64 / 64
64.それぞれの想い
しおりを挟む
後宮は噂話に敏感だ。
新しい妃の話しは当然、藤壺にも伝わっている。
どこかの煩い女御が謹慎後も大人しく過ごしているせいか、藤壺は静かであった。
麗景殿女御は、意気消沈している宣耀殿女御の元にお見舞いがてら慰めているらしく、藤壺に遊びにくることはない。
誰も来ないことを良いことに蓮子はだらけていた。
肘掛に凭れ、寝そべっている。
御機嫌伺いに来た時次はそんな蓮子の様子に、やれやれといった感じだ。
山吹大納言の話しを伝えに来ていた。
興味なさげの蓮子だが、きちんと聞いていた。
「こりない人ねぇ」
ぼそりと感想を呟く蓮子に、時次は苦笑した。
間延びした蓮子の口調に山吹大納言を小バカにしている様子が見受けられる。
「右大臣家の者にだけは言われたくない言葉だろうな」
「あら、失礼ね」
「本当のことだ。父上に陥れられて失脚した者は数知れず」
「政治家なら当たり前では?」
「ま、そうだな」
義父の悪い噂は、蓮子の耳にも入っている。
悪名高い右大臣の噂を知らない者はいない。
だが、蓮子はそれを気にした様子はなかった。
清廉潔白な人間などこの世にいない――それが蓮子の見解だ。
およそ姫君らしからぬ考えだが、彼女の場合は致し方ない。悪意になれている。
(あの事件さえなければな……)
数年前の忌まわしい記憶が蘇るが、ハタッと思い至った。
(まてよ、事件前からこの性格だった)
行動的と言おうか。
姫としての教育の傍ら、武芸を習う。護身のためだといって。
「お転婆が過ぎます」
と、蓮子の教育係は頭を抱えていた。
養父母は笑いながら、「元気が一番だ。お転婆姫とは。はははっ」と笑い飛ばしていた。
蓮子は、自由に好きなようにさせてくれる両親の反応に気を良くし、ますます活発になった。
時次のことも実子同然に愛してくれた。
枇杷邸は笑いに包まれていた。
「お義兄様?」
蓮子の声で我に返り、頭を振る。物思いに更けている場合ではない。
「悪い、考え事をしていた」
「悪だくみではなく?難しい顔していましたよ」
失礼極まりない。
時次は苦笑し、話しを変える。
「山吹大納言の養女は、昭陽舎に入るらしい。大納言が張り切って入内の準備を進めているそうだ」
「華やかになって良いわ。なにしろ、数が減ってしまったから」
「減らし過ぎだ」
「そうかしら?」
蓮子は首を傾げる。
あざとい。
わざとなのか、無意識なのか知らないが。
「主上も趣味が悪い。お前を寵妃に据えるのだからな」
「英断だわ」
「どこがだ」
蓮子の言葉に、時次は突っ込みを入れる。
相変わらず、義妹は一筋縄ではいかない。
帝がどんな思惑で蓮子を尚侍に据えたのか。
寵妃と君臨しているが、男女の愛情は双方にない。
互いの利害が一致した、ただそれだけの関係だ。
蓮子はそのことについてどう思っているのか分からない。
そもそも、蓮子自身が帝のことをどう考えているのか分からないのだ。
女三の宮を引き取れれば良かったのだが。
あの姫宮は使える。
時次は女三の宮を利用しようとは考えていない。
彼女の賢さを高く評価しているだけだ。
(蓮子も薄々気付いているだろうに)
妙に甘いのは、相手が幼児だからだろう。
(ま、どちらにせよ、女三の宮まで右大臣家が取り込めば反発されたがな)
時次は、そっと溜息を漏らした。
「ま、なるようになるだろう」
時次は気にしないことにした。
帝のことだ。何か考えがあるのだろう。
気にしたら負けである。
宣耀殿は静かだった。
腫れ物扱いのまま。
誰もが女御を遠巻きにしている。
「宣耀殿女御さま」
麗景殿女御が声をかけると、宣耀殿女御は振り返った。
「ご機嫌いかがですか?」
「ええ。私は元気ですわ」
宣耀殿女御は笑顔で答えたが、その顔色は悪かった。
やはりまだショックなのだろう。
無理もないことだ。
実兄が姪を養女にして後宮に送り込むなど。
大納言の養女なら女御にはなれない。更衣として入内することになるだろう。
「宣耀殿女御さま」
「何でしょう?」
「主上はお忙しい身です。なかなかこちらに来られないのは仕方ありませんわ」
「……はい……」
麗景殿女御の言葉に、宣耀殿女御は小さく頷いた。
顔色は相変わらず悪かったが、表情は少し和らいでいるように見えた。
気の強い宣耀殿女御も今回の兄の所業に、落ち込んでいるのだろう。
仲が良いとは決していえない兄妹。
だが、それなりに気にかけていただろうに。
ひと悶着あったらしい。
宣耀殿女御は自分の気持ちに正直だ。
良くも悪くも……。
「主上はお優しい方です」
「……」
「今は仕方ありませんわ」
「……」
返事はない。
唇を強く噛み、俯いている。
何かに耐えているようだ。
言葉にできない思いがある。
「宣耀殿女御さま、また来ますわ」
麗景殿女御はそう告げて、宣耀殿女御の局を後にした。
主上も惨いことをする。
この場合、左大臣家もだろうか。
一波乱ありそうだ。
「困ったことにならなければ良いのだけれど……」
誰に言うでもなく、麗景殿女御は呟いた。
多くの者たちの思惑が絡み合う、権謀術数の魔宮。
しかし、今、後宮内は不気味なほど静まりかえっていた。
新しい妃の話しは当然、藤壺にも伝わっている。
どこかの煩い女御が謹慎後も大人しく過ごしているせいか、藤壺は静かであった。
麗景殿女御は、意気消沈している宣耀殿女御の元にお見舞いがてら慰めているらしく、藤壺に遊びにくることはない。
誰も来ないことを良いことに蓮子はだらけていた。
肘掛に凭れ、寝そべっている。
御機嫌伺いに来た時次はそんな蓮子の様子に、やれやれといった感じだ。
山吹大納言の話しを伝えに来ていた。
興味なさげの蓮子だが、きちんと聞いていた。
「こりない人ねぇ」
ぼそりと感想を呟く蓮子に、時次は苦笑した。
間延びした蓮子の口調に山吹大納言を小バカにしている様子が見受けられる。
「右大臣家の者にだけは言われたくない言葉だろうな」
「あら、失礼ね」
「本当のことだ。父上に陥れられて失脚した者は数知れず」
「政治家なら当たり前では?」
「ま、そうだな」
義父の悪い噂は、蓮子の耳にも入っている。
悪名高い右大臣の噂を知らない者はいない。
だが、蓮子はそれを気にした様子はなかった。
清廉潔白な人間などこの世にいない――それが蓮子の見解だ。
およそ姫君らしからぬ考えだが、彼女の場合は致し方ない。悪意になれている。
(あの事件さえなければな……)
数年前の忌まわしい記憶が蘇るが、ハタッと思い至った。
(まてよ、事件前からこの性格だった)
行動的と言おうか。
姫としての教育の傍ら、武芸を習う。護身のためだといって。
「お転婆が過ぎます」
と、蓮子の教育係は頭を抱えていた。
養父母は笑いながら、「元気が一番だ。お転婆姫とは。はははっ」と笑い飛ばしていた。
蓮子は、自由に好きなようにさせてくれる両親の反応に気を良くし、ますます活発になった。
時次のことも実子同然に愛してくれた。
枇杷邸は笑いに包まれていた。
「お義兄様?」
蓮子の声で我に返り、頭を振る。物思いに更けている場合ではない。
「悪い、考え事をしていた」
「悪だくみではなく?難しい顔していましたよ」
失礼極まりない。
時次は苦笑し、話しを変える。
「山吹大納言の養女は、昭陽舎に入るらしい。大納言が張り切って入内の準備を進めているそうだ」
「華やかになって良いわ。なにしろ、数が減ってしまったから」
「減らし過ぎだ」
「そうかしら?」
蓮子は首を傾げる。
あざとい。
わざとなのか、無意識なのか知らないが。
「主上も趣味が悪い。お前を寵妃に据えるのだからな」
「英断だわ」
「どこがだ」
蓮子の言葉に、時次は突っ込みを入れる。
相変わらず、義妹は一筋縄ではいかない。
帝がどんな思惑で蓮子を尚侍に据えたのか。
寵妃と君臨しているが、男女の愛情は双方にない。
互いの利害が一致した、ただそれだけの関係だ。
蓮子はそのことについてどう思っているのか分からない。
そもそも、蓮子自身が帝のことをどう考えているのか分からないのだ。
女三の宮を引き取れれば良かったのだが。
あの姫宮は使える。
時次は女三の宮を利用しようとは考えていない。
彼女の賢さを高く評価しているだけだ。
(蓮子も薄々気付いているだろうに)
妙に甘いのは、相手が幼児だからだろう。
(ま、どちらにせよ、女三の宮まで右大臣家が取り込めば反発されたがな)
時次は、そっと溜息を漏らした。
「ま、なるようになるだろう」
時次は気にしないことにした。
帝のことだ。何か考えがあるのだろう。
気にしたら負けである。
宣耀殿は静かだった。
腫れ物扱いのまま。
誰もが女御を遠巻きにしている。
「宣耀殿女御さま」
麗景殿女御が声をかけると、宣耀殿女御は振り返った。
「ご機嫌いかがですか?」
「ええ。私は元気ですわ」
宣耀殿女御は笑顔で答えたが、その顔色は悪かった。
やはりまだショックなのだろう。
無理もないことだ。
実兄が姪を養女にして後宮に送り込むなど。
大納言の養女なら女御にはなれない。更衣として入内することになるだろう。
「宣耀殿女御さま」
「何でしょう?」
「主上はお忙しい身です。なかなかこちらに来られないのは仕方ありませんわ」
「……はい……」
麗景殿女御の言葉に、宣耀殿女御は小さく頷いた。
顔色は相変わらず悪かったが、表情は少し和らいでいるように見えた。
気の強い宣耀殿女御も今回の兄の所業に、落ち込んでいるのだろう。
仲が良いとは決していえない兄妹。
だが、それなりに気にかけていただろうに。
ひと悶着あったらしい。
宣耀殿女御は自分の気持ちに正直だ。
良くも悪くも……。
「主上はお優しい方です」
「……」
「今は仕方ありませんわ」
「……」
返事はない。
唇を強く噛み、俯いている。
何かに耐えているようだ。
言葉にできない思いがある。
「宣耀殿女御さま、また来ますわ」
麗景殿女御はそう告げて、宣耀殿女御の局を後にした。
主上も惨いことをする。
この場合、左大臣家もだろうか。
一波乱ありそうだ。
「困ったことにならなければ良いのだけれど……」
誰に言うでもなく、麗景殿女御は呟いた。
多くの者たちの思惑が絡み合う、権謀術数の魔宮。
しかし、今、後宮内は不気味なほど静まりかえっていた。
87
お気に入りに追加
304
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
忌むべき番
藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」
メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。
彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。
※ 8/4 誤字修正しました。
※ なろうにも投稿しています。
「お姉様の赤ちゃん、私にちょうだい?」
サイコちゃん
恋愛
実家に妊娠を知らせた途端、妹からお腹の子をくれと言われた。姉であるイヴェットは自分の持ち物や恋人をいつも妹に奪われてきた。しかし赤ん坊をくれというのはあまりに酷過ぎる。そのことを夫に相談すると、彼は「良かったね! 家族ぐるみで育ててもらえるんだね!」と言い放った。妹と両親が異常であることを伝えても、夫は理解を示してくれない。やがて夫婦は離婚してイヴェットはひとり苦境へ立ち向かうことになったが、“医術と魔術の天才”である治療人アランが彼女に味方して――
(完結)私より妹を優先する夫
青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。
ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。
ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる