月明かり

凛子

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 工事現場の投光器かと思えば、綺麗な満月だった。
 今日は十五夜だ。

 時生とはあれから二週間連絡をとっていなかったが、謝りたくてここへ来たのだ。
 美和子は足を止めキョロキョロと辺りを見渡した。
 工事中だったはずの場所は、フェンスやカラーコーンが取り払われいて、誘導灯を振る時生の姿もなかった。時生を避けてしばらくこの道を通らなかった間に、工事が終わったのだろう。
 美和子は呆然と立ち尽くす。

 もとからあったものか忘れていったものか、取り残されたように一台のカラーベンチが月明かりに照らされていた。
 会いに来たのに会えないと、余計に会いたくなる。


「美和子ちゃん!」

 突然前方から呼びかけられて目を凝らすと、駆け寄ってくる時生の姿が見えた。

「時生さん!」
「よかった。どうしても会いたくなって美和子ちゃんのマンションまで行ったんだけど、いくら探しても郵便受けに名前がなくて」

 肩で息をしながら、時生が困り顔を向けている。

「なくて当然です」
「え?」
「住んでませんから、そのマンションに」
「ええっ!?」
「私の家は、そのマンションのすぐ横の、ボロアパートです」

 時生は目を丸くして、呆気にとられている様子だ。

「昔も今も、六畳一間のアパートに家族四人で暮らしてるんです」
「そうだったんだ。俺、引っ越しでもしたんじゃないかって焦って――」

 軽蔑するでもなく、伝わってきたのは時生の安堵の感情だけだった。

「座りませんか?」

 時生を促し、カラーベンチに二人で腰を下ろす。


「うちには、凄く優しくて、だけど頼りない万年平社員の父と、そんな父が大好きな、ちょっと天然で料理上手な優しい母と、甘えん坊だけど家族思いな、六歳離れた可愛い弟がいるんです」
「初めてだね。美和子ちゃんが家族のこと話してくれたの」

 時生がふわりと微笑んだ。

「隠してたんです。知られたくなくて」
「え?」
「やっぱり長い間貧乏生活してくると、心まで貧しくなるんですかね」
「うーん……それは違うんじゃないかな。心の豊かさに、金持ちとか貧乏とか住んでるところは関係ないと思うよ。俺は、美和子ちゃんは心の豊かな女性だと思う」
「どうしてそう思うんですか? 自分では全くそうは思いません。例えば、どういうところですか?」
「うん、例えば……美和子ちゃんさ、俺との初めてのデートの時に家族にお土産買ったの覚えてる?」
「あ、お芋のスイーツですよね?」
「そうそう。たまたま立ち寄っただけのカフェで食べたものを『美味しかったから食べさせてあげたい』って言って」
「はい」

 時生に『幸せそうな顔するね』と言われ、見詰められていたことに気付いて、赤面したことを思い出す。

「合コンの時も言ってたよね。家族に持って帰ってあげるって」
「はい。美味しいものは独り占めしちゃ駄目な気がするんです」
「心の貧しい人は、自分の幸せを考える。だけど美和子ちゃんは相手の幸せも考えれる人なんだろうなって思ったんだ。そんな美和子ちゃんに、俺は惚れたんだよ」
「やだ、時生さん大袈裟ですよ」
「俺、美和子ちゃんといると幸せなんだ」

 不意に頬が熱くなる。

「ほんとは『俺が幸せにする』って言いたいところだけど……」

 時生は苦笑いを浮かべながら続ける。

「定職に就いてない俺は、まだ言っちゃいけない言葉だと思うから」
「そんなことないですよ。うちは貧乏でしたけど、お金がなくても不幸だと思ったことは一度もないんです。お金がなくてもずっと幸せでしたから。ただ……」
「ただ?」

 時生が顔を覗き込む。

「私を大切に育ててくれた両親に、少しでも楽させてあげたいなって思うだけです」

 目を細め、愛おしいものを見るような時生の眼差しが擽ったい。

「俺がエリートじゃなかったのが、誤算だった?」

 か細い声が耳に届く。
 
「そうですね。思い描いていた未来予想図は白紙に戻りました」
「ごめん……」

 頼りなさげな表情が、どこか父に似ていて可笑しくなる。

「大丈夫ですよ。エリートじゃない時生さんとの未来予想図に書きかえますから」

 美和子が悪戯な笑みを浮かべながら、時生の顔を覗き込むと、安堵した表情の時生が唇を寄せた。
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