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二話
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この上なく辛く悲しい思いをしていても、自分のことなどおかまいなしに世の中が普通に動いていることに、苛立ちを覚えた。
けれども、自分も当たり前に働かなければ、食べてはいけない。
気付けば、三度目の冬を迎えていた。
「すっげぇ綺麗ですね」
鏡越しに麗子に微笑むイケメンの美容師はそう言った後、「本当に切っちゃっていいんですか?」と躊躇いがちに尋ねた。
「はい、お願いします」
麗子がきっぱり言い放つと、美容師は腰まである黒髪をコームで梳かしてから、肩辺りにはさみを入れた。
『麗子の髪すげぇ綺麗だよな』
麗子が隣に座ると、仁は決まって肩を抱き髪を撫でながらそう言った。
それがとても心地よくて――
仁の優しい目が好きで、髪を撫でる大きな手が好きで、スポーツで鍛え上げられた大きな体で覆い被さるように抱き締められると、底知れぬ安心感を覚えた。
しかし、三年という月日が、麗子からその感覚を少しずつ消し去ろうとしていた。
美容室を出ると、ちらちらと雪が舞っていた。
麗子は空を見上げて思う。
――積もるかなぁ。
『ガキかよ! すぐ風邪引くくせに』
いつだったか、雪が降る日のデートの帰り道、積もったら雪だるまを作ろう、と話した麗子に仁が言った言葉だ。
仁は呆れ顔を向けながら、コートのフードを被せてきた。
次の日雪は積もったが、雪だるまは作れなかった。仁の言った通り、麗子が風邪をひいて熱を出したからだ。そして、仁がお見舞いに大量の雪見だいふくを持ってきた。
ふと、そんなことを思い出して、口元が緩む。
「麗」
呼ばれた気がして振り返ったが、気のせいだったようで、幻聴が聞こえたのかと身震いした。
「麗!」
今度ははっきりと聞こえてもう一度振り返ると、何処からともなく小走りでやってくる男性が見えた。
――仁!?
幻覚かと思ったが、そんなことはありえない。黒髪をなびかせてやってきたのは、准だった。
麗子は息を呑み、その顔をじっと見つめた。
「麗、だよな?」
准が首を傾げてぎこちない口調で尋ねる。
「え? うん、そうだよ。何か……准君、雰囲気変わったよね」
「そうか?」
准は事もなげに言った。まるでずっとそうだったかのような口ぶりだ。
三年前は、どこにいても目立つ金髪だったのに。さらに三年遡った六年前、麗子が初めて顔を合わせた時から既にそうで、それが彼のトレードマークのようだったのに。
「まぁ三年も経ったら見た目も変わるんじゃねぇの?」
「何か……」
仁に似てる、とは言えなかった。
「准君、大人っぽくなったね。年上の彼女でも出来た?」
准の表情が一瞬強張ったような気がした。
「まぁな。俺、結構モテるし」
准は表情を変えずに、ぶっきらぼうに答えた。
年上の彼女に見合うように、落ち着いた印象の黒髪に戻したということだろう。一瞬怒っているのかと思ったが、それが彼の平常運転だったと思い出した。
『俺んとこ来てほしい』
そんなことを言われた過去を引きずっているのは、自分だけだ。
「麗、髪切ったんだな」
不意に准が手を伸ばし、切り立ての麗子の髪に触れた。
「そんなことしたら、彼女が焼いちゃうよ」
麗子は伏し目がちに言った。
「だよな」
髪から手を離した准は、気まずそうに額を掻いている。
一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いが、麗子の頭の中を埋め尽くしていた。
「准君、元気そうで良かった。じゃあ、またね」
胸の前で小さく手を振り立ち去ろうとすると、不意に強い力で引き戻された。
「まだ話終わってねぇよ!」
腕を掴んだままの准が、鋭い眼差しを向けている。
麗子は戸惑い、准を見つめたまま立ち竦んでいた。
「女なんかいるわけねぇだろ!」
准が声を荒らげた。
「え?」
「お前、俺の気持ち知ってるよな?」
「……」
「ひでぇ奴」
そう言われても仕方がない。けれど、それならば何と言えば良かったのだろう。
自分のことをまだ好きでいてくれているのか、なんて聞けるわけがない。
「ごめん」
「謝んじゃねぇよ! 何か俺、すげぇ惨めじゃん……」
麗子は返す言葉を探しあぐねた。
けれども、自分も当たり前に働かなければ、食べてはいけない。
気付けば、三度目の冬を迎えていた。
「すっげぇ綺麗ですね」
鏡越しに麗子に微笑むイケメンの美容師はそう言った後、「本当に切っちゃっていいんですか?」と躊躇いがちに尋ねた。
「はい、お願いします」
麗子がきっぱり言い放つと、美容師は腰まである黒髪をコームで梳かしてから、肩辺りにはさみを入れた。
『麗子の髪すげぇ綺麗だよな』
麗子が隣に座ると、仁は決まって肩を抱き髪を撫でながらそう言った。
それがとても心地よくて――
仁の優しい目が好きで、髪を撫でる大きな手が好きで、スポーツで鍛え上げられた大きな体で覆い被さるように抱き締められると、底知れぬ安心感を覚えた。
しかし、三年という月日が、麗子からその感覚を少しずつ消し去ろうとしていた。
美容室を出ると、ちらちらと雪が舞っていた。
麗子は空を見上げて思う。
――積もるかなぁ。
『ガキかよ! すぐ風邪引くくせに』
いつだったか、雪が降る日のデートの帰り道、積もったら雪だるまを作ろう、と話した麗子に仁が言った言葉だ。
仁は呆れ顔を向けながら、コートのフードを被せてきた。
次の日雪は積もったが、雪だるまは作れなかった。仁の言った通り、麗子が風邪をひいて熱を出したからだ。そして、仁がお見舞いに大量の雪見だいふくを持ってきた。
ふと、そんなことを思い出して、口元が緩む。
「麗」
呼ばれた気がして振り返ったが、気のせいだったようで、幻聴が聞こえたのかと身震いした。
「麗!」
今度ははっきりと聞こえてもう一度振り返ると、何処からともなく小走りでやってくる男性が見えた。
――仁!?
幻覚かと思ったが、そんなことはありえない。黒髪をなびかせてやってきたのは、准だった。
麗子は息を呑み、その顔をじっと見つめた。
「麗、だよな?」
准が首を傾げてぎこちない口調で尋ねる。
「え? うん、そうだよ。何か……准君、雰囲気変わったよね」
「そうか?」
准は事もなげに言った。まるでずっとそうだったかのような口ぶりだ。
三年前は、どこにいても目立つ金髪だったのに。さらに三年遡った六年前、麗子が初めて顔を合わせた時から既にそうで、それが彼のトレードマークのようだったのに。
「まぁ三年も経ったら見た目も変わるんじゃねぇの?」
「何か……」
仁に似てる、とは言えなかった。
「准君、大人っぽくなったね。年上の彼女でも出来た?」
准の表情が一瞬強張ったような気がした。
「まぁな。俺、結構モテるし」
准は表情を変えずに、ぶっきらぼうに答えた。
年上の彼女に見合うように、落ち着いた印象の黒髪に戻したということだろう。一瞬怒っているのかと思ったが、それが彼の平常運転だったと思い出した。
『俺んとこ来てほしい』
そんなことを言われた過去を引きずっているのは、自分だけだ。
「麗、髪切ったんだな」
不意に准が手を伸ばし、切り立ての麗子の髪に触れた。
「そんなことしたら、彼女が焼いちゃうよ」
麗子は伏し目がちに言った。
「だよな」
髪から手を離した准は、気まずそうに額を掻いている。
一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いが、麗子の頭の中を埋め尽くしていた。
「准君、元気そうで良かった。じゃあ、またね」
胸の前で小さく手を振り立ち去ろうとすると、不意に強い力で引き戻された。
「まだ話終わってねぇよ!」
腕を掴んだままの准が、鋭い眼差しを向けている。
麗子は戸惑い、准を見つめたまま立ち竦んでいた。
「女なんかいるわけねぇだろ!」
准が声を荒らげた。
「え?」
「お前、俺の気持ち知ってるよな?」
「……」
「ひでぇ奴」
そう言われても仕方がない。けれど、それならば何と言えば良かったのだろう。
自分のことをまだ好きでいてくれているのか、なんて聞けるわけがない。
「ごめん」
「謝んじゃねぇよ! 何か俺、すげぇ惨めじゃん……」
麗子は返す言葉を探しあぐねた。
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