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側用人・木下義郎4
しおりを挟む「どないしはりましたん?上の空ですえ?」
「すまん……」
「ふふふ。心ここにあらず、といった処やろか」
馴染みの芸子、駒若の踊りがいつの間にか終わっていた。駒若は江戸でも指折りの舞の名手だ。彼女の舞を眺めながら酒を飲むのを好んでいた私だが、今はどれ程の舞姫の舞を観ても心が晴れない。いや、此度の騒動が異例過ぎるせいで頭が回らないといった方が正しい。御公儀も判断付きかねている一件だからな。
「赤穂の浪人はんの件どすか?随分、お困りのようですな」
「駒若……」
「そげな怖い顔せんといておくれやす。江戸の町は赤穂の浪人はんの吉良邸討ち入りの話で持ち切りですえ。うちじゃなくとも気付きはります」
「そうか……」
「吉良はんもお気の毒やね。すっかり悪役にならはって」
「馬鹿馬鹿しい噂がまだ続いているのか?」
「いややわ、義さん。噂は肥大してはりますえ。吉良はんが浅野の殿さんの奥方に懸想しとったとか、赤穂藩の塩の関係で揉めてはったとか。まあ、色々ですわ。今、一番の有力説は切餅を包んでいかんかった事やろか?浅野の殿さんは頑として菓子箱用意せんかったせいで、吉良はんの逆鱗に触れて、あらん限りのいけずされたゆう話やわ」
「……酷くなっているではないか」
どうして被害者が悪く言われるのだ。
賄賂の件にしてもそうだ。あれは吉良殿に支払われる「謝礼金」だぞ?それをしなかった浅野が非常識なのだ。
「それで義さん、どれがホンマの事です?」
「……どれも根も葉もない噂だ」
「なんや、つまらんなぁ」
舞用の扇子を少し開きながらゆっくりと口元に持っていくと、駒若は楽しそうに笑った。その姿も実に艶やかだ。
「ほんなら、これも只の噂やろか」
「他にもあるのか?」
「吉良はんが赤穂の殿さんにいけずして、畳の張替え作業を直前まで伝えんかったせいで側近らが町中の畳職人に頭下げて一夜で仕上げ張った話どす」
「それは前から言われていた噂だろう?」
「せやかて、義さん。赤穂のお侍さんに依頼された職人さんがおるんよ?気になりますやろ?他にも、墨絵の屏風をけったいな金屏風に無理やり替えさせたゆう話もありますえ」
「……屏風の話は知らんが、畳を替えたというのは本当だ」
「まぁ!」
「ただし!本来、畳は新しく張替える必要などなかった!あれは浅野内匠頭が勝手にやった事だ!」
それも吉良殿のせいにされているとは……。
もし、本当に新品にしないといけないのなら、吉良殿が前もって連絡している。恐らく、同じ接待役の伊達家が畳の張替えを行ったから浅野家が対抗して慌ててやったのだろう。
「そもそも、朝廷との大事な儀式に浅野が失敗すれば、それは即ち、指南役の吉良殿の責任にもなる。自分の失態に繋がる様な事をするものか!此度の儀式は特に重要だったのだ。公方様の御母君、桂昌院様が位を授かれるかどうかというものでもあって、何時にも増して大事な儀式だったのだ!なのに、接待役の浅野が何を血迷ったのか、吉良殿に急に斬りかかったのだぞ?浅野内匠頭は若くして一国の当主になったと聞く。癇癪持ちの短気でワガママな気質だともな!世話になった相手に対して斬りかかるのだ。頭がおかしいとしか言いようがない。愚かな浅野が切腹したのは当然の結果だ。無抵抗の吉良殿に御咎めなしの判決になったのも当たり前の事では無いか!喧嘩両成敗?吉良殿は”松の廊下事件”の直ぐに責任を取って江戸城を出たのだぞ?それで十分ではないか!」
はっ!
いかん。つい、熱くなってしまった。
「ふふふ。ほんなら、はよ、江戸のもんたちに伝えなあきまへんな」
どうやら駒若に担ぎあげられた気分だ。愚痴を吐き出させてもらったからな。あながち間違いではない。吉良殿の事は駒若もよく知っている相手だ。以前、茶の指南を受けていると言っていた。浅野と吉良殿を比べると、吉良殿に肩入れしているのだろう。気持ちはわかる。今の江戸の町では吉良殿が悪く言われているので内心面白くないのだろうな。
「……そうだな」
「義さん、おきばりやす」
嫣然と微笑む駒若には頭が上がらない。
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