうんうんと頷いていて、私は今になってセレスちゃんにハメられたのだと気付いた。
セレスちゃんは腰を据えて話をするために街まで戻ったのではなく、こうしてエミルさんという強力な味方を得るために街まで戻ってきたのだ。キャンプ地であれば一対一で拮抗していたのが、ここでは二対一。数的有利を取られた私は先ほどよりもなお厳しい状況に立たされる事となったのだ。
「エミルさんもセレスちゃんと同じような事を言って私のスラみぃを売り飛ばそうとする……酷いよ!」
「酷くありません。当然のことを言っているだけです。
そもそもそのシュガースライムはミーシャさんとセレスさんの二人で捕獲したものですから、別に貴女だけのものと言う訳でもなく、あなたたち二人のパーティー内で所有権を共有しているんですよ?」
「私たち二人の……。セレスちゃんは本当にこれで良いの……? スラみぃは私たち二人で抱き上げた、言わば私たちの娘なんだよ? 愛娘を売り飛ばすなんて、セレスちゃんはそんなこと言わないよね……?」
「あ、いえ、その。スラみぃちゃんは娘と言うにはちょっと、性別を含めて不定形過ぎるかな、と……」
「だったらエミルさん! 凝固剤ちょーだい!」
「無いですし、あっても何の解決にもなりませんからね?」
二人に挟まれ、翻弄される私。
「即席パーティーでの分配は、特別な事情が無い場合は頭割りを推奨しています。その際収得物の状態で分配すると揉め事が起こりやすいので、一度換金してから山分けするのがセオリーです。
そもそも聞き及んだ限りの状況では、余計な危険を請け負い武器を破損した分セレスさんの方が取り分が多くても文句は言えないのですよ?」
「余計な危険? 何それ?」
「ミーシャさんを助けるという危険です。そもそもシュガースライムを抱えているのはミーシャさんなのですから、余計な事をせずに二手に分かれていればフォレストボアはミーシャさんだけを追いかけ、セレスさんは安全にその場を離脱できたのです。
……まあ見たところ、セレスさんは気付いていなかったようですけれど」
無慈悲極まる発言にちょっぴり引き、次いでセレスちゃんの方を見ればセレスちゃんもまた引いている。嫁一号にハーレム主を見捨てる事を推奨するとか、完全に鬼畜の発想。まさか私のセレスちゃんを寝取るつもり? 行き遅れをこじらたせいでそんなこと考えちゃったの?
「あ、あの、私はそんなこと、思いつきもしませんでしたからね!」
「そうだよね。こんなこと考えられるのエミルさんくらい性根が捻じ曲がった鬼女でも……なきゃ…………ひぅ」
「……誰が、性根の捻じ曲がった行き遅れの鬼女ですって? ええ?」
猛烈な威圧感に口が回らなくなり、恐怖を感じる歩行に視線を向ければ、そこには冒険者ギルド受付嬢の制服に身を包んだ修羅がそこに居た。
「……帝都の冒険者ギルドに居た頃は、当然のようにそんなことをする輩ばかり受け持っていたんですよ。ええ本当、ランヴィルドの冒険者の方々は良い人ばかりで助かっています」
「と、都会やべー」
「都会って、怖いんですね……
しかし怒気を放つまでが一瞬なら、それを包み隠すまでも一瞬だった。誤魔化すようにコホンと咳払いしたエミルさんはそのまま、張り付いたような笑顔で言葉を続ける。
無かったことにする気だ。多分その直前の言葉も含めて。だがそれを止められるだけの勇気は私には無く、止める理由もまた特に無い。
「……話を戻しましょう。もしミーシャさんがそのシュガースライムの所有権を得るというのであれば、少なくともあまり数の取れていない薬草の報酬をセレスさんが総取りして、足りない分は借金と言う形でミーシャさんが負担するのが道理でしょう。
そうなった場合、今回の依頼においてミーシャさんには現金の収入が無く、それどころか収支はマイナスになりますね? ここで一つ聞きたいのですが、昨日の時点で既に一文無しだったミーシャさんは、今後何を口にして、何で雨風を遮るつもりなのですか?」
「え? あ~、う~ん……そうだ、セレスちゃんテント貸してくれる?」
「あ、はい。どうぞ」
「街中で野営するなんていう傍迷惑極まりない行為は止めなさい! セレスさんも背負い袋からテントを取り出そうとしない!
……ともかく、文無しで住所不定の冒険者なんて浮浪者と大差ありません。せっかくシュガースライムなんていう幸運に出くわしたのですから、さっさと現金を懐に入れて生活を安定させることを考えなさい!」
そういってエミルさんは机を叩いて締めくくった。何があっても、スラみぃを飼うことを許してはくれないみたいだ。セレスちゃんも怯えてはいるが、その瞳は賛成であることを言外に告げている。
そして私も、これ以上強く反論する言葉が思いつかなかった。確かに昨日今日ときちんとした場所で寝なかったせいで首が少し痛いし、髪からも艶が少し失われている。ここ数日の生活水準が低いことは、私だって理解はしていたのだ。
「ともかく、このシュガースライムはこちらで買い取ります。相場より高めに買い取って貰えるよう口添えはしておきますから、査定が終わるまでそこで待っていてください」
「ぅぁ……ぅぇえ……」
私の腕の中からスラみぃを取り上げるエミルさんの手を、私は払うことができなかった。諦めてしまったのだ。この二人を納得させることは、私には不可能なのだと。
「うぇぇぇぇえええええええん! やだやだやだぁ! スラみぃ食べちゃやだぁああ!」
でも諦めかけている理性と感情は別物だ。子供のように喚き散らし、セレスちゃんに縋るように泣きつき、エミルさんを親の仇のように涙目で睨みつける。
思いつく限りの罵倒を、思考も定まらない内から口に出していく。涙声で、声が枯れるまでひたすら喚き続けた。
「やだよぅ……スラみぃ死んじゃ嫌ぁ……」
「ミーシャさん……その、落ち着いて、深呼吸してください。ね?」
崩れ落ちそうになる身体をセレスちゃんに抱きかかえられたその姿は、超究極最強魔導士にあるまじきものだったと思う。だがこの姿に何か感じ入るものでもあったのか、梃子でも動かなかったエミルさんが初めて怯むそぶりを見せ、叫び疲れて言葉も出さずに睨み続けていると観念したように深く溜息を一つ吐いた。
「………全く推奨できない案ですが、一応折衷案のようなものはあるのです。このシュガースライムを殺さずに、雀の涙程度ですが報酬を得ることのできる案が」
渋々、と言った風にエミルさんがそう口にする。泣き疲れた私はその言葉のほとんどを理解できなかったが、代わりにセレスちゃんが息を飲んだ気がした。
「このシュガースライムを核の周囲ごと加食部分から切り離して、加食部分だけを売却するという案です。
核があれば次第に体は修復しますが、修復された部分は食用に適さず、また核も新たに修復された部分と強く結びついて取れないため二度と売り物になりません。切り離した加食部分も痛むのが非常に早いことから、買取価格は半額以下になります。しかしここにクロモリ草の分の収益を足して、シュガースライムの半額相当の金額をセレスさんの取り分として確保すれば、1万クロムにも満たない額ではありますがミーシャさんにも現金が支払われることになります。
ですがこれでは一週間程度しかもたないので、犯した危険の割に合っているとは――」
「と、とりあえずそれでお願いします! ミーシャさんはしばらく私が面倒見ますから!」
「まあ、それなら私も強く否定することはありませんが……良いんですか? 人一人養うということは、冒険者みたいな不安定な職業には結構な負担になりますよ? それも含めてお勧めしませんが」
「頑張るから大丈夫です! それに別に苦でもなんでもありませんよ。ミーシャさんと一緒に居ると、私も楽しいですから」
「………セレスさんって、意外と男前なこと言うのね」
頭は働かなくて、何か難しいことを言っていることしか分からなかったけれども、なんだか場の空気が柔らかくなったことだけはなんとなく理解できた。
今ならもしかするとスラみぃを返してもらえるかもしれない。そう思ってエミルさんにお願いをしてみる。
「ねぇお願い……スラみぃ返してよぉ……」
「あー、とりえずその、切り取るのは明日にして、今は一度スラみぃちゃんをミーシャさんに返してあげて欲しいです。そうすれば多分、落ち着くと思うので……」
「セレスさん、たった一日で保護者が板に付き過ぎじゃないの? まあそういうことなら、このシュガースライムは返しますが……」
そう言って、エミルさんは受付のカウンターに縋りつく私の目の前にスラみぃを置く。え? 本当に返してくれるの?
「ほぇ……? スラみぃ、返してくれるの……?」
「はい。もうスラみぃちゃんを手放さなくても良くなりました。ちゃんとお世話するんですよ?」
そこまで聞いて、ふと瞼が重くなる。泣き疲れていたのと、スラみぃが手元に戻ってきて気が抜けたのが合わさって眠気が押し寄せてきたのかもしれない。そうしたうとうととした感覚に浸ったまま、目の前のスラみぃを抱え込む。もうこれで、きっと大丈夫。
「ほら、もう宿に行きますよ。スラみぃちゃんが大好きだからって、抱きしめ過ぎて潰さないようにしてくださいね?」
「大丈夫だよ……だって私、最強だもん……」
その言葉を最後に、私の意識は心地良い揺れと共に闇の中へと沈んでいった。
「だってさ、良かったねスラみぃ」
赤蛇の森を抜けて昨日一夜を過ごした野営地まで辿り着くと、安堵からため息が漏れ出ます。
まだ焚き火の跡が残るそこは生き物の気配も無ければ見晴らしも良く、よほどのことが無い限り魔物に襲われても余裕を持って逃げ出すことのできる環境です。またランヴィルドに続く道からも近く、万が一があっても助け呼べる目があるので安心です。
結局絶命したフォレストボアは、諸々の用途に使える部位の多い頭が燃えてしまったこともあってその場に放置することにしました。気休めだったかもしれませんが多少鱗を剥いで血を撒き散らしたので、臭いにつられて大抵の魔物はそちらに向かうはずだと考えたのです。
「ここで少し休憩にしましょうか。……っとと?」
「ほれ? 大丈夫セレスちゃん?」
「……ええ、大丈夫ですよ。ちょっと疲れちゃっただけです」
「そうなんだ。やっぱり前衛って疲れるんだね」
どうにせよ山場は越えたのだと納得すると同時、ついに緊張の糸が切れたのか自然と足が崩れ落ちてしまいました。もしかしたら気付いていなかっただけで、もう立っているのも限界だったのかもしれません。
緊張と恐怖はそれに押し潰されさえしなければ、目の前の逆境を切り開くだけの力を与えてくれます。しかしそれは後先考えず死力を尽くした結果のものですから、こうして気が緩めば身体が言うことを聞かなくなるのは至極当然の話です。
フォレストボアとの攻防は、それくらい厳しいものでした。いえ、無謀だったと言い換えたほうが正しい表現かもしれません。
槍は分厚い鱗に阻まれてその肉を貫き通すに至らず、どれだけ必死に大地を蹴って逃げ回っても悠々その牙を振り切ることはできない。手も足も出ないとはまさにこのことでした。
分かり切った話ではあったのですが、全くと言って良いほど歯が立たない相手との戦いというものは、ひどく精神を擦り減らしていくものです。もうほんの数秒ミーシャさんの攻撃が当たるのが遅かったら、屍を晒していたのは追い詰められていた私の方だったでしょう。
……思い返すと背筋を寒いものが走ります。今回は助かりましたが、もう首元にまで死神の手が迫っていたと言っても過言ではありません。
その死神の手を振り払えたのは、他ならぬミーシャさんのおかげです。ミーシャさんが目くらましに留まらない高威力の魔法を扱える魔導士だったからこそ、私は今、生き永らえているのです。
「なーにセレスちゃん。そんなにじっと見つめてきて……惚れちゃった?」
「ああいえそういう訳ではないんですが……さっきはありがとうございました。あんなに強いファイアーボール、見たことないです」
「でしょでしょー! なんてったって超究極最強魔導士の超究極ファイアーボールだからね! どんな敵でも一撃粉砕なんだから!」
あどけなく笑うミーシャさん。力の抜けた私は、それに釣られて笑みがこぼれます。
こうして見ると、とてもフォレストボアを一撃で倒した張本人とは思えません。こう言うと侮辱に聞こえるかもしれませんが、冒険者よりも街角の店先で看板娘をしていた方がしっくりくるくらいです。
しかしその魔導士としての実力の高さは既に結果でもって証明しています。いくら蛇型魔物が炎に弱いからと言っても、フォレストボアを一撃で倒せるほどの威力を持ったファイアーボールなんて見たことがありません。
ランヴィルドの冒険者ギルドにはフォレストボアを苦も無く討伐できるBランク冒険者の魔導士も居るのですが、彼とて一撃でフォレストボアを倒すにはより高位の魔法を使わざるを得ないでしょう。それを中級魔法――戦闘に利用できる最低限の威力の魔法――でやり遂げたことはもはや偉業とも言えることです。
これはBランク冒険者よりも遥かに高い魔力を保持していることだけでなく、その魔力を無駄無く魔法に込めることのできる技量の高さを表します。俗にBランクで一流冒険者と呼ばれるこの業界で、私と同い年でありながらその域に足を踏み入れているミーシャさんは、まさしく天才と呼ぶべき人種なのでしょう。
「でもミーシャさん。私、エミルさんからはミーシャさんは土魔導士だと聞いていたのですが、そちらは?」
「土属性だって当然使えるよ! 見る? 見ちゃう? 細部のディティールまで凝りに凝った会心のゴーレム!」
「ああいえ、今は良いですよ。魔力も勿体無いですしね」
「えー」
しかも数のそう多くないと言われている二属性持ち。いえ、口ぶりからするともっと多くの属性を使えたとしても不思議ではありません。だとすればミーシャさんは魔導士としてこれ以上ない素質を持っていることになります。
――きっとですが、ミーシャさんはすぐにでもその頭角を現すでしょう。そして見る間に私の手の届かない高みへと昇りつめていくであろうことは想像に難くありません。
そうなれば足手纏いになるであろう私と肩を並べることもなくなるのでしょう。このパーティーは、そう長く続くものではないのです。
悔しくはない、とは言いません。嫉妬はしない、とも言いません。ですがそれ以上に強く感じるのは孤独感でしょうか。比較され続け、どんどんと引き離され、そして今では会うことすらできなくなった才気あふれる妹のことを思い出したのかもしれません。村を出た時も、感じたものはやはり寂しさでした。
「むぅ、セレスちゃんが浮かない顔してる……ほら、スラみぃ貸してあげるから元気出して?」
「あ、はい。ありがとうございます…………ぷにぷにしてますね」
そんな考えが顔に出ていたのか、ミーシャさんがこちらを気にかけてシュガースライムを膝の上に乗せてきます。スラみぃと名付けられたその子は先ほどまでのしがみつきっぷりはどこへやら、大人しくミーシャさんの手から離れて私の腕の中に納まります。
確かにこうして見るとシュガースライムは可愛らしいかもしれません。プニプニとした弾力のある胴体はほんのり冷たく、抱きしめれば火照った体を冷ましてくれて気持ちが良いです。
都市部ではジェリースライム種が時たま愛玩魔物として飼われているという話を聞いたことがありますが、この抱き心地を知ればそれも納得と言うものです。が、欲目を出したのはこちらとは言え、ここまで消耗することになった原因もこの子にあると思うとなんだか腹立たしいものがあります。この子が妙な事さえしなければあんな危険な橋を渡るハメにならずに済んだというのに……!
「ちょ、セレスちゃん抱きつき過ぎ! スラみぃ絞られてる!」
「はい? あ、す、すみません!」
言われてスラみぃちゃんを潰してしまう寸前だったことに気付き、慌てて手を離します。
無意識に苛立ちが腕に伝わっていたのか、スラみぃちゃんを抱く腕は軽いベアハッグのように強く締め上げられていたのです。もっと力を入れて潰してしまっていたら、先ほど潜り抜けた死線がものの見事に骨折り損になってしまうところでした。
「ベタベタしちゃいましたね。あ、でも本当に甘い……」
抱きしめた際に染み出て手に付いたシュガースライムの体液を舐めてみれば、話に違わず甘みを感じます。それは今までに口にしたどんな果実よりも濃厚な甘みで、舌が蕩けてしまいそうな感覚すら覚えます。
これは、高値が付くのも納得です。売ることに若干後ろ髪を引かれる気分になり、気付けば夢中になって手に付いた体液を舐めていました。元はと言えば貧相な村の娘でしたのでこういった贅沢品とは縁遠く、村に行商人が来ても物欲しげに眺めるだけだった甘味は憧れですらあったのです。
そんな貧乏性も手伝ってか、最後の方は舌を出して舐めるというよりも、手に舌を絡めてしゃぶりついていると言った方が正しいような状態でした。啜るような音を立ててしまうこともあって少々はしたない姿だったかもしれませんでしたが、ミーシャさんはそれに不快さを表すでもなく恍惚とした表情を浮かべ、ついでに何故か手で鼻を抑えています。
「よくやった……よくやったよスラみぃ……! これぞ君に求めていた光景だぁ……!」
はて、何があったのでしょう? 今、目で見て楽しいものはそう無いと思うのですが……そういえばミーシャさんはシュガースライムを飼おうとしていたのでしたっけ。もしかすると、私が手を舐めるのに夢中になっている間に、何かスラみぃちゃんがミーシャさんの琴線に触れる行動をしたのかもしれませんね。
――そういえば、そろそろスラみぃちゃん(シュガースライム)についての話をしておかないといけません。ほぼ間違いなく、私とミーシャさんでこの子に対する認識が異なっています。
ミーシャさんがスラみぃちゃんを猫可愛がりしている現状すごく言い出しにくいのですが、少なくとも私の認識ではその子は売り物なのです。一匹50万クロムの超高級スウィーツなのです。
この子を冒険者ギルドの買取カウンターに突き出すだけで一人頭25万クロム。これは平均的なFランク冒険者の月収のほぼ倍額で、普段の収入も合わせれば駆け出し冒険者の大半が直面するという、装備の買い替えやマジックポーションなどの消耗品を買い揃える際に起こる金銭問題を乗り越えるには十分な金額です。
逆に言えば、このお金が無いとその苦境を乗り越えられる保証が無いのです。主に先ほどの戦闘でフォレストボアの鱗に弾かれて穂先の欠けてしまった槍の買い替えあるいは修理という、目前に差し迫った問題が。
しかしさて、ミーシャさんにどう切り出したものでしょう? ミーシャさんの中ではもう既に飼うことは決定事項のようで、何やら芸を仕込もうとしているのかスラみぃちゃんの目の前でクロモリ草を振り回し、待てだお手だと唸っています。
これで「そのシュガースライムは飼えません」などと言おうものなら色々と気まずい空気になること必至です。しかもその理由がわりかし自分本位なものなので、言う方も気が重いです。
……いえ、言いにくかろうがここで告げなければ余計にぎくしゃくとするでしょう。もう手遅れかもしれませんが、情が移る前にケリを付けておけばミーシャさんの傷も浅いはずです。
「あの、ミーシャさん。凄く言いにくいんですが……」
「なぁに? スラみぃもう一回抱きたいの?」
「いえその……その子、私は売るつもりで捕まえようとしていたんですけれど……」
「…………………………………………えっ」
そう告げた瞬間ミーシャさんは硬直し、言っていることが理解できないというように首を傾げます。私も立場が違えば似たような反応を返していたかもしれません。
そんなミーシャさんにシュガースライムの市場価格とその理由を告げ、諦めてもらうよう説得するのは非常に骨な作業でした。私の懸念通り完全に情が移ってしまっていたらしく、私がスラみぃちゃんを売ると言ってからは涙目になってスラみぃちゃんを抱きしめ、どんなに言っても手放そうとしません。
「やだぁ……やだやだやだぁ! スラみぃは私が飼うの! 魔導士がどこからともなく召喚する触手枠にするの!」
「そんなこと言っても、シュガースライムを飼うのはすごく危険なんです。所かまわず味覚と嗅覚のある魔物をおびき寄せますし、街中で見られたら強盗に狙われたりもするんですよ?」
「最強だからどうにでもなるもん!」
「確かにミーシャさんは強いですけれど、生き物を飼うのに強さは関係ないです。……ほら、今だって抱き潰しちゃいそうじゃないですか!」
「こ、これはたまたま! たまたまだから!」
気の立った猫が毛を逆立てるような必死さでミーシャさんは反対の意を示します。私が何を言ってもミーシャさんは首を縦に振ることはなく、どうしたものかと思った矢先に天啓の如く妙案が浮かびました。
そうだ、エミルさんに投げよう。
エミルさんは常々余計な危険を寄せ付けないよう、資金に余裕を持って行動しなさいと口が酸っぱくなるほど言っている人です。その弁論は有無を言わさぬ威圧感と誰が聞いても納得する道理に沿っているが故に誰も反論することができず、過去にただ一人、ただ一度だけ論破することのできたクリックズさんはランヴィルドの冒険者ギルドにおける英雄的存在と化しています。
たったこれだけでクリックズさんにはランヴィルドの中でのみ通じる【受付越しの勇者】という二つ名が付いてしまっている辺り、どれだけの激闘が繰り広げられたのか推して知るべきでしょう。そんな【受付越しの魔王様】ことエミルさんであれば、ミーシャさんもスラみぃちゃんを引き渡してくれるかもしれません。
ミーシャさんも多少駄々をこねるかも知れませんが、魔王の前では些細な抵抗に過ぎないでしょう。嫌われ役の押し付けになってしまうかもしれませんが、もとよりそのつもりで受付嬢をやっていると本人が言っていたので、そこは利用させてもらいましょう。「利用できるものは全て利用しなさい」と言ったのもエミルさんですしね。
となれば話は一度ここで打ち切って、早くランヴィルドの街に帰りましょう。日はまだ高いですが、だからと言ってシュガースライムと言う天然の獣寄せを抱えたままもう一度クロモリ草を探しに森の中に入る気にもなれません。
なのでスラみぃちゃんの処遇は一度保留にして、ミーシャさんと共に野営地を後にします。ミーシャさんはその間スラみぃちゃんを手放そうとはしませんでしたが、今度は潰してしまいそうになるほど強く抱きしめるようなことはありませんでした。
「……ねぇねぇスラみぃ。触手もあるんだし、こう、媚薬みたいなのを出してセレスちゃんを篭絡できたりしない? ……できないんだ。そっか……」
え? 会話してる?
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「何を戯けたことを言っているんですか貴女は。悪いことは言いませんから、早くそのシュガースライムは隣の買取カウンターか、商人ギルド主催のオークションに持って行きなさい」
「なんでさ! こんなに可愛いのに!」
ランヴィルドの冒険者ギルドに辿り着き、セレスちゃんを背得するようエミルさんに頼み込むと、即座にこんな無慈悲な言葉が帰ってきた。
隣を見ればセレスちゃんもうんうんと頷いていて、私は今になってセレスちゃんにハメられたのだと気付いた。
セレスちゃんは腰を据えて話をするために街まで戻ったのではなく、こうしてエミルさんという強力な味方を得るために街まで戻ってきたのだ。キャンプ地であれば一対一で拮抗していたのが、ここでは二対一。数的有利を取られた私は先ほどよりもなお厳しい状況に立たされる事となったのだ。
「エミルさんもセレスちゃんと同じような事を言って私のスラみぃを売り飛ばそうとする……酷いよ!」
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そもそもそのシュガースライムはミーシャさんとセレスさんの二人で捕獲したものですから、別に貴女だけのものと言う訳でもなく、あなたたち二人のパーティー内で所有権を共有しているんですよ?」
「私たち二人の……。セレスちゃんは本当にこれで良いの……? スラみぃは私たち二人で抱き上げた、言わば私たちの娘なんだよ? 愛娘を売り飛ばすなんて、セレスちゃんはそんなこと言わないよね……?」
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「余計な危険? 何それ?」
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「そうだよね。こんなこと考えられるのエミルさんくらい性根が捻じ曲がった鬼女でも……なきゃ…………ひぅ」
「……誰が、性根の捻じ曲がった行き遅れの鬼女ですって? ええ?」
猛烈な威圧感に口が回らなくなり、恐怖を感じる歩行に視線を向ければ、そこには冒険者ギルド受付嬢の制服に身を包んだ修羅がそこに居た。
「……帝都の冒険者ギルドに居た頃は、当然のようにそんなことをする輩ばかり受け持っていたんですよ。ええ本当、ランヴィルドの冒険者の方々は良い人ばかりで助かっています」
「と、都会やべー」
「都会って、怖いんですね……
しかし怒気を放つまでが一瞬なら、それを包み隠すまでも一瞬だった。誤魔化すようにコホンと咳払いしたエミルさんはそのまま、張り付いたような笑顔で言葉を続ける。
無かったことにする気だ。多分その直前の言葉も含めて。だがそれを止められるだけの勇気は私には無く、止める理由もまた特に無い。
「……話を戻しましょう。もしミーシャさんがそのシュガースライムの所有権を得るというのであれば、少なくともあまり数の取れていない薬草の報酬をセレスさんが総取りして、足りない分は借金と言う形でミーシャさんが負担するのが道理でしょう。
そうなった場合、今回の依頼においてミーシャさんには現金の収入が無く、それどころか収支はマイナスになりますね? ここで一つ聞きたいのですが、昨日の時点で既に一文無しだったミーシャさんは、今後何を口にして、何で雨風を遮るつもりなのですか?」
「え? あ~、う~ん……そうだ、セレスちゃんテント貸してくれる?」
「あ、はい。どうぞ」
「街中で野営するなんていう傍迷惑極まりない行為は止めなさい! セレスさんも背負い袋からテントを取り出そうとしない!
……ともかく、文無しで住所不定の冒険者なんて浮浪者と大差ありません。せっかくシュガースライムなんていう幸運に出くわしたのですから、さっさと現金を懐に入れて生活を安定させることを考えなさい!」
そういってエミルさんは机を叩いて締めくくった。何があっても、スラみぃを飼うことを許してはくれないみたいだ。セレスちゃんも怯えてはいるが、その瞳は賛成であることを言外に告げている。
そして私も、これ以上強く反論する言葉が思いつかなかった。確かに昨日今日ときちんとした場所で寝なかったせいで首が少し痛いし、髪からも艶が少し失われている。ここ数日の生活水準が低いことは、私だって理解はしていたのだ。
「ともかく、このシュガースライムはこちらで買い取ります。相場より高めに買い取って貰えるよう口添えはしておきますから、査定が終わるまでそこで待っていてください」
「ぅぁ……ぅぇえ……」
私の腕の中からスラみぃを取り上げるエミルさんの手を、私は払うことができなかった。諦めてしまったのだ。この二人を納得させることは、私には不可能なのだと。
「うぇぇぇぇえええええええん! やだやだやだぁ! スラみぃ食べちゃやだぁああ!」
でも諦めかけている理性と感情は別物だ。子供のように喚き散らし、セレスちゃんに縋るように泣きつき、エミルさんを親の仇のように涙目で睨みつける。
思いつく限りの罵倒を、思考も定まらない内から口に出していく。涙声で、声が枯れるまでひたすら喚き続けた。
「やだよぅ……スラみぃ死んじゃ嫌ぁ……」
「ミーシャさん……その、落ち着いて、深呼吸してください。ね?」
崩れ落ちそうになる身体をセレスちゃんに抱きかかえられたその姿は、超究極最強魔導士にあるまじきものだったと思う。だがこの姿に何か感じ入るものでもあったのか、梃子でも動かなかったエミルさんが初めて怯むそぶりを見せ、叫び疲れて言葉も出さずに睨み続けていると観念したように深く溜息を一つ吐いた。
「………全く推奨できない案ですが、一応折衷案のようなものはあるのです。このシュガースライムを殺さずに、雀の涙程度ですが報酬を得ることのできる案が」
渋々、と言った風にエミルさんがそう口にする。泣き疲れた私はその言葉のほとんどを理解できなかったが、代わりにセレスちゃんが息を飲んだ気がした。
「このシュガースライムを核の周囲ごと加食部分から切り離して、加食部分だけを売却するという案です。
核があれば次第に体は修復しますが、修復された部分は食用に適さず、また核も新たに修復された部分と強く結びついて取れないため二度と売り物になりません。切り離した加食部分も痛むのが非常に早いことから、買取価格は半額以下になります。しかしここにクロモリ草の分の収益を足して、シュガースライムの半額相当の金額をセレスさんの取り分として確保すれば、1万クロムにも満たない額ではありますがミーシャさんにも現金が支払われることになります。
ですがこれでは一週間程度しかもたないので、犯した危険の割に合っているとは――」
「と、とりあえずそれでお願いします! ミーシャさんはしばらく私が面倒見ますから!」
「まあ、それなら私も強く否定することはありませんが……良いんですか? 人一人養うということは、冒険者みたいな不安定な職業には結構な負担になりますよ? それも含めてお勧めしませんが」
「頑張るから大丈夫です! それに別に苦でもなんでもありませんよ。ミーシャさんと一緒に居ると、私も楽しいですから」
「………セレスさんって、意外と男前なこと言うのね」
頭は働かなくて、何か難しいことを言っていることしか分からなかったけれども、なんだか場の空気が柔らかくなったことだけはなんとなく理解できた。
今ならもしかするとスラみぃを返してもらえるかもしれない。そう思ってエミルさんにお願いをしてみる。
「ねぇお願い……スラみぃ返してよぉ……」
「あー、とりえずその、切り取るのは明日にして、今は一度スラみぃちゃんをミーシャさんに返してあげて欲しいです。そうすれば多分、落ち着くと思うので……」
「セレスさん、たった一日で保護者が板に付き過ぎじゃないの? まあそういうことなら、このシュガースライムは返しますが……」
そう言って、エミルさんは受付のカウンターに縋りつく私の目の前にスラみぃを置く。え? 本当に返してくれるの?
「ほぇ……? スラみぃ、返してくれるの……?」
「はい。もうスラみぃちゃんを手放さなくても良くなりました。ちゃんとお世話するんですよ?」
そこまで聞いて、ふと瞼が重くなる。泣き疲れていたのと、スラみぃが手元に戻ってきて気が抜けたのが合わさって眠気が押し寄せてきたのかもしれない。そうしたうとうととした感覚に浸ったまま、目の前のスラみぃを抱え込む。もうこれで、きっと大丈夫。
「ほら、もう宿に行きますよ。スラみぃちゃんが大好きだからって、抱きしめ過ぎて潰さないようにしてくださいね?」
「大丈夫だよ……だって私、最強だもん……」
その言葉を最後に、私の意識は心地良い揺れと共に闇の中へと沈んでいった。
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