後宮の系譜

つくも茄子

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64.それぞれの想い

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 後宮は噂話に敏感だ。
 新しい妃の話しは当然、藤壺にも伝わっている。
 どこかの煩い女御が謹慎後も大人しく過ごしているせいか、藤壺は静かであった。
 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、意気消沈している宣耀殿女御せんようでんのにょうごの元にお見舞いがてら慰めているらしく、藤壺に遊びにくることはない。

 誰も来ないことを良いことに蓮子れんしはだらけていた。
 肘掛に凭れ、寝そべっている。

 御機嫌伺いに来た時次はそんな蓮子れんしの様子に、やれやれといった感じだ。
 山吹大納言やまぶきのだいなごんの話しを伝えに来ていた。
 興味なさげの蓮子れんしだが、きちんと聞いていた。

「こりない人ねぇ」

 ぼそりと感想を呟く蓮子れんしに、時次は苦笑した。
 間延びした蓮子れんしの口調に山吹大納言やまぶきのだいなごんを小バカにしている様子が見受けられる。

「右大臣家の者にだけは言われたくない言葉だろうな」
「あら、失礼ね」
「本当のことだ。父上に陥れられて失脚した者は数知れず」
「政治家なら当たり前では?」
「ま、そうだな」

 義父の悪い噂は、蓮子れんしの耳にも入っている。
 悪名高い右大臣の噂を知らない者はいない。 
 だが、蓮子れんしはそれを気にした様子はなかった。
 清廉潔白な人間などこの世にいない――それが蓮子れんしの見解だ。
 およそ姫君らしからぬ考えだが、彼女の場合は致し方ない。悪意になれている。

(あの事件さえなければな……)

 数年前の忌まわしい記憶が蘇るが、ハタッと思い至った。

(まてよ、事件前からこの性格だった)

 行動的と言おうか。
 姫としての教育の傍ら、武芸を習う。護身のためだといって。


「お転婆が過ぎます」

 と、蓮子れんしの教育係は頭を抱えていた。
 養父母は笑いながら、「元気が一番だ。お転婆姫とは。はははっ」と笑い飛ばしていた。
 蓮子れんしは、自由に好きなようにさせてくれる両親の反応に気を良くし、ますます活発になった。
 時次のことも実子同然に愛してくれた。
 枇杷邸は笑いに包まれていた。

「お義兄様?」

 蓮子れんしの声で我に返り、頭を振る。物思いに更けている場合ではない。

「悪い、考え事をしていた」
「悪だくみではなく?難しい顔していましたよ」

 失礼極まりない。
 時次は苦笑し、話しを変える。

山吹大納言やまぶきのだいなごんの養女は、昭陽舎に入るらしい。大納言が張り切って入内の準備を進めているそうだ」
「華やかになって良いわ。なにしろ、数が減ってしまったから」
「減らし過ぎだ」
「そうかしら?」

 蓮子れんしは首を傾げる。
 あざとい。
 わざとなのか、無意識なのか知らないが。

主上おかみも趣味が悪い。お前を寵妃に据えるのだからな」
「英断だわ」
「どこがだ」

 蓮子れんしの言葉に、時次は突っ込みを入れる。
 相変わらず、義妹は一筋縄ではいかない。
 帝がどんな思惑で蓮子れんしを尚侍に据えたのか。
 寵妃と君臨しているが、男女の愛情は双方にない。
 互いの利害が一致した、ただそれだけの関係だ。
 蓮子れんしはそのことについてどう思っているのか分からない。
 そもそも、蓮子れんし自身が帝のことをどう考えているのか分からないのだ。

 女三の宮を引き取れれば良かったのだが。
 あの姫宮は使える。
 時次は女三の宮を利用しようとは考えていない。
 彼女の賢さを高く評価しているだけだ。

蓮子れんしも薄々気付いているだろうに)

 妙に甘いのは、相手が幼児だからだろう。

(ま、どちらにせよ、女三の宮まで右大臣家が取り込めば反発されたがな)
 
 時次は、そっと溜息を漏らした。

「ま、なるようになるだろう」

 時次は気にしないことにした。
 帝のことだ。何か考えがあるのだろう。
 気にしたら負けである。








 宣耀殿は静かだった。
 腫れ物扱いのまま。
 誰もが女御を遠巻きにしている。
 

宣耀殿女御せんようでんのにょうごさま」

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごが声をかけると、宣耀殿女御せんようでんのにょうごは振り返った。

「ご機嫌いかがですか?」
「ええ。私は元気ですわ」

 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは笑顔で答えたが、その顔色は悪かった。
 やはりまだショックなのだろう。
 無理もないことだ。
 実兄が姪を養女にして後宮に送り込むなど。

 大納言の養女なら女御にはなれない。更衣として入内することになるだろう。

宣耀殿女御せんようでんのにょうごさま」
「何でしょう?」
主上おかみはお忙しい身です。なかなかこちらに来られないのは仕方ありませんわ」
「……はい……」

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごの言葉に、宣耀殿女御せんようでんのにょうごは小さく頷いた。
 顔色は相変わらず悪かったが、表情は少し和らいでいるように見えた。
 気の強い宣耀殿女御せんようでんのにょうごも今回の兄の所業に、落ち込んでいるのだろう。
 仲が良いとは決していえない兄妹。
 だが、それなりに気にかけていただろうに。

 ひと悶着あったらしい。

 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは自分の気持ちに正直だ。
 良くも悪くも……。

主上おかみはお優しい方です」
「……」
「今は仕方ありませんわ」
「……」

 返事はない。
 唇を強く噛み、俯いている。
 何かに耐えているようだ。
 言葉にできない思いがある。

宣耀殿女御せんようでんのにょうごさま、また来ますわ」

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごはそう告げて、宣耀殿女御せんようでんのにょうごの局を後にした。
 主上おかみも惨いことをする。
 この場合、左大臣家もだろうか。

 一波乱ありそうだ。

「困ったことにならなければ良いのだけれど……」

 誰に言うでもなく、麗景殿女御れいけいでんのにょうごは呟いた。

 


 多くの者たちの思惑が絡み合う、権謀術数の魔宮。
 しかし、今、後宮内は不気味なほど静まりかえっていた。


 


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