野良魔道士は百合ハーレムの夢を見る

むぅ

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4.奴隷編

16.求め、求められるもの

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チクリ、と。指先を紙の端で切ったような痛みが走った。



システィにかけた悪夢の魔法が破られた感覚だ。それと同時に、腰回りの花弁に寝かせるようにして抱きかかえたミスティが、小さく身じろぎをする。



試練の終わりだ。どういうものであれ、システィの中で答えが出たらしい。



しかしゆっくりと開かれた瞳は弱々しく、希望の光をどこかに忘れてしまったかのように、虚ろなままの視線を投げかけてくる。



――まだ、ミスティとシスティの契約は繋がっている。



ミスティの中でどのような結論が出たのかは定かではないが、少なくとも、自分から過去を捨てるようなものではないことは確かだ。それを喜ぶべきか、悲しむべきかは、まだ、分からない。





「目ぇ、覚ましたみたいやな。……気分はどうや?」

「……………………さいあく……」





そう問いかけてみれば、ミスティの意識は既にハッキリしているらしく、目の端に涙を浮かばせながらも分かりやすい返事をする。



気分は最悪、それもそうだろう。夢の中でどのような問答をしていたかは知らないが、ミスティにとって気分の良い話は何一つ無かったに違いない。





――ミスティはこの場において唯一の、純粋な弱者だ。





理不尽に抗う力を持たず、1人で生きていく知恵も無く、そんな彼女を守ってくれる誰かも、もう居ない。



自分の運命を自分で決めることのできない、力無き者だ。そして弱者に突きつけられる現実は、いつだって厳しい。



それを試練などという形で直視させられたミスティの心中は、察するにあまりある。





「――わたしには、無理、なの……システィとの約束を、無かったことになんて、できない……」





そうしてミスティは血を吐くような、苦痛に満ちた声音で言葉を絞り出して。それを切っ掛けに、ぼろぼろと涙が溢れ落ちる。



それは弱々しくも明確な、拒絶の言葉だった。



これ以上、強い心ではいられないのだと。これ以上の辛いことには、耐えられないのだと。そう、自らの限界を語る言葉だ。



それはただの諦めのように聞こえて、その実、何一つ取り繕っていないだけの真実だった。





「考えただけでも、辛いの。苦しいの。なのに時間が経つほど、いっぱい思い出しちゃうの。――忘れたく、ないの」

「……そっか。そら、しゃーないわ」





そう言って、涙を零すミスティを抱き締める。





――天涯孤独の身で己の無力を認めるというのは、本当に恐ろしい行為だ。





自分の運命が、自分の手の内に収まっていないことを自覚することは、それ自体が大きな苦痛となる。



元が違法な奴隷だというのだから、その立場や身の程は、嫌と言うほど教え込まれているだろう。



たとえ相手がミーシャであろうとも、どれだけ温かく受け入れられようとも、どんな我が儘が許されようとも――自分とは対等な存在ではないのだと。そしてそれを受け入れざるを得ないほどに、自らが弱い存在なのだと理解できてしまうほどに、ミスティは賢い。



だからこそ、ミスティには縋るものが必要だった。それこそが故郷でシスティと共に暮らしていた頃の思い出であり、なんの支えも無くそれを失えば、ミスティはきっと、壊れてしまうだろう。



そしてジュゼ・オーギュスタスという初対面の人間モドキには、これから奪い去るそれに見合うだけのものが無かったということ。だから、ミスティは泣いてそれを嫌がるのだ。たったそれだけの、当たり前のこと。





「良いとか、悪いとか。そういうのじゃ、ないもんな」

「……うん」

「好きなものとか、譲れないものとか。そういうのって、どうしようもないもんな」

「……うん……」





胸元に顔を埋めるミスティの涙は、止まらない。慰めで止まるものでもないし、これから自分がするであろうことを思えば、止める資格も無い。



人前では涙の1つも見せなかったのだ。人外の前でくらい、好きに泣かせたって良い。



そうして静かに泣くミスティの髪を梳くように撫でれば、ミスティはそのまま縋るように、背中に手を回して抱き付いてくる。





「……でも、ジュゼおねーちゃんは、わたしを利用してこの洞窟から出たいから。もしも、ジュゼおねーちゃんがわたしに言うことを聞かせたくて、無理矢理わたしのことを手籠めにしちゃったら。

――システィのことを忘れろって言われても、弱いわたしは逆らえないの。そうでしょ?」

「――せやな。この話は最初から、ミスティにゃんに拒否権なんか無いんよ」





そう、それでも結局の所、ミスティに拒否権なんてものは無い。



誰にとっても――そう、ミスティ自身にとってすらも――新しい守護獣を得るというのは、損も無く、利のあることなのだ。



ミスティは保護者を得る。自分はこの迷宮から抜け出すことができる。ミーシャ達は仲間が増える。



それをミスティが嫌がり、そして今まで許されていたのは、単に良心の問題だ。



本当に追い詰められた事態になったら、契約しなければセレスとミーシャの身まで危ないという状況まで追い詰められたとしたら、ミスティの意思を無視して、力尽くで契約を結んでいただろう。そこにミスティの意思なんてものは関係無い。ただ、こちらの都合だけがある。





「このまま契約させられたら、わたし、きっとジュゼおねーちゃんを恨むの」

「せやろな」

「寂しいのも悲しいのも苦しいのも、ぜんぶぜんぶジュゼおねーちゃんのせいにして。八つ当たりに、いっぱいいじめちゃうの」

「せやなぁ」

「そしたらきっと、ジュゼおねーちゃんのせいにした分だけ、気持ちが楽になるの」

「そっか……それならそれで、ええんとちゃう?」





でも、どうせ避けられないのなら。こうして全てを理解させた上で契約すれば、ここから先のことは全部、ジュゼ・オーギュスタスという悪い魔物のせいだ。



恨まれるだろうが、それで良い。苦しみの全てを怒りに変えて、誰かにぶつけることができるのなら。



心の傷がすぐには癒えないことを知った今、その癒えない自分の傷口から、少しでも目を逸らすことができれば。



その傷が癒えるまで、幼い心でも辛い現実に耐えることができるかもしれない。そう思って、ここまで追い詰めて――





「……そういうの、いらない。わたしをそんな、悲しいだけの女の子にしないで」





――しかし毅然と放たれたそのミスティの答えに。しばし言葉を失う。



愕然としつつミスティと目を見合わせれば、その目は涙を流してはいたものの、もうそこに弱々しさのようなものは感じられない。



否、弱り切ってはいるものの――それでもなお折れることを知らない、強い芯がそこに見える。





「わたしね、システィに「幸せになって」って言われたんだ。でも、「苦しまないで」とも、「悲しまないで」とも言われなかったの」

「――それって……」

「システィのことを思い出すと胸が痛いし、苦しいし、悲しいの。でも、この悲しいのは、もうどうしようもないの。――だから、幸せにだけは、ならなくちゃいけないの」





ミスティはそう言って、期待を向けるように微笑む。



あの涙は心からのものだったはずなのに、それでもなお、嘘偽りのない笑みを浮かべたのだ。



――自分は、ミスティという少女の強さを見誤っていたのかもしれない。



自分はミスティが子供だからと、過去を飲み込んで生きていくような真似ができるわけがないと、何も知らずに高を括っていたのだ。



そうして子供だと侮り、助けてやろうだなんて上から物を考えていたのだ。――そんなものは、余計なお世話だったというのに。





「それにジュゼおねーちゃんがいじめられたいのって、ジュゼおねーちゃんのわがままなの。いじめられたいからって、わたしを辛い気持ちにさせるのって卑怯なの」

「い、虐められたいって、ミスティにゃん何を言っとるん?! ウチ、そんな性癖持ってないで!」

「ううん、ジュゼおねーちゃんは、誰かにいじめられたくてしょうがない女の子なの。

――ジュゼおねーちゃんと普通にお話しできるのは、昔は人間だったから。ジュゼおねーちゃんがとっても強いのは、もう人間じゃないから。



ほんとうは他の人達と仲良くしたいんだけれども、ジュゼおねーちゃんはとっても強いから、怖がられたらどうしよう、って考えちゃう。



だから、いじめられて、見下されて、屈服して――「わたしは怖くないひとです」ってみんなにアピールしたいの。そうしたら化け物扱いもされない、可愛い仲良しペットさんになれるから。でしょ?」





そんな余計なお世話の代償に、怖いくらいに見透かされた本心を晒される。



――否定しようにも、否定する材料が無い。



仕返しと言うには、あまりに手痛い反撃だった。自分の本心を自覚させられるという衝撃は大きく、しかし受け入れがたい不快なモノではなかった。それこそ、言われてみれば確かにそうだ、というくらいの。



もしかすると、その本心を見抜いてくれたからこそ、なんて期待もあったのかもしれない。それでも、もうミスティのことを、ただか弱いだけの女の子としてみることができなくなるくらいには、衝撃的だった。





「だからこれは、わたしがジュゼおねーちゃんを必要としている、って話じゃなくて、ジュゼおねーちゃんがわたしの守護獣ペットになりたがっている、って話なの。

でもわたしはシスティのことは忘れられないし、忘れたくないし、システィじゃなきゃ嫌なの。

けれども、それでもジュゼおねーちゃんが守護獣になりたいのなら――こんなわたしでも、ちゃんと幸せにしてほしいの。あったかく、してほしいの。

――ジュゼおねーちゃんに、それができるなら」





そこまで言われて、試されているのは自分だったのだと、やっと気付かされる。



契約したければ、心を踏みにじるのではなく、心を奪えと。涙を溢れさせるのではなく、涙を止めて見せろと。



拒否権の有無ではない。力の有無でもない。



選ぶのはミスティで、自分は選んでもらう側。どちらがこの場の支配者であるかなど、問うまでもない話だったのだ。





「ねぇ、ジュゼおねーちゃん――」

「え、なんや――ん――っ?!」





それを理解したかしないかの内に、腕の中のミスティが身をよじりながら背伸びをして、瞳を閉じながら顔を近付けてきて――そして、唇が触れる。



触れた唇は、とても小さかった。



柔らかくて、溶けそうなくらい熱くて。流した涙の分だけ、しょっぱかった。





「――ななな、なんなんや?! ミスティにゃん、ウチのこと好きじゃないんやろ?!」

「うん。まだ、好きじゃないの」

「ほなら、どうしてキスなんか……そういうのは、大事で大好きな人とするもんやん……」

「だから、これは先払いなの。これからジュゼおねーちゃんはわたしに必死に媚びて、誘惑して、こうしてキスしてもらえるくらい、わたしに好きになってもらわなきゃいけないの」





元から同情的で、器の大きさを見せつけられて。そんなところにキスなんてされてしまったせいで、ミスティを一人前の女として、そういう目で見るようになってしまったのだろうか。



憂いを帯びながらもそう言うミスティの姿は、歳不相応に蠱惑的に見える。



そんなミスティに心惹かれてしまい、必死に媚びろだなんて屈辱的な命令にすら、抗いがたい魅力を感じてしまう。



どうして、なんて考える余裕も無い。ただ、いまだ悲しげな涙を湛えるミスティの瞳に、先ほどまで触れていた唇に、視線が釘付けになるばかり。





「傷心の女の子がひとり、お人好しで、まぞっこで、ロリコンさんなおねーちゃんがひとり――どうやって誘惑するか、わかるよね?」

「う、ウチはそんな、ロリコンなんかじゃ――んぅっ?!」

「ん――ぷはっ……ね、わかるでしょ? それとも、わからせてほしい?」





――そうしてまた、キスされる。



心臓の鼓動がうるさい。何かを言おうとしているはずなのに、舌も頭も回らない。



その小さな手で頭を掴まれて、か弱い力で押さえ付けられて。



離れた唇の感触を名残惜しむ間もなく、何度も唇を重ねられて。その度に、頭の奥の方がのぼせたみたいに熱くなって、何も考えられなくなる。



ミスティの指先が、つぅ、と背筋を撫でれば。大人の威厳も、保護者の貫禄も、全部塗り潰してしまうような多幸感が全身を満たす。



もっとして欲しいと望む自分がいる。わからせてほしいと、口に出してしまいそう。





「――やっぱりジュゼおねーちゃん、よわよわなの。こんなの誰でもメロメロにできちゃう。いじめてくれるなら、誰でも良かったんでしょ?」

「そ……そんな、こと……」

「でも、わたしと契約するんだから。契約したら一生、わたしと一緒にいるんだから。誰でも良かったなんて、言えないようにしてあげるの」

「ぁぅ……ミスティ……にゃん……」





なんにも考えられなくなって、それでも、目の前にいる女の子の名前を呼んだのは――もしかすると、この時点で既に心を奪われてしまっていたからなのかも。



けれどもそんな気持ちを知ってか知らずか、ミスティはじっと目を合わせて――





「これから、わたしじゃないとダメな身体にしてあげるから。いっぱい、ジュゼおねーちゃんのこといじめちゃうから。

――かわりに、わたしのことも好きにして良いの。ご主人さまのからだ、いっぱい感じて?」










――――――――――――――――――――――――――――――










髪を濡らす汗が滴り落ちると共に、すぅ、と火照った身体の内から熱気が抜けていく。



背徳に茹だった頭は冷え、胎の奥から煮え立つような情欲も鳴りを潜め。今はただ人肌の触れる暖かさに、微睡みのような心地よさを覚える。



山場をすぎた、というやつだ。だからだろうか、先ほどまでと比べて落ち着いて物を考えられるようになった。



そうして見やる、抱きかかえた腕の中。そこにはで体力を使い果たしてしまい、裸身を委ねるミスティの姿。



その首筋にはキスマーク。繋いだ手は恋人繋ぎ。上目遣いにうっすらと浮かべる、勝ち誇ったような笑み。





「……まいりました、しか言えんわ」





そんな笑みを向けられると、悲しさでも悔しさでもない、嬉しいけれど何か納得のいかない、もにょもにょとした感情が胸の中で渦を巻く。



そもそもミスティに守護獣契約を受け入れて貰えるよう試練を課したのだから、こうしてミスティが関係を持つのは成功ではあるはずだ。しかしその過程が、試練を課したときに思い描いていたシナリオとまるで違う。



守護獣として十分な力量と有用性があることをミスティに示すはずが、主人として十分な器と覚悟があることをミスティに示されてどうするという話だ。もはや自分とミスティの関係は、当初想定していた「頼れる保護者と非力な娘」などではなくなってしまっている。





「こんなん、格好悪すぎやろ……ミーシャにゃんのことを笑えないやん」





完全な企画倒れ。その上で、年端もいかない童女に屈服させられてしまった。



その事実はある意味で、先の痴態よりも強く羞恥を感じさせるものだ。長らくこの地底で生態系の頂点として君臨していた矜恃があるのなら、なおさらというもの。



そうして現実を直視して肩を落とす自分を、ミスティは優しく撫でる。





「わたしは、格好悪いなんて思わないの」

「……慰めてくれるん?」

「だってジュゼおねーちゃんを一目見たときから、セレスおねーちゃんたちの愛人にしか見えなかったもん。格好良いとか格好悪いとか、そもそも考えもしなかったの」

「無慈悲すぎひん?」





言葉は優しくなかった。しかも恐ろしいことに、愛人説も強く否定できなかった。



幼少から修行をして、見聞を深めるための旅をして、食人植物に喰われて、食人植物と合体して、生態系の頂点となって――そこからどうしてここまで墜ちてしまったのか。これが運命だというのなら、波瀾万丈が過ぎる。





「――もう一度聞いておくんやけど……本当に、ウチでええんか?」

「ジュゼおねーちゃんのおねだりさん。言ってもらうために、これから頑張るんでしょ?」

「たはは……そうやったな」





しかしミスティもまた、自分に負けず劣らずの数奇な運命を辿ることになるであろう。そんな彼女に改めて確認してみれば、返ってきたのはからかうような甘い声。



どんな言葉を期待して問いかけたのか、見透かされてしまったらしい。どころか、その言葉は自分で勝ち取れとも言われてしまった。



手玉に取られる、というのはまさにこのことだろう。全てを見透かされ、ミスティの掌の上で転がされているような感覚が、しかし何故か心地よい。





「じゃあ、もう契約しちゃうの。ミーシャおねーちゃんも、セレスおねーちゃんも、みんな待ってるの」

「せやな。時間も無いって言うてたし――準備はもう、とっくにできとるで」





そうして促されるままに、根と蔦を這わせて作りあげた魔法陣に魔力を流す。



システィの記憶から読み取った守護獣契約の魔法陣に手を加えたそれは、前任者との契約を塗り潰し、守護獣の椅子を乗っ取るためのもの。



それを見やるミスティはほんの一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべ――しかし次の瞬間には何事も無かったかのように目を細め、「お願い」とだけ口にする。



そこに痛々しさのようなものは、もう感じない。ただ、信頼するように身体を預けるばかり。





「己が全てを汝に捧げる。己が全てを汝とす。誓いをここに――【コントラクト・ガーディアン】」





己の全てを差し出すにしては、あまりに短い契約の言葉。



しかしその重みに偽りはなく――言い切ると同時に、全身を魔力の光が包んだ。









―――――――――――――――――――――――――――――――









「――ときに兄者よ、近頃疑問に思うのだが、今の俺達は筋肉戦士として正しく在れているのだろうか?」





迷宮から一時撤退をして数日が経ったある日。メーシュブリグの街中で茶をしばきながら、ふと兄者に尋ねる。



焦りがあった。このままではいけないという、形のない不安があった。



予期せぬ強敵の回避は、依頼を受けて問題を解決するものとして恥ではないだろう。意地を張って余計なことをしでかして、それで依頼主であるメーシュブリグの街を脅かしては元も子もないからだ。



そして迷宮内での調査から、標的がかなりの知性を宿しているということ、そしてそれが魔物だけではなく、人間の集団も関わっている可能性すらも見抜けている。



であればこそ個人の力による解決よりも、集団による解決こそが最適な判断となるだろう。故に、アレンテッツェからの増援を待つことにはなんの問題も無い。



――それでも机の対面でチョコレートパフェをつつく兄者の姿には、どうしても納得できない。





「テインよ。誇り高き筋肉戦士として、その疑念はもっともだろう。こうして仕事もせずにスウィーツをたしなむ今の俺達は、筋肉戦士を名乗るどころか、ぜい肉戦士の誹りを免れるかも怪しいものだ」

「ならば、何故こうものんびりとしていられるのだ? 確かに増援が来るまで手出しをするべきではないと理解できてはいるが――しかし甘味というのは筋肉としてどうかと思うのだ」

「筋肉に一途であり続けることは難しい。であればこそ、雑念は適切に管理するべきなのだ。いざという時に心の弱さが足を引っ張らんようにな」





兄者はそう言いながら、側を通りかかった店員にチョコレートパフェのおかわりを注文する。







「言い方を変えよう。次に迷宮に突入した時に生きて帰ってこれるか分からんから、少しでも未練を無くしておこうというだけだ」









「ふむ、そうだな――テインよ。少し辺りを見回してみろ」

「む? 何かあるのか?」

「いや、気にかけるほどのものは無いさ。だが、改めて今俺達がいるこの街の風景を見てみると良い」





そう唇の端をチョコレートで汚す兄者に諭され、辺りを見渡す。



兄者の言うとおり、そうおかしなものは無かった。



大通りには数多くの大道芸人が見世物を演じ、サーカスの団員が紙吹雪をバラ撒きながら宣伝をし――





『『『オイッス! オイッス!』』』

『ちくしょう! どうして俺が監視する日に限って、迷宮からマンドラゴラどもが脱走を繰り返すんだ! 俺がそんなに嫌いなのか!?』

『オイッス❤』

『嫌いじゃねえってのは分かったから、根菜が投げキッスをしてくるんじゃねえ!』





――迷宮の監視員はひた走る。



物珍しいものはあれど、異常なものは何も無い。迷宮に魔物が居ようとなんてことはない、ほんの少しだけ客の密度が減っただけの、のどかな日常がそこには在る。





「――平和だな」

「そう、平和だ。今まさにに壊れてもおかしくない、儚い平和だ」





そんな平和な光景を見やる兄者の声音は、しかし真剣さに満ちている。



戦時の兵士にすら匹敵するほどの気迫を放つ兄者は、遠く、迷宮の入り口がある街の外れに意識を向けている。その先に居る相手こそが、この平和を踏みにじる災厄であると確信しているかのように。





「……あのリビングアーマー、か」

「そう、あののリビングアーマーだ」





そうして思い出す、迷宮で遭遇した謎の存在。黒鎧を身に纏い、螺旋の槍を手に俺達の目の前に立ちはだかった、あの敵を。



アレを発見した時は、よほどの業物がリビングアーマーとなったのだろうと大した考察はしていなかった。しかし情報を持ち帰り、その正体におおよその見当をつけた時――背筋が泡立つような、言いようのない恐怖すら覚えた。



あのリビングアーマーは、魔物ではなく人間だ。俺達を迷宮内で罠に嵌めようとした、迷宮内に拠点を持つ敵対的な人間だ。



そしてそれとは別に、標的となる魔物もまた、迷宮内に拠点を置いているのだ。それはつまり、ほんの僅かな可能性ではあるが――人間の敵対者と魔物が、手を組んでいる可能性があるということだ。



これは単に戦力の問題だけではなく、俺達のような冒険者の情報が魔物側に漏れている可能性があると言うことだ。いや、実際そうなのだろう。ほとんど間を置かずに様変わりした迷宮に、魔物ではなく人間を狙った罠の数々は、魔物側が俺達を撃退したかったからに違いあるまい。



標的の魔物は、既に増援を得ている。これはたった2人の戦力である俺達にとって、致命的な情報だった。





「敵はアルラウネか、あの黒騎士か。はたまたその両方か。どちらにせよ、死闘になるだろう。

もちろん策はある。俺達が実力も不足とは思わん。しかしあの黒騎士から感じた武威マッスルオーラは尋常のものではなかった。ともすれば――」

「不覚を取る可能性もある、と?」

「そうだが、それだけじゃない。もしあれほどの輩が迷宮から出て暴れようものなら、戦う筋肉の無い者は悉く殺されてしまうだろう。

そんなとき、真っ先に犠牲になってしまうのは――」





『ふっふっふ……ここ数日でゴラさんたちとの友情を深めた私にとって、この程度の誘導なんて楽勝なんだよ!』

『そうですね。ゴラさん、ありがとうございました』

『あれ? わ、私は褒めてくれないの?』

『ちゃんと褒めてあげますよ。ですが、このゴラさんとはここでお別れですから。しっかりお礼を言っておかないと』

『言われてみれば確かに……ありがとうね、ゴラさん!』

『オイッス!』





「――そう。まさにあんな感じの、いかにも発想の幼そうなか弱い少女や、それを諫める同年代のしっかりとした女の子なのだ。

テインよ。お前は筋肉戦士としてそんな悲劇を許せるか?」

「……許せるはずがない」

「そうだ。それで良い。――勝たなければならない理由と、勝算の有無は違う。しかし命を賭ける確かな理由があるのであれば、土壇場での踏ん張りが利くというもの。

故に俺はこうして街を歩き回り、チョコレートパフェを貪り、自分がなんのために命を賭すのかを再確認しているのだ。――そう、心の筋肉を、覚悟という名のプロテインで満たすために」

「そうか……これが、筋肉……」





そうして兄者から筋肉戦士の覚悟のなんたるかを教えられて、俺も今一度、自分が守ることとなる街を改めて見渡す。



アルラウネらしき魔物が出たことで、観光客は普段よりも少ないという。だからこそ、この地に根を下ろして住まう人々の姿が、魔物の脅威から逃げることのできない無辜の民の姿がハッキリと目に映る。



店の軒先を間借りしてジャグリングをする芸人を、店の主人と思しき老夫婦が柔らかに微笑んでいる。雑貨屋では文句を言いながら仕事を怠けようとする息子を、店主が顔を真っ赤にしながら叱りつけている。





『ほらー! ジュゼちゃんもミスティちゃんも早くきてー! 乗り合い馬車が出ちゃうよー!』

『ちょ、ミーシャにゃん、もっとゆっくり歩いてなー! ウチ、動くのなんて100年ぶり近いんやで! このローブも全然前が見えへんし!』

『これからさんざん泣かされるんだから、これくらいのことで泣き言いっちゃダメなの。後でなでなでしてあげるから、今はきりきり歩くの』

『うぅ……分かっていたこととは言えウチの立場が弱い……っ!』





――そんな店先の前を、全身を隠すローブを纏い目深にフードを被った女の子らしきものがぴょんぴょん跳ね歩き、小柄なエルフの幼女がそんな彼女の手を引き歩く。



それは、微笑ましい街角の風景。どこにでもある平和な日常。



物珍しい光景という訳でもなく、冷たく言えば俺とは関係の無い――しかし間違いなく、俺が命を賭して守ることになる景色が、そこにあった。





「……これは、気合いが入るな」

「そうだろう。守るべきものがあるということを自覚するだけでも、心の持ちようは大きく変わる。男としての格は上がり、筋肉は膨らむ」

「成程……これが、筋肉……」





そんな光景を見ていると、不思議と全身に力が漲ってくる。



安い正義感に駆られたようでいて、しかしそれとは全く違う、自然な覚悟が心の内に芽生えてくる。





「――増援の到着予定日は明日だ。今の内に、心を満たしておけ」





もはや、兄者のその言葉に頷く以外の選択肢は無かった。



この街を守る。この街の人々を守る。そのために、あの黒騎士と戦う。アルラウネと戦う。



その覚悟を決めてしまえば、焦る心は静けさを取り戻していた。



明日、俺は1人の筋肉戦士として命懸けの戦いをするだろう。しかしそれは己を磨くためのものではなく、ただ、守るためのものなのだ。





「了解だ、兄者。……ところで、そのチョコレートパフェはそんなに美味しいのか?」

「絶品だ」









――後の迷宮攻略において、彼らは最下層にて眠りについていたウロボロスを発見する。そして彼らはその討伐戦において中心的な役割を担うことになり、その活躍から竜殺しの誉れを得ることになる。



その後の徹底的な探索もあって街の安全は完全に保証され、迷宮の奥地に忘れ去られていた財宝までもを彼らは持ち帰ることに成功した。



それにより街どころか国からも報償を与えられ、Aランク冒険者の中でも頭1つ抜きん出た名声を得ることになるのだが――当の2人は肩すかしを食らったかのような、拍子抜けしたような表情を浮かべていたという。


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