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28 声を聞かせて
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外の風は次第に穏やかになっていた。窓から注がれる太陽の光が温かい。空は青く、雲は白い。最後になるにはいい日だとサーシャは思った。
隠し戸の前に立つ。サーシャは大きく息を吸った。最後だと思うと、握る手に力が入る。
2回のノック音。「こちらに来て」の合図。いつの間にかできていた合図になぜか懐かしさを感じた。
しばらくして部屋に入ってきたユリウスに、サーシャは精一杯の笑みを向ける。
「どうした?」
「先ほどの件について、答えをお伝えしようと思いまして」
「そうか。どうするんだ?」
サーシャはまっすぐユリウスを見た。両頬を持ち上げたまま一言告げる。
「帰ります、家に」
そう言い切った。ユリウスは受け止めるようにサーシャの目を見つめる。
「…わかった」
「はい」
「…思い返せば、お前にはいろいろしてもらったな。ライオンの声を聞いてもらったし、メイドの仕事もしてくれた。…お前がいたから不穏分子の存在にも気づくことができた。お前には、感謝している」
「…いえ、私は何もしておりません」
「いや、お前は何もしていなくても、俺は助かった。それに、怖い思いもさせてしまったしな」
「…」
「だから、それ相応の対価を払いたい。何か、欲しいものはあるか?できる限り用意させよう」
「いいえ。何もありません」
ユリウスの申し出にサーシャは首を横に振った。
「それでは、俺の気が済まない。労働に対して対価を払うのは当たり前のことだ」
「…それでは、メイドの仕事をした分のお給料だけいただきます。それ以外、私は何もしていません」
「…何か言いたいことがあるのか?」
「え?」
ユリウスの言葉の意味がわからず、思わず聞き返した。
「何か言いたいことがある、という顔をしている」
「…いいえ。そんなことはありません。言いたいことなど…」
その反応がどこか不自然で、ユリウスはサーシャを見据えた。鋭い視線に見透かされているようでサーシャは思わず顔を逸らす。
「お前らしくもない。言いたいことがあるのなら、言えばいいだろう?それとも、言えないことなのか?」
「…私らしくない?」
「ああ」
「私らしいって…王子にそんなことわかるんですか?」
反応するべきではない。頭の中ではわかっていた。けれど気が付いたら、言葉が口から出ていた。
何も知らないくせに、なんて思いが沸き上がる。こちらの気持ちも知らないのに、「らしさ」なんてわかるはずがない。気持ちを伝えないことを棚に上げて、自分勝手にそんなことを思った。
「お前は言いたいことがあれば言うだろう?相手が誰だって。…それがサーシャ、だろう?」
この人はずるい。そんな風に名前を呼ばれたら、全部伝えたくなってしまう。息ができなくなるほどに胸が苦しかった。涙が込み上げてくるのを懸命に堪える。
『サーシャ、いいの?』
オースがそう問う声が聞こえる。
『本当に気持ちを伝えなくてもいいの?それで、後悔しない?』
後悔をするか、しないかの2択なら、きっと後悔するだろう。相手はこの国の第二王子。そうそう簡単に会える身分ではない。こんな風に話ができるのも、きっと今だけだ。
『言わずに諦めるなんて、寂しくない?』
きっと寂しいだろうと思う。目の前の端正な顔のこの王子は、きっと貴族の娘か、隣国の王の娘か、身分の高い綺麗な人と結婚するのだろう。そしてサーシャはそれを国民の一人として祝うのだ。それは、悔しくて、苦しくて、そして、寂しいのだと思う。
「…欲しいものが、あります」
気持ちを伝えれば、目の前のこの冷たく優しい人は困るだろう。けれど、自分勝手でも気持ちを伝えたかった。同じように苦しいのなら、自分の気持ちを伝えないまま苦しむよりも、伝えて傷つきたい。手に入らないことを嘆くより、手を伸ばして、届かなかったことを悲しみたい。
「何が欲しいんだ?俺に用意できるものなら、用意する」
「好きです」
「…」
突然のサーシャの告白に、ユリウスは目を丸くした。
「だから、あなたがほしい」
「…」
「でも、そんなの無理だって分かってます。ただ、気持ちを伝えたかったんです」
「…」
「私は、ユリウス王子が好きです」
「…名前を知っていたんだな」
「え?」
「いつも王子、としか言わないから」
「…そうだったかもしれませんね」
ユリウスの言葉にサーシャは思い返す。もったいなかったなと思った。もっと名前を呼んでおけばよかった、と。
「ユリウス王子、今までありがとうございました」
「…」
「ユリウス王子の今後のご活躍を、一国民として今後も期待しております」
スカートを持ち上げ、優雅に笑う。淑女の挨拶で頭を下げた。隠し戸に視線を向ける。それは出て行ってほしいの合図。
けれど、ユリウスはサーシャと隠し戸の間に立った。
「…王子?」
「もし、それが本当なら、帰すことはできそうもない」
突然の言葉に頭が追い付かなかった。
『よし!ユリウス、言ってやれ!』
一羽だけ楽しそうなオースの声だけが耳に入る。
「お前が俺を好きだというのなら、…家には帰せない」
「何を言って…」
驚きで、サーシャは距離を取ろうと、2、3歩後ろに下がる。けれど、離れるサーシャの右手をユリウスは掴んだ。掴まれた手から熱が移る。
「好きだ」
腕を引かれ、抱きしめられた。かすかなコロンの香りがサーシャの鼻孔をくすぐる。
「傍にいてほしい。…お前が俺を想ってくれるなら、ここにいてくれ」
何を言われているのか理解ができなかった。かすかなぬくもりだけがそこにある。
「周りからいつも、距離を置かれていた。側室の子で第二王子、なのに兄上と同い年なのだから無理もない。でも、そう思っても、いつもどこかつらかった」
「…」
「だからだろうな。第二王子ではない俺と向き合ってくれるお前の存在が、いつしか大きなものになっていた」
「…」
「本当ならこんな場所に閉じ込めないで、家に帰してやるべきなんだと思う。でも、…悪い。傍にいてほしい」
背中を抱く腕に力が入った。声からユリウスの真剣さが伝わる。
それは、ずっと聞きたかったユリウスの本当の声。
サーシャは恐る恐るユリウスの背中に自分の腕を回した。大きくて広い背中。色んなものを背負うその背を抱きしめたかった。
「…私には何もありません」
「…ああ、そうだな」
「身分もお金もない。…動物の声は聞こえても、それでユリウス王子を助けることもできない」
「いいよ、それで。サーシャが傍にいてくれるなら」
「…」
胸が苦しかった。苦しくて、苦しくて、でも嬉しくて。だから、サーシャはすがるように抱きしめる腕に力を込める。
「だから、ここにいると言ってくれ」
「います。ここに。ユリウス王子の傍に。だから、…誰にも見せない本当の王子を見せて。ユリウス王子の本当の声を聞かせてください」
「サーシャ、君が好きだ」
「私もです。ユリウス王子」
ユリウスの手がサーシャの髪に触れる。髪を撫で、そのまま上を向かせた。
視線が重なる。ゆっくりと近づく2人。静かに目を閉じた。
2人を映し出す影が重なる。オースが嬉しそうに一つ声を出して鳴いた。
隠し戸の前に立つ。サーシャは大きく息を吸った。最後だと思うと、握る手に力が入る。
2回のノック音。「こちらに来て」の合図。いつの間にかできていた合図になぜか懐かしさを感じた。
しばらくして部屋に入ってきたユリウスに、サーシャは精一杯の笑みを向ける。
「どうした?」
「先ほどの件について、答えをお伝えしようと思いまして」
「そうか。どうするんだ?」
サーシャはまっすぐユリウスを見た。両頬を持ち上げたまま一言告げる。
「帰ります、家に」
そう言い切った。ユリウスは受け止めるようにサーシャの目を見つめる。
「…わかった」
「はい」
「…思い返せば、お前にはいろいろしてもらったな。ライオンの声を聞いてもらったし、メイドの仕事もしてくれた。…お前がいたから不穏分子の存在にも気づくことができた。お前には、感謝している」
「…いえ、私は何もしておりません」
「いや、お前は何もしていなくても、俺は助かった。それに、怖い思いもさせてしまったしな」
「…」
「だから、それ相応の対価を払いたい。何か、欲しいものはあるか?できる限り用意させよう」
「いいえ。何もありません」
ユリウスの申し出にサーシャは首を横に振った。
「それでは、俺の気が済まない。労働に対して対価を払うのは当たり前のことだ」
「…それでは、メイドの仕事をした分のお給料だけいただきます。それ以外、私は何もしていません」
「…何か言いたいことがあるのか?」
「え?」
ユリウスの言葉の意味がわからず、思わず聞き返した。
「何か言いたいことがある、という顔をしている」
「…いいえ。そんなことはありません。言いたいことなど…」
その反応がどこか不自然で、ユリウスはサーシャを見据えた。鋭い視線に見透かされているようでサーシャは思わず顔を逸らす。
「お前らしくもない。言いたいことがあるのなら、言えばいいだろう?それとも、言えないことなのか?」
「…私らしくない?」
「ああ」
「私らしいって…王子にそんなことわかるんですか?」
反応するべきではない。頭の中ではわかっていた。けれど気が付いたら、言葉が口から出ていた。
何も知らないくせに、なんて思いが沸き上がる。こちらの気持ちも知らないのに、「らしさ」なんてわかるはずがない。気持ちを伝えないことを棚に上げて、自分勝手にそんなことを思った。
「お前は言いたいことがあれば言うだろう?相手が誰だって。…それがサーシャ、だろう?」
この人はずるい。そんな風に名前を呼ばれたら、全部伝えたくなってしまう。息ができなくなるほどに胸が苦しかった。涙が込み上げてくるのを懸命に堪える。
『サーシャ、いいの?』
オースがそう問う声が聞こえる。
『本当に気持ちを伝えなくてもいいの?それで、後悔しない?』
後悔をするか、しないかの2択なら、きっと後悔するだろう。相手はこの国の第二王子。そうそう簡単に会える身分ではない。こんな風に話ができるのも、きっと今だけだ。
『言わずに諦めるなんて、寂しくない?』
きっと寂しいだろうと思う。目の前の端正な顔のこの王子は、きっと貴族の娘か、隣国の王の娘か、身分の高い綺麗な人と結婚するのだろう。そしてサーシャはそれを国民の一人として祝うのだ。それは、悔しくて、苦しくて、そして、寂しいのだと思う。
「…欲しいものが、あります」
気持ちを伝えれば、目の前のこの冷たく優しい人は困るだろう。けれど、自分勝手でも気持ちを伝えたかった。同じように苦しいのなら、自分の気持ちを伝えないまま苦しむよりも、伝えて傷つきたい。手に入らないことを嘆くより、手を伸ばして、届かなかったことを悲しみたい。
「何が欲しいんだ?俺に用意できるものなら、用意する」
「好きです」
「…」
突然のサーシャの告白に、ユリウスは目を丸くした。
「だから、あなたがほしい」
「…」
「でも、そんなの無理だって分かってます。ただ、気持ちを伝えたかったんです」
「…」
「私は、ユリウス王子が好きです」
「…名前を知っていたんだな」
「え?」
「いつも王子、としか言わないから」
「…そうだったかもしれませんね」
ユリウスの言葉にサーシャは思い返す。もったいなかったなと思った。もっと名前を呼んでおけばよかった、と。
「ユリウス王子、今までありがとうございました」
「…」
「ユリウス王子の今後のご活躍を、一国民として今後も期待しております」
スカートを持ち上げ、優雅に笑う。淑女の挨拶で頭を下げた。隠し戸に視線を向ける。それは出て行ってほしいの合図。
けれど、ユリウスはサーシャと隠し戸の間に立った。
「…王子?」
「もし、それが本当なら、帰すことはできそうもない」
突然の言葉に頭が追い付かなかった。
『よし!ユリウス、言ってやれ!』
一羽だけ楽しそうなオースの声だけが耳に入る。
「お前が俺を好きだというのなら、…家には帰せない」
「何を言って…」
驚きで、サーシャは距離を取ろうと、2、3歩後ろに下がる。けれど、離れるサーシャの右手をユリウスは掴んだ。掴まれた手から熱が移る。
「好きだ」
腕を引かれ、抱きしめられた。かすかなコロンの香りがサーシャの鼻孔をくすぐる。
「傍にいてほしい。…お前が俺を想ってくれるなら、ここにいてくれ」
何を言われているのか理解ができなかった。かすかなぬくもりだけがそこにある。
「周りからいつも、距離を置かれていた。側室の子で第二王子、なのに兄上と同い年なのだから無理もない。でも、そう思っても、いつもどこかつらかった」
「…」
「だからだろうな。第二王子ではない俺と向き合ってくれるお前の存在が、いつしか大きなものになっていた」
「…」
「本当ならこんな場所に閉じ込めないで、家に帰してやるべきなんだと思う。でも、…悪い。傍にいてほしい」
背中を抱く腕に力が入った。声からユリウスの真剣さが伝わる。
それは、ずっと聞きたかったユリウスの本当の声。
サーシャは恐る恐るユリウスの背中に自分の腕を回した。大きくて広い背中。色んなものを背負うその背を抱きしめたかった。
「…私には何もありません」
「…ああ、そうだな」
「身分もお金もない。…動物の声は聞こえても、それでユリウス王子を助けることもできない」
「いいよ、それで。サーシャが傍にいてくれるなら」
「…」
胸が苦しかった。苦しくて、苦しくて、でも嬉しくて。だから、サーシャはすがるように抱きしめる腕に力を込める。
「だから、ここにいると言ってくれ」
「います。ここに。ユリウス王子の傍に。だから、…誰にも見せない本当の王子を見せて。ユリウス王子の本当の声を聞かせてください」
「サーシャ、君が好きだ」
「私もです。ユリウス王子」
ユリウスの手がサーシャの髪に触れる。髪を撫で、そのまま上を向かせた。
視線が重なる。ゆっくりと近づく2人。静かに目を閉じた。
2人を映し出す影が重なる。オースが嬉しそうに一つ声を出して鳴いた。
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