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50.幼き姫宮 壱
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蓮子は、後宮の庭を散策していた。
藤の花が咲き誇る庭は、春らしく色鮮やかだ。
一歳の皇子は乳母に任せている。
ぁ~~……ぅ~~~……。
どこからか、鳴き声が聞こえてきた。不思議に思い、声の方へと向かっていくと、子供がいた。
木の陰に隠れるようにして、蹲っている子供だ。
鳴き声の正体は、この子のようだ。
「どうしたの?」
蓮子が声をかけると、子供はビクッとなって振り返った。
年の頃は四歳前後だろうか。育ちの良さそうな子供だ。
(どこかで見たような……?)
蓮子は記憶を探ったが、子供に見覚えがなかった。
(ずいぶん綺麗な子……)
艶のある黒髪は手入れをされているようで、肌は白く滑らかだ。
着ている衣も上等なもの。
「ぁ……」
蓮子を見て、子供は目を見開いた。
「?」
蓮子が首を傾げると、子供は慌てたように立ち上がった。
「あ……の……」
もじもじとする子供に蓮子は再度声をかけることにした。
「どうしたの?もしかして迷子?」
「……」
沈黙する子供。
訳アリだろうか。
それとも人見知りなだけなのか。
視線を合わすように、蓮子はしゃがんだ。
「こんにちは、お嬢さん。どうして泣いていたのかしら?」
「……」
子供は答えない。
蓮子は気にせず話しかけることにした。
「どこから来たの?ここは飛香舎。別名“藤壺”。お姉さんが住んでいる殿舎よ」
子供の目が見開かれた。
「藤壺……」
「そう、藤壺。お嬢さんはどうしてここにいるの?」
蓮子は優しく問いかける。
子供は、意を決したように口を開いた。
「私……私は、“五条”の娘です」
「“五条”の?」
蓮子は、はて?と首を傾げる。
どこかの女房の子供だろうか。でも、どこの?
少なくとも藤壺の女房の中に“五条”という女房はいない。なら他の殿舎ということになる。自分だけでは解決できない問題だと感じ、蓮子は控えていた女房を呼んだ。
「ちょっといいかしら?」
「はい、なんでしょう」
蓮子の声に応え、女房たちがぞろぞろとやってきた。
その数に驚いたのか、子供が後ろに下がった。
「この子に見覚えはあって?“五条さんの娘”らしいのだけど」
蓮子の言葉に女房たちが顔を見合わせる。
「“五条”……ですか?」
「聞いたことがありませんね」
「こちらの局にはいませんし……。主上の女房方にもいないかと」
「私もお心当たりがございません」
「そう……」
蓮子たちがうんうん唸って必死に考えていくれている中、子供は居心地悪そうにしていた。
彼女たちの反応は子供が想像していたものと違っていたのだ。顔を突き合わせて「誰の子だろう?」と悩む姿に、子供も困り果てていた。どう説明しようかと言葉を選んでいる様子は、子供とは思えない聡明さが伺えた。
「“五条”とは、桐壺御息所の蔑称だ」
後ろから時次の声がした。
蓮子たちが振り向くと、そこには右手で額を押さえ、深いため息を漏らしている時次がいた。その表情には、どうしようもない情けなさが漂っていた。
「宣耀殿女御の元女房で、主上の御子を産んだことで女御の悋気を恐れてそのまま五条の実家に里下りしたままだが、主上は彼女に御息所の地位と局を賜った。それが“桐壺”だ。以降、“桐壺御息所”と呼ばれているが、宣耀殿では“五条”と呼んでいる。まぁ、五条の実家から戻ってこない御息所に対する皮肉と嫌味だな」
時次の説明に、蓮子は「ああ」と納得の声をあげた。
宣耀殿女御が言いそうなことだ。
「知らなかったのか?」
「まったく」
蓮子は首を横に振った。
本当に知らなそうな蓮子の表情に、時次はそれ以上の追及はしなかった。
最近、平和ボケの傾向のある蓮子だ。
御息所に対する蔑称も宣耀殿でしか通用しないのも拍車をかけているに違いない。
「で、では……この子共は……いえ……その……」
女房たちは困惑しながら恐る恐るといった様子で、子供を見る。
「“五条の娘”というのは、“桐壺御息所の娘”という意味だろう」
時次の言葉に、女房たちは顔を見合わせた。
「では、この方は……桐壺御御息所さまの御子?」
「……女三の宮さま……ということですか?」
時次がそうだと頷くと、女房たちがざわめきだす。
そんな女房たちを蓮子は宥めるように声をかける。
「静かに」
蓮子の言葉に、女房たちは口を閉じた。
藤の花が咲き誇る庭は、春らしく色鮮やかだ。
一歳の皇子は乳母に任せている。
ぁ~~……ぅ~~~……。
どこからか、鳴き声が聞こえてきた。不思議に思い、声の方へと向かっていくと、子供がいた。
木の陰に隠れるようにして、蹲っている子供だ。
鳴き声の正体は、この子のようだ。
「どうしたの?」
蓮子が声をかけると、子供はビクッとなって振り返った。
年の頃は四歳前後だろうか。育ちの良さそうな子供だ。
(どこかで見たような……?)
蓮子は記憶を探ったが、子供に見覚えがなかった。
(ずいぶん綺麗な子……)
艶のある黒髪は手入れをされているようで、肌は白く滑らかだ。
着ている衣も上等なもの。
「ぁ……」
蓮子を見て、子供は目を見開いた。
「?」
蓮子が首を傾げると、子供は慌てたように立ち上がった。
「あ……の……」
もじもじとする子供に蓮子は再度声をかけることにした。
「どうしたの?もしかして迷子?」
「……」
沈黙する子供。
訳アリだろうか。
それとも人見知りなだけなのか。
視線を合わすように、蓮子はしゃがんだ。
「こんにちは、お嬢さん。どうして泣いていたのかしら?」
「……」
子供は答えない。
蓮子は気にせず話しかけることにした。
「どこから来たの?ここは飛香舎。別名“藤壺”。お姉さんが住んでいる殿舎よ」
子供の目が見開かれた。
「藤壺……」
「そう、藤壺。お嬢さんはどうしてここにいるの?」
蓮子は優しく問いかける。
子供は、意を決したように口を開いた。
「私……私は、“五条”の娘です」
「“五条”の?」
蓮子は、はて?と首を傾げる。
どこかの女房の子供だろうか。でも、どこの?
少なくとも藤壺の女房の中に“五条”という女房はいない。なら他の殿舎ということになる。自分だけでは解決できない問題だと感じ、蓮子は控えていた女房を呼んだ。
「ちょっといいかしら?」
「はい、なんでしょう」
蓮子の声に応え、女房たちがぞろぞろとやってきた。
その数に驚いたのか、子供が後ろに下がった。
「この子に見覚えはあって?“五条さんの娘”らしいのだけど」
蓮子の言葉に女房たちが顔を見合わせる。
「“五条”……ですか?」
「聞いたことがありませんね」
「こちらの局にはいませんし……。主上の女房方にもいないかと」
「私もお心当たりがございません」
「そう……」
蓮子たちがうんうん唸って必死に考えていくれている中、子供は居心地悪そうにしていた。
彼女たちの反応は子供が想像していたものと違っていたのだ。顔を突き合わせて「誰の子だろう?」と悩む姿に、子供も困り果てていた。どう説明しようかと言葉を選んでいる様子は、子供とは思えない聡明さが伺えた。
「“五条”とは、桐壺御息所の蔑称だ」
後ろから時次の声がした。
蓮子たちが振り向くと、そこには右手で額を押さえ、深いため息を漏らしている時次がいた。その表情には、どうしようもない情けなさが漂っていた。
「宣耀殿女御の元女房で、主上の御子を産んだことで女御の悋気を恐れてそのまま五条の実家に里下りしたままだが、主上は彼女に御息所の地位と局を賜った。それが“桐壺”だ。以降、“桐壺御息所”と呼ばれているが、宣耀殿では“五条”と呼んでいる。まぁ、五条の実家から戻ってこない御息所に対する皮肉と嫌味だな」
時次の説明に、蓮子は「ああ」と納得の声をあげた。
宣耀殿女御が言いそうなことだ。
「知らなかったのか?」
「まったく」
蓮子は首を横に振った。
本当に知らなそうな蓮子の表情に、時次はそれ以上の追及はしなかった。
最近、平和ボケの傾向のある蓮子だ。
御息所に対する蔑称も宣耀殿でしか通用しないのも拍車をかけているに違いない。
「で、では……この子共は……いえ……その……」
女房たちは困惑しながら恐る恐るといった様子で、子供を見る。
「“五条の娘”というのは、“桐壺御息所の娘”という意味だろう」
時次の言葉に、女房たちは顔を見合わせた。
「では、この方は……桐壺御御息所さまの御子?」
「……女三の宮さま……ということですか?」
時次がそうだと頷くと、女房たちがざわめきだす。
そんな女房たちを蓮子は宥めるように声をかける。
「静かに」
蓮子の言葉に、女房たちは口を閉じた。
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