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ダーヴィッツ

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2章『都堕ち』

アイネクライネ

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私はベアトリクス。

ゼロがいなければ、私は今ここにいなかった。

ゼロは私に出会う前にも、『他の私』を助けようとしてくれたらしい。その子は魔法特化の第二世代臨床実験として、闘技場(コロシアム)で殺し合いに参加させられた。幾度もやってくる強敵をその小さな身体で何度も何度も倒し続けた。その私は物理特化第一世代の人造人間レムによって使役され、闘技場(コロシアム)にやってきたゼロ達を襲ってしまう。最後まで奴隷から解放されることはなかったけれど、『中性の選択』として今はゼロの剣『Beatrix』になっている。

『私』も三賢者ギュンターによって造られた人造人間(ホムンクルス)。私はギュンターの望みを実現するためだけにこの世界へ産み出された存在。数ヶ月前まで奴隷のタトゥーによって強制的に使役されていた。未開拓領土(アンタッチャブル)のサザンドラ砂漠で第三世代の人造人間(ホムンクルス)をあの教会で造らされていた。邪魔をする者がいれば命を賭して排除するのがギュンターからの命令。そこから救い出してくれたのが、ゼロだった。

家族もいない、行く場所も帰る場所もない。そんな私にゼロは役割と居場所をくれた。十一枚片翼(イレヴンバック)の1番隊隊長として迎えてくれた。ゼロは私をダイダロス新大国に連れて来た時にこう言った。

『ベアトリクス。お前はもう奴隷じゃない。造られた命だとしても、これからはベアトリクス自身の人生を歩めばいいんだ。お前はもう自由なんだ。好きに生きよう。これから俺はベアトリクスを支えていきたい。ベアトリクスはどうしたい?』

私はその意味がすぐには分からなかった。今まではギュンターのためだけに生きていくしかなく、自分のしたいことなど当たり前のようになかったからだ。私はどうしたいんだろう。殺戮するために造られた命。そんな私が何かを望んでも許されるのかな。私は迷って、迷った挙句、ゼロにこう答えた。『ゼロの役に立ちたい』と。誰かの役に立つくらいしか生きる意義を見い出せなかった。

それから私は一生懸命勉強した。多様な言語、道徳、軍事、マネジメント、魔法研究、世界情勢など。元々、魔法特化の第二世代として造られたためなのか、記憶プログラムが充実していて、さして苦労はなかった。それを証拠に国立図書館の本は数ヶ月で読破してしまったほどだ。私がこれから生きる意義はゼロの役に立つこと。そのために私が出来ることを探していかなくちゃ。

ーーって思ってたのに……。

最近疲れ顔だったゼロを心配して総隊長室に入ろうとすると、そこにはシュウがコーヒー片手に既にいた。あー、先を越されてしまった……。私は気付かれないようにドアを静かに閉める。ゼロとシュウが男女の関係なのは知っていた。中性の私にはどうしても超えられない壁なのも、シュウが素敵な女性なのも分かっている。でも、私なんかでも、ゼロの隣には私が居たいという独占欲を抑えることが出来なかった。私にはゼロしかいない。ゼロがいないと私は何処にいればいいのかが分からない。私より相応しい人がいるなら、その場所はシュウに譲るしかないのかな。

「あれ、ベアトリクスさん?」
「っ!?」

背後から声がして驚いて振り返ると、そこには7番隊のコレットが書類を持って立っていた。水色の髪に黒縁メガネを付けた青年。確か、ロバートの補佐官だったかな。

「総隊長室に入らないんですか?」
「い、今はいいの……。アンタもゼロに用があるなら後にしなさい」
「……何かありました?」
「な、何も、ない……わよ……」

ダメだ。感情が溢れてくる。コレットから背を向け涙腺が緩んだ顔をなんとか隠す。コレットはしばらく黙っていたけど、こう提案した。

「ベアトリクスさん、お腹空きません?」
「……え?……べ、別にお腹空いてなんか……」

ぐぎゅるる~

「……」
「決まりですねー。さぁ、行きましょう」



半ば無理矢理コレットに引きずられながら連れて来られたのは、建設中の十一枚片翼(イレヴンバック)の本部だった。外装は殆ど完成していて、あとは内部設備の施工を残すだけらしい。立地は旧ガルサルム城から少し離れたところになる。ヴィンセントの切り替え時に発生した『法外特区』が候補地になった。無事に再契約が済み、ある程度の敷地面積になった。旧ガルサルム城は現在の仮本部だが、いずれは、この2つの本部が十一枚片翼(イレヴンバック)の拠点になる予定だ。とにかく、私は何故かその新しい方の本部の中まで連れてこられた。

(……食堂?)

新本部の内部は施工業者や十一枚片翼(イレヴンバック)の隊員が多く往来していた。コレットはその間を縫って、既に完成している本部内の食堂に案内してくれた。食堂には長机と長椅子が綺麗に並べられていて、休憩中の隊員達が自由に座っている。天井は高くなっていて、天窓が設けられているため、外からの自然光が入ってくる。

「おばちゃーん。スペシャルカレー2つお願い」
「はいよー!あら、コレットちゃん!」
「コレットちゃん……?」

コレットはカウンターで給仕スタッフに注文する。

「僕も中性なんですよ」

注文した料理を受け取ると私達は空いているテーブルの席に着いた。どうやら昼食をコレットがご馳走してくれるみたい。

「……そうだったの?」
「僕達中性には生理機能はあります。でも、生殖機能はありません。セックスは出来ますけど」
「せっ……」
「でも、僕達は16歳になる時期に性別を選択出来る唯一の生物です。男になりたかったら男性ホルモンが増えて、成人する頃には身体が男らしくなります。女の場合も然りです」
「……」
「僕は元々、女として産まれました。で、産まれてから間もなく親に奴隷として売られました。あとは言うまでもありませんが地獄が待ってました」

コレットは淡々と話す。

「『アタシ』が14年間その生き地獄にいた時に助けてくれたのがサナさんでした。暗い世界に現れた彼女は眩しい太陽のような女性で、私はあの人に抱き締められて泣いていました」
「……うん」
「強者に支配される世界は淘汰しなければならない。僕はもうすぐ16歳になるので男として生きていくつもりです」
「それは、……サナのため?」
「はい。僕は1度奴隷として心が死にました。そんな僕をこの世界にもう一度呼び戻してくれたサナさんの力に少しでもなりたいんです」
「なるほどね、だからサナにはファンが多いのね」
「男女問わずですが、だからこそサナさんに愛されていたジン副隊長に嫉妬している人は多いですよ。正直敵が多いですよ副隊長。でも、そのジンさんが安否不明のサナさんを捜索されていることを知って、その認識を改める人もちゃんといますよ。僕もその1人です」

コレットは食堂の中にいた隊員達に目をやる。隊員達はそれぞれで食事や談笑を楽しんでいた。数ヶ月前に旧ガルサルム騎士団と旧十一枚片翼(イレヴンバック)が統合してから、お互いの隊員達の雰囲気は悪かった。だが、サナの生存の可能性が旧十一枚片翼(イレヴンバック)の希望になりつつあるようだ。

「それで、ベアトリクスさん」
「な、なによ」
「ゼロ総隊長のことどう思ってるんですか?」
「な、な、な……」
「ふふふ。僕には隠せませんよ(多分皆知ってるけど)」
「……」

顔がだんだん熱くなるのを感じる。視線を落として顔を隠すがどうも隠しきれない。私がゼロをどう思っているか……?私はゼロが大切だ。家族として、そして1人の男として。初めはゼロの傍にいれる、それだけで良かった。でも、奴隷のタトゥーから解放され、自由になってからさらに欲が出てしまった。他の人を見ないで欲しい。他の人と話さないで欲しい。そんな幼稚な感情が溢れてくる。それが最近抑えられないことも私自身自覚している。ゼロを恋愛対象として見ている。好きなんだ、きっと。

「言わずもがななので、ここからはそんなベアトリクスさんに老婆心ながら僕からご提案です」
「ご提案……?」
「そのカレーを食べてみてください」
「……?……ぱくっ、美味しいっ?!」
「ふっ。このカレーは僕のオリジナルレシピで食堂に提供して貰っているんです。バターを大量に入れることでまろやかな味に仕上がるのです。具材も栄養価の高い野菜がメインで入っています。大人から子供まで人気のカレーなのです!まだ試験的に作ってるので、このカレーは誰も食べてないですよ」
「た、確かに……これ、美味しい!……でも、これがゼロと何の関係があるって言うの?」
「題して!お疲れのゼロ総隊長おつカレー作戦!」
「ダサい!」
「殿方を振り向かせるなら、手っ取り早いのが胃袋を掴むことです。ベアトリクスさんが女性としてゼロ総隊長のそばにいたいのなら、そういうアプローチもアリ寄りのアリです」
「……作戦名は置いといて。……そういうものかしら」
「そんな風に僕からは見えていたのですが、野暮だったらすみません」

コレットはスペシャルカレーを食べ続ける。この子は私に中性の女性として生きる道を示してくれているのかもしれない。大切な自分の居場所を確かなものにしたい。その気持ちは小さいながらも確かに私の中にあった。でも、どこか遠慮があった。誰に対しての?私は誰に遠慮する必要があったのだろうか。もう縛られていないというのに。

『お前は自由なんだ』

彼の言葉を思い出す。
私も、好きに生きて、いいのかしら……。
私が、自由に生きても、誰も困らないかしら。

「……コレット。お願いがあるの。そのカレーのメニューを私に教えて欲し……。教えてください、お願いします……」
「よーし。決まりですね。ベアトリクスさん。お疲れのゼロ総隊長おつカレー作戦!」
「……」

その作戦名はなんとかならないのかしら。

上手く出来ただろうか。コレットに教えられた通りにスペシャルカレーを作ったつもりだったのだけれど、料理なんて初めて作ったから少し不安だわ。でも、食欲をそそる香ばしいカレーの香りがするから、なんとかなったのかしら。私は自作のカレーをお皿に盛り付けてトレーにのせて総隊長室に向かう。よ、喜んでくれるかしら……。私は総隊長室のドアをノックをする。中からゼロの返事が聞こえたので中に入る。

「お、ベアトリクスか」
「……お疲れ様」
「いい香りだな。カレーか?それ?」
「うん。……これ、ゼロに」
「俺に?」

私はこくりと頷く。ゼロの机の上に晩御飯が並ぶ。スペシャルカレーの他にサラダとコーンスープも添える。

「ドレッシングはお好みで……」
「さんきゅー。丁度、腹が減ってたんだよ。食べていいのか?」
「うん……」
「美味そうだ」

ゼロは先程まで取り掛かっていた書類を隅にどけると、スプーンを手に取り、カレーをひとくち口に運ぶ。

「うん。美味いな、コレ」

私はゼロの感想を聞いて胸を撫で下ろす。良かった……。コレットに後でお礼を言わなくちゃ。私もゼロの向かい側で自分で作ったカレーを食べる。うん。美味しい。ゼロは数分後には私が出した全ての料理を残さずに完食した。結構多めに作ったんだけどなぁ。流石、男の子。

「ご馳走様でした」
「はい。お粗末様でした」
「あ、俺が洗うよ。作って貰ったし」
「じゃあ、一緒に洗おう」

私達は食器をシンクへ持っていく。ゼロが洗ってくれたので、私が軽く拭いて並べて乾かしておく。チラッとゼロの方に目をやる。食器を洗うゼロはシャツの袖を肘の辺りまでまくり、私はそこから時々見える腱や浮き上がっている血管に目を奪われる。

「いやー、美味かったわ。ありがとうな」
「え?……あ、うん」
「最近まともにメシ食ってなかったから助かったよ」
「それなら……良かった。ねぇ、ゼロ……」
「うん?」
「あの……」
「うん」
「えっと……」
「……」
「……」

あ、違った。私は誰かに遠慮しているんじゃない。きっと怖いんだ。私の気持ちが拒まれることが。もし、今、私の気持ちをゼロに伝えたとして、受け入れられなかったら、私はどうしたらいいのだろう。大切な気持ちを伝える代わりに、大切な場所を失うかもしれない。私にはゼロしかいないのに。でも、この場所には私だけがいたいの。誰にも渡したくない。それなのに。

「……ごめん。なんでもない」
「……そうか?」

勇気が出ない。ゼロは食器を洗い終わるとタオルで濡れた両手を拭く。そして、私の頭を優しく撫でる。大きくて優しい手。あぁ、愛おしい手。この手が欲しい。

「シュウとは付き合ってるの?」

それは、思わず口から出てしまった。言った後にハッとなったけど、私はとうとう我慢出来なかった。

「付き合ってないぞ?」
「え……」
「アイツはそういうんじゃないぞ」
「えーっ!」
「そんなに驚くことかー?」
「だ、だって……、だって!」

ゼロは複雑そうな顔をしている。

「あー……。まぁ、シュウとの関係はいつかベアトリクスにも話せる時がくればいいんだけど」
「……?それってどういう……?」

私はクエスチョンマークを拭うことが出来ない。付き合ってないけど、特別な関係なの?とりあえず彼女じゃないの?

「安心したか?」
「……う、うん、」
「てことは、俺のこと好きなんだよな?」
「……うん。……ふぇ?!」
「そーかそーか。けど、あと1年くらい早いかな」
「え、ちょっ、ちょっと、待って!」

待って。私、今さらりと告白しちゃった?顔が真っ赤になる。頭から煙が出そう。それにあと1年早いって。それって。つまり。1年たったら考えてくれるの?そうなの?私を選んでくれるかもしれないの?中性の私を女として見てくれるの?

「ゼロ……今のって……」
「さて、もう21時だな」
「へ?」
「良い子は寝る時間だぞー」

ゼロは私の頭を再度ポンポンッと撫でると、背を向けて自分の席に戻ると書類に目を通し始めた。

「~~もう、子供扱いしないでっ!」

私は嬉しさ半面、はぐらかされた悔しさと、こんな時にまで子供扱いするゼロに怒りを覚える。でも、ゼロの耳が赤くなっているのに気付く。私は冷静さを取り戻す。あぁ、そうか。私にもチャンスはあるんだ。いいわ、待ってなさい。ゼロを振り向かせるくらい素敵な女性になってやる。

「おやすみ。ゼロ」

やっぱり、私にはゼロしかいない。だからこそ、この場所も誰にも渡したくない。だったら、私のものにするまでよ。私は人造人間(ホムンクルス)だった。でも、私を縛るものがもう何もないなら、これからは好きな人のために生きてやろうじゃないの。ゼロのために生きていくことが私の人生なのだから。


後ろから「おやすみ」と聞こえた気がした。
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