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5.妹編
4.酒が舌を滑らせることを知るなら
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「……つか……れた……もう何もする気がおきねー……」
数日にわたって続く筋肉杯の予選。まだ終わりには程遠い、むしろこれからだという初日の終わり。
精も魂も尽き果てて、闘技場に併設された酒場で机に突っ伏す。突っ伏しながら、浴びるように酒を飲む。
明日も明後日も同じことが続くのだから、今は休み、眠り、体力の回復に努めるべきだと理性は言っている。最低限、消化に良くて勢のつくようなものを口にした後は、何もせずベッドに潜り込むのが最善であることは承知の上だ。
しかし初日からだろうが夜には飲まなきゃやってられない。変態であれば肉体が疲れるだけで済むのだろうが、常人であれば心までもが燃え尽きるほど疲れてしまう。
「……ミスティ、元気そうだったな……無理して引き取りに行く必要も、なさそうだ……」
かなり教育に悪い――否、悪い教育を受けさせられる環境ではあるが、それでもミスティは十分幸せそうだった。それこそ、アタシが拾った頃よりも、ずっと幸せそうに。
大切な存在だからと言って、手元に置いておくことが必ずしも最良ではないということは、言葉の上では理解していた。けれどもその様を実際に見せつけられてしまうと、ひどく心を抉られてしまう。
お前にそんな資格は無い。そう言われているみたいだ。気持ちはずっと、沈んだまま。
「……マスター、酒……」
「あいよ」
そんな気持ちを酒で誤魔化そうと、安酒を水のように注文しては喉に流し込む。
アタシと手酒にやたらと強いわけでもなし、当然のように酔い潰れる。頭は重く、瞼を開けているのも面倒臭い。
けれど、これでいい。酒精に身を任せ、感情の乱れ切った脳髄をまっさらに漂白するのが目的なのだから。
いっそ明日、二日酔いで潰れてしまっても良いさえ思っている。もちろん、それを口にすれば怒られてしまうだろうが。
「んだよティエラよー、珍しく飲んでんじゃねーか。酔っ払いは面倒臭いとか言ってたくせによー」
「実際面倒臭いんだよ酒くせーぞコルネリオ。てめーだって外面崩れるのが嫌で、深酒はしないんじゃなかったのかよ」
「――お前がそれを言うか。あの俺の姿を見た、お前が」
「……飲んで忘れろ。アタシも飲んで忘れるから」
そうして酔い潰れようとするアタシに変に間延びした声をかけてきたのは、コルネリオだった。
拳闘士にしては珍しく理性的な優男であることを売りにしているコルネリオ。そんな男ですらが八つ当たりのように酒をかっくらい、普段の面倒見の良さが見る影もないほどの、面倒臭い酔っ払いと化している。
普段なら酒臭いと一蹴するところだが、コルネリオがこうも荒れている原因は、アタシを休憩させるために審判役を交代した直後から筋肉杯変態四天王と呼ばれる、想像を絶するような変態が連続でやってきたからと聞いている。
この変態だらけのアレンテッツェにおいて、その中でも変態四天王とまで呼ばれる変人たち――想像するだけで正気が削がれるような、悪夢じみた連中がこぞってコルネリオを襲いにかかったというのだから、その心労は推して知るべしだろう。
実際、予選が終わる頃のコルネリオはとんでもないことになっていた。
まず前提として、普段のコルネリオは無骨な革鎧に無骨な大剣を纏った、飾りっ気のない剣士だ。
顔とサービスの良さから何かと黄色い声が上がることの多いコルネリオだが、実のところそれだけで人気を得ているというわけではない。若々しさと歴戦を思わせるその堂々とした立ち振る舞い、そして苦労人っぽいくたびれた感じを並び立てる、そのギャップこそが人気の秘訣とされている。
コルネリオが苦労人っぽいということ以外、正直よくわからない話ではある。だがどうにせよ、コルネリオは奇をてらった格好で名を売るような真似はしない、硬派な拳闘士と言えるだろう。
――そんな奴がいつの間にかレース仕立ての膝上ミニスカフリフリドレスにお召替えをしていて、白粉で顔を真っ白にされ、手足には肉球のついたグローブにブーツ。どういう原理か背中からは徳の高そうな光の輪が浮かんでいて、オマケに全身を粘液まみれにされていれば、アタシとて目を疑いたくはなる。
前衛芸術の作者が何人も集い、芸術の方向性を考えずに全員の希望を無理矢理一つのキャンパスに押し込んだらこうなりました、と言われれば納得したかもしれない。そんな奇怪極まる姿のまま、着替えすら許されず予選参加者との戦いを強制され、予選初日終了の合図を聞いた時、立ちながらにして涙を零していたあの姿は――正直に言って、同情しか浮かんでこなかった。そして同時に、筋肉杯の闇の深さを知り戦慄した。
さらに言えばコルネリオがアタシに休憩の指示を出していなかったのなら――アタシがその狂気的な姿になっていておかしくは無かった。というより、実際そうなっていたのだろう。
そして今の精神状態で、アタシがそれに耐えることができたとは到底思えない。それゆえどれだけ面倒であろうとも、アタシの代わりに犠牲となったコルネリオを労ってやる義理が発生してしまっているのだ。
「とは言ったところで、飲んだところで忘れきることができるか微妙なところだ……」
「だろうな。傍から見ただけのアタシですら、あの姿は脳裏に焼き付いて離れない……愚痴吐いてどうにかなるなら、いくらでも聞き流してやるが」
「多分永遠に愚痴が終わらないし、言うたびに気持ちが落ち込んでいくこと請け合いだ。そんなんするくらいなら、もっと別の……そうだな。ここはひとつ身の上話ってのはどうだ? 俺もお前も、拳闘士以外の相手の姿ってのを知らねーだろ」
そんな中でコルネリオが提案したものは、意外というべきか、普通に酒の席で話すような話題の提供だった。
ある意味では当たり障りのない、無難な話題。しかし何というか、この優男が、こんなタイミングで互いを知りたいだなんて言い出すと――
「……え、何? 口説いてんの? アタシとてめーでいくつ離れてると思ってんだよ気色悪いんだけど」
「きしょっ……?! お、おま、そういうんじゃなくてだな……!」
「いくらアタシが見目麗しく儚げな超絶美少女だっつってもさー、口説くんだったら歳の近い相手のほうが望みありだと思うぞ?」
「おまえ自意識過剰が過ぎるだろ。喧嘩売ってるなら買うぞ?」
「年齢差だけじゃなくて実力差までわからなくなったのか? ……コルネリオ、お前本当に酒に弱いんだな」
「人をそんな憐れむような眼で見てんじゃねーよ!」
きっと、コルネリオは本当に酒に弱いのだろう。いくらアタシが非の付け所の無い超絶美少女であろうと倍近くの年齢差は常識的に考えて許容範囲外だし、喧嘩を売るにしたってコルネリオ如きでは喧嘩の体をなさない弱い者いじめになってしまう。
そんなことも分からないくらい、今のコルネリオは酔っている。あるいはヤケになっているのだ。とはいえ理由が理由だし、労わってやらねばと背中をやさしく叩く。
「なんだかとんでもない誤解と同情をされているような気がしてならないが、身の上話ってのは拳闘士の鉄板の話題なんだぞ? 口説き文句にすらならない、酒の席の普通の話題だ」
「あ、そうなのか? 酒なんて拳闘士になるまで飲んだことなかったからな。知らなかったよ」
「それにしちゃ良い飲みっぷりだな……」
アタシの魔性の美が、ただでさえ残念なコルネリオを取り返しのつかない残念さにしてしまったのか、なんて一瞬不安に思ったがそうではないらしい。
「とにかく、拳闘士ってのはある意味冒険者以上に誰でもなれる。だからこそ身の上話はの幅は広く、重い過去から軽い過去、珍妙な過去までより取り見取りだ。
そんな中で、大成した拳闘士の過去っていうのは多くの人間が注目する。どんな境遇から成りあがったのか、それとも最初から強いやつが当然のように強者として君臨しているのか、そういう話が取りざたされることが多いんだ。だから、そこら辺のインタビューの練習も兼ねて、拳闘士は酒の席で身の上話をすることが多いんだ」
「ほえー……その練習を今しろってか?」
「そーゆーこった。実際に俺の身の上話だって、そう珍しい話でもないのに本になって、それなりに売れてる。一冊2500クロム、闘技場直営店限定サイン入り本で3800クロムだ」
しかも結構、ためになりそうな話だった。
ちょっとでもお金が欲しくてたまらない現状、こういった金になりそうな話はちゃんと拾っていくべきだと理性は言っている。しかもコルネリオの口調から察するに、結構な収入源になっているっぽい。
これはなるべくなら真似したい。そして一戦いくらのファイトマネーをチマチマ貯金する生活から脱出したい。
――とはいえ、だ。
「拳闘士になる前とか言われてもなー……正直、アタシの話は聞いてて気持ちいいもんじゃねーと思うぞ? 酒の席で話したところで、たぶん白ける」
「暗い話だってそれなりに話題にゃなるから安心しろって! 何より俺が気になってしょうがない!」
「気になるって……そりゃまたどうして」
「そりゃあお前、俺だって拳闘士に憧れている一人の男なんだぜ? 今一番波に乗ってる拳闘士のことを知らずしてどうするんだって話だよ」
「ほんと酔うと面倒臭いなお前……だからあんま飲まないのか」
そう、私の昔話なんて大して面白いものじゃない。
たかが14年生きた程度の小娘の人生に深みなんてないし、深掘りされても答えられることなんて多くない。
ただひたすらに胸糞悪い話ばかりが積み重なる、聞いてて不快になるばかりの話だ。
けれども残念男ことコルネリオはすでに聞きの姿勢に入っていて、今更語れる過去なんてありません、なんていえなさそうな状況だ。ひどく、困る。
「あー……一応聞くけどお前、「守人村」って聞いてピンとくる? あたしの故郷、ランタ村がそう呼ばれてたんだけれども」
念のための確認として放ったアタシのその発言に、酒に飲まれてゆらゆらしているコルネリオがコテンと首をかしげる。
辺りで聞き耳を立てていた連中を見渡しても、似たような反応ばかりだ。一般的な知識ではないし、この反応も当然だろう。
……ただ一人、たしか元軍人だというおっちゃんだけが目を丸くして、あからさまに挙動不審となっているのは、あえて追求するべきことではないだろう。
確かに軍人なら「守人村」がどういった場所なのか知っているはずだ。あるいは直接目にしたことがあってもおかしくはない。
「なんだそりゃ。何かを守っていたのか?」
「なら良かったんだけどな。生憎、守るものなんてどこにもありはしなかったよ」
そうして私が口を開くたび、おっちゃんは顔を青白くさせていき、込み上げるものを抑え込むかのようにえずいている。これはトラウマ抉っちゃった系の反応だ。
実際問題、一般的な良識を持つ人間であれば「守人村」の話はそれなりにキツイ話になる。実体験としてその全容を知っているのならば、なおさら気分を悪くするだろう。
けれどもたちの悪い酔っ払いと化したコルネリオは顔色をどんどん悪くさせているおっちゃんに気付きもせず、酒が入った赤ら顔を近づけながらピーチクパーチクオシエテオシエテと続きを急かす。
そんな問答がしばらく続き、気付けばどうあってもアタシが話を続けなければならない雰囲気が食堂内には出来上がってしまっていた。そしてそれをおっちゃんも察したのか、いつのまにやら身を隠すように食堂を去っている。
拳闘士には珍しく筋肉以外の話ができる人の良いおっちゃんだったので、あまり気分を害するようなことは言いたくなかったのだが……後で謝りに向かっても傷口を抉るだけだろうし、ここはあえて無視するべきだろう。最初から最後まであのおっちゃんには気付かなかった。そういうことにしておこう。
「……じゃあまずは大前提、村の成り立ちから説明するか。学会から爪弾きにされる程度のキワモノ歴史学者、ヴァン・べルックムーンの娘が教える、たいそう真面目な歴史の授業だ」
「よっ、大先生!」
「おう黙って聞けや筋肉幼稚園のコルネリオ先生よぉ。アタシはお前の先生仲間じゃねーんだよ」
話の着地点を察したら部屋に帰っていいぞと、やんわり予防線を張りながら蘊蓄をたれるような軽い口調で話し始める。
実のところ、こんな軽い調子で話すような話題でもないし、歴史学者の娘と言ってもちゃんとした勉強をしたわけじゃあない。
ただ親から自らの立場を理解させるための教育として、どうしてこんなことになっているのか、どうすればこの環境から抜け出せるのか、それに関わる知識を叩き込まれたというだけの話だ。それでも学があるかのように振舞ってしまうのは、私にも酒が入っているからだろうか。
「あー、そうだな……まず前提としてこの国は、ハルフェラル帝国はほんの少し前まで戦争でしか経済を回せない侵略国家だった。宣戦布告のたびにそれっぽい大義を掲げてはいるけれども、結局はカネとメシを奪い取りに出向いているだけ。そこのところはぶっちゃけ理解できてるか?」
「あー……そりゃあ、な。俺も他国からの移民だからわかるが、この国の土地、人が住める場所じゃねえよ」
率直に言って、ハルフェラル帝国の気候と立地は人が住むに値しない最底辺のものだ。
骨まで凍る吹雪の冬が過ぎたと思えば、ふた月と立たないうちに湖の干上がる夏が来る。台風は年に30回は通過すると言われているし、水害はさらにその倍は起こると言われている。
寒暖差、乾湿差、その他諸々含めた環境変化の激しすぎるこの地に適する作物など碌なものが無く、必然的に狩猟によって得た魔物の肉が主食となるが、その魔物からしたって食うものが人間くらいしかいないから生存競争の激しさは他国と比較して想像を絶するものがある。
ゆえにこの国では常に食糧が不足しがちであり、魔物の脅威から人を守る存在でありながら食料生産者にもなる強者こそが礼賛される文化が育ち――その上で石炭のような燃料と金属資源だけはわんさか掘れるとなれば、生き残るためにやることは一つ。
故にハルフェラル帝国の歴史は、武器と戦争の歴史と言い換えるべき血なまぐさいもの。それを野蛮だと他国に避難されることも多いらしいが、じゃあ逆に戦争以外に何をすれば生き延びられるんだよって主張すれば、どこからも反論が出てこない程度の立地なのだから仕方ない。
今でこそ軍事産業から発展した諸々の実用製品や、もともと発展していた金属加工技術を売りにした技術輸出国としての運営が基盤に乗りつつあり、金に任せて他国から食料を買い集めることで安定した生活ができるようになったらしいが、それは本当に最近になってからの話。それまではずっと、強くなければ生きる権利すら持てない国だったのだ。
「おい、ティエラのくせに何急に頭良さそうなこと言ってるんだー。わけわかんねーぞー」
「黙れアホネリオ。アタシは生きるのがヘタクソなだけで学が無いわけじゃねーんだよ」
本当は帝国の歴史の中でも基本的なところしかわからないけれども、それをわざわざ言うことはない。
どういうわけかアタシが馬鹿っぽいと思われてるらしいこの風潮をどうにかして払拭するいい機会だし、そもそも基本的なことさえ分かっていれば話は理解できる。
酒が入って、自分を大きく見せようと思っているだけだと言われたら否定のしようもないが。まぁ別に誰が悲しむわけでもないと話を続ける。
「まぁそんなあるごとに戦争吹っ掛ける国だから、戦争奴隷や捕虜、滅ぼした国の難民とかがそこら中にいるわけだ。ぶっちゃけ、ここにいる何人かもそうだろ?」
「あー……そーいや俺も元は戦争奴隷だったなー……」
「あー、コルネリオもそうなのか。ご愁傷様?」
「別にー……俺は成り行きで奴隷落ちしちまっただけだからなー……身内が殺されたわけでもなし、今ではそれなりに良い暮らしもできてるし」
「そっか、まぁ所詮コルネリオだしどうでもいいか」
「おいーなんだよその扱い」
奴隷になるような成り行きというのも気になるところだが、それこそいずれ聞けばいい話。どうにせよ、今この国はしばしの平穏とそれなりの余裕をもった暮らしをできている。
とはいえ今この国が平和なのはついこの間お隣さんとの戦争に勝利したから。まだハルフェラル帝国との戦争が続いていた数年前であれば、予備兵役でもある拳闘士や冒険者は根こそぎ最前線へと連れていかれていたことだろう。
そうなればコルネリオとて今みたいにのんびり酒を飲んで間延びした声を出すなんて真似はできず、私だって姉さんを探すなんて目標を立てることすらできなかったはずだ。
――もっとも、そういう時期になるまで村での生活を耐え忍ぶことを選んだのだから、狙い通りではあるのだが。
「んで、いざ戦争になって兵力を外に向けるとなると、今度は国内にいる帝国に対して恨みを持った戦争奴隷を押さえ付けるための力が弱くなっていく。となれば当然、気になってくるのは奴隷の反乱だ」
「あー、歴史の話になるとよくあるやつか」
「そう、歴史の話になるとよくあるそれ。それにさっきも言ったとおり、この国が戦争を吹っ掛けるのは食糧不足が原因。だから飯を食う奴隷は存在しているだけで帝国人が生きる邪魔になるし、さっきも言ったように反乱する恐れもある。とにかく、どうにかしなくちゃいけない存在だった」
それでまぁ、村からの脱出を狙っていない時期はどんなものだったのかというと、そりゃあもう蛮族の国と呼ばれるにふさわしい酷いありさまだ。
奪われた方が悪い、殺された方が悪い、弱い方が悪い。そんな非文化的な理論が平然とまかり通る、倫理感というものが欠如した国家。
それがハルフェラル帝国という、大陸でもっとも嫌われている国の文化だったのだ。
「だから今みたいに国が安定する以前、戦争し続けなければ国民全員飢えて死ぬっていう時代には、奴隷はなるべく使い潰していくことが推奨されていたわけだ。戦場での肉盾とか、新薬の人体実験とか、金持ち相手の解体ショーとか、そういった感じに」
「……これってアレか、帝国がとにかく野蛮だって言われてた時代の話か。なんでも当時は、殺した奴隷を干し肉にして他の奴隷の食料にしてたなんて噂が流れてたらしいが……」
「それ記録もちゃんと残ってる実話だぞ? 飢饉が起きた領の帳簿で、行軍用の食料として計上されていた品目の中に「肉奴隷」の文字があったらしい。ここでいう「肉」の意味は……まぁ、そういうことだ」
「うげ……マジか、良い時代に奴隷になったもんだわ、俺」
とはいえ、そんな野蛮さも今は昔。アレンテッツェから少し離れた場所に悪徳の街と呼ばれる場所があるそうだが、今となってはそこに名残が残っているくらいだろうか。
戦勝を続けて経済的に余裕が出てきたころになるとそういった文化も廃れてきて、その反動みたいに文化的な成長を求める人間が増え、そのまま穏健派と呼ばれる一派が力を増してきたのだ。
「ただまぁ、そういうのって極限状況だからこそ許されるような真似なわけで、ある時その中でも特に非人道的な事例のいくつかが明るみに出ると、国内の穏健派から反感の声が出た。戦勝続きで少しだけど余裕のあった当時は穏健派の発言力が強くて、結果としてそういった人体実験やら何やらが中止になったんだ」
「いや、うん。なんというか、当然の結末だな」
「ああ、当然の結末だ。当然の結末なんだが――これによって、使い潰しきれなかった奴隷が発生したんだ。
そして国はこの、使い潰せなかった奴隷の処理にとことん頭を悩ませた。なにせそいつらは親兄弟に友人や恋人、そういった大切な人たちを惨たらしく殺されて、それでなお生き残ってしまった恨み骨髄の危険分子。何も考えず放り出せば反乱軍を組織してもおかしくないし、捨て身で貴族や軍高官を暗殺しにきてもおかしくない。だというのに、普通に処刑しようとすれば穏健派や世論が邪魔してくる。ついでに奴隷保護法も議会を通っちゃった後だから、雑に弾圧して動きを抑えるのも難しい」
軍や政治というものは一度たりとも失敗できないがゆえに、それがどんなに悪しき風習でも「今のところ失敗していない」のであれば過去のやり方を変えることができないのが世の常。
民間では奴隷虐めなんて古いしナンセンスだなんて言われても、それより上の頭の固いお偉いさんにとって、奴隷の扱いを変えることには抵抗があったらしい。実際、自由を手に入れた奴隷に殺される筆頭ともいえる連中だったから、それはもう必死の抵抗があったようだ。
しかしそれでも変わることを義務付けられた手前、何かしらの行動はしなくてはならない。
新しく奴隷になる者の扱いを良くするだけならば、遺恨は残らないから問題は無い。問題は既に奴隷であり、これまで苦しい思いをし続けてきた者たち。
恨まれる心当たりも山のようにあったのだろう、彼らは今いる奴隷に自由を与えれば、そのまま寝首を掻かれるであろうと考えたのだ。それが個人的な復讐で済めばまだいい話で、事によっては反乱軍が国内に生まれてしまう。
――であるならば、古い奴隷は秘密裏に一掃してしまおう。そう考えた者たちがいた。
「そうして生まれてしまった遺恨の塊である彼らを穏健派に邪魔されることなく処分したい意思と、ちょうどその時期に予算が削減されて低予算で国境付近の監視網を維持したいという国境警備隊の要求。それらを両立するために考案されたのが――そう、さっきも言った「守人村」ってやつだ」
「――もう誕生の経緯からして嫌な予感しかしないんだが?」
「おう、まったくもってその予感の通りだから安心しろ」
「守人村」の作り方は簡だ。まずはさっきから例に挙げているような恨み骨髄の奴隷を筆頭に、重犯罪者や敗戦国の難民、政争の敗北者に余計なことまで知ってしまった学者といった、誰にも知られず言い訳のしやすい形で死んでほしい不穏分子を集める。
不穏分子を土地に縛り付ける手段は色々とあり、たいていは武力を背景にしたものだ――父さんのように下っ端の軍人にすら知られたくない情報を手に入れてしまった学者は、契約魔法で問題の情報を口に出せないようにしたうえで、逃げ出せないよう家族を巻き込むのだとか。
――要するに、アタシや姉さん、母さんの事なのだが。
そんな人間をある程度集めたら、他国からの侵攻があった際の奇襲に使われそうな、それでいて自国民の目には止まらない、ちょうどいい僻地を見繕う。
言葉だけ聞けば厳しい条件にも思えるが、これを「わざわざ巡回警備するとなると面倒な、しかし何かしらの保険をかけておかなければならない場所」と言い換えれば、そういった土地は帝国内には数多く存在する。
その筆頭と言えるのがグリマルス山脈周辺、青の森の里と呼ばれるエルフの勢力が支配する森林地帯。侵略の意思を見せていないことから戦力配備の優先度は低く、軍事拠点を作ろうにも立地が悪く、かといって完全に無視することはできない相手がいる地域。こういった場所から特に見張る価値のある場所をいくつか見つけておき、そこにかき集めた人間を着の身のままで放り投げる。
「最後に村の警備を名乗る軍人が共が、集めた人間を掘っ立て小屋に追い立てて「今日からここがお前らの住処だ」と命令する。食糧庫にカビたパンを投げ入れておいてこれが備蓄だなんて言い張ればなお良い。名目は「国家による開拓村の支援」だ。万が一存在がバレたとしても、生活を支援してやってるんだから迫害じゃないぞって言い張るわけだな」
「……いや、あの、闇深くね?」
「だから聞いてて気持ちいいもんじゃないって言ったろ」
これで処刑台と防衛拠点を足して半分にしたような、ちょっとだけ防衛に役に立つ人捨て場こと「守人村」の完成だ。
そうやってできた村々のうちの一つに、ランタ村と名付けられた村があった。これは、そういう話。
「んで、こういった村は脱走したら見張りの軍人に殺されるのがお決まりなんだが――何事にも例外ってもんはあって、運のいいことにアタシと姉さんはその例外だったんだ」
「随分と血の気の多いお決まりだなオイ……で、何が例外だったんだ?」
「両親が生粋のハルフェラル帝国人だったたこと。表向きは何の刑罰も受けていなかったこと。そして何より、アタシたちにハルフェラル帝国の国籍、戸籍があったこと。そういった理由が積み重なって、アタシらだけは、村から脱出した後に人間扱いされる目があったんだ。それで色々とやっかみを受けていたのは応えたけどな」
そこまで話し終えて、少し渇いてきた喉を湿らせるために、酒を煽る。
コルネリオは深く深く溜息を吐き、そして、絞り出すように一言。
「……あのさぁ、闇、深くねえか?」
「こんなの序の口だっつーの。ここから住民同士での食料の奪い合いとか、戸籍の有無での差別とか、軍人による住民の間引きとか、そういった話に続いていくわけなんだけど――これ、本にしたら売れるか?」
「いや、売れる売れない以前に……出版差し止めされるだろ、それ」
そんな「守人村」の概略を聞いたコルネリオは、やはりというべきか顔を顰めながら売れるわけがない、と当然のように言い放つ。
実際、アタシもそう思う。
政治的な云々をさておいたとしても、ランタ村での出来事は一般的に刺激が強すぎるだろう。それに大衆が求める「華やかな拳闘士の暗い過去」とは方向性がだいぶ違う。
口減らしと魔物狩りの罠を兼ねた生餌の話だとか、大量の雪のせいで軍人の巡回すらも無くなる冬に村を脱出しようとして春に凍死体として見つかった村人の話やらを、ペラペラ口に出すのが華やかな英雄と言えるだろうか、と言う話だ。
「というかお前、こんなところでそんなこと、口に出して良かったのか? 結構その、政治的にアレなこと言ってたような気がするんだが」
「んぁ? 問題ねーよ。いや、問題が無いわけじゃあないんだが、致命的じゃあない」
「どこがどう問題じゃないのか全く分からないんだが……酔いすぎて言っちゃいけないことまで口に出してないか?」
「さっきも言ったが、今はもう平和な時期だ。国境監視の目的が薄れた上に、処理しなきゃならない奴隷ももう少ない。である以上、少ないながらも予算を食う「守人村」の制度を維持する理由なんて特にない。
そんでもってコトが露見したのなら、白々しく「そんな事実は存在しません」なんて言うよりも「こんなことはもうしません、責任者には処罰を与えます」の方が、昔よりも今がより良くなっているっていうアピールに使える。それに戦争が終わって内部の成長に力を使いたいこの時期に、戦勝続きで調子に乗った軍の高官を消す大義名分を握っておくのは国家の中枢としても悪くないんだろ。だから、アタシの存在が口封じに消されることは無い……とのことだ」
両親が口酸っぱく、戦争が終わってしばらく経つまで村を出るなと厳命していた理由。それが、これだ。
何度も何度も口酸っぱく言い聞かされていたから、その辺りの理屈も今では理解できる。わざわざ口封じしなくても国に被害が出ない、放置しても問題ない、騒ぎになっても利用できる、そういう時期が来るまで村を出るのを保留していただけ。
酒のせいで口が軽くなっていたというのも間違いではないが、そうなっても問題ない時期を選んで村を出たというのも嘘ではないということだ。
「お、おぅ……なんというか、考えられてるな……」
「そうだぞ考えてるんだ。これがお前が心の底では馬鹿っぽいと思っていたアタシの真の実力だ」
「実は結構馬鹿にしてたの、気付いてたのか……」
「よし、言質もとれたしぶっ飛ばすか。歯ぁ食いしばれ」
実は村からの脱出計画は、父さんが生きている頃に考えられたもので、実は私は一切関与していないのだがそれはさておき。
とりあえずコルネリオを殴ってから、酒をもう一口。そろそろ潰れそうな勢いで酒を飲んでいて、頭も回らなくなってきたが、今はそれでも酒をやめる気にはなれない。
「いっつつ……それで、そんな村が嫌になって出たっつーのは分かるんだが、何かきっかけとかはあったのか? 時期を見計らったっていうのは分かるが、それでも成人前に飛び出すならもうあと一押し、何かがあっただろ」
「んぁ? なんてことないよ。時期的にそろそろ大丈夫かもしれないっていう予想と、不作で年を越せなさそうっていう条件が被ったくらいか?」
「いや、それでも村を飛び出したって言うなら、きっかけになる何かがあっただろ? 教えてくれよ」
そんな中、酔ったコルネリオがしつこいくらいに事の経緯を聞こうとしてくる。普段は割とあっさりした性格のコルネリオからは考えられないくらい、粘着質だ。
酔った大人はしつこいというのは知っていたが、その中でもコルネリオは特にたちの悪い類のようだ。
とはいえここまで話してしまったのだから、今更黙り込む理由もない。変に嫌がって、このうっとうしいのといつまでも付き合うことになるのも嫌だからと、仕方なく話を続ける。
「妙にグイグイ来るな……強いて言うなら、先んじて姉さんが最寄りの街に向かっていったのと冬ごもりの最中に母さんと喧嘩して――――」
とはいっても、別に大した理由があるわけでもない。ただ、村にはろくに外界の情報が入ってこないから、村を出るべきタイミングを判断するのに時間がかかっていた。
けれども冬を越すには食料が足りなくなって、もうこれ以上は待てないって状況まで追い詰められて。
村のやつらに追い払われるみたいに姉さんも先に出て行ってしまって。
それで、母さんと――
「母さんと喧嘩して、それで姉さんのいるランヴィルドに飛び出ていっ……て……?」
――母さんと、どうして喧嘩をしたのか覚えていない。
そもそも喧嘩して飛び出していくみたいな衝動的な行動に、家の食料を全部持ち出すなんていう小賢しい真似が伴うだろうか? だが実際、アタシはそうしている。
「え、え――? なんで、アタシ――?」
それに、いくら家にあった食料を全て持ち出したからって――そこには母さんが冬を越すための食料も含まれていたはずなのに――そんなものがあったところで吹雪の中を徒歩で超えていくのは、それこそ生き残るだけで奇跡と呼べるような、姉さんにしたのと同じ口減らしのための追放と変わらないはず。
方向音痴のアタシがそんなことをすれば、姉さん以上に生きて帰れる可能性が低いから。そんな理由で凍える村に押し留められ、ほとんど確実な死を命じられた姉を見送ることになり、それをアタシも理解して、受け入れたはず、なのに。
――いや、違う。あの日、あの時、アタシは#あの山森を焼き尽くす炎を前に・・・・・・・・・・・・・・__#、逃げてたまるかと己を奮い立たせていたような気さえして――
「うっ……痛《づ》ぅ……っ!」
記憶の糸を辿ろうとすると、頭が割れるように痛くなる。胸が締め上げられるように苦しくて、吐き気が込み上げてくる。
わけもわからないまま涙がこぼれそうになって、理由も分からず、ただ悔しくて、悲しくて、惨めな感情が胸の中を埋め尽くしていく。
『こっちの都合で囮にするんだ。せっかくだから、お前だけでも生き延びろ馬鹿弟子』
村を出る直前の最後の記憶を探すように記憶の糸を手繰っていけば、師匠面していたエルフのクソジジイの、そんな声が聞こえた気がした。
どうして、意味が分からない。喧嘩して飛び出したのだから、最後に話したのは母さんのはずなのに。
訳が分からない。頭の中がかき回されているみたいで気持ちが悪い。脳髄が締め上げられるような、不安を伴う痛みで思考が埋め尽くされる。
得体の知れない感覚から身を隠すみたいに椅子の上で頭を抱えていると、私の背をさすりながら、コルネリオが顔を覗き込んでくる。
「急にどうしたんだ? ランタ村を出るときに、何かあったのか?」
その声音は優しく気遣うようで、表情も柔らかい。しかしその瞳はどこか冷たく、心の奥底まで覗き込んでいるような気さえして、一層吐き気が強くなる。
気味が悪い。重大な何かを忘れてしまっている気がすることも、作り物のような薄気味悪いコルネリオの表情も。今アタシがここにいることの前提となる何かが間違っているような気がしてならなくて、それがとにかく、気持ち悪い。
「どうして、なんで……アタシ、母さんの食べるものまで……」
頭が痛い。意味が分からない。
頭が痛い。気分が悪い。
頭が痛い。
頭が、痛い。
「……わかんない……わかんない、わかんない、わかんない……」
「……そう、か。分からない、か」
何かを考えようとするたびに、頭に鋭い痛みが走る。
これ以上過去を掘り返すなと警告するように、あるいは誰かに思い出すことを禁止されているかのように、思考が先へと進まなくなる。
「……なるほど、急造の囮か」
「ぁ……コルネリオ、今なんて……?」
「……いや、なんでもない。覚えていないって言うなら、無理に思い出す必要もねーって話だ」
「でも……でも……」
「無理すんなって言ってるんだ。ほら、酔って苦しむくらいなら部屋戻って寝ときな」
そう言いながらアタシの額をつつくコルネリオの指先に、ほんの一瞬、淡い魔力の光が灯ったような気がした。
あれ、コルネリオって魔法使えたっけ? そんな話、聞いたこともないんだけれど。
そんな疑問を抱くと同時に頭痛が収まり、それに代わって脳髄が痺れるような、強烈な眠気が頭の中を満たす。
――本当に、よくわからない。
頭がくわんくわんして、ついさっきまで何を考えていたのかもあいまいだ。
これが悪酔いってやつなのだろうか。ああ、慣れてもいないのに酒を飲みすぎたんだ。
だったら、コルネリオの言う通り、部屋に戻って寝たほうが良いかもしれない。
――いや、そんな理由なんて無かったとしても、戻らなきゃ。部屋に戻るべきで、部屋に戻らなきゃいけなくて、そこで、ベッドに潜り込んで眠るんだ。
ふらつき、足元もおぼつかない中、コルネリオの肩を借りながら部屋へと戻る。
「――お前が当たりじゃなくて良かったよ」
その最中、横目に見たコルネリオの顔は、どこか緊張から解かれたかのような、安堵した表情を浮かべていたような気がした。
数日にわたって続く筋肉杯の予選。まだ終わりには程遠い、むしろこれからだという初日の終わり。
精も魂も尽き果てて、闘技場に併設された酒場で机に突っ伏す。突っ伏しながら、浴びるように酒を飲む。
明日も明後日も同じことが続くのだから、今は休み、眠り、体力の回復に努めるべきだと理性は言っている。最低限、消化に良くて勢のつくようなものを口にした後は、何もせずベッドに潜り込むのが最善であることは承知の上だ。
しかし初日からだろうが夜には飲まなきゃやってられない。変態であれば肉体が疲れるだけで済むのだろうが、常人であれば心までもが燃え尽きるほど疲れてしまう。
「……ミスティ、元気そうだったな……無理して引き取りに行く必要も、なさそうだ……」
かなり教育に悪い――否、悪い教育を受けさせられる環境ではあるが、それでもミスティは十分幸せそうだった。それこそ、アタシが拾った頃よりも、ずっと幸せそうに。
大切な存在だからと言って、手元に置いておくことが必ずしも最良ではないということは、言葉の上では理解していた。けれどもその様を実際に見せつけられてしまうと、ひどく心を抉られてしまう。
お前にそんな資格は無い。そう言われているみたいだ。気持ちはずっと、沈んだまま。
「……マスター、酒……」
「あいよ」
そんな気持ちを酒で誤魔化そうと、安酒を水のように注文しては喉に流し込む。
アタシと手酒にやたらと強いわけでもなし、当然のように酔い潰れる。頭は重く、瞼を開けているのも面倒臭い。
けれど、これでいい。酒精に身を任せ、感情の乱れ切った脳髄をまっさらに漂白するのが目的なのだから。
いっそ明日、二日酔いで潰れてしまっても良いさえ思っている。もちろん、それを口にすれば怒られてしまうだろうが。
「んだよティエラよー、珍しく飲んでんじゃねーか。酔っ払いは面倒臭いとか言ってたくせによー」
「実際面倒臭いんだよ酒くせーぞコルネリオ。てめーだって外面崩れるのが嫌で、深酒はしないんじゃなかったのかよ」
「――お前がそれを言うか。あの俺の姿を見た、お前が」
「……飲んで忘れろ。アタシも飲んで忘れるから」
そうして酔い潰れようとするアタシに変に間延びした声をかけてきたのは、コルネリオだった。
拳闘士にしては珍しく理性的な優男であることを売りにしているコルネリオ。そんな男ですらが八つ当たりのように酒をかっくらい、普段の面倒見の良さが見る影もないほどの、面倒臭い酔っ払いと化している。
普段なら酒臭いと一蹴するところだが、コルネリオがこうも荒れている原因は、アタシを休憩させるために審判役を交代した直後から筋肉杯変態四天王と呼ばれる、想像を絶するような変態が連続でやってきたからと聞いている。
この変態だらけのアレンテッツェにおいて、その中でも変態四天王とまで呼ばれる変人たち――想像するだけで正気が削がれるような、悪夢じみた連中がこぞってコルネリオを襲いにかかったというのだから、その心労は推して知るべしだろう。
実際、予選が終わる頃のコルネリオはとんでもないことになっていた。
まず前提として、普段のコルネリオは無骨な革鎧に無骨な大剣を纏った、飾りっ気のない剣士だ。
顔とサービスの良さから何かと黄色い声が上がることの多いコルネリオだが、実のところそれだけで人気を得ているというわけではない。若々しさと歴戦を思わせるその堂々とした立ち振る舞い、そして苦労人っぽいくたびれた感じを並び立てる、そのギャップこそが人気の秘訣とされている。
コルネリオが苦労人っぽいということ以外、正直よくわからない話ではある。だがどうにせよ、コルネリオは奇をてらった格好で名を売るような真似はしない、硬派な拳闘士と言えるだろう。
――そんな奴がいつの間にかレース仕立ての膝上ミニスカフリフリドレスにお召替えをしていて、白粉で顔を真っ白にされ、手足には肉球のついたグローブにブーツ。どういう原理か背中からは徳の高そうな光の輪が浮かんでいて、オマケに全身を粘液まみれにされていれば、アタシとて目を疑いたくはなる。
前衛芸術の作者が何人も集い、芸術の方向性を考えずに全員の希望を無理矢理一つのキャンパスに押し込んだらこうなりました、と言われれば納得したかもしれない。そんな奇怪極まる姿のまま、着替えすら許されず予選参加者との戦いを強制され、予選初日終了の合図を聞いた時、立ちながらにして涙を零していたあの姿は――正直に言って、同情しか浮かんでこなかった。そして同時に、筋肉杯の闇の深さを知り戦慄した。
さらに言えばコルネリオがアタシに休憩の指示を出していなかったのなら――アタシがその狂気的な姿になっていておかしくは無かった。というより、実際そうなっていたのだろう。
そして今の精神状態で、アタシがそれに耐えることができたとは到底思えない。それゆえどれだけ面倒であろうとも、アタシの代わりに犠牲となったコルネリオを労ってやる義理が発生してしまっているのだ。
「とは言ったところで、飲んだところで忘れきることができるか微妙なところだ……」
「だろうな。傍から見ただけのアタシですら、あの姿は脳裏に焼き付いて離れない……愚痴吐いてどうにかなるなら、いくらでも聞き流してやるが」
「多分永遠に愚痴が終わらないし、言うたびに気持ちが落ち込んでいくこと請け合いだ。そんなんするくらいなら、もっと別の……そうだな。ここはひとつ身の上話ってのはどうだ? 俺もお前も、拳闘士以外の相手の姿ってのを知らねーだろ」
そんな中でコルネリオが提案したものは、意外というべきか、普通に酒の席で話すような話題の提供だった。
ある意味では当たり障りのない、無難な話題。しかし何というか、この優男が、こんなタイミングで互いを知りたいだなんて言い出すと――
「……え、何? 口説いてんの? アタシとてめーでいくつ離れてると思ってんだよ気色悪いんだけど」
「きしょっ……?! お、おま、そういうんじゃなくてだな……!」
「いくらアタシが見目麗しく儚げな超絶美少女だっつってもさー、口説くんだったら歳の近い相手のほうが望みありだと思うぞ?」
「おまえ自意識過剰が過ぎるだろ。喧嘩売ってるなら買うぞ?」
「年齢差だけじゃなくて実力差までわからなくなったのか? ……コルネリオ、お前本当に酒に弱いんだな」
「人をそんな憐れむような眼で見てんじゃねーよ!」
きっと、コルネリオは本当に酒に弱いのだろう。いくらアタシが非の付け所の無い超絶美少女であろうと倍近くの年齢差は常識的に考えて許容範囲外だし、喧嘩を売るにしたってコルネリオ如きでは喧嘩の体をなさない弱い者いじめになってしまう。
そんなことも分からないくらい、今のコルネリオは酔っている。あるいはヤケになっているのだ。とはいえ理由が理由だし、労わってやらねばと背中をやさしく叩く。
「なんだかとんでもない誤解と同情をされているような気がしてならないが、身の上話ってのは拳闘士の鉄板の話題なんだぞ? 口説き文句にすらならない、酒の席の普通の話題だ」
「あ、そうなのか? 酒なんて拳闘士になるまで飲んだことなかったからな。知らなかったよ」
「それにしちゃ良い飲みっぷりだな……」
アタシの魔性の美が、ただでさえ残念なコルネリオを取り返しのつかない残念さにしてしまったのか、なんて一瞬不安に思ったがそうではないらしい。
「とにかく、拳闘士ってのはある意味冒険者以上に誰でもなれる。だからこそ身の上話はの幅は広く、重い過去から軽い過去、珍妙な過去までより取り見取りだ。
そんな中で、大成した拳闘士の過去っていうのは多くの人間が注目する。どんな境遇から成りあがったのか、それとも最初から強いやつが当然のように強者として君臨しているのか、そういう話が取りざたされることが多いんだ。だから、そこら辺のインタビューの練習も兼ねて、拳闘士は酒の席で身の上話をすることが多いんだ」
「ほえー……その練習を今しろってか?」
「そーゆーこった。実際に俺の身の上話だって、そう珍しい話でもないのに本になって、それなりに売れてる。一冊2500クロム、闘技場直営店限定サイン入り本で3800クロムだ」
しかも結構、ためになりそうな話だった。
ちょっとでもお金が欲しくてたまらない現状、こういった金になりそうな話はちゃんと拾っていくべきだと理性は言っている。しかもコルネリオの口調から察するに、結構な収入源になっているっぽい。
これはなるべくなら真似したい。そして一戦いくらのファイトマネーをチマチマ貯金する生活から脱出したい。
――とはいえ、だ。
「拳闘士になる前とか言われてもなー……正直、アタシの話は聞いてて気持ちいいもんじゃねーと思うぞ? 酒の席で話したところで、たぶん白ける」
「暗い話だってそれなりに話題にゃなるから安心しろって! 何より俺が気になってしょうがない!」
「気になるって……そりゃまたどうして」
「そりゃあお前、俺だって拳闘士に憧れている一人の男なんだぜ? 今一番波に乗ってる拳闘士のことを知らずしてどうするんだって話だよ」
「ほんと酔うと面倒臭いなお前……だからあんま飲まないのか」
そう、私の昔話なんて大して面白いものじゃない。
たかが14年生きた程度の小娘の人生に深みなんてないし、深掘りされても答えられることなんて多くない。
ただひたすらに胸糞悪い話ばかりが積み重なる、聞いてて不快になるばかりの話だ。
けれども残念男ことコルネリオはすでに聞きの姿勢に入っていて、今更語れる過去なんてありません、なんていえなさそうな状況だ。ひどく、困る。
「あー……一応聞くけどお前、「守人村」って聞いてピンとくる? あたしの故郷、ランタ村がそう呼ばれてたんだけれども」
念のための確認として放ったアタシのその発言に、酒に飲まれてゆらゆらしているコルネリオがコテンと首をかしげる。
辺りで聞き耳を立てていた連中を見渡しても、似たような反応ばかりだ。一般的な知識ではないし、この反応も当然だろう。
……ただ一人、たしか元軍人だというおっちゃんだけが目を丸くして、あからさまに挙動不審となっているのは、あえて追求するべきことではないだろう。
確かに軍人なら「守人村」がどういった場所なのか知っているはずだ。あるいは直接目にしたことがあってもおかしくはない。
「なんだそりゃ。何かを守っていたのか?」
「なら良かったんだけどな。生憎、守るものなんてどこにもありはしなかったよ」
そうして私が口を開くたび、おっちゃんは顔を青白くさせていき、込み上げるものを抑え込むかのようにえずいている。これはトラウマ抉っちゃった系の反応だ。
実際問題、一般的な良識を持つ人間であれば「守人村」の話はそれなりにキツイ話になる。実体験としてその全容を知っているのならば、なおさら気分を悪くするだろう。
けれどもたちの悪い酔っ払いと化したコルネリオは顔色をどんどん悪くさせているおっちゃんに気付きもせず、酒が入った赤ら顔を近づけながらピーチクパーチクオシエテオシエテと続きを急かす。
そんな問答がしばらく続き、気付けばどうあってもアタシが話を続けなければならない雰囲気が食堂内には出来上がってしまっていた。そしてそれをおっちゃんも察したのか、いつのまにやら身を隠すように食堂を去っている。
拳闘士には珍しく筋肉以外の話ができる人の良いおっちゃんだったので、あまり気分を害するようなことは言いたくなかったのだが……後で謝りに向かっても傷口を抉るだけだろうし、ここはあえて無視するべきだろう。最初から最後まであのおっちゃんには気付かなかった。そういうことにしておこう。
「……じゃあまずは大前提、村の成り立ちから説明するか。学会から爪弾きにされる程度のキワモノ歴史学者、ヴァン・べルックムーンの娘が教える、たいそう真面目な歴史の授業だ」
「よっ、大先生!」
「おう黙って聞けや筋肉幼稚園のコルネリオ先生よぉ。アタシはお前の先生仲間じゃねーんだよ」
話の着地点を察したら部屋に帰っていいぞと、やんわり予防線を張りながら蘊蓄をたれるような軽い口調で話し始める。
実のところ、こんな軽い調子で話すような話題でもないし、歴史学者の娘と言ってもちゃんとした勉強をしたわけじゃあない。
ただ親から自らの立場を理解させるための教育として、どうしてこんなことになっているのか、どうすればこの環境から抜け出せるのか、それに関わる知識を叩き込まれたというだけの話だ。それでも学があるかのように振舞ってしまうのは、私にも酒が入っているからだろうか。
「あー、そうだな……まず前提としてこの国は、ハルフェラル帝国はほんの少し前まで戦争でしか経済を回せない侵略国家だった。宣戦布告のたびにそれっぽい大義を掲げてはいるけれども、結局はカネとメシを奪い取りに出向いているだけ。そこのところはぶっちゃけ理解できてるか?」
「あー……そりゃあ、な。俺も他国からの移民だからわかるが、この国の土地、人が住める場所じゃねえよ」
率直に言って、ハルフェラル帝国の気候と立地は人が住むに値しない最底辺のものだ。
骨まで凍る吹雪の冬が過ぎたと思えば、ふた月と立たないうちに湖の干上がる夏が来る。台風は年に30回は通過すると言われているし、水害はさらにその倍は起こると言われている。
寒暖差、乾湿差、その他諸々含めた環境変化の激しすぎるこの地に適する作物など碌なものが無く、必然的に狩猟によって得た魔物の肉が主食となるが、その魔物からしたって食うものが人間くらいしかいないから生存競争の激しさは他国と比較して想像を絶するものがある。
ゆえにこの国では常に食糧が不足しがちであり、魔物の脅威から人を守る存在でありながら食料生産者にもなる強者こそが礼賛される文化が育ち――その上で石炭のような燃料と金属資源だけはわんさか掘れるとなれば、生き残るためにやることは一つ。
故にハルフェラル帝国の歴史は、武器と戦争の歴史と言い換えるべき血なまぐさいもの。それを野蛮だと他国に避難されることも多いらしいが、じゃあ逆に戦争以外に何をすれば生き延びられるんだよって主張すれば、どこからも反論が出てこない程度の立地なのだから仕方ない。
今でこそ軍事産業から発展した諸々の実用製品や、もともと発展していた金属加工技術を売りにした技術輸出国としての運営が基盤に乗りつつあり、金に任せて他国から食料を買い集めることで安定した生活ができるようになったらしいが、それは本当に最近になってからの話。それまではずっと、強くなければ生きる権利すら持てない国だったのだ。
「おい、ティエラのくせに何急に頭良さそうなこと言ってるんだー。わけわかんねーぞー」
「黙れアホネリオ。アタシは生きるのがヘタクソなだけで学が無いわけじゃねーんだよ」
本当は帝国の歴史の中でも基本的なところしかわからないけれども、それをわざわざ言うことはない。
どういうわけかアタシが馬鹿っぽいと思われてるらしいこの風潮をどうにかして払拭するいい機会だし、そもそも基本的なことさえ分かっていれば話は理解できる。
酒が入って、自分を大きく見せようと思っているだけだと言われたら否定のしようもないが。まぁ別に誰が悲しむわけでもないと話を続ける。
「まぁそんなあるごとに戦争吹っ掛ける国だから、戦争奴隷や捕虜、滅ぼした国の難民とかがそこら中にいるわけだ。ぶっちゃけ、ここにいる何人かもそうだろ?」
「あー……そーいや俺も元は戦争奴隷だったなー……」
「あー、コルネリオもそうなのか。ご愁傷様?」
「別にー……俺は成り行きで奴隷落ちしちまっただけだからなー……身内が殺されたわけでもなし、今ではそれなりに良い暮らしもできてるし」
「そっか、まぁ所詮コルネリオだしどうでもいいか」
「おいーなんだよその扱い」
奴隷になるような成り行きというのも気になるところだが、それこそいずれ聞けばいい話。どうにせよ、今この国はしばしの平穏とそれなりの余裕をもった暮らしをできている。
とはいえ今この国が平和なのはついこの間お隣さんとの戦争に勝利したから。まだハルフェラル帝国との戦争が続いていた数年前であれば、予備兵役でもある拳闘士や冒険者は根こそぎ最前線へと連れていかれていたことだろう。
そうなればコルネリオとて今みたいにのんびり酒を飲んで間延びした声を出すなんて真似はできず、私だって姉さんを探すなんて目標を立てることすらできなかったはずだ。
――もっとも、そういう時期になるまで村での生活を耐え忍ぶことを選んだのだから、狙い通りではあるのだが。
「んで、いざ戦争になって兵力を外に向けるとなると、今度は国内にいる帝国に対して恨みを持った戦争奴隷を押さえ付けるための力が弱くなっていく。となれば当然、気になってくるのは奴隷の反乱だ」
「あー、歴史の話になるとよくあるやつか」
「そう、歴史の話になるとよくあるそれ。それにさっきも言ったとおり、この国が戦争を吹っ掛けるのは食糧不足が原因。だから飯を食う奴隷は存在しているだけで帝国人が生きる邪魔になるし、さっきも言ったように反乱する恐れもある。とにかく、どうにかしなくちゃいけない存在だった」
それでまぁ、村からの脱出を狙っていない時期はどんなものだったのかというと、そりゃあもう蛮族の国と呼ばれるにふさわしい酷いありさまだ。
奪われた方が悪い、殺された方が悪い、弱い方が悪い。そんな非文化的な理論が平然とまかり通る、倫理感というものが欠如した国家。
それがハルフェラル帝国という、大陸でもっとも嫌われている国の文化だったのだ。
「だから今みたいに国が安定する以前、戦争し続けなければ国民全員飢えて死ぬっていう時代には、奴隷はなるべく使い潰していくことが推奨されていたわけだ。戦場での肉盾とか、新薬の人体実験とか、金持ち相手の解体ショーとか、そういった感じに」
「……これってアレか、帝国がとにかく野蛮だって言われてた時代の話か。なんでも当時は、殺した奴隷を干し肉にして他の奴隷の食料にしてたなんて噂が流れてたらしいが……」
「それ記録もちゃんと残ってる実話だぞ? 飢饉が起きた領の帳簿で、行軍用の食料として計上されていた品目の中に「肉奴隷」の文字があったらしい。ここでいう「肉」の意味は……まぁ、そういうことだ」
「うげ……マジか、良い時代に奴隷になったもんだわ、俺」
とはいえ、そんな野蛮さも今は昔。アレンテッツェから少し離れた場所に悪徳の街と呼ばれる場所があるそうだが、今となってはそこに名残が残っているくらいだろうか。
戦勝を続けて経済的に余裕が出てきたころになるとそういった文化も廃れてきて、その反動みたいに文化的な成長を求める人間が増え、そのまま穏健派と呼ばれる一派が力を増してきたのだ。
「ただまぁ、そういうのって極限状況だからこそ許されるような真似なわけで、ある時その中でも特に非人道的な事例のいくつかが明るみに出ると、国内の穏健派から反感の声が出た。戦勝続きで少しだけど余裕のあった当時は穏健派の発言力が強くて、結果としてそういった人体実験やら何やらが中止になったんだ」
「いや、うん。なんというか、当然の結末だな」
「ああ、当然の結末だ。当然の結末なんだが――これによって、使い潰しきれなかった奴隷が発生したんだ。
そして国はこの、使い潰せなかった奴隷の処理にとことん頭を悩ませた。なにせそいつらは親兄弟に友人や恋人、そういった大切な人たちを惨たらしく殺されて、それでなお生き残ってしまった恨み骨髄の危険分子。何も考えず放り出せば反乱軍を組織してもおかしくないし、捨て身で貴族や軍高官を暗殺しにきてもおかしくない。だというのに、普通に処刑しようとすれば穏健派や世論が邪魔してくる。ついでに奴隷保護法も議会を通っちゃった後だから、雑に弾圧して動きを抑えるのも難しい」
軍や政治というものは一度たりとも失敗できないがゆえに、それがどんなに悪しき風習でも「今のところ失敗していない」のであれば過去のやり方を変えることができないのが世の常。
民間では奴隷虐めなんて古いしナンセンスだなんて言われても、それより上の頭の固いお偉いさんにとって、奴隷の扱いを変えることには抵抗があったらしい。実際、自由を手に入れた奴隷に殺される筆頭ともいえる連中だったから、それはもう必死の抵抗があったようだ。
しかしそれでも変わることを義務付けられた手前、何かしらの行動はしなくてはならない。
新しく奴隷になる者の扱いを良くするだけならば、遺恨は残らないから問題は無い。問題は既に奴隷であり、これまで苦しい思いをし続けてきた者たち。
恨まれる心当たりも山のようにあったのだろう、彼らは今いる奴隷に自由を与えれば、そのまま寝首を掻かれるであろうと考えたのだ。それが個人的な復讐で済めばまだいい話で、事によっては反乱軍が国内に生まれてしまう。
――であるならば、古い奴隷は秘密裏に一掃してしまおう。そう考えた者たちがいた。
「そうして生まれてしまった遺恨の塊である彼らを穏健派に邪魔されることなく処分したい意思と、ちょうどその時期に予算が削減されて低予算で国境付近の監視網を維持したいという国境警備隊の要求。それらを両立するために考案されたのが――そう、さっきも言った「守人村」ってやつだ」
「――もう誕生の経緯からして嫌な予感しかしないんだが?」
「おう、まったくもってその予感の通りだから安心しろ」
「守人村」の作り方は簡だ。まずはさっきから例に挙げているような恨み骨髄の奴隷を筆頭に、重犯罪者や敗戦国の難民、政争の敗北者に余計なことまで知ってしまった学者といった、誰にも知られず言い訳のしやすい形で死んでほしい不穏分子を集める。
不穏分子を土地に縛り付ける手段は色々とあり、たいていは武力を背景にしたものだ――父さんのように下っ端の軍人にすら知られたくない情報を手に入れてしまった学者は、契約魔法で問題の情報を口に出せないようにしたうえで、逃げ出せないよう家族を巻き込むのだとか。
――要するに、アタシや姉さん、母さんの事なのだが。
そんな人間をある程度集めたら、他国からの侵攻があった際の奇襲に使われそうな、それでいて自国民の目には止まらない、ちょうどいい僻地を見繕う。
言葉だけ聞けば厳しい条件にも思えるが、これを「わざわざ巡回警備するとなると面倒な、しかし何かしらの保険をかけておかなければならない場所」と言い換えれば、そういった土地は帝国内には数多く存在する。
その筆頭と言えるのがグリマルス山脈周辺、青の森の里と呼ばれるエルフの勢力が支配する森林地帯。侵略の意思を見せていないことから戦力配備の優先度は低く、軍事拠点を作ろうにも立地が悪く、かといって完全に無視することはできない相手がいる地域。こういった場所から特に見張る価値のある場所をいくつか見つけておき、そこにかき集めた人間を着の身のままで放り投げる。
「最後に村の警備を名乗る軍人が共が、集めた人間を掘っ立て小屋に追い立てて「今日からここがお前らの住処だ」と命令する。食糧庫にカビたパンを投げ入れておいてこれが備蓄だなんて言い張ればなお良い。名目は「国家による開拓村の支援」だ。万が一存在がバレたとしても、生活を支援してやってるんだから迫害じゃないぞって言い張るわけだな」
「……いや、あの、闇深くね?」
「だから聞いてて気持ちいいもんじゃないって言ったろ」
これで処刑台と防衛拠点を足して半分にしたような、ちょっとだけ防衛に役に立つ人捨て場こと「守人村」の完成だ。
そうやってできた村々のうちの一つに、ランタ村と名付けられた村があった。これは、そういう話。
「んで、こういった村は脱走したら見張りの軍人に殺されるのがお決まりなんだが――何事にも例外ってもんはあって、運のいいことにアタシと姉さんはその例外だったんだ」
「随分と血の気の多いお決まりだなオイ……で、何が例外だったんだ?」
「両親が生粋のハルフェラル帝国人だったたこと。表向きは何の刑罰も受けていなかったこと。そして何より、アタシたちにハルフェラル帝国の国籍、戸籍があったこと。そういった理由が積み重なって、アタシらだけは、村から脱出した後に人間扱いされる目があったんだ。それで色々とやっかみを受けていたのは応えたけどな」
そこまで話し終えて、少し渇いてきた喉を湿らせるために、酒を煽る。
コルネリオは深く深く溜息を吐き、そして、絞り出すように一言。
「……あのさぁ、闇、深くねえか?」
「こんなの序の口だっつーの。ここから住民同士での食料の奪い合いとか、戸籍の有無での差別とか、軍人による住民の間引きとか、そういった話に続いていくわけなんだけど――これ、本にしたら売れるか?」
「いや、売れる売れない以前に……出版差し止めされるだろ、それ」
そんな「守人村」の概略を聞いたコルネリオは、やはりというべきか顔を顰めながら売れるわけがない、と当然のように言い放つ。
実際、アタシもそう思う。
政治的な云々をさておいたとしても、ランタ村での出来事は一般的に刺激が強すぎるだろう。それに大衆が求める「華やかな拳闘士の暗い過去」とは方向性がだいぶ違う。
口減らしと魔物狩りの罠を兼ねた生餌の話だとか、大量の雪のせいで軍人の巡回すらも無くなる冬に村を脱出しようとして春に凍死体として見つかった村人の話やらを、ペラペラ口に出すのが華やかな英雄と言えるだろうか、と言う話だ。
「というかお前、こんなところでそんなこと、口に出して良かったのか? 結構その、政治的にアレなこと言ってたような気がするんだが」
「んぁ? 問題ねーよ。いや、問題が無いわけじゃあないんだが、致命的じゃあない」
「どこがどう問題じゃないのか全く分からないんだが……酔いすぎて言っちゃいけないことまで口に出してないか?」
「さっきも言ったが、今はもう平和な時期だ。国境監視の目的が薄れた上に、処理しなきゃならない奴隷ももう少ない。である以上、少ないながらも予算を食う「守人村」の制度を維持する理由なんて特にない。
そんでもってコトが露見したのなら、白々しく「そんな事実は存在しません」なんて言うよりも「こんなことはもうしません、責任者には処罰を与えます」の方が、昔よりも今がより良くなっているっていうアピールに使える。それに戦争が終わって内部の成長に力を使いたいこの時期に、戦勝続きで調子に乗った軍の高官を消す大義名分を握っておくのは国家の中枢としても悪くないんだろ。だから、アタシの存在が口封じに消されることは無い……とのことだ」
両親が口酸っぱく、戦争が終わってしばらく経つまで村を出るなと厳命していた理由。それが、これだ。
何度も何度も口酸っぱく言い聞かされていたから、その辺りの理屈も今では理解できる。わざわざ口封じしなくても国に被害が出ない、放置しても問題ない、騒ぎになっても利用できる、そういう時期が来るまで村を出るのを保留していただけ。
酒のせいで口が軽くなっていたというのも間違いではないが、そうなっても問題ない時期を選んで村を出たというのも嘘ではないということだ。
「お、おぅ……なんというか、考えられてるな……」
「そうだぞ考えてるんだ。これがお前が心の底では馬鹿っぽいと思っていたアタシの真の実力だ」
「実は結構馬鹿にしてたの、気付いてたのか……」
「よし、言質もとれたしぶっ飛ばすか。歯ぁ食いしばれ」
実は村からの脱出計画は、父さんが生きている頃に考えられたもので、実は私は一切関与していないのだがそれはさておき。
とりあえずコルネリオを殴ってから、酒をもう一口。そろそろ潰れそうな勢いで酒を飲んでいて、頭も回らなくなってきたが、今はそれでも酒をやめる気にはなれない。
「いっつつ……それで、そんな村が嫌になって出たっつーのは分かるんだが、何かきっかけとかはあったのか? 時期を見計らったっていうのは分かるが、それでも成人前に飛び出すならもうあと一押し、何かがあっただろ」
「んぁ? なんてことないよ。時期的にそろそろ大丈夫かもしれないっていう予想と、不作で年を越せなさそうっていう条件が被ったくらいか?」
「いや、それでも村を飛び出したって言うなら、きっかけになる何かがあっただろ? 教えてくれよ」
そんな中、酔ったコルネリオがしつこいくらいに事の経緯を聞こうとしてくる。普段は割とあっさりした性格のコルネリオからは考えられないくらい、粘着質だ。
酔った大人はしつこいというのは知っていたが、その中でもコルネリオは特にたちの悪い類のようだ。
とはいえここまで話してしまったのだから、今更黙り込む理由もない。変に嫌がって、このうっとうしいのといつまでも付き合うことになるのも嫌だからと、仕方なく話を続ける。
「妙にグイグイ来るな……強いて言うなら、先んじて姉さんが最寄りの街に向かっていったのと冬ごもりの最中に母さんと喧嘩して――――」
とはいっても、別に大した理由があるわけでもない。ただ、村にはろくに外界の情報が入ってこないから、村を出るべきタイミングを判断するのに時間がかかっていた。
けれども冬を越すには食料が足りなくなって、もうこれ以上は待てないって状況まで追い詰められて。
村のやつらに追い払われるみたいに姉さんも先に出て行ってしまって。
それで、母さんと――
「母さんと喧嘩して、それで姉さんのいるランヴィルドに飛び出ていっ……て……?」
――母さんと、どうして喧嘩をしたのか覚えていない。
そもそも喧嘩して飛び出していくみたいな衝動的な行動に、家の食料を全部持ち出すなんていう小賢しい真似が伴うだろうか? だが実際、アタシはそうしている。
「え、え――? なんで、アタシ――?」
それに、いくら家にあった食料を全て持ち出したからって――そこには母さんが冬を越すための食料も含まれていたはずなのに――そんなものがあったところで吹雪の中を徒歩で超えていくのは、それこそ生き残るだけで奇跡と呼べるような、姉さんにしたのと同じ口減らしのための追放と変わらないはず。
方向音痴のアタシがそんなことをすれば、姉さん以上に生きて帰れる可能性が低いから。そんな理由で凍える村に押し留められ、ほとんど確実な死を命じられた姉を見送ることになり、それをアタシも理解して、受け入れたはず、なのに。
――いや、違う。あの日、あの時、アタシは#あの山森を焼き尽くす炎を前に・・・・・・・・・・・・・・__#、逃げてたまるかと己を奮い立たせていたような気さえして――
「うっ……痛《づ》ぅ……っ!」
記憶の糸を辿ろうとすると、頭が割れるように痛くなる。胸が締め上げられるように苦しくて、吐き気が込み上げてくる。
わけもわからないまま涙がこぼれそうになって、理由も分からず、ただ悔しくて、悲しくて、惨めな感情が胸の中を埋め尽くしていく。
『こっちの都合で囮にするんだ。せっかくだから、お前だけでも生き延びろ馬鹿弟子』
村を出る直前の最後の記憶を探すように記憶の糸を手繰っていけば、師匠面していたエルフのクソジジイの、そんな声が聞こえた気がした。
どうして、意味が分からない。喧嘩して飛び出したのだから、最後に話したのは母さんのはずなのに。
訳が分からない。頭の中がかき回されているみたいで気持ちが悪い。脳髄が締め上げられるような、不安を伴う痛みで思考が埋め尽くされる。
得体の知れない感覚から身を隠すみたいに椅子の上で頭を抱えていると、私の背をさすりながら、コルネリオが顔を覗き込んでくる。
「急にどうしたんだ? ランタ村を出るときに、何かあったのか?」
その声音は優しく気遣うようで、表情も柔らかい。しかしその瞳はどこか冷たく、心の奥底まで覗き込んでいるような気さえして、一層吐き気が強くなる。
気味が悪い。重大な何かを忘れてしまっている気がすることも、作り物のような薄気味悪いコルネリオの表情も。今アタシがここにいることの前提となる何かが間違っているような気がしてならなくて、それがとにかく、気持ち悪い。
「どうして、なんで……アタシ、母さんの食べるものまで……」
頭が痛い。意味が分からない。
頭が痛い。気分が悪い。
頭が痛い。
頭が、痛い。
「……わかんない……わかんない、わかんない、わかんない……」
「……そう、か。分からない、か」
何かを考えようとするたびに、頭に鋭い痛みが走る。
これ以上過去を掘り返すなと警告するように、あるいは誰かに思い出すことを禁止されているかのように、思考が先へと進まなくなる。
「……なるほど、急造の囮か」
「ぁ……コルネリオ、今なんて……?」
「……いや、なんでもない。覚えていないって言うなら、無理に思い出す必要もねーって話だ」
「でも……でも……」
「無理すんなって言ってるんだ。ほら、酔って苦しむくらいなら部屋戻って寝ときな」
そう言いながらアタシの額をつつくコルネリオの指先に、ほんの一瞬、淡い魔力の光が灯ったような気がした。
あれ、コルネリオって魔法使えたっけ? そんな話、聞いたこともないんだけれど。
そんな疑問を抱くと同時に頭痛が収まり、それに代わって脳髄が痺れるような、強烈な眠気が頭の中を満たす。
――本当に、よくわからない。
頭がくわんくわんして、ついさっきまで何を考えていたのかもあいまいだ。
これが悪酔いってやつなのだろうか。ああ、慣れてもいないのに酒を飲みすぎたんだ。
だったら、コルネリオの言う通り、部屋に戻って寝たほうが良いかもしれない。
――いや、そんな理由なんて無かったとしても、戻らなきゃ。部屋に戻るべきで、部屋に戻らなきゃいけなくて、そこで、ベッドに潜り込んで眠るんだ。
ふらつき、足元もおぼつかない中、コルネリオの肩を借りながら部屋へと戻る。
「――お前が当たりじゃなくて良かったよ」
その最中、横目に見たコルネリオの顔は、どこか緊張から解かれたかのような、安堵した表情を浮かべていたような気がした。
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