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ダーヴィッツ

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1章 『国崩し』

バタフライエフェクト

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目を覚ました。部屋はまだ暗く、窓からの月光に優しく撫でられ、今が夜中だということをうっすら理解する。

ーーいい匂いがする。

あぁ、そうか。サナさんが泣いていたんだった。僕は今どういう状況なのかをはっきり思い出した。体勢を変えて顔を上げるとサナさんの寝顔がそこにはあった。頬に涙の筋を付けたまま、泣き疲れたのか子供のように寝息をたてている。右手の銀色の指輪の存在を確かめると、先刻の事態に今更ながら気恥ずかしくなる。その赤面を隠すように眠っているサナさんの肩に頭を預ける。ふと、闘技場(コロシアム)でのことを思い出した。あのレムって人は僕を追ってきたんだ。嫌でも思い出してしまう東の発電所での記憶が僕の身体を震わせる。

ーー僕がいるから追われるなんて思ったら、きっと怒られるだろうなぁ。

でも、サナさんが来てくれなかったら、僕は一生あの地獄にいたんだろう。永遠に『無限剛腕(ヘカトンケイル)』を利用され、死ぬまで使われていたに違いない……。そういえば、どうしてこの人は僕を見つけてくれたんだろうか。どうして、こんなにも大切にしてくれるんだろうか。

ーー今は、もう、どうでもいいか。

今ここにいる。それが全てだ。あの地獄にいない。サナさんの近くにいる。それが今の僕だ。サナさんは確かに強い。でも、弱いところも知っている。強いことは心配しない理由にはならない。僕が守らなきゃ。この人を。





朝が来た。外の人の往来が徐々に増して行くのが分かる。窓から日光が入り込み、夜が明けたことを告げる。顔を上げるとサナさんはもう起きていて、僕と目が合う。

「おはようございます。ジン君」
「サナ……さん」

サナさんはにっこり笑った。昨日の泣き顔が嘘のように。太陽の光と重なって余計に眩しく見える。

「お、おはようございます……」
「ふふふ」
「……な、なんですか」
「いえいえ、ジン君は寝顔も可愛いなぁって」
「……」

赤面していると、ゼロとフェイムスさんが部屋に入ってきたので、僕は慌てて身体を起こして立ち上がった。

「おう、いよいよヴィンセントの回収だ」

フェイムスさんは、これからの計画を整理して教えてくれた。転送装置(テレポート)を使って未開拓領土(アンタッチャブル)に移動すること。転送装置(テレポート)自体はとても小さなキューブ型の機械で、邂逅(かいこう)すると異次元へのゲートが展開するらしい。フェイムスさんはそれを2つ持っていた。

「片方は未開拓領土(アンタッチャブル)行き、もう片方はガルサルム王国行きの転送装置(テレポート)だ。サザンドラ砂漠で星の守護者(ガーディアン)ダイダロスを牽制しつつ、ヴィンセントを回収する。ここは、ジン。お前が要だ」
「……はい」
「ヴィンセントを回収したら、こっちの転送装置(テレポート)で速攻でガルサルム王国に戻りたいところだが、その前にやることが出来た」

フェイムスさんはひと息つく。

「ギュンターの計画、『人造人間クトヴァリウス』の破壊だ」

ーークトヴァリウス。かつて前世界で『魔王』として君臨した『最強』の称号を持った者。その強さ故に自我を失い、世界を崩壊させようとした存在。未開拓領土(アンタッチャブル)にて最終戦争が起きた時に『英雄』イヴによって異空間に封印されたとされている。

「人間を……作ろうとしているのか?」
「……そうだ。ジンに『無限剛腕(ヘカトンケイル)』を無理矢理使わせて東の発電所からエネルギーを送っていた先が、未開拓領土(アンタッチャブル)にあることが分かった。サザンドラ砂漠の中心部に前世界の研究施設があるらしい。そこでギュンターは人造人間を作ろうとしている」
「そんなことが可能なのか……?」

ゼロが信じられないような顔をしていた。フェイムスさんは続ける。

「わからん。だが、現代の技術では生物のクローンも作ることが可能だ。倫理的に生命の創作は世界で禁忌とされているが、実際にその延長線上で『最強』を作ろうとしているなら危険思想だ。実際、アドラと共に調査していたベガの報告では、レムがその試作品(プロトタイプ)じゃないかという見解だ」
「……」
「あの戦闘力を、どうやって生産しているのかは知らないが……、奴らは禁忌の領域に足を踏み入れようとしている。ガルサルム王国に戻る前に、その研究施設を潰す。星の守護者(ガーディアン)の使役化も危惧しなければ、いずれ本当にコキュートスはガルサルム王国に牙を向くだろう」

命を創る……?僕はそんなおぞましいことに利用されていたのか……。吐き気がする。時々、僕以外の奴隷の人達がまとめて運ばれていたのをみたことがある。彼らがどこに行ったのか、どうなったのかを僕はずっと知らなかった。身体が震えてくる。フェイムスさんの話が本当なら、あのレムを作っていたのを手助けしていたのは、……僕?

「……どのみち、『国崩し』を実行する前に不安要素は払っておきたい。それが完了してからガルサルム王国に転送装置(テレポート)で移動して、いよいよ『核(フレア)』を呼び起こすためにレックスと対峙する。同時にヴィンセントの取り替え作業だ」

ーーそれが完遂して、ようやくこの旅は終わる。


「以上だ。何か質問はあるか?」
「ひとつ」

ゼロが手を挙げた。

「ここから先、もしイレギュラーなことが起きたらどうする」
「最優先事項を考えて動け、ここから先はもう戻れない」
「誰かが命を落としてもか……?」
「……そうだ。それが俺であろうと先に進め。『完全回復薬(エリクシール)』の使い時は見極めろ。回数は3回。レックスの病を治すことを考慮すると瀕死になれるのは2回までだ」

改めて、今僕達が立っている場所を再確認する。いつ死んでも可笑しくない、それほど危険な場所にこれから足を踏み入れようとしている。『完全回復薬(エリクシール)』があるとはいえ、『死』は凌駕出来ない。

「他になければ、そろそろ行くぞ」

フェイムスさんは転送装置(テレポート)を邂逅した。宿屋の部屋の中に異次元へのゲートが展開される。『無限剛腕(ヘカトンケイル)』の感覚と似ているけど、このゲートの先から強大な何かを感じる。それが何なのかは分からない。心無しか、『無限剛腕(ヘカトンケイル)』の中のバルトロが反応している気がする。僕達はいよいよゲートをくぐった。




先程の宿屋の部屋とは異なる気温の上昇を感じる。足元に砂を踏む感触が伝わり、サザンドラ砂漠に着いたことを理解する。サザンドラ砂漠は山岳地帯と砂漠地帯が共立しており、所々に岩場があり日陰が見受けられる。季節は秋だというのに、直射日光が砂漠一帯を照らす所為で高温地帯が形成されている。だが、僕達が到着した所は幸い大きな日陰が出来ていた。

ーーなんだ、このにおい……?

血なまぐさい。肉が腐ったような。そんな臭いが鼻を劈(つんざ)く。その原因はすぐには分からなかった。だけど、しばらくして、ようやく僕達は理解した。

ーー日陰だと思っていたのは『星の守護者(ガーディアン)』ダイダロスの死体だった。山のような体躯はうねり山岳地帯の巨大な岸壁に巻き付けても尚隠し切れずに砂漠地帯にまで伸びている。これほど巨大な生物を見た事がない。そのダイダロスが目の前で死んでいる。よくよく見ると、巨大な頭部が真っ二つに分かれていた。大量の血が砂漠地帯に滝のように流れている。そこに人影を見た。僕達に気づくと、それはこちらを向いた。

ーー僕が覚えているのは、そこまでだった。



転送装置(テレポート)のゲートが宿屋の部屋に展開され、そこに足を踏み入れた時、嫌な予感がした。それは真っ直ぐ自分に向かってくる黒い何かで、すぐにそれが誰かの『意識』だということを理解した。『殺意』。禍々しく尖ったそれはサザンドラ砂漠に着いた瞬間に俺たち全員に向けられた。

1番速く動いたのは、サナだった。パーティの先頭に立ち、すでに『超越(トランス)』状態だ。遅れて俺とフェイムスが『超越(トランス)』に入るが、サナが指文字で俺たちに指示を出す。その意図を理解する頃にようやく感情が追いついた。

ーーくそっ。

ジンが1番最後に剣を抜こうとした瞬間に『掌底(インパクト)』でジンの後頭部を打ち気絶させる。ジン以外が共有していたサナの指示、『万が一、サナにも勝てない相手が出現したら、ジンを戦闘不能にして撤退する。その場合、サナが殿(しんがり)になる』。さっきの指文字は、その合図だ。俺はジンを担ぐとフェイムスがサポートに入り、そのまま走り出す。チラッと後ろを振り向くと白髪短髪の黒いシャツにスーツを着た男がいた。サナは『超越(トランス)』状態で『十一枚片翼(イレヴンバック)』を放つところだった。

「……っ」

俺たちは、サナを残し、逃げ出した。




だいぶ離れた岩陰まで走ってきた。途中『縮地(ソニック)』を使ったとはいえ、ジンを担ぎながら酷暑のサザンドラ砂漠を動くのは容易ではなかった。10kmくらいは走っただろうか。息は切れ、汗が止まらない。ふと、先程の場面が脳裏に浮かぶ。作戦とはいえ、サナを置いてきた……。畜生。なんで、いきなり、こんな……。

「……う、……ううん」

その時、ジンが目を覚ました。辺りを見渡して状況を理解しようとしている。そして理解した。

「……サナさん?」
「……」
「フェイムスさん!サナさんは!?」
「……」
「ねぇ!まさか置いてきたの?!フェイムスさん!」
「黙れ!!」

俺はジンの当然の疑問にすらも苛立ちを覚える。自分の不甲斐なさと重なって大人気なくジンに当たってしまう。だが、自分にとって最も大切な人がどうなったのかを知りたいのは当然のことである。それは、フェイムスにとっても同じである。この計画の監督役であるフェイムスはレックス王のため、ガルサルム王国のために尽力してきた。咄嗟の判断にも様々なものを犠牲にしてきた。だが、今回は今までと違う。自分の娘なのだ。先刻、その判断をせまられた際に、『超越(トランス)』状態に入るのが俺よりもフェイムスは遅かった。ーーあのフェイムスが初めて迷ったのだ。国の存続と娘の命を。

「お前にフェイムスの気持ちが分かるか!サナが大事なのはお前だけじゃねぇんだよ!!」
「……!!」

息もまだ整わないのにジンの胸ぐらを掴んで詰め寄る。分かってる。ジンは悪くない。誰も悪くないんだ。俺たちより強いやつがいた。ただそれだけのことだ。

「ゼロ、いい。悪いな、悪役背負ってくれて」

フェイムスが俺の肩をポンっと叩く。それすらも今は俺の琴線に触れる。

「ジンも、ありがとう」

あぁ、そうだ。サナが言っていた。これがもう1つのルートなんだ。サナが殺されてしまう。そのために『完全回復薬(エリクシール)』を用意したのに。俺たちはその場から逃げ出してしまったんだ。その時、空を大きな影が駆けた。見上げると、そこには星の守護者(ガーディアン)である紅(くれない)の龍レッドドラゴンに乗った先程の男がこちらを見下ろしていた。

ーーテラ。

黒いシャツにスーツ姿の男は冷たい目をしていた。遠くを見るような哀しい目もしていた。だが、明らかな『敵意』を感じる。星の守護者(ガーディアン)のレッドドラゴンは空中に浮いていて、その長い身体には深紅の鱗が輝いている。テラを囲むようにうねりながら空中をただよっていた。空気が重い。息が苦しい。燃え尽くすような迫力に気圧(けお)される。

俺は無意識にベアトリクスを抜く。静かに、だが確かに息を整えて『超越(トランス)』状態に入る。

「ベアトリクスか……」

テラは俺の剣を見て、間違いなくそう言った。ベアトリクスを知っているのか?だとしても、何故。疑問が浮かんだが、それどころではない。テラの圧力(プレッシャー)によって牽制され動けない。テラが再度口を開く。

「貴様ら、この地に来た目的はなんだ」
「……ヴィンセントの回収だ」
「ヴィンセント?あぁ、ダイダロスの船か」

テラは持っていた剣を目の前に翳(かざ)した。少し間を置き、その剣を俺の足元に向けて投げる。紅の刀身には『Daedalus』と彫られていた。これがヴィンセント……。レッドドラゴンの尾の部分には、もたれ掛かった状態で血塗(ちまみ)れのサナがそこにはいた。

「この女は強かった」

テラはそう言うと、レッドドラゴンに指示を出し、サナを地面に降ろした。

「死ぬまで俺を逃がさなかったその女への敬意と、ベアトリクスに免じて、この場は見逃してやる。だが、次に相見(あいまみ)えた時は。殺す」

テラと目が合う。一体何者なんだ。ベガが話していたルートに唯一出てきた脅威。星の守護者(ガーディアン)を独力で倒してしまうような圧倒的強さ。サナより強い存在。レッドドラゴンは身体を大きく翻(ひるがえ)すと、テラを乗せて東の方へ飛び去っていった。

俺たちはサナに駆け寄る。内蔵が破裂していた。右腕、左足が完全に折れている。こんな状態になるまで戦い続けたのか、俺たちを逃がすために。ジンがサナの手を握りながら名前を何度も呼び続ける。だが、反応はなかった。いや、待て。微かだが、まだ息がある。風前の灯のような吹けば消えてしまう命の火だが、確かにまだ生きている。

「ジン!『完全回復薬(エリクシール)』!」

ジンは涙を流しながら放心していたが、『完全回復薬(エリクシール)』を渡されると意を決したように、それを1口だけ口に含み、口移しでサナに飲ませた。反応はない。ジンはもう一度口に含み、再度サナに口移しをする。反応はない。ジンは諦めなかった。その繰り返しを何度も行う。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も……。だが、反応はない。

「サナさん……起きてよ……」

ジンは涙を流しながら、もう一度、口に『完全回復薬(エリクシール)』を含み、サナに口付けをした。だが、反応は、ない。

「ジン、もういい……」

フェイムスがジンを制止する。だが、ジンは諦めなかった。フェイムスの手を払い何度もサナの名前を呼び続け、何度も繰り返し『完全回復薬(エリクシール)』をサナに飲ませた。テラに会ったルートでのサナの死は避けられないのかもしれない。今回は『完全回復薬(エリクシール)』を用意して万全を期したが、それでも結果は覆らなかった。結果的ではあるが、テラはサナの死によって去ってくれた。サナがいなければ全滅していただろう。ベガの言うルートであれば、この後俺たちは『国崩し』を成すらしいが、今、俺たちはそのルートを辿っているんだろうか。『完全回復薬(エリクシール)』は3回までが使用限度。その残量が間もなく半分にさしかかろうとしていた。これ以上は……。

「ジン……」
「嫌だ!」
「ジン!もう……!」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ジンっ……」

暴れるジンを後ろから抱き締める様に制止する。身体が震えて涙が止まらない。フェイムスの頬にも一筋の涙が流れていた。サナは、死んだんだ。未来のルート通りに。

いや、待て。ひとつだけルート通りじゃないことがある。ーージンだ。ジンはサナのルートでも、ベガの言うルートでも、『国崩し』の後で救出された。だが、このルートではヴィンセント回収の時点で既に合流している。この展開は今までなかったのではないか。

サナの身体が青白い光に突如包まれる。その光はサナの身体を徐々に再生していく。出血も収まり、全身の至る所が完全に癒されていく。光が消えるとサナは静かに呼吸を再開し始めた。顔色も良く、傷も完全にふさがれている。『完全回復薬(エリクシール)』が効いたのだ。サナは生きている。生きている。この時、今のルートは他のルートと違うルートになっていることを確信した。それはきっと、ジンの存在が影響しているのだ。

ジンはサナを抱き寄せる。顔はすでにぐしゃぐしゃだ。しばらくして、サナが意識を取り戻した。状況を理解すると、ふふっと笑い、ジンの背中をさする。

ーー泣かないでください。

蝶が翔(はばた)く程度の変化。その小さな動きはやがて、世界の今後に幾許(いくばく)かの影響を与える。結果には原因が伴う。このルートは新しい因果関係を生産したのだ。未来は、川の流れは、大きく進路を変えようとしていた。



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