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良い「保育」良い「発達支援」は同じ手法を取らないけど、考え方は共通する話
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私の支援の基盤の考え方として
・全ての人間は発達特性を持っている
・発達特性が強すぎても、弱すぎても「障害化」する
・「良い子育て」「良い保育」「良い教育」は「療育」「発達支援」にいきつく
といったものがあります
それは変わらないのですが、私の経験上、良い保育を行っているお子さんへの関わり方と、発達支援の関わり方では「手法」「やり方」「過程」が異なることが多いのです
以下にどういうことかを記述していきたいと思います
現在の「良い保育」の2つの主要な考え方
自然に触れる
少し前から保育環境で大事にされているのが、「自然に触れる」という考え方です
土の感触、風の勢い、花の匂いなどなど
身体の成長を自然の中で育もうといったものです
五感をすべて使い、遊びのを自然の中から主体的にみつけることで、お子さんの「生きる力」「主体的に考える力」「命の学び」
など、生きる上での一番の土台になり得るものを育むのです
実際、現代のお子さんは「自然に触れ合わなくても生きていける」状態にあります
ただ、プラスチックや加工された木、樹脂、カーボン、金属そういったものは扱えますが、ざらざらした、土がついている、加工されていない物に触れる機会は珍しくなっています
子どもの内から、自然の物質を触り、肌でそれを使いこなす、豊かに発想する、疑問を抱く、そういった経験が重要なのです
「見守り」を丁寧に行い、子どもの学びの過程に口や手を出さない
そういった自然の中でお子さん自身が考え、行動し、それを大人は「見守る」ことが大切という考えが今は主流です
これは私自身も働いている中で実感することが多くありました
お子さんの学んでいる最中に大人が余計な声掛けをし、お子さん自身の気づきを消してしまったり…
喧嘩の仲裁と大人が入り、本当は子ども達が自身で解決できるのに、その経験をなくしてしまったり…
大人が子どものやることに口を出したり、介入することで、お子さん自身が考え、行動する、成功する、失敗する機会を奪ってしまうのです
・実際にやってみることで、身をもって経験すること
・お子さんの自主性を大切にすること
といった
お子さん自身、お子さん同士がで成長しあえる環境を整えることが今の保育環境で大切な「見守り」と言えます
上記のことは「発達支援」「子育て」でも共通しています。しかし、実際に現場では「特性」や、「障害」にあわせて形を変えることが必要になるのです
「発達支援」の考えでの「保育」「子育て」の「大切なこと」の変換
上記のような大切なことは「発達支援」の中では少しプロセスをかえてお子さんに提供する必要があります
皆さんもご存じのように、「上記の大切なこと」を実行するにはなかなか難しい場面が多いのが「発達支援の世界」だったりします
以前私は、今の保育の理想として「古民家を園として、自然の中で過ごす保育、関わりを大切にしている園」をツイートしたと思います
自然の中で、田んぼをプールにして泥遊びをしたり、森に入り虫を触ったり木の実を食べたり、お子さん同士の喧嘩も見守り…
上記の要素をすべて盛り込んでいたと思います
ではここに、「目にしたものをなんでも口にしてしまう(異食)お子さん」がその環境に入るとどうなるでしょう
田んぼの土を食べてしまったり、自然にあるもの手に取り口にしてしまうと考えられ、健康被害が出てしまうことが考えられます
そんな中大人が「見守り」で過ごすことはできませんよね。どうしても止めなければなりません
こういった事例が「保育」「教育」と「発達支援」の狭間でたくさん起こっているのです
ここで大切なのは、後文であげた
・身体の成長を自然の中で育もう
・実際にやってみることで、身をもって経験すること
・お子さんの自主性を大切にすること
を大事にしながら、「いかにそのお子さんの環境を整えてあげるか」というより個別に視点を置いた考え方が重要になってきます
・できるだけ周囲に口に入れられる物を置かない。しかし自然に触れられるにはどうすればいいか
・人間関係で必要以上に手が出てしまうほど情緒が乱れてししまう。では落ち着いてやりとりを学べる環境をどう作るか
といった形になりますし、自然のなかでの学びでは難しく、そこから離れることが必要になることもあります
一見すると、これは集団からの分離とも取れ、インクルーシブとは離れた印象を持つかもしれません
しかし、お子さんの「特性」や「障害」を踏まえ、合理的配慮、支援の検討を重ねた「分離」は、最終的に学んだことを「社会」「集団」で活かせることが前提の考え方です
これは、その場にそぐわない、迷惑をかけない、といった排他的思考で行われる「分離」とは別物だと考えます
私たちがもっと学ばなければならないのはこういった「インクルーシブの在り方、考え方」なのではないでしょうか
・全ての人間は発達特性を持っている
・発達特性が強すぎても、弱すぎても「障害化」する
・「良い子育て」「良い保育」「良い教育」は「療育」「発達支援」にいきつく
といったものがあります
それは変わらないのですが、私の経験上、良い保育を行っているお子さんへの関わり方と、発達支援の関わり方では「手法」「やり方」「過程」が異なることが多いのです
以下にどういうことかを記述していきたいと思います
現在の「良い保育」の2つの主要な考え方
自然に触れる
少し前から保育環境で大事にされているのが、「自然に触れる」という考え方です
土の感触、風の勢い、花の匂いなどなど
身体の成長を自然の中で育もうといったものです
五感をすべて使い、遊びのを自然の中から主体的にみつけることで、お子さんの「生きる力」「主体的に考える力」「命の学び」
など、生きる上での一番の土台になり得るものを育むのです
実際、現代のお子さんは「自然に触れ合わなくても生きていける」状態にあります
ただ、プラスチックや加工された木、樹脂、カーボン、金属そういったものは扱えますが、ざらざらした、土がついている、加工されていない物に触れる機会は珍しくなっています
子どもの内から、自然の物質を触り、肌でそれを使いこなす、豊かに発想する、疑問を抱く、そういった経験が重要なのです
「見守り」を丁寧に行い、子どもの学びの過程に口や手を出さない
そういった自然の中でお子さん自身が考え、行動し、それを大人は「見守る」ことが大切という考えが今は主流です
これは私自身も働いている中で実感することが多くありました
お子さんの学んでいる最中に大人が余計な声掛けをし、お子さん自身の気づきを消してしまったり…
喧嘩の仲裁と大人が入り、本当は子ども達が自身で解決できるのに、その経験をなくしてしまったり…
大人が子どものやることに口を出したり、介入することで、お子さん自身が考え、行動する、成功する、失敗する機会を奪ってしまうのです
・実際にやってみることで、身をもって経験すること
・お子さんの自主性を大切にすること
といった
お子さん自身、お子さん同士がで成長しあえる環境を整えることが今の保育環境で大切な「見守り」と言えます
上記のことは「発達支援」「子育て」でも共通しています。しかし、実際に現場では「特性」や、「障害」にあわせて形を変えることが必要になるのです
「発達支援」の考えでの「保育」「子育て」の「大切なこと」の変換
上記のような大切なことは「発達支援」の中では少しプロセスをかえてお子さんに提供する必要があります
皆さんもご存じのように、「上記の大切なこと」を実行するにはなかなか難しい場面が多いのが「発達支援の世界」だったりします
以前私は、今の保育の理想として「古民家を園として、自然の中で過ごす保育、関わりを大切にしている園」をツイートしたと思います
自然の中で、田んぼをプールにして泥遊びをしたり、森に入り虫を触ったり木の実を食べたり、お子さん同士の喧嘩も見守り…
上記の要素をすべて盛り込んでいたと思います
ではここに、「目にしたものをなんでも口にしてしまう(異食)お子さん」がその環境に入るとどうなるでしょう
田んぼの土を食べてしまったり、自然にあるもの手に取り口にしてしまうと考えられ、健康被害が出てしまうことが考えられます
そんな中大人が「見守り」で過ごすことはできませんよね。どうしても止めなければなりません
こういった事例が「保育」「教育」と「発達支援」の狭間でたくさん起こっているのです
ここで大切なのは、後文であげた
・身体の成長を自然の中で育もう
・実際にやってみることで、身をもって経験すること
・お子さんの自主性を大切にすること
を大事にしながら、「いかにそのお子さんの環境を整えてあげるか」というより個別に視点を置いた考え方が重要になってきます
・できるだけ周囲に口に入れられる物を置かない。しかし自然に触れられるにはどうすればいいか
・人間関係で必要以上に手が出てしまうほど情緒が乱れてししまう。では落ち着いてやりとりを学べる環境をどう作るか
といった形になりますし、自然のなかでの学びでは難しく、そこから離れることが必要になることもあります
一見すると、これは集団からの分離とも取れ、インクルーシブとは離れた印象を持つかもしれません
しかし、お子さんの「特性」や「障害」を踏まえ、合理的配慮、支援の検討を重ねた「分離」は、最終的に学んだことを「社会」「集団」で活かせることが前提の考え方です
これは、その場にそぐわない、迷惑をかけない、といった排他的思考で行われる「分離」とは別物だと考えます
私たちがもっと学ばなければならないのはこういった「インクルーシブの在り方、考え方」なのではないでしょうか
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