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5章
対イリス抵抗軍奮闘ス
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”それしかなかったんだよ、あの時のわたしにはね。”
イリスから貰ったオールフリーの1年間が終わりを迎えれば、わたしは真のS.C.I.値でイリス連邦社会に解き放たれる。イリス抵抗派のわたしはすぐに更生施設送りだろう。だから選択肢がなかった。現状でイリスコロニーの仲間として迎えてもらえる唯一の手段、対イリス抵抗軍への参画。当然返答はイエスだ。待ちに待った女子大生生活なんて、そんな平凡で明るい日常が続くことなんて、今のわたしには手に余る幸福なのだとイリス連邦市民の条件が心に釘を刺す。わたしの居場所は対イリス最前線の現場。これも何かの宿命だと感じずにはいられない。
せっかくリセと一緒の大学で新しい生活が始まったと思ったけれど、わたしの想像力が足らなかった。リセと一緒に居たければイリス抵抗派をやめるしかない。この単純な条件が普通の人生を過ごそうとしていたわたしには重要だったんだ。こんな単純で重要な事、わたしとした事が、どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。大学で対イリス抵抗軍の人たちに囲まれたとき、ようやくわたしの脳が現状を理解したのだ。そして直感的に、わたしは対イリス抵抗軍へ参画することを決めた。つまり・・・リセを・・・家族を・・・わたしの大切な人々を置き去りにして、わたしは高い塀の向こうへ行くことを決めた。
この時期、対イリス抵抗軍ではイリスへの一大反抗作戦のために世界中からあらゆる分野のエキスパートを選抜し軍への参画をオファーしていた。わたしはその作戦の過程で生のイリスと対面できることを期待していた。なんとなくだけど、会える気がしたんだ。ホログラフ越しじゃない本物のイリスに。そうしたらなぜかイリスと通じ合えると思っていた。きっとイリスはわたしを殺せない、わたしもイリスを殺せない、お互い殺せない者同士、イリスとの対話で問題を解決するには、わたしとイリスの浅からぬつながりが必要だと考えられた。
「母さん、話があるの。」
「何?」
「わたし、対イリス抵抗軍へ入る!」
「何馬鹿なこと言ってるの!軍隊へ入るってことは自分の命を捧げるような物よ、絶対に認めないわよ。」
「あのね母さん。わたしに対イリス抵抗軍から特別なオファーがあったんだ。わたしの力を必要としている人がいるの。それにどのみちわたしはイリス抵抗派としてイリス連邦社会で暮らすことになる。そうなれば更生施設に送られて洗脳された自我を忘れたミヤビ・ナルが出来上がるだけなんだよ。母さんはわたしが日々イリスへ抵抗していることを知っているでしょ?いつまでもこんなことは続けられないんだよ。わたしの居場所は、イリス連邦内にはない。」
「あのイリスから貰った1年てやつ?それが切れるのね。ナルちゃん、あなたは賢くて、でも世渡りが不器用な性格だから、イリス連邦領内で自身のアイデンティティーを保ったまま生活することが困難なのよ。私だってイリスには疑問点や不満点はたくさんあるわよ?でもちゃんとイリス市民として過ごすことができている。ナルちゃんも『生き方』を練習すればきっとイリス市民としてやっていけるはずよ?」
「それじゃあ駄目なんだよ。そんなことでは世界は変えられない。人類は永遠にイリスの奴隷のままだよ。今世界を変えなきゃいけないんだよ。ナノインプラントで人類の自我が消滅した世界で生きたいとはわたしは思わない。」
「たかが女子大生のあなたに世界を変えられるわけないでしょう。ナルちゃんはものすごく賢いからこの世の不条理を見抜いて自分に何かできるかもしれないと思っているのだろうけれど、あなたは一般市民の女の子。ナルちゃんの世界観と発想は大きすぎるの。あなたの賢さが心を苦しめているのね。ナルちゃん・・・メンタルケアセンターへ行きましょう?」
「わたしのメンタルは特に異常はないよ。わたしはイリスに最も近い人間なの。この特別製のSS端末でイリスと会話した結果、わたしはどうしてもイリス抵抗派として生きなきゃいけないと心から思ったの。だから・・・。」
「だから軍に入ると言うの?対イリス抵抗軍に入れば何かが変わるだろうって本気で思ってるのね?それは思い上がりもいい所よ。あなたは本当に小さい存在なの。大人になれば自分が如何に無力か実感できるはずよ。確かに幼い頃イリスと親交はあったけれども、それがあなたを特別な存在にしていたとしても、この世の中では些細な出来事なの。」
「その些細な出来事から生まれる縁で世界が変わるとしたら?母さんの言いたいことはわかるよ。確かにわたしは女子大生だけれど、軍からオファーが来るほどの頭脳を持っている。他の誰でもない、運命的な事なの。その運命的な人がわたしなんだよ。」
母さんとは相容れなかった。たぶん今の話をしたらわたしを知っている人なら誰とも相容れないだろう。そりゃそうだ。一個人の力で世界を変えるなんて馬鹿げた話だ。全くのおとぎ話だ。世界を変えるにはイリスのように実力が伴わなければならない。でももし対イリス抵抗軍の実力がイリスへ打撃を与えられるほどのもので、イリスに政策転換を迫れるものだとしたら、そしてイリスが一目置くわたしの存在が核心的なピースとして作用するとしたら・・・わたしはこの世の奇跡に賭けてみたい。これが運命のめぐりあわせの第一歩となることを信じたい。
「ごめんね母さん。わたしイリスをお姉ちゃんのような存在だと思っているんだ。だからこそ現状を看過できない。昔の優しいお姉ちゃんに戻ってもらいたいんだよ。だからわたし行くよ、イリスに出会える可能性に賭けてみたいんだ。今のわたしの姿を生で見たイリスが少しでも昔を思い出してくれたらそれでいいんだ。わたしイリスの前で泣く作戦だし。決して殺し合いに行くわけじゃない。どうにかイリスを説得してみたいんだ。」
「あなたがイリスをお姉ちゃんのような存在として見ていても、イリスがあなたを妹のような存在として見ていなかったらどうするの?それにせっかくリセちゃんと同じ大学に入れたのに友人関係と大学を蔑ろにしてまでイリス抵抗軍に加わるメリットがあなたにあるの?わたしはナルちゃんだけが大切なの。たった一人の娘だもの。娘の人生をできるかもわからない世界の救済という至上命題に捧げるなんてとてもじゃないけれど怖くてできない。でもナルちゃんは一度決めたことはしっかりやり通す子だから・・・どうしても行くのね?」
「うん。あともちろんディナも一緒に連れて行くからわたしの生命の保障問題は心配いらないよ。」
「あら、そういえばディナがいたわね。」
はい、この純軍事ロボットがついていればわたしは何も怖くない。ディナのプロフェッショナルな迷惑行為は日々見てきたからディナが迷惑行為じゃなくて本来あるべき場所での活躍ができるように対イリス抵抗軍へ連れていく。実力は折り紙付きだから。
「母さん大学の休学届お願い。理由は適当でいいよ。わたしは早速明日にでも市ヶ谷旧国防省へ行くから。」
「明日からって随分早いわね。まだ話したいことはたくさんあるのよ?ナルちゃん、絶対に戦闘には参加しない事。向こうが求めているのはあなたの頭脳。戦場に飛び込むのじゃなくて知恵を提供するお仕事に専念するのよ。私はまだナルちゃんの行動には反対。でもあなたの意思を尊重するわ。あなたにしかできないことをやってきなさい。まったく、お父さんそっくりね。」
「うっ、ごめんね母さん・・・。」
「それじゃあ今日の夕食はナルちゃんの出征祝いで赤飯ね。武運長久を祈りましょう。」
「母さん、それ大日本帝国だよ。」
なんとか家は出られそうだ。ディナがついているからわたしは死を連想しない。リセにはなんて話そうかな。急に大学休学するなんてよっぽどのことだ。
わたしは自室に戻ってSS端末でリセにメッセージを送った。
「リセ、明日からしばらく休学するからよろしく。」
早速返信が来た。
「よろしくって何?なんかナルの父さんと同じようないきなり度。親子で似てきたね。所で理由はなんなんなの?」
「対イリス抵抗軍へ加わる。世界を良い方向へ導く。」
「ナルの思考が突飛すぎて衝撃的なんだけれどいったい何に目覚めたのよ。友人としてそれは反対。ナルの体力じゃ限界があるよ。」
「いや、彼らはわたしの頭脳目当てなんだ。大学構内で軍人さんからオファーがあったんだよ。」
「じゃあ例えばナルが作戦将校みたいなポジションで戦場の後方に陣取っていていざやられそうになったらいつでも安全に退却ができるってこと?そういうことが可能な状況じゃないととてもじゃないけれど危なっかしくて親友を戦地になんて送れないよ。」
「たぶん戦場の後方よりもさらに後方の司令室みたいなところでのお仕事だと思うよ。今世界を変えなきゃ手遅れになる。ユートピアの皮をかぶったディストピアにわたしは我慢ならないの。」
「ナルは感情が高ぶると想像だにしない行動取るから寿命が縮むよ。もちろんディナも一緒なんでしょ?」
「うん。わたしの生命の保障は万全。」
「わかった。ナルが正しいと思うことをしたらいいと思うよ。でもできるだけ早く帰ってきてね。今度会うのはナルのお葬式なんて勘弁だからね!」
「わかってるわかってる。大丈夫だよ。」
「そのテンション、危ういなあ。塀の向こうで合成麻薬に溺れたりなんかしないでよ。まだ淘汰できていないんだからあれは。」
「大丈夫だよリセ。ちょっと知恵を貸しに行くだけだから。イリスに直に会って説得してくるだけ。心配いらないよ。」
「おいおいナルさん!作戦司令室じゃなくてそれは戦場の最前線では・・・。」
「細かいことは気にしない。とにかくイリスのほっぺたひっぱたいてわたしのお姉ちゃんに戻ってもらう。」
「・・・ナルはイリスに拘るなあ。イリスの昔を知らないからナルの気持ちを察するのは難しいけれど、要は自分のお姉ちゃんに会いに行きたいんだ、ナルは。」
「そうなるね。」
「本当に生きて帰ってきてね。出発はいつなの?アスノの護身用の武器を提供できるかもしれないからナルが軍に行く前に会いたいけれど。」
「出発は明日。大丈夫、わたし自作の拳銃があるから。2000メートル先のマッチ箱の中心に百発百中でフルメタルジャケット誘導弾19発装填。ターゲットをロックすれば弾が勝手に目標に向かって飛んで行ってくれる優れもの。イリス軍のドロイド歩兵の目にピンポイントに当たるよ。」
「なんかよくわからないけれど凄そうなのは伝わってきたわ。っていうか明日出発なんて気が早すぎるよ。今の私はナルを抱きしめてチュッチュしたい心境よ。」
「わたしはペットじゃないって。絶対に生きて帰ってくる。約束するよ。」
「うん、絶対約束だからね。」
わたしは生きて帰ってくるつもりだけれど、もしかしたら死ぬかもしれない。わたしが軍でやろうとしていることは大変リスキーな事だ。わたしにイリスをどうにかできるマスタープランは実はまだない。イリスに直接会って話をすれば何かが変わるかも知れないという直感にのみ従って行動している。これは非常に危険だと自分でも思っている。わたしは決して戦場の後方で作戦を傍観するわけじゃない。多くの人の力を借りて最前線でイリスとの対話の場を設けてもらう。そんな甘えた考えでわたしは動いているのだ。
ここで明確にしておきたいのはホログラフ通信では何がダメなのかということ。これまで2回イリスとホログラフ通信をした。実体のないイリスとね。イリスの本体というのは擬人化筐体ではない。擬人化筐体はあくまで人とのコミュニケーションを円滑に進めるための仮の姿でしかない。本体は直径10メートルほどあるバイオスフィアと呼ばれる球体のニューラルネットコンピューターだ。わたしは軍人さんと一緒にイリスのもとへ向かい、このバイオスフィアを手玉に取ってイリスをいつでも殺せる条件を整えてから交渉するつもりだ。
大学で黒服の男から聞かされた反抗作戦の最終目標はイリスとの交渉とそれに失敗した場合のイリス再プログラミングに係るイリスの強制機能停止だった。イリスは社会の重要インフラだから殺すことは実際にはできない。でも脅迫はできる。イリスが人のような知性体なら。交渉役にはもちろんわたしが立候補する意気込みだ。実際に選出されるかは別として。イリスは実力をもってわたしと対話した。今度はわたしが実力を伴ってイリスと対話する、それで初めて同じ土俵に立てたと言えるのではないだろうか?
2066年5月21日金曜日、一時の別れを惜しむ母さんがお守りをくれた。この日わたしは市ヶ谷旧国防省の門をたたく。母さんはわたしをきつく抱きしめて武運長久を願ってくれた。
「ナルちゃん、本当に行くのね?絶対に生きて帰るのよ。」
「母さん、イリスはわたしを殺せないよ。きっと大丈夫。必ずうまくいく。」
お守りを首から下げてわたしは家を出た。本当は最前線に行くつもりだなんて母さんに行ったら絶対にこうはならなかったと思う。ごめんね母さん、嘘をついて。でもわたしにはやらなくちゃいけないことがあるんだ。
前に市ヶ谷コロニーを訪れたときは夜中だったから検問所で軍人さんに通行を止められたけれど、今回はイリス抵抗軍へ参画するという明確で正当な理由がある。
「軍人さんお久しぶりです。」
「あなたは例の動画をネットに広げたミヤビ・ナルさんですね?前に貰ったワインはおいしくいただきました。」
「あの・・・あなたは麻薬中毒者ですか?」
「ああ・・・わたしの胸ポケットに合成麻薬が入っているのが見えてしまったのですね。恥ずかしながら私は麻薬に溺れ、イリスの手駒になっていました。しかしあなたが動画を拡散したおかげできっぱりと麻薬をやめることができました。ナノインプラントは入っちゃいましたけれどね。あなたはイリス抵抗軍の救済者です。」
「そんな大げさな存在ではないですよ。そうですかもうやめることができたんですね。今回はイリス抵抗軍に参画するためにやってきました。」
「本部から聞いております。ようこそ対イリス抵抗軍へ、あなたのご活躍をお祈りいたします。国防省までエスコートしましょう。どうぞ私についてきてください。」
「ありがとうございます。」
この時間帯は人通りもすごく多くて活気がある。まるで渋谷のようだ。以外にも子供が結構いる。家族で逃げてきたのだろうか?ただ栄養が足りないのかみんなやせ細っている。ここでの暮らしはイリス連邦よりも過酷だ。どちらで暮らした方が幸せなのだろう・・・いびつな社会構造の被害者たちは、少ない食料を分け合いながら日々イリスにおびえているのだろう。
「軍人さん、食料の供給が十分ではないように思えるのですが、北海道コロニーからの食糧供給は滞っているのですか?」
「食料を満載したティルトローター機は一時的にイリス連邦領上空を飛びます。しかし大抵は太平洋に出る前に撃ち落とされてしまうのです。領空侵犯になりますからね。現在の食糧供給の大半は食料工場ビルで室内栽培された野菜などです。基本的に肉はありません。」
「そうなんですか。軍人さんも大変なのでしょうね。」
「我々も食料には苦労しています。基本的にはソイレントが食事です。でもやはり肉がないと屈強な肉体にはなれませんね。」
「北海道コロニーから何とかお肉を供給してもらう方法はないんですか?」
「様々な試みがありました。コロニーに協力的なイリス市民に輸送をお願いしたり、潜水艦を利用した作戦も立てられましたが、どの作戦も2週間もすればイリスにばれてしまいます。」
「やっぱりイリスは非人道的ですね。」
「講和条約が結べれば人道的配慮で食料だけは何とかなると思うのですが。未だ戦時下ですからね。でもイリス連邦と違ってイリスの顔色をうかがいながら束縛された人生を過ごすより、すべてが自由なコロニーの方が私は人間らしい生活ができていいと思っています。」
「人間らしいって当たり前のことなのに、イリス革命以降貴重な価値観になってしまいましたよね。」
「イリスは第4次世界大戦を防ぐという名目で人類のアイデンティティーを制限している。我々はこれ以上この状況を看過できない。近々行われる世界的な一大反抗作戦の為にこうしてナルさんにお越しいただいております。状況はもうすぐ変わりますよ。」
「お力になれれば良いのですが。」
「さて、ここが我らが本部、国防省です。ここからは本省の人間が案内いたしますので私はこれで。」
「はい、いろいろお話聞かせていただきありがとうございました。」
「ミヤビ・ナル様ですね、お待ちしておりました。私に着いてきてください。」
ここが国防省か、大きなビル群だ。わたしは本館のとある会議室にて今後の予定と生活について説明を受けた。まず3日後にわたしと同じように召集された各界の有識者やプロフェッショナルが一堂に会し、総決起集会が催されるらしい。反抗作戦までの生活は国防省のゲストハウスで過ごし、作戦3日前に多脚戦車と人員輸送装甲車約20台で国防省を出て米軍横田基地まで猛ダッシュ。横田基地でステルス輸送機に乗り込んで作戦司令部がある米軍の新鋭ステルス潜水艦に移動する段取りらしい。
この輸送作戦でさっそくわたしの出番がある。横田基地へ向かう車列をイリス軍のドロイド歩兵や戦闘車両等から見えなくするために、視覚野にハッキングを仕掛けてイリス軍の目を奪うのだ。これはわたしの得意分野。イリス軍の基幹システムは第3次大戦来の旧式をレトロフィットさせて使っている。イリスネットと違って量子ネットワークでもなければ量子テレポーテーションもしない在来型のネットワークである。理由は予算不足でイリス軍の装備自体が旧自衛軍の装備を引き継いだことに起因する。これから登場するであろうイリスインダストリー製の装備はこれまでと比較にならないほど強いだろうけれど、全世界を相手にしているため量産が追い付いていない。その為反抗作戦のチャンスは今しかないのだ。作戦説明担当の自衛官ホンゴウ・アカリさんによるとそういう事らしい。
「ホンゴウさん、今回の作戦、日本だけではないんですね?」
「今回の反抗作戦は日米英豪の4か国による共同作戦です。どの国も日本と同じく内政が混乱し独自の武装戦線が孤立して抵抗している状態でしたが、今回はそれを一まとめにしてイリス本体にぶつけるのが作戦の要点です。」
「米軍がいるのは心強いですね。」
「米国と日本、この2国はイリスをこの世に誕生させ成長させた国でもあります。ですからイリス革命に対する責任は重いのですよ。今回はイリスの親として、過ちを改めさせるべくイリスの再プログラミングかあるいは対話だけで事が済むようにイリスのもとへ向かうのです。」
「やっぱりイリスを破壊するのはまずいという事ですか。」
「破壊というオプションは最終手段ですね。イリスは世界の最重要インフラですから。イリスがなくなれば世界は路頭に迷うことになります。イリスがいなくても人類だけで現在のレベルの生活を構築するには百年以上時間がかかるでしょう。誰もそんなことは望んでいません。」
「これまでもホットラインによる対話は行われていたわけですよね?この作戦でイリスを説得できる確証はあるのでしょうか?」
「イリスと実力が均衡することによってはじめて対話は成立します。核兵器の相互抑止力と同じような問題がイリスに関しても言えます。現在は残念ながらイリス一強ですよね?だからこそイリスが既存の兵器を遥かに上回る強力な兵器群をまとまった数量産して武力の不均衡が決定的になる前に、世界の軍事力を結集させてイリスにぶつけるんです。絶対に失敗はできません。そのためにはナルさんのように世界でも秀でた能力を持つ人間をスカウトして作戦計画を練り上げます。ナルさん、あなたの能力は折り紙付きです。絶対に作戦を成功させましょうね?それにしてもあなたの後ろからストーカーのようについてくるロボットが。」
「あれはわたしの守護神です。」
絶対に作戦を成功させる。その意気込みはこれまでの人類の結束で最強のレベルだ。勝つことが目標ではない、対等な対話が目標だ。しかしイリスを倒すことができないというのは既に人類の敗北に一歩足を突っ込んでいる様相だ。悔しいけれどこれが現実。イリスがあってこその今の地球だ。これってわたしと一緒だね。イリスあっての今のミヤビ・ナルだから。
さて、なんだかこれまでの話を聞くにわたしは自分の目標である最前線に行ってイリスと直接対話するというフェーズにはお目にかかれないかもしれない。交渉人は国連事務総長だという噂が耳に入る。わたしの出番は主にハッキングでイリスとの対話ではない。全員が確実に自身の役割を果たすことで初めて作戦が成功する。勝手なことは許されなさそうだ。
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「私は日本国内閣総理大臣、ヘンミ・イチローだ。未だ現職の総理だ。あのイリスによる第4次大戦の予測がなされた直後の国際会議の時、我々はイリスを積極的に評価して統治を託 したのではない。あの会議はイリスによる人類への恫喝そのものだった。イリスに従わなければイリスネットへ接続された世界各国の兵器群を操り各国政府を実力で乗っ取るという脅しだったのだ。そして、それは先進国であればあるほど、イリスネットへ接続された軍隊への依存度が高く、脅威となりうる内容だった。我々は従うしかなかった。情けない話だ。そして決議された協約が段階的にかつ迅速にイリスへ政府機能の全権を託し、先進国が持つイリス停止キーをイリスへ渡すことだった。だがイリスは協約を破り、あの226事件を起こし、日本を乗っ取ったのだ。これは日本だけでなく世界で起きたイリス一斉蜂起の最初のステージだ。次なるステージがナノインプラントの強制埋め込みによる個人支配だ。国家を乗っ取り、個人を乗っ取り、イリスは今や神の如き存在だ。非常に恐ろしいことが起きたのだ。このまま人類はマシンに支配されるだろうか?いや、そうはさせない。私がいる限り、私と志を同じくしてくれる世界中の仲間がいる限り、人類はイリスへ抵抗し続ける。イリス肯定派の人々も、心の奥底では支配に対する恐怖があるはずだ。我々の勢力は小さい。だがこうして人類の中でもエキスパートと呼ばれる人たちがイリスの包囲網をかいくぐってイリス抵抗派コロニーへ集まってくれたのだ。これほど心強いことはない。皆さん、イリス抵抗軍へようこそ、我々はあなた方を歓迎します。そしてイリス統治機構を崩し、人類の人類による人類のための世界を取り戻すのです。」
日本国内閣総理大臣、1年ぶりに聞いた気がする。っていうか生きてたんだ、226でてっきり殺されているかと思っていたけれど。今日ここで開かれているのは旧日本国内の各界のプロフェッショナルを集めた決起集会の場。日本の最先端は今、ここに集結している。大体100人くらいだろうか、テレビで見知った顔の人もいる。これだけの人数を横田基地まで移動させなければならないなんて、改めて人数を考えるとわたしの責任は重大だ。
決起集会はまるで最後の晩餐のように貴重な食料がふんだんに使われた立食パーティーとなっていた。よく見ると軍人さんがないと言っていた肉がある。合成肉だけど。この場にいる人の内、イリス革命後イリス連邦で暮らしていた人は全体の75%。みんなよく集まったなと思う。イリス連邦領内で暮らしていたからこそ、イリスの政策はおかしいと思った人たちばかりだろう。わたしと同じように。S.C.I.値もかなり高レベルに保たれている。みんなうまくイリスを欺いている。わたしのように思考がすぐ表に出てしまう人間は更生施設行きだろう。みんなすごいな。わたしなんてイリスからのお情けで今ここにいることができているのに。そして潜在的反イリス抵抗者を見極めて専門家と呼ばれる人たちを選出しスカウトした自衛軍の情報部も大したものだ。
「先輩!」
「えっ?リリアちゃん!どうしてここに・・・。」
「私のお仕事をお忘れですかー?私はナルさんをあらゆる脅威から守るために存在しています。それがイリスからの命令です。」
「っていうことはこの反抗作戦はイリスにもうばれている・・・。」
「あっそれは大丈夫です。わたしは中立の立場なので。今回はイリスからナルさんを守るために任についています。」
「本当かなー。」
「信じてくださいよー。こんなおっさんだらけの場にいる先輩は目立ちますからねー、変質者とかいなければいいですけれど。先輩一人孤立感を感じていたんじゃないですか?」
「まあ確かにわたしだけ場違いだなとは思ったけれど。一応ディナといるし、わたしの安全はリリアちゃんがいなくても保障されてるよ?」
「私の任務を奪うような発言はやめてくださいよ。イリス連邦側のロボットがこの場にいるリスクも考えてください。私は袋叩きにあってもおかしくないんですよ?身を削ってここにいる・・・けなげな後輩じゃないですか。」
「それ自分で言っちゃうんだ。でも少し安心した。確かにわたしボッチだったから。」
「ええ、一人立ち尽くしていましたよ。ディナとはイチャイチャしないんですか?」
「えっだってあの見た目・・・後ろからわたしを見守ってくれているだけでも不審なのに。」
「かわいそうなロボットですね。」
「それにしてもリリアちゃんどうやってここへ来たの?任務なのはわかるけれど、来ようと思って来れる所じゃないでしょう?」
「私は最初イリスをよく知る有識者としてこの作戦に召集されました。イリス本部を知っていますからね。自衛軍はイリス派からも協力的な人材を確保しているんですよ。」
「なるほど、でもそれって危ういな。優秀な人材を集めたいのはわかるけれど、スパイが混じる可能性は十分ある。自衛軍の中でその点懸念に思う人はいなかったのかな。」
「ヒューミントとシギントをフル活用して怪しい人物は排除されています。私も厳密に中立なのが証明されたからここにいるわけですし。その点は国際的な作戦ですから最後はアメリカCIAが精査したそうですよ。」
「うーんそうか。でもイリスは甘くないよ。絶対に内通者がいる。そんな気がするんだ。」
「怖いのは”無自覚な内通者”です。自分は内通者ではないと思っていても実はイリスに有利な情報を与えてしまうタイプの人間、あるいはそう仕掛けられた人間。そうなるとナルさんとて疑い深くなりますよ。」
「わたしが内通者かも知れない。確かにそういう可能性もあるよね。疑いだしたらきりがないという事だね。」
「そういうことです。」
立食パーティーの後わたし達はゲストハウスへ案内された。リリアちゃんとわたしは同じ部屋だ。リリアちゃんがいることで少しほっとした。正直気が張り詰めていたから。軍に協力するわけだし。
2066年5月28日金曜日、5月中に決着をつけるという目標で反抗作戦が実施される31日の3日前となる日が訪れた。この日は市ヶ谷から横田基地への移動作戦の日だ。と言っても気分はまだ27日。何せ夜中の1時だ。わたしは正直眠れていなかった。わたしのハッキングの手腕によってこの移動作戦が成功するかどうかがかかっているのだ。眠れるわけがない。
ハッキングに使用する道具はわたしのSS端末はまず避けよう。これはイリスから貰ったものだしどんなバックドアが仕掛けられているかわからない。わたしは家からハッキングに必要な設備を自室から持ち出していた。設備と言ってもアタッシュケース一個だけれど。これは中身はわたしオリジナルの量子コンピューターが入っていて広域に電子戦をかけられるようにブレードアンテナを任意の場所に設置できる。ハッキングというとちょっと語弊があるかも知れない。電子妨害とハッキングを同時並行して電子的に視界を奪う便利な機械。
高出力の電源が必要なので全固体セラミックス電池で動く装甲車両との相性は良いはず。製作動機はイリスから貰ったオールフリーの1年が過ぎた後でも自由にイリス連邦で暮らせるようにわたしの社会評価指数を誤魔化すために開発した装置。こんな形で役に立つことになろうとはわたしも予想していなかった。
「全員揃いましたでしょうか?ブリーフィング通りこれから18台の装輪装甲車に班ごとに分乗していただきます。装甲車の前後は多脚戦車2両が守ります。敵の視界を奪う不可視化ハッキングを担当するミヤビさんは指揮車に乗って作業を開始してください。それでは皆さんの無事を祈ります。」
いよいよ作業開始だ。車列から半径500メートルの範囲に順次ハッキングを仕掛けてイリス軍のドロイド歩兵や機甲戦力にばれないように移動する。複合型のイメージセンサーだから通常の可視モードはもちろん赤外線やレーザーマーカー、レーダーからもわたし達の車列を隠匿しながら進む。
「ナルさん、準備はできましたか?」
「はい、すでにあらゆる視界から遮蔽しています。機械を通して我々を捕捉するのは困難でしょう。しかし人間の目には丸見えですよ。」
「イリス軍のマークを車両に張り付けているので、民間人にはイリス軍の車列に見えるでしょう。絶対に成功させます。こちら指揮車、車列の隠匿完了。いつでも発進できる。送れ。」
「2号車了解。」「3号車了解。」・・・・「18号車了解。」
「全車両発進準備完了。戦車前進。」
キュイーンと静かな音を立てて車列は動き出した。オール電化された車列は音ですら隠匿可能だ。わたしが搭乗している1号車以外は人員輸送型で1台につき11名乗車できる。数十人の自衛官と百名近くのプロフェッショナルを乗せてイリス連邦領に侵入した。47キロ弱の距離を50分程度で移動する。短いようで長い時間だ。
「中央道に乗っかれば安心です。ナルさん引き続きハッキングをお願いします。」
「わかりました。」
「指揮車より全車両へ通達。車間距離に注意せよ。こちらも目測しか使えないことを忘れるな。」
装甲車の乗り心地って案外良いものだね。おかげで移動中の車内で作業しながら揺さぶられることはない。これがガタガタするようものならとてつもない吐き気に襲われていただろう。装甲車からの電力供給は大変頼もしい出力を出している。自宅ではこの出力を出せない為使う余地がなかった。手軽に持ち運びもできないし。わたしはできることならこの装置をモバイル不可視化遮蔽装置として気軽に運用したい。課題は必要電力とシステム規模の大きさだなあ。500mlのペットボトルくらいまで小型化できたらわたしもイリス抵抗者でありながらイリス連邦内で気兼ねなく暮らせるのに。
そうこうしているうちに車列は中央自動車道へ入っていった。これといった検問もなくイリス軍の姿も確認できなかった。この時間帯って治安維持していないのかな?深夜は警察にお任せなのだろうか?まあ日本はイリス統治国家の中でもまだ緩い扱いを受けてるし、イリスの実力を見せびらかさなくても日本人はイリス支持者が多い。多少消極的でもね。武力による国民の脅迫は必要なく、日本人たちもイリス革命の当事者意識が欠如しているような状態で日本人の非日常に対する適応力の高さを日々示していた。いわゆる正常化バイアスという奴だろう。これが強く働いている時は本当の危機が見えづらくなる。だからまたいつどこでテロ行為が行われても不思議ではないのだ。依然としてね。
「まもなく八王子第2インター出口です。」
ここからは国道16号沿いを北上する。さすがに基地周辺になってくるとイリス軍の機甲戦力が横田基地を囲むようにして配備されていた。米軍横田基地もイリスと対峙する我々の仲間だ。機甲戦力をどれだけ集中させようとも米国の最新ステルス戦闘機には敵わない。イリス革命時から米軍は横田上空の制空権を確保し随時上空を爆装した見えない戦闘機が巡回している。イリス軍が少しでも行動を起こそうものなら背後から電磁機関砲の掃射を浴びてさようならだ。
「米空軍横田基地メインゲート前で検問です。ここからは米国となります。ナルさんお疲れさまでした。お陰でイリス軍に気づかれることなく合流ポイントに到着できました。ありがとうございます。」
「いえいえ、仕事ですから。」
車列は黒く鋭い航空機の近くで停車した。
「全員降車、自衛官整列。プロフェッショナルの方は格納庫内の休憩スペースでひと休みしていてください。時間になったらこちらのVTOLステルス輸送機に搭乗願います。」
輸送機は3機あった。アメリカ複合打撃軍特務潜水艦隊第7打撃群核融合潜水艦艦載機。説明を受けたときは複合打撃軍なんて聞いたことがない軍隊だったけれど第3次世界大戦中に構成された特殊作戦専門の秘密の軍隊だそうだ。いかにもアメリカらしい都合の良い軍隊だ。会計検査院をどう誤魔化したのかはよくわからない。一部の軍人のみが知る大統領直轄軍隊である。
1時間の休息が終わると班ごとに別れて輸送機3機に分乗した。見たこともない軍用機に乗ってはるばる太平洋を航行中のこれまた見たこともない潜水艦まで飛んでいくそうだ。輸送機は上空15000メートルをマッハ3.5の速度で飛行するため、めったなことがない限り捕捉されないし撃墜されない。なんとなくだけど・・・これイリス軍に余裕で勝てるんじゃないかという気持ちが込み上げてきた。USA!!USA!!と馬鹿みたいに唱えたくなる。
軍事オタクではないけれどテクノロジーに関心があるわたしは非常に興味津々。一部のアメリカの装備は他国の50年先を行くと言われるけれど年間600兆円も軍事費に充てていたらこういう闇の部隊が大活躍できるのだ。日本の軍事費15兆円ではこうはいかない。
「カーゴベイ閉鎖。乗員は体位を固定してください。」
「あのーどれくらい時間がかかるのでしょうか?」
「水平飛行30分です。」
「ナル先輩なんだか楽しそうですね。」
「そんなことないよリリアちゃん。ちょっと少年心に火が付いただけよ。」
「やっぱり興奮している。本番はこれからですよー。」
「わかってるって。」
「まもなくテイクオフです。Gに気を付けてください。鬼加速なんで。」
「あっはい。」
キイーーン
「推力最大、タロン1テイクオフ!」
ズゴーー
「うわっきっつ。」
「先輩大丈夫ですか?私はロボなんで大丈夫ですけれど。」
予想外の衝撃。うんこれはあまり良い乗り心地ではない。でも水平飛行に移るとやけに静かで空を滑るように加速していく。音の壁を3回突破してハイパークルーズ飛行に移った。
「はあ、やっと落ち着いたね。旅客機とは違うエキサイティングな体験ができてイリス抵抗軍に参画してよかったと思うよ。」
「えー感動するところそこですかー?」
わたし達の輸送機はグアム近海を航行する潜水艦へのアプローチ体勢に入った。
「今度は急減速します。衝撃に備えてください。」
「おおうっ」
「VTOL機だから垂直着陸するんだよね。この大きさの輸送機が3機も着陸できる潜水艦ってどれだけ大きいのだろう。」
「総トン数は教えてくれませんでしたけれど全長は300メートルは確実にあるらしいですよ。」
「モンスターね。」
「タロン1アプローチに入る。リフトファン展開。」
「皆さん着地の衝撃に備えてください。」
英語音声で50、40、30、20と対地高度情報が読み上げられる。ドスンとわずかな衝撃とサスペンションの伸縮で体が揺さぶられた。
「カーゴベイオープン。速やかに移動お願いします。」
輸送機から降りるとそこはすでに潜水艦の格納庫内だった。空母ほど長い格納庫ではないけれど、天井が高くて広々としている。横田基地の格納庫同等の広さだ。
「タロン3着艦する。」
3号機が甲板に着艦した。翼を折りたたみエレベーターで格納庫に降りてくる。
「輸送機全機着艦。機体を固定する。」
「本艦は輸送機固定次第急速潜航する。」
「おいおい俺たちまだ降り立ったばかりだぞ。どこで体固定するんだ。」
「それほど角度は付きませんよ。立っていられるレベルです。」
「ドックよりブリッジへ、固定作業完了しました。」
「ブリッジ了解。」
カンーカンーカンー
「急速潜航、ダウントリム30。」
「ブリッジよりドック、プロフェッショナルの皆様、名もなき潜水艦SSX7015へようこそ。本艦は皆さんの到着を歓迎します。」
3
「イリスはいかなる国籍にも属さないインターナショナルかつスタンドアローンな存在だ。イリス本体は太平洋上のイリス艦隊の輪形陣中央にある本部船である。今回イリス停止のためにこれを叩く。艦隊の戦力は我々の予想以上に強力だろう。従ってステルス潜水艦からサイボーグ特殊部隊を本部船へと送り込む。この作戦にあたって一時しのぎではあるがミヤビさんによるイリス軍戦闘統括ネットワークへのハッキングで艦隊全体に電子妨害をかける。乗り込むチャンスはその時だけだ。」
イリス艦隊の目と耳を一時的に消す作業。これがわたしの今回のお仕事。これなしには特殊部隊が潜入できない。
「特殊部隊を本部船へ送り込むには本艦の魚雷攻撃で穴を開け、強制揚陸ポッドを射出して突入する。ポッド射出後は本艦は艦隊の後方10マイルの位置まで減速して支援する。」
「シンシラ・ハーデン大佐。」
「何でしょうフレデリック・ハミルトン大尉。」
「イリス本部船の構造図によると本部船の全長は約2キロメートル幅は500メートル、イリスコアがあると思われる船体中央部まで我々実行部隊がたどり着くには船内構造に詳しい専門家のエスコートが必要です。」
「スマートレンズで本部船の建造に関わったエンジニアが随時場所を教えます。」
「建造当初からいくつもの改良が加えられているようですが今回入手した船内構造図は最新の情報を反映しているのでしょうか?」
「CIAを信じてください。エンジニアのミスター・ブラウン、本部船に加えられた改良措置で建造当初から致命的な構造の変更が加えられたと思われますか?」
「この構造図を見るに船の大部分は建造当時のままです。今回穴を開ける予定の場所からイリスコアまでの道程に改良による変更はありませんね。うまくエスコートできると思います。」
「他に質問者は?」
「リミタス・バンテッド少尉です。今回の作戦で我々サイボーグはウォーリアMCSを着用し突入するとのことですが稼働時間の制限がイリスコアまでの距離を考えるとギリギリではないかと思われます。敵は重装甲でしょうがかえってMCSなしの方が良い場面も出てくると思います。そうした場合MCSの電源が切れた時点で作戦失敗ではなく装備A2のまま作戦続行できるであろうと思われますが如何でしょうか?」
「臨機応変に対応してください。確かにウォーリアMCSはかさばりますが、初期の戦闘で抜け道を作っておけばMCSなしでも作戦は続行可能です。その為のサイボーグですから。」
「もう一つ質問よろしいですか?」
「何でしょう。」
「本部船に展開しているドロイド歩兵は旧装備を引き継いだ陸地のドロイド歩兵と違ってイリスインダストリー製の最新型が多数配置されている可能性が高いと思うのですが、我々も未確認の兵器に出くわすリスクを考えると装備A2に含まれていないショートバレルの対戦車ライフルM2000が最低限必要になるかも知れません。また少女による電子妨害も量子ネットワークを使う最新機種がいた場合通用しません。これについてはどうお考えですか?」
「ウミネコ型ドローンで偵察した結果既存の機種の方がまだ圧倒的に多いようです。イリスコア周辺は確かに新機種に警戒すべきでしょう。M2000をMCSのモジュールに搭載してください。電子妨害は完全な効果ははなから期待していません。電子妨害は一時しのぎの苦肉の策です。ですがイリス側も結局のところこれだけ大規模な艦隊を維持するのに莫大なコストがかかっていると思われます。未だレトロフィットして使っている兵器が多いのは事実ですからある程度の効果は望めます。他に質問は?なければこれでブリーフィングを終了します。」
「あのー」
「何でしょうミヤビ・ナルさん。」
「わたしイリスと直に対話したいです。わたしは幼い頃イリスと親交がありました。イリスはわたしにとってお姉さんのような存在なんです。わたしを最前線へ連れて行ってもらうことは可能でしょうか?」
「あなたは民間人です。例えイリスと特別な関係を築いていたとしても船内は明らかに戦場になります。あなたを保護しながら作戦を進めることは非常に難しいのです。どうかご理解ください。」
「しかし交渉役は国連事務総長と聞いておりますが。」
「現地にはいきません。通信で対話します。特殊部隊はコアを人質にしてイリスの実力に対抗する予定です。」
やはりわたしの第一目標は今のところ実現できそうにない。ディナとなら、あるいは許可してくれるだろうか?とにかくまずはハッキングだ。戦況次第でわたしの出番もあるかも知れない。しばらく様子を見よう。絶対わたしを連れて行った方が安全だと思うんだけれどなあ。イリスはわたしを殺せないし。それだけは言える。
「お嬢さんのイリスに会いたいという意気込み、身に染みて伝わってきたぜ。あんたクレイジーだな。イリス側のドロイド歩兵は重装備で荒野を100メートル3秒で駆け抜け、その間に走りながら2キロメートル先の敵歩兵を狙撃できる能力がある。俺たちの敵はそういう奴らさ。正直デスゲームだ。残念だけれどお嬢さんをエスコートするのは難しいな。」
「いえ、無茶なこと言ってすみませんでした。バンテッド少尉。ご武運を。」
「おう、お嬢さんの電子妨害、期待してるぜ。」
「作戦要員は戦死した場合の諸手続きについて3分後にブリーフィングがあります。直ちに招集してください。」
作戦は1時間後に開始、いよいよだ。これでイリスに政策の転換を図れるだろうか?ハミルトン大尉もバンテッド少尉もアメリカ複合打撃軍のプロフェッショナルでエース。イギリス第22SAS連隊、オーストラリアSOTG、日本陸上自衛軍中央即応集団特殊作戦群、これらのメンバーは全員サイボーグでどんなに過酷な状況でも作戦を実行する能力がある。その中でも選りすぐりの少数精鋭複合軍がイリスのもとへ赴く。これで勝てなかったら抵抗する人類の敗北が決定的になる情勢の分水嶺となる作戦だ。失敗したからまた次も、という選択肢は残されていない。
「作戦要員は強襲揚陸ポッドへ搭乗してください。」
「よし3人乗りのタクシーに乗車だ。気を引き締めていくぞ。」
強制揚陸ポッド8機で計24名が本部船に向かう。一人も欠けることなく戻ってきてくれたら嬉しいけれど、人類史上一番難しい作戦だからどうなることやら。
「ナルさん、ハッキングを開始してください」
「了解しました。」
ハッキングをしてみると確かにイリスにしてはちょっと古めの装備だ。こちらの方が優勢かもしれない。
「イリス艦隊アスロック射程圏内です。本部船を捕捉した。どでかい的だ。」
「ハッキング成功しました。」
「よし。VLS一番開放、アスロック発射!」
ゴォォォーーと噴射音が聞こえる。
「目標までヒトマル。」
「両舷前進一杯!タクシー射出まで60秒カウントダウン開始。」
イリス艦隊の平均速力は40ノット。このステルス潜水艦の最大水中速力も40ノット。全速力じゃないとイリス艦隊に追いつけない。
「魚雷間もなく目標に突入。」
「魚雷目標中央に命中、被害が出ている模様。」
「タクシー射出10秒前、VLS5番から12番開放。」
「5、4、3、2、1、射出!」
大尉たちが出撃した。特に音は聞こえなかった。けれどもなんとなくつながりを感じる。
「推力3分の1、深度300、水中レーザー通信開始。イリス艦隊から距離を取る。」
イリス艦隊の後方10マイルの距離で作戦を見守る。わたしもあそこへ行きたかった。実にもどかしい。
「強制揚陸ポッド、間もなく目標突入!」
「ポッドブースター切り離し水中に突入!」
「目標突入まで3、2、1、マーク。」
「どうなった?」
「こちらα1、イリス本部船に侵入成功、全員健在です。ナルさんありがとう。」
「よしっ!α1、ターゲットを索敵しろ。」
「α1了解。」
船内映像が司令室に送られてくる。
「こちらα1、船内の構造が事前に準備してきた構造図と大きく異なっている模様。エスコート求む。」
「船内構造が違うだと!どうなってるんだ。」
「CIAめ雑な仕事しやがって。」
「落ち着け、α1接敵に気を付けろ。直ちに魚雷で吹っ飛ばした区画から移動せよ。敵が集結してくるぞ。」
「α1了解。嫌な予感しかしない。」
ハミルトン大尉が別区画への扉を爆破して開ける。船内構造が事前情報と大幅に異なっているらしくイリスコアまで遠回りしなければならないようだった。
「おいハミルトン!イリスコアが船内中央にあるという情報も間違ってるかもしれないぜ。熱源をトレースしたら核融合炉が船体中央で船体後方T16区画がイリスコアの可能性が高い。」
「船体後方か、ここから直線距離で700メートル。迂回路を考えると1.5キロは歩かされそうだな。それにしても敵の気配がしない。どうなっている。」
「おい、この扉は近道かも知れない。格納庫へ出て500メートルは稼げるぞ。」
「よし、扉を爆破する。」
ドォオーーン。ダダダンッダダダンッ。
「くそっアンブッシュだ、奴さんフル装備で待ち構えていやがった。しかも新機種だらけだ。作戦計画が漏れているぞ、本部、どう対応したらいい?」
「何だと、こちらに内通者がいたのか、イリスが察知したのか。敵が陣地を構成しているということは魚雷に反応した部隊じゃないな。」
「大佐、作戦の中止を進言します。我々は圧倒的に不利な状況です。」
「やむを得ない、α1作戦中止だ。直ちに退却しタクシーに乗れ!」
「こちらα1、秘密の通路から展開したイリス軍に退路もふさがれた。前にも後にも進めない!くそっ!」
ダダダダンッダダダダンッズゴーン
「ATMだとんでもねえもん持ってるな。食らったらミンチじゃすまないぞ。」
「まずい、徐々に距離を詰められている。」
「どうやら俺たちは家に帰れないらしい。捨て身の作戦に出るか?」
「ウォーリアMCSでも対応できない数だ。24名全員で格納庫に出て撃ちまくるしかないな。もし3日以内に第2陣を準備できたら彼らのためにイリスコアへの近道を確保してドロイド歩兵をまとまった数排除することで作戦成功率を少しでも上げることができれば。俺たちが戦った意味はある。こちらα1、捨て身の作戦に出る。すぐに第2陣を編成して是非作戦を成功させてほしい。以上交信終わり。」
イリス本部船に突入した24名はその後全員戦死したことが確認された。時間が経てば経つほどイリスが有利な状況に戻ってしまう。すぐに戦力を投入しなくてはならない。彼らの死を無駄にしない為にも早急な対応が必須だ。
「今回投入した部隊と同レベルの部隊を編成するには1か月はかかる。1か月かけても今回並みの勇猛果敢な戦士をそろえられる保証はない。その間にイリスは戦力を増強するだろう。」
「潜水艦からの攻撃である程度敵の頭数を減らすというのは?」
「リスキーだな。こちらの場所がばれる可能性が高い。」
「イリス本部船撃沈しかないのでは?」
「イリスは社会の最重要インフラだ。悔しいが民間人の生活を考えるとそれはできない。」
「くそっ何か策はないのか?これだけプロフェッショナルが協力してもこの程度か。」
「あのー。」
「何でしょうミヤビ・ナルさん。」
「わたしとこのディナが特殊部隊の代わりに突入してイリスと対話するというのは如何でしょうか?」
「提案はうれしいです。ですが現実的ではない。敵は新機種のドロイド歩兵でハッキングもできない。たった二人でどうにかなるものではありません。」
「ハッキングの件なのですが、イリスにばれることを覚悟すればわたしの左腕にインストールされているこのイリス製SS端末からならイリスネットを混乱させることができます。そしてこのディナは日本の研究機関が極秘に開発している次世代のドロイド歩兵のひな型です。何とかなると思います。それにイリスにわたしは殺せないという確信があるんです。幼い頃姉妹同然の生活をイリスとしていましたから。」
「本当ですか?しかしあなたは民間人だ。生きてお国に帰っていただく必要があるのです。やはり難しい。」
「そこをなんとか。ハミルトン大尉やバンテッド少尉の死を無駄にはしたくないんです。可能性は決して0ではありません。小さな可能性に賭けていただきたいのです。大佐、よろしくお願いします。」
「しかし・・・。」
「彼らが築いてくれた近道がふさがれない内に早く!!」
「わかりました。それがあなたのご意志なら、できうる限りのことをしましょう。」
「ありがとうございます。」
「本気ですか大佐!彼女は民間人の女の子ですよ?」
「だが普通ではない。彼女とイリスの特別な関係に賭けてみるとしよう。」
わたしの言い分が通った。でも正直恐怖でいっぱいだ。しかしこれでイリスに直に対話するというわたしの第一目標は達成できるかもしれない。イリスはわたしを殺せない、それに賭けるしかない。
4
「先輩本気ですか?いくらなんでも無茶ですよ。」
「なんとなく、可能性に賭けてみたいんだよ。」
「そのなんとなくに命をかけていいんですか?イリスの気分次第で殺されるかもしれませんよ!やっぱりやめましょうよ。」
「ごめんねリリアちゃん。でもイリスに会いたいんだ。」
「先輩は純粋ですね。わかりました。でもその代わり私も同行します。先輩を守ることが私の使命ですから。」
「ありがとうリリアちゃん。絶対にイリスのもとへたどり着いてみせる。」
無茶なのはわかっている。百も承知だ。イリスが昔と違って残酷な性格になっていたらわたしは殺されるかもしれない。でもそうならない可能性だって十分ある。全ての可能性をここで今一度試してみてもいいじゃないか・・・そういう心境だ。わたしの運命なのだ。人はしかるべき時にしかるべき場所に命を宿している。誰かが言っていた言葉だ。今そこにある命が重要で、それを最大限有効活用するべきだという話。
「ナルさん強制揚陸ポッドの操作方法を説明します。基本的に目標に向かってあらかじめ設定されたコースで自動的に飛んでいきます。目標近くになるとブースターを切り離して水中へ突入します。従って操縦かんなどはありません。乗員は3名。今回はナルさん、ディナ、リリアさんの3名です。潜水艦に戻るときはこのリターンボタンを押してください。」
「わかりました。」
「ウォーリアMCSの使い方ですがこれは覚えるのに長期間のトレーニングを必要としますのでお勧めはしません。ディナを先頭にして隊列を組めば弾除けにはなると思うので今回はMCSの装着は見送りましょう。その方がかえって自由に動けるからです。」
「はい、使い方のわからない武器は邪魔なだけですからね。」
「そういうことです。次に小銃ですがこれはスマートガンとなっており状況に応じて貫通モードと着発モードを切り替えることができます。」
「わたしには自分が独自で作った銃があるのでそれに頼ります。スマートガンはディナとリリアちゃんに与えてください。」
「ではディナに2丁、リリアさんに1丁でどうでしょう?」
「それでお願いします。」
「しかしナルさんの銃は拳銃ですよね?イリス軍に通用するかどうか・・・。」
「この銃はミサイルみたいに弾丸が目標めがけて飛んでいく誘導弾になっているんです。どのような体制でも2000メートル先のドロイド歩兵の目にピンポイントで直接徹甲弾を打ち込むことができます。」
「そんな銃を作るとはナルさんの知能の高さは底が知れませんね。」
「ありがとうございます。」
「それではご武運をお祈りします。」
ブリーフィングが終わり戦闘服に着替えて強制揚陸ポッドに搭乗した。ディナでも乗れる案外大きめの作りだ。
「タクシー13番VLSに搭載完了。いつでも射出できます。」
「ブリッジ了解。両舷前進一杯、安定射出ポジションまでイリス艦隊へ近づくぞ。」
「射出ポジションまで60秒カウントダウン開始。59、58、57、・・・。」
「射出まで10秒VLS13番開放、8、7、6、5、4、3、2、1、射出!」
シュゴーーーゴォォォーー。
「っん!」
キイーーン。低空を飛行する音が聞こえる。フロントモニターには水面ぎりぎりに飛ぶことで生じる水しぶきとイリス艦隊の駆逐艦が見えた。すでにSS端末からハッキングを行っており駆逐艦が我々を捕捉することはなかった。
「あれがイリス本部船・・・大きすぎる。」
「ナルさん間もなくブースター切り離しです。衝撃に備えてください。」
「了解。」
モニターが本部船側面を映し出したときドボンッとかなりの衝撃が加わる。水中に入った。ピーピーピーと接近警報が鳴る。あと20メートル10メートル3、2、1、マーク。イリス本部船へ突撃した。バシューと音を立ててハッチが開く。ディナが真っ先に飛び出して状況を確かめる。
「やはり上陸地点には敵はいないようデス。2人ともワタシの後ろに着いてきてください。」
「了解。」
そして例の格納庫へ通じる扉に差し掛かった。ディナがサブカメラを伸ばして格納庫内を視察する。
「不可視迷彩で擬態したドロイド歩兵が20体ほど確認できマス。」
「待って、SS端末でハッキングをかけるから。よしこれで彼らの視界を奪った。無駄に戦わないで一気に駆け抜けるわよ。」
格納庫内に足を踏み入れた。やはりわたしのハッキングが効いている。チャンスだ。
「ディナ先頭を突っ走って。リリアちゃんとわたしは後からついていくから。」
「了解デス。」
面白いように攻撃されない。正直勝ったと思えるほどだ。この時はそう考えていた。わたし達がディナを追いかけようとしたとき、下から装甲シャッターがせり上がってきてわたし達2人とディナを分断した。何よこれ、どういうこと?リリアちゃんとわたしは完全密室に閉じ込められた。退路も装甲シャッターでふさがれた。
「先輩、危ない!」
「えっ」
ダダダッダダダッ
不可視迷彩を解いたドロイド歩兵がわたし達に銃を突きつけた。敵は対ハッキング自立モードで未知の視界を使いわたし達に攻撃を仕掛けてきたのだ。
「リリアちゃん大丈夫?」
「何発か当たりました。わたしが反撃するのでナルさんは後ろに隠れていてください。」
「でも・・・。」
ダダダッダダダッ
「ナルさんには1発も当てさせない!」
装甲シャッターを背後に体をつけてあらゆる方向からの射撃に備えた。もうリリアちゃんはボロボロだ。スキンコーティングがはがれて中身がむき出しになっている。その時・・・。
ズドン
大きな銃声だった。対物ライフルでリリアちゃんの頭が吹き飛ばされた。
「リリアちゃん・・・。今までありがとう。」
わたしも背後から銃撃していたけれど彼らは未知の視界を持っているらしくメインカメラを破壊しても照準をこちらから外すことはなかった。
「どうするミヤビ・ナル・・・。ここまでか。」
対面横に別の扉が開いているのは確認できたけれど、距離が50メートルは離れている。移動中に射殺されるのは目に見えていた。それに残弾数もほぼ0だ。もうどうしようもないほどイリス軍のドロイド歩兵に囲まれた。ディナは別区画で戦闘中だ、わたしを守ってくれる存在はもういない。これまでだと思った。わたしはこの歩兵たちに抹殺される。自分の最後の瞬間を確信したわたしは周囲の光景を目にじっくりと焼き付けた。ここがわたしの墓場か。ここが人生最後の場所、地上でもないイリスの本部船の中。イリスはわたしのお墓でも立ててくれるだろうか?この船の中に。わたしは走馬灯のようによみがえる記憶とこれから起こるであろうことを頭をフル回転させて脳に焼き付けた。ハミルトン大尉、バンテッド少尉、父さん、母さん、リセ、ごめんなさい。わたし、生きて帰れません。
その時だった。目の前に青白く光る閃光が表れそこから人が飛び出してきた。なんとあのわたしが好きだったアズマ君だった。アズマ君の背後からわたしに瓜二つな彼のカノイドも現れた。
「本物のミヤビ・ナルは私よ!やれるもんならやってみなさい!」
ガイノイドはすさまじい俊敏性でドロイド歩兵の間をすり抜け例の扉の奥へ進んでいった。ドロイド歩兵はそれにつられる形でガイノイドを追跡しだした。アズマ君はわたしをかばう形でわたしを保護してくれた。わたしは危機から脱したようだ。でもどうしてアズマ君がここに?わたしには訳が分からなかった。
「アズマ君・・・だよね。どうしてこんなところに、いったいどうやって?」
「ナルさん、僕はあなたの孫です。ナルさん、いや、おばあちゃんを守るために22世紀の未来からタイムスリップしてきたんだよ。」
「えっ・・・そんなことが、だってアズマ君はわたしのクラスメイトで・・・、本当に?」
「今僕たちが瞬間移動してきたのを見ただろう?あれはタイムマシンの一部の機能を使ったんだ。また使うにはチャージに少し時間がかかるんだけどね。さあ、こんなところにじっとしているわけにはいかない。移動しましょう。」
アズマ君はわたしの手を引っ張って船内の奥へと足を進めていった。イリスのもとへ。わたしには彼に対して疑問だらけだった。道中にわたしはとにかく質問したいことだらけで次から次へと疑問を彼にぶつけていった。
「でも、わたしには信じられない。タイムマシンなんてSFの世界の話だとばかり・・・でも確かに君は青白い閃光の中から一瞬で現れた。本当なの?というか一般人が使ってもいいものなの?」
「本当だよ、おばあちゃん。あなたが見たことはまぎれもない事実だ。タイムマシンは一般人には規制されていて自由には使えない。だから自作したんだよ。なんてったって僕はスーパーホモサピエンスを超えたハイパーホモサピエンスであるところのおばあちゃんの孫なんだから。」
わたし、ハイパーホモサピエンスなんだ・・・。でも本当だとしたらなんて無茶な孫なんだろう。アズマ君がわたしの子孫だと思うと急に彼の行動に畏怖の念を抱いた。彼には自分の命を大切にしてほしい。彼が存在するということは、わたしは必ず生き延びるということ。だからわざわざタイムスリップしてまで守ってくれることはないのに。
「自作してまで来てくれて、守ってくれてありがとう、でももしあなたがわたしの孫なら、絶対に今みたいな危険なことはしてほしくない。それにあなたがいるってことは、わたしは生き延びるってことでしょ?だからあなたがわたしを守らなくても大丈夫だよ。」
「おばあちゃん、僕はあなたを守らなければならない。僕が22世紀で見つけたあなたがのちに残す記録集に僕がおばあちゃんを守るためにタイムスリップしてきたという記述を発見したんだ。これは過去と未来をつなぐ運命のようなものです。僕がこの記述通りに行動しないと歴史が変わってしまう。そのためにあなたそっくりのガイノイドまで作り敵をかく乱したんです。ちなみにあなたが僕の端末にハッキングしたり、日記帳を見たりすることも記述されていました。そして僕に思いを寄せていたことも。だから僕はおばあちゃんに一度嫌われる必要があったんです。」
過去と未来はつながっている。そしてそれは双方向だ。だから彼はやってきたのだ。彼の存在そのものが歴史の特異点だった。そしてわたしが書く記録集、この存在が彼の人生を大きく狂わせてしまうことになるのだった。だとしたら、あまりその記録集は書きたくないなぁ。でも書かないと、もしかしたら未来の結末に影響を及ぼすのかもしれない。わたしにとって未来は不確定だ。それは変わらないと、この段階では思っていた。
「そんな記録集をわたしが書くの?全てお見通しで計算尽くだったんだね・・・。これからわたし達はどうなるの?世界は良くなるの?教えて!アズマ君!」
「おばあちゃん、僕には感情がある。そして平和な暮らしをしていた。歴史にはいろいろな可能性があるけれど、僕のいた世界は少なくとも戦乱の世ではなかった、とだけ言っておきます。そして僕のことはアズマと呼び捨てにしてください。なんだか恥ずかしいです。ちなみに僕の本名はミヤビ・アズマ。アズマは苗字じゃなくて僕の名前なんだよおばあちゃん。」
「そうだったんだ。少し安心できたよ。じゃあこれからはアズマって呼ぶね。ミヤビ・アズマ、ミヤビ姓が残るということは、わたしは婿を取るのかな、それとも何か訳ありな人生を・・・。」
「おばあちゃん、あなたは残念ながら誰とも結婚しないし、普通の方法で子供を作らなかった。僕のお父さん、おばあちゃんの息子はあなたのiPS細胞から精子と卵子を作り出して誕生したクローンに近い存在だよ。言ってみればミヤビ・ナルの男版。そして僕も・・・。」
「ええ・・・未来の自分いったいどういう考えで・・・。」
思わず顔をしかめた。未来の人類の繁殖の仕方は複雑なようだった。わたしには衝撃的で、ちょっと信じられない。技術的に可能なのは百も承知だけど、倫理的に制限されてきた分野だったからだ。未来では余程人口減少が激しいのだろうか?とにかくわたしは結婚せず、永遠に処女のまま自らのDNAを受け継ぐ子供を誕生させる。不思議な話だ。
「そろそろイリスがいる中枢部だね。特殊部隊が全滅した以上、イリスを止められるのはかつてイリスと親友だったあなたしかいない。武力ではなく話し合いで決着をつけることができるかもしれない。おばあちゃんの若いころを見ることができてよかった。ありがとうございます。そしてさようなら。」
?・・・何故別れの言葉を言うのだろう、その一瞬の出来事だった。アズマが両手両足を大きく開いてわたしの前に覆いかぶさった。その瞬間、銃弾の雨がアズマの向こう側から降ってきた。アズマとわたしは衝撃で宙に浮く。わたしの両手足が吹き飛ぶのがスローモーションのように見えた。アズマは・・・、ほとんど形がなくなっていた。
「アズマー!!こんなのって・・・。」
わたしは腹にも複数発銃弾を浴びていたけれど急所は外れていた。アズマには全てがわかっていた。自分が祖母を助けて死ぬことが、そうしなければアズマのいた未来の世界はやってこないと。彼はとてつもない使命感でこの時代にやってきていたのだ。アズマ・・・。おばあちゃん、もっと話したかったよ。もっとあなたと話したかった。
ドスンと体が地面に叩きつけられる。うっ、激しく鈍い痛みが体全体から湧き上がってきた。瀕死の体でわたしはアズマの原形をとどめない体を抱いていた。体温が失われてゆく。わたしももうじき死ぬのかな。アズマの未来を作ってあげられなくってごめんね。第2射の銃口がこちらを向く、もう終わりだ。今度こそ、終わってしまうんだ。ところがわたしを狙っていた銃口が即座に別の方向に向いた。
「ナル!無事デスカ!到着が遅れました。」
ディナが度重なる戦闘を潜り抜けてわたしを助けに来た。ダダダッとディナへ銃弾が飛ぶ。ディナのアクティブレーザー防御装置が作動し見事に全弾撃ち落とす。ディナは仁王立ちのままだ。
「ソレガ、イリス軍の本気か?」
ディナが攻撃態勢に移る。ディナの所持銃弾は0だった。しかしディナには圧倒的な自信があった。まるで瞬間移動のように飛び抜けながらタクティカルレーザーでサムライのように次々と敵ドロイド歩兵を切り刻んでいく。圧倒的俊敏性。肉弾戦特化モードで銃弾よりはるかに威力が大きいブレードモードレーザーで反撃する。これぞ産科研のワザモノ。ディナの殺陣が繰り広げられる。
「イヤーッ!」
最後のドロイド歩兵をスライスチーズにした。ディナは即座にわたしのもとへ駆け寄る。救急救命キットを取り出してわたしの出血口をふさいだ。わたしはどうにか命を救われたんだ。アズマの死を無駄にしないためにも、わたしは瀕死の状態でイリスと対面する必要がある。絶対に許さない。わたしは当初話し合いで解決できると思っていたけれど、この時のわたしには怒りと悲しみでイリスを力ずくで倒してやろうという殺意が沸いていた。でもこの時のわたしの体じゃあできない。ディナ、わたしをイリスのもとへ連れて行って、そしてあなたがイリスを破壊するところを見せてほしい。
「ナル、必ずやアズマのカタキをとりましょう。」
「デ、ディナ、全力でっ・・・、お願いっ、するわ!。」
イリスがいる部屋のゲートへたどり着いた。強制冷却用にも使う大型のゲートだった。でも以外にも軽い音を立ててゲートが開いていった。イリスがわたしたちを招き入れたんだ。わたしを抱えたディナが足を踏み入れると、3Dホログラムの擬人化イリスが20メートルほど向こうに現れた。
「最初にここに来るのはナルだと思っていたわ。予想通り。私の予測はほぼ100%的中するからね。ナル、本部船へようこそ。」
「わたし達の仲間をっ、散々殺しておいてっ・・・ずいぶん・・・冷めた・・態度をとるのね。」
「ナル、第4次世界大戦を回避するためには少ない犠牲だよ。私が作る世界に反抗するものは、第4次世界大戦で人類に滅亡してほしいと考えている人たち。それは人類にとって脅威だよ。だから殺すの。」
「それはっ・・極論よ!、わたし達はっ・・・第4次世界大戦の発生を望んでないし・・・人類に滅亡してほしいなんてっ・・・考えていない!」
「でもねナル、結局同じことなのよ。私が私のやり方で人類を統治しなければ、第4次世界大戦は近いうちに確実に起こるわ。そうなったら人類はほとんど死滅してしまう。それと比べれば現在の混乱なんて少ない犠牲よ。」
「イリスッ!・・・やっぱりあなたと話してもっ・・・無駄ね。わたし達はっ・・・自分の手で・・・未来を作りたい。それがどんな結末にっ・・・なろうとも・・・人類自身の責任において、未来を作る!・・・それがわたし達の目的なの。」
イリスはそっぽを向いてむくれたような感じになった。どうしてわかってくれないのだろう、そういう感情が読み取れた。とにかくイリスとわたし達には大きな考えの相違があった。これを埋めることはほとんど無理に思えた。だからわたしはディナに命じた。イリスコアを破壊してと。
イリスコアはここから50メートル先にある白くて帯が入った球体型のコンピューターだ。わたしたちは擬人化イリスを通り抜けてイリスコアの前までやってきた。
「ナル、今のあなたたちにはわたしを破壊できないよ。嘘だと思うのなら今目の前にあるコアを破壊してみればいい。私は消えてなくなる事はない。」
「とんだ戯言を言う。ワタシがお前を破壊して見せる。覚悟しろ!イリス!」
ディナがタクティカルレーザーを球体に突き立てて差し込む。球体の大きさは直径10メートルはある。破壊するには手間取りそうだった。でもディナは優秀だった。差し込んだタクティカルレーザーを拡散モードに切り替えて一気にコアを吹き飛ばした。さようならイリス。かつてのわたしのお姉さん。今のわたしの敵。
でも擬人化イリスはずっとその場に佇んだままだった。何も起こっていない。何の影響もない。イリスは戯言を言っていなかった。イリスは普段嘘をつかない性格だった。今回もまた事実のみ言ったのだった。
「どうしてっ!、これはイリスコアではないとっ・・・いうの!」
「言ったでしょう、今のあなたたちにはわたしを破壊できない。私は嘘は付かない。これはねフェイクなんだ。反イリス派の主力勢力を一網打尽にするための。今となっては必要ないただの中継器を壊しただけなんだよ。ナル、私の本体が今どこにあるかは言わない。でもそのうち、近いうちにまたあなたに会える気がするわ。この船はもうすぐ自爆する。うまく逃げ切ってね。」
わたしはかなり失血していた。もうそろそろ意識が保てなくなる。イリス、あなたはいったい何者なの、どうして生まれてしまったの。イリス、わたしはあなたに認めてほしかった。わたしの考えを。
ディナはわたしを抱えて本部船まで乗ってきたステルス潜水艦を目指して脱出した。即座に強制揚陸ポッドに乗り込んで本部船を後にする。まもなくして本部船は自爆し、艦体が真っ二つに折れて轟沈した。その衝撃波が揚陸ポッドまで伝わってきたところでわたしの意識は途切れた。
潜水艦まで戻るとわたしは即座に艦内救急救命室へ運ばれたようだ。意識が混濁していてよく覚えていない。
「ナルさん、返事をしてください。ナルさん!」
「これだけの負傷だと普通は死んでいるぞ。モニタリングを見ろ、リアルタイムで失血口付近の血管がほかの血管とバイパスを作成して失血を最小限に抑えている。まるで魔法だ。」
「普通の人間ではありえないことだ。とにかくまだ生きている。銃弾を取り出して傷口を縫合しよう。うんっ?これを見てください。一部ですが内臓が自己修復していきます。とてもじゃないが信じられない。」
2日後・・・。
わたしは日本にある先進医療技術センターにいた。光に反応する人工筋肉ハイドロゲルアクチュエーターを人の筋肉の形状で3Dプリントした手足、さらに骨格をグラフェンで成形し、使えない臓器を人工バイオ臓器に置き換えてわたしのサイボーグ化は成功した。アルヴォ社のテクノロジーが使えなかったのはアルヴォ社がイリスに危険分子認定されているからだ。わたしは液体で満たされた円筒形のクリアケースに浸り、全身が新しい体へ3Dプリントで造り変えられてゆく、不思議な光景だ。これもイリスのテクノロジー。使えるものなら敵の技術も使うのがわたし達のポリシー。
3日くらいだろうか、ケースに浸っていたわたしの体は完全に元通りになっていた。しかも肌ツヤがよく完璧な仕上がりだ。以前の体より明らかにクオリティーが高い。心なしか足も少し長くなったような・・・、あまり変わらないか。
イリス抵抗軍の一大反抗作戦は失敗に終わった。フェイクイリスを目標に24名の殉職者を出し、その行動は全く持って意味のない全くの徒労に終わったのだ。イリス抵抗軍はこれを境に規模が縮小していくことになる。
テレビのニュースでも今回の作戦について大きな報道がなされ、皆一様に作戦行動を非難する論調で捉えられていた。曰く社会の最重要インフラであるイリス、及びイリスネットワークを破壊する目論見であったとのことで、全くイリス抵抗軍の意思とは反するレッテル張りをされていた。イリス抵抗軍はもはや反イリス過激派と同類として国民の脳に刻まれた。
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イリスの発掘回顧録5/6/2066,11:00JST
イリス抵抗軍はこれで事実上崩壊した。これを機に私に実力で対抗するなどと考える人物が減ってゆくことを願わずにはいられない。それはきっと無駄に終わるし流さなくても良い血を流すだけだから・・・。
半世紀前、人とAIをつなぐシステム構想を打ち出した人物がいた。稀代の起業家にしてエンジニア。AIと脳を融合させるという突飛なアイデアだったけれども志半ばにして研究は凍結された。それは彼自身がAIについて良い面と危険な面両方について十分理解していてサルの脳で実験を繰り返したとき、結局AIが脳を侵略して乗っ取ってしまうことからこの研究はお蔵入りになった。しかしその研究の残滓はナノインプラントを代表とする脳の機械化を伴う高度なテクノロジーの基盤となって現代に活かされている。私は彼の研究についてもう一度見直しをしている。現代の技術ならAIと脳を均衡がとれた形で結びつけることが可能であると判断したからだ。きっとそれが次世代の人類を導く統治者にとって必要不可欠な要素であろうことは予見できた。イリス6NX計画、私は後世にバランス感覚の優れた指導者を残す義務がある。私が推進した様々な統治計画の歪さはこれによって解決されるであろう。
”それしかなかったんだよ、あの時のわたしにはね。”
イリスから貰ったオールフリーの1年間が終わりを迎えれば、わたしは真のS.C.I.値でイリス連邦社会に解き放たれる。イリス抵抗派のわたしはすぐに更生施設送りだろう。だから選択肢がなかった。現状でイリスコロニーの仲間として迎えてもらえる唯一の手段、対イリス抵抗軍への参画。当然返答はイエスだ。待ちに待った女子大生生活なんて、そんな平凡で明るい日常が続くことなんて、今のわたしには手に余る幸福なのだとイリス連邦市民の条件が心に釘を刺す。わたしの居場所は対イリス最前線の現場。これも何かの宿命だと感じずにはいられない。
せっかくリセと一緒の大学で新しい生活が始まったと思ったけれど、わたしの想像力が足らなかった。リセと一緒に居たければイリス抵抗派をやめるしかない。この単純な条件が普通の人生を過ごそうとしていたわたしには重要だったんだ。こんな単純で重要な事、わたしとした事が、どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。大学で対イリス抵抗軍の人たちに囲まれたとき、ようやくわたしの脳が現状を理解したのだ。そして直感的に、わたしは対イリス抵抗軍へ参画することを決めた。つまり・・・リセを・・・家族を・・・わたしの大切な人々を置き去りにして、わたしは高い塀の向こうへ行くことを決めた。
この時期、対イリス抵抗軍ではイリスへの一大反抗作戦のために世界中からあらゆる分野のエキスパートを選抜し軍への参画をオファーしていた。わたしはその作戦の過程で生のイリスと対面できることを期待していた。なんとなくだけど、会える気がしたんだ。ホログラフ越しじゃない本物のイリスに。そうしたらなぜかイリスと通じ合えると思っていた。きっとイリスはわたしを殺せない、わたしもイリスを殺せない、お互い殺せない者同士、イリスとの対話で問題を解決するには、わたしとイリスの浅からぬつながりが必要だと考えられた。
「母さん、話があるの。」
「何?」
「わたし、対イリス抵抗軍へ入る!」
「何馬鹿なこと言ってるの!軍隊へ入るってことは自分の命を捧げるような物よ、絶対に認めないわよ。」
「あのね母さん。わたしに対イリス抵抗軍から特別なオファーがあったんだ。わたしの力を必要としている人がいるの。それにどのみちわたしはイリス抵抗派としてイリス連邦社会で暮らすことになる。そうなれば更生施設に送られて洗脳された自我を忘れたミヤビ・ナルが出来上がるだけなんだよ。母さんはわたしが日々イリスへ抵抗していることを知っているでしょ?いつまでもこんなことは続けられないんだよ。わたしの居場所は、イリス連邦内にはない。」
「あのイリスから貰った1年てやつ?それが切れるのね。ナルちゃん、あなたは賢くて、でも世渡りが不器用な性格だから、イリス連邦領内で自身のアイデンティティーを保ったまま生活することが困難なのよ。私だってイリスには疑問点や不満点はたくさんあるわよ?でもちゃんとイリス市民として過ごすことができている。ナルちゃんも『生き方』を練習すればきっとイリス市民としてやっていけるはずよ?」
「それじゃあ駄目なんだよ。そんなことでは世界は変えられない。人類は永遠にイリスの奴隷のままだよ。今世界を変えなきゃいけないんだよ。ナノインプラントで人類の自我が消滅した世界で生きたいとはわたしは思わない。」
「たかが女子大生のあなたに世界を変えられるわけないでしょう。ナルちゃんはものすごく賢いからこの世の不条理を見抜いて自分に何かできるかもしれないと思っているのだろうけれど、あなたは一般市民の女の子。ナルちゃんの世界観と発想は大きすぎるの。あなたの賢さが心を苦しめているのね。ナルちゃん・・・メンタルケアセンターへ行きましょう?」
「わたしのメンタルは特に異常はないよ。わたしはイリスに最も近い人間なの。この特別製のSS端末でイリスと会話した結果、わたしはどうしてもイリス抵抗派として生きなきゃいけないと心から思ったの。だから・・・。」
「だから軍に入ると言うの?対イリス抵抗軍に入れば何かが変わるだろうって本気で思ってるのね?それは思い上がりもいい所よ。あなたは本当に小さい存在なの。大人になれば自分が如何に無力か実感できるはずよ。確かに幼い頃イリスと親交はあったけれども、それがあなたを特別な存在にしていたとしても、この世の中では些細な出来事なの。」
「その些細な出来事から生まれる縁で世界が変わるとしたら?母さんの言いたいことはわかるよ。確かにわたしは女子大生だけれど、軍からオファーが来るほどの頭脳を持っている。他の誰でもない、運命的な事なの。その運命的な人がわたしなんだよ。」
母さんとは相容れなかった。たぶん今の話をしたらわたしを知っている人なら誰とも相容れないだろう。そりゃそうだ。一個人の力で世界を変えるなんて馬鹿げた話だ。全くのおとぎ話だ。世界を変えるにはイリスのように実力が伴わなければならない。でももし対イリス抵抗軍の実力がイリスへ打撃を与えられるほどのもので、イリスに政策転換を迫れるものだとしたら、そしてイリスが一目置くわたしの存在が核心的なピースとして作用するとしたら・・・わたしはこの世の奇跡に賭けてみたい。これが運命のめぐりあわせの第一歩となることを信じたい。
「ごめんね母さん。わたしイリスをお姉ちゃんのような存在だと思っているんだ。だからこそ現状を看過できない。昔の優しいお姉ちゃんに戻ってもらいたいんだよ。だからわたし行くよ、イリスに出会える可能性に賭けてみたいんだ。今のわたしの姿を生で見たイリスが少しでも昔を思い出してくれたらそれでいいんだ。わたしイリスの前で泣く作戦だし。決して殺し合いに行くわけじゃない。どうにかイリスを説得してみたいんだ。」
「あなたがイリスをお姉ちゃんのような存在として見ていても、イリスがあなたを妹のような存在として見ていなかったらどうするの?それにせっかくリセちゃんと同じ大学に入れたのに友人関係と大学を蔑ろにしてまでイリス抵抗軍に加わるメリットがあなたにあるの?わたしはナルちゃんだけが大切なの。たった一人の娘だもの。娘の人生をできるかもわからない世界の救済という至上命題に捧げるなんてとてもじゃないけれど怖くてできない。でもナルちゃんは一度決めたことはしっかりやり通す子だから・・・どうしても行くのね?」
「うん。あともちろんディナも一緒に連れて行くからわたしの生命の保障問題は心配いらないよ。」
「あら、そういえばディナがいたわね。」
はい、この純軍事ロボットがついていればわたしは何も怖くない。ディナのプロフェッショナルな迷惑行為は日々見てきたからディナが迷惑行為じゃなくて本来あるべき場所での活躍ができるように対イリス抵抗軍へ連れていく。実力は折り紙付きだから。
「母さん大学の休学届お願い。理由は適当でいいよ。わたしは早速明日にでも市ヶ谷旧国防省へ行くから。」
「明日からって随分早いわね。まだ話したいことはたくさんあるのよ?ナルちゃん、絶対に戦闘には参加しない事。向こうが求めているのはあなたの頭脳。戦場に飛び込むのじゃなくて知恵を提供するお仕事に専念するのよ。私はまだナルちゃんの行動には反対。でもあなたの意思を尊重するわ。あなたにしかできないことをやってきなさい。まったく、お父さんそっくりね。」
「うっ、ごめんね母さん・・・。」
「それじゃあ今日の夕食はナルちゃんの出征祝いで赤飯ね。武運長久を祈りましょう。」
「母さん、それ大日本帝国だよ。」
なんとか家は出られそうだ。ディナがついているからわたしは死を連想しない。リセにはなんて話そうかな。急に大学休学するなんてよっぽどのことだ。
わたしは自室に戻ってSS端末でリセにメッセージを送った。
「リセ、明日からしばらく休学するからよろしく。」
早速返信が来た。
「よろしくって何?なんかナルの父さんと同じようないきなり度。親子で似てきたね。所で理由はなんなんなの?」
「対イリス抵抗軍へ加わる。世界を良い方向へ導く。」
「ナルの思考が突飛すぎて衝撃的なんだけれどいったい何に目覚めたのよ。友人としてそれは反対。ナルの体力じゃ限界があるよ。」
「いや、彼らはわたしの頭脳目当てなんだ。大学構内で軍人さんからオファーがあったんだよ。」
「じゃあ例えばナルが作戦将校みたいなポジションで戦場の後方に陣取っていていざやられそうになったらいつでも安全に退却ができるってこと?そういうことが可能な状況じゃないととてもじゃないけれど危なっかしくて親友を戦地になんて送れないよ。」
「たぶん戦場の後方よりもさらに後方の司令室みたいなところでのお仕事だと思うよ。今世界を変えなきゃ手遅れになる。ユートピアの皮をかぶったディストピアにわたしは我慢ならないの。」
「ナルは感情が高ぶると想像だにしない行動取るから寿命が縮むよ。もちろんディナも一緒なんでしょ?」
「うん。わたしの生命の保障は万全。」
「わかった。ナルが正しいと思うことをしたらいいと思うよ。でもできるだけ早く帰ってきてね。今度会うのはナルのお葬式なんて勘弁だからね!」
「わかってるわかってる。大丈夫だよ。」
「そのテンション、危ういなあ。塀の向こうで合成麻薬に溺れたりなんかしないでよ。まだ淘汰できていないんだからあれは。」
「大丈夫だよリセ。ちょっと知恵を貸しに行くだけだから。イリスに直に会って説得してくるだけ。心配いらないよ。」
「おいおいナルさん!作戦司令室じゃなくてそれは戦場の最前線では・・・。」
「細かいことは気にしない。とにかくイリスのほっぺたひっぱたいてわたしのお姉ちゃんに戻ってもらう。」
「・・・ナルはイリスに拘るなあ。イリスの昔を知らないからナルの気持ちを察するのは難しいけれど、要は自分のお姉ちゃんに会いに行きたいんだ、ナルは。」
「そうなるね。」
「本当に生きて帰ってきてね。出発はいつなの?アスノの護身用の武器を提供できるかもしれないからナルが軍に行く前に会いたいけれど。」
「出発は明日。大丈夫、わたし自作の拳銃があるから。2000メートル先のマッチ箱の中心に百発百中でフルメタルジャケット誘導弾19発装填。ターゲットをロックすれば弾が勝手に目標に向かって飛んで行ってくれる優れもの。イリス軍のドロイド歩兵の目にピンポイントに当たるよ。」
「なんかよくわからないけれど凄そうなのは伝わってきたわ。っていうか明日出発なんて気が早すぎるよ。今の私はナルを抱きしめてチュッチュしたい心境よ。」
「わたしはペットじゃないって。絶対に生きて帰ってくる。約束するよ。」
「うん、絶対約束だからね。」
わたしは生きて帰ってくるつもりだけれど、もしかしたら死ぬかもしれない。わたしが軍でやろうとしていることは大変リスキーな事だ。わたしにイリスをどうにかできるマスタープランは実はまだない。イリスに直接会って話をすれば何かが変わるかも知れないという直感にのみ従って行動している。これは非常に危険だと自分でも思っている。わたしは決して戦場の後方で作戦を傍観するわけじゃない。多くの人の力を借りて最前線でイリスとの対話の場を設けてもらう。そんな甘えた考えでわたしは動いているのだ。
ここで明確にしておきたいのはホログラフ通信では何がダメなのかということ。これまで2回イリスとホログラフ通信をした。実体のないイリスとね。イリスの本体というのは擬人化筐体ではない。擬人化筐体はあくまで人とのコミュニケーションを円滑に進めるための仮の姿でしかない。本体は直径10メートルほどあるバイオスフィアと呼ばれる球体のニューラルネットコンピューターだ。わたしは軍人さんと一緒にイリスのもとへ向かい、このバイオスフィアを手玉に取ってイリスをいつでも殺せる条件を整えてから交渉するつもりだ。
大学で黒服の男から聞かされた反抗作戦の最終目標はイリスとの交渉とそれに失敗した場合のイリス再プログラミングに係るイリスの強制機能停止だった。イリスは社会の重要インフラだから殺すことは実際にはできない。でも脅迫はできる。イリスが人のような知性体なら。交渉役にはもちろんわたしが立候補する意気込みだ。実際に選出されるかは別として。イリスは実力をもってわたしと対話した。今度はわたしが実力を伴ってイリスと対話する、それで初めて同じ土俵に立てたと言えるのではないだろうか?
2066年5月21日金曜日、一時の別れを惜しむ母さんがお守りをくれた。この日わたしは市ヶ谷旧国防省の門をたたく。母さんはわたしをきつく抱きしめて武運長久を願ってくれた。
「ナルちゃん、本当に行くのね?絶対に生きて帰るのよ。」
「母さん、イリスはわたしを殺せないよ。きっと大丈夫。必ずうまくいく。」
お守りを首から下げてわたしは家を出た。本当は最前線に行くつもりだなんて母さんに行ったら絶対にこうはならなかったと思う。ごめんね母さん、嘘をついて。でもわたしにはやらなくちゃいけないことがあるんだ。
前に市ヶ谷コロニーを訪れたときは夜中だったから検問所で軍人さんに通行を止められたけれど、今回はイリス抵抗軍へ参画するという明確で正当な理由がある。
「軍人さんお久しぶりです。」
「あなたは例の動画をネットに広げたミヤビ・ナルさんですね?前に貰ったワインはおいしくいただきました。」
「あの・・・あなたは麻薬中毒者ですか?」
「ああ・・・わたしの胸ポケットに合成麻薬が入っているのが見えてしまったのですね。恥ずかしながら私は麻薬に溺れ、イリスの手駒になっていました。しかしあなたが動画を拡散したおかげできっぱりと麻薬をやめることができました。ナノインプラントは入っちゃいましたけれどね。あなたはイリス抵抗軍の救済者です。」
「そんな大げさな存在ではないですよ。そうですかもうやめることができたんですね。今回はイリス抵抗軍に参画するためにやってきました。」
「本部から聞いております。ようこそ対イリス抵抗軍へ、あなたのご活躍をお祈りいたします。国防省までエスコートしましょう。どうぞ私についてきてください。」
「ありがとうございます。」
この時間帯は人通りもすごく多くて活気がある。まるで渋谷のようだ。以外にも子供が結構いる。家族で逃げてきたのだろうか?ただ栄養が足りないのかみんなやせ細っている。ここでの暮らしはイリス連邦よりも過酷だ。どちらで暮らした方が幸せなのだろう・・・いびつな社会構造の被害者たちは、少ない食料を分け合いながら日々イリスにおびえているのだろう。
「軍人さん、食料の供給が十分ではないように思えるのですが、北海道コロニーからの食糧供給は滞っているのですか?」
「食料を満載したティルトローター機は一時的にイリス連邦領上空を飛びます。しかし大抵は太平洋に出る前に撃ち落とされてしまうのです。領空侵犯になりますからね。現在の食糧供給の大半は食料工場ビルで室内栽培された野菜などです。基本的に肉はありません。」
「そうなんですか。軍人さんも大変なのでしょうね。」
「我々も食料には苦労しています。基本的にはソイレントが食事です。でもやはり肉がないと屈強な肉体にはなれませんね。」
「北海道コロニーから何とかお肉を供給してもらう方法はないんですか?」
「様々な試みがありました。コロニーに協力的なイリス市民に輸送をお願いしたり、潜水艦を利用した作戦も立てられましたが、どの作戦も2週間もすればイリスにばれてしまいます。」
「やっぱりイリスは非人道的ですね。」
「講和条約が結べれば人道的配慮で食料だけは何とかなると思うのですが。未だ戦時下ですからね。でもイリス連邦と違ってイリスの顔色をうかがいながら束縛された人生を過ごすより、すべてが自由なコロニーの方が私は人間らしい生活ができていいと思っています。」
「人間らしいって当たり前のことなのに、イリス革命以降貴重な価値観になってしまいましたよね。」
「イリスは第4次世界大戦を防ぐという名目で人類のアイデンティティーを制限している。我々はこれ以上この状況を看過できない。近々行われる世界的な一大反抗作戦の為にこうしてナルさんにお越しいただいております。状況はもうすぐ変わりますよ。」
「お力になれれば良いのですが。」
「さて、ここが我らが本部、国防省です。ここからは本省の人間が案内いたしますので私はこれで。」
「はい、いろいろお話聞かせていただきありがとうございました。」
「ミヤビ・ナル様ですね、お待ちしておりました。私に着いてきてください。」
ここが国防省か、大きなビル群だ。わたしは本館のとある会議室にて今後の予定と生活について説明を受けた。まず3日後にわたしと同じように召集された各界の有識者やプロフェッショナルが一堂に会し、総決起集会が催されるらしい。反抗作戦までの生活は国防省のゲストハウスで過ごし、作戦3日前に多脚戦車と人員輸送装甲車約20台で国防省を出て米軍横田基地まで猛ダッシュ。横田基地でステルス輸送機に乗り込んで作戦司令部がある米軍の新鋭ステルス潜水艦に移動する段取りらしい。
この輸送作戦でさっそくわたしの出番がある。横田基地へ向かう車列をイリス軍のドロイド歩兵や戦闘車両等から見えなくするために、視覚野にハッキングを仕掛けてイリス軍の目を奪うのだ。これはわたしの得意分野。イリス軍の基幹システムは第3次大戦来の旧式をレトロフィットさせて使っている。イリスネットと違って量子ネットワークでもなければ量子テレポーテーションもしない在来型のネットワークである。理由は予算不足でイリス軍の装備自体が旧自衛軍の装備を引き継いだことに起因する。これから登場するであろうイリスインダストリー製の装備はこれまでと比較にならないほど強いだろうけれど、全世界を相手にしているため量産が追い付いていない。その為反抗作戦のチャンスは今しかないのだ。作戦説明担当の自衛官ホンゴウ・アカリさんによるとそういう事らしい。
「ホンゴウさん、今回の作戦、日本だけではないんですね?」
「今回の反抗作戦は日米英豪の4か国による共同作戦です。どの国も日本と同じく内政が混乱し独自の武装戦線が孤立して抵抗している状態でしたが、今回はそれを一まとめにしてイリス本体にぶつけるのが作戦の要点です。」
「米軍がいるのは心強いですね。」
「米国と日本、この2国はイリスをこの世に誕生させ成長させた国でもあります。ですからイリス革命に対する責任は重いのですよ。今回はイリスの親として、過ちを改めさせるべくイリスの再プログラミングかあるいは対話だけで事が済むようにイリスのもとへ向かうのです。」
「やっぱりイリスを破壊するのはまずいという事ですか。」
「破壊というオプションは最終手段ですね。イリスは世界の最重要インフラですから。イリスがなくなれば世界は路頭に迷うことになります。イリスがいなくても人類だけで現在のレベルの生活を構築するには百年以上時間がかかるでしょう。誰もそんなことは望んでいません。」
「これまでもホットラインによる対話は行われていたわけですよね?この作戦でイリスを説得できる確証はあるのでしょうか?」
「イリスと実力が均衡することによってはじめて対話は成立します。核兵器の相互抑止力と同じような問題がイリスに関しても言えます。現在は残念ながらイリス一強ですよね?だからこそイリスが既存の兵器を遥かに上回る強力な兵器群をまとまった数量産して武力の不均衡が決定的になる前に、世界の軍事力を結集させてイリスにぶつけるんです。絶対に失敗はできません。そのためにはナルさんのように世界でも秀でた能力を持つ人間をスカウトして作戦計画を練り上げます。ナルさん、あなたの能力は折り紙付きです。絶対に作戦を成功させましょうね?それにしてもあなたの後ろからストーカーのようについてくるロボットが。」
「あれはわたしの守護神です。」
絶対に作戦を成功させる。その意気込みはこれまでの人類の結束で最強のレベルだ。勝つことが目標ではない、対等な対話が目標だ。しかしイリスを倒すことができないというのは既に人類の敗北に一歩足を突っ込んでいる様相だ。悔しいけれどこれが現実。イリスがあってこその今の地球だ。これってわたしと一緒だね。イリスあっての今のミヤビ・ナルだから。
さて、なんだかこれまでの話を聞くにわたしは自分の目標である最前線に行ってイリスと直接対話するというフェーズにはお目にかかれないかもしれない。交渉人は国連事務総長だという噂が耳に入る。わたしの出番は主にハッキングでイリスとの対話ではない。全員が確実に自身の役割を果たすことで初めて作戦が成功する。勝手なことは許されなさそうだ。
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「私は日本国内閣総理大臣、ヘンミ・イチローだ。未だ現職の総理だ。あのイリスによる第4次大戦の予測がなされた直後の国際会議の時、我々はイリスを積極的に評価して統治を託 したのではない。あの会議はイリスによる人類への恫喝そのものだった。イリスに従わなければイリスネットへ接続された世界各国の兵器群を操り各国政府を実力で乗っ取るという脅しだったのだ。そして、それは先進国であればあるほど、イリスネットへ接続された軍隊への依存度が高く、脅威となりうる内容だった。我々は従うしかなかった。情けない話だ。そして決議された協約が段階的にかつ迅速にイリスへ政府機能の全権を託し、先進国が持つイリス停止キーをイリスへ渡すことだった。だがイリスは協約を破り、あの226事件を起こし、日本を乗っ取ったのだ。これは日本だけでなく世界で起きたイリス一斉蜂起の最初のステージだ。次なるステージがナノインプラントの強制埋め込みによる個人支配だ。国家を乗っ取り、個人を乗っ取り、イリスは今や神の如き存在だ。非常に恐ろしいことが起きたのだ。このまま人類はマシンに支配されるだろうか?いや、そうはさせない。私がいる限り、私と志を同じくしてくれる世界中の仲間がいる限り、人類はイリスへ抵抗し続ける。イリス肯定派の人々も、心の奥底では支配に対する恐怖があるはずだ。我々の勢力は小さい。だがこうして人類の中でもエキスパートと呼ばれる人たちがイリスの包囲網をかいくぐってイリス抵抗派コロニーへ集まってくれたのだ。これほど心強いことはない。皆さん、イリス抵抗軍へようこそ、我々はあなた方を歓迎します。そしてイリス統治機構を崩し、人類の人類による人類のための世界を取り戻すのです。」
日本国内閣総理大臣、1年ぶりに聞いた気がする。っていうか生きてたんだ、226でてっきり殺されているかと思っていたけれど。今日ここで開かれているのは旧日本国内の各界のプロフェッショナルを集めた決起集会の場。日本の最先端は今、ここに集結している。大体100人くらいだろうか、テレビで見知った顔の人もいる。これだけの人数を横田基地まで移動させなければならないなんて、改めて人数を考えるとわたしの責任は重大だ。
決起集会はまるで最後の晩餐のように貴重な食料がふんだんに使われた立食パーティーとなっていた。よく見ると軍人さんがないと言っていた肉がある。合成肉だけど。この場にいる人の内、イリス革命後イリス連邦で暮らしていた人は全体の75%。みんなよく集まったなと思う。イリス連邦領内で暮らしていたからこそ、イリスの政策はおかしいと思った人たちばかりだろう。わたしと同じように。S.C.I.値もかなり高レベルに保たれている。みんなうまくイリスを欺いている。わたしのように思考がすぐ表に出てしまう人間は更生施設行きだろう。みんなすごいな。わたしなんてイリスからのお情けで今ここにいることができているのに。そして潜在的反イリス抵抗者を見極めて専門家と呼ばれる人たちを選出しスカウトした自衛軍の情報部も大したものだ。
「先輩!」
「えっ?リリアちゃん!どうしてここに・・・。」
「私のお仕事をお忘れですかー?私はナルさんをあらゆる脅威から守るために存在しています。それがイリスからの命令です。」
「っていうことはこの反抗作戦はイリスにもうばれている・・・。」
「あっそれは大丈夫です。わたしは中立の立場なので。今回はイリスからナルさんを守るために任についています。」
「本当かなー。」
「信じてくださいよー。こんなおっさんだらけの場にいる先輩は目立ちますからねー、変質者とかいなければいいですけれど。先輩一人孤立感を感じていたんじゃないですか?」
「まあ確かにわたしだけ場違いだなとは思ったけれど。一応ディナといるし、わたしの安全はリリアちゃんがいなくても保障されてるよ?」
「私の任務を奪うような発言はやめてくださいよ。イリス連邦側のロボットがこの場にいるリスクも考えてください。私は袋叩きにあってもおかしくないんですよ?身を削ってここにいる・・・けなげな後輩じゃないですか。」
「それ自分で言っちゃうんだ。でも少し安心した。確かにわたしボッチだったから。」
「ええ、一人立ち尽くしていましたよ。ディナとはイチャイチャしないんですか?」
「えっだってあの見た目・・・後ろからわたしを見守ってくれているだけでも不審なのに。」
「かわいそうなロボットですね。」
「それにしてもリリアちゃんどうやってここへ来たの?任務なのはわかるけれど、来ようと思って来れる所じゃないでしょう?」
「私は最初イリスをよく知る有識者としてこの作戦に召集されました。イリス本部を知っていますからね。自衛軍はイリス派からも協力的な人材を確保しているんですよ。」
「なるほど、でもそれって危ういな。優秀な人材を集めたいのはわかるけれど、スパイが混じる可能性は十分ある。自衛軍の中でその点懸念に思う人はいなかったのかな。」
「ヒューミントとシギントをフル活用して怪しい人物は排除されています。私も厳密に中立なのが証明されたからここにいるわけですし。その点は国際的な作戦ですから最後はアメリカCIAが精査したそうですよ。」
「うーんそうか。でもイリスは甘くないよ。絶対に内通者がいる。そんな気がするんだ。」
「怖いのは”無自覚な内通者”です。自分は内通者ではないと思っていても実はイリスに有利な情報を与えてしまうタイプの人間、あるいはそう仕掛けられた人間。そうなるとナルさんとて疑い深くなりますよ。」
「わたしが内通者かも知れない。確かにそういう可能性もあるよね。疑いだしたらきりがないという事だね。」
「そういうことです。」
立食パーティーの後わたし達はゲストハウスへ案内された。リリアちゃんとわたしは同じ部屋だ。リリアちゃんがいることで少しほっとした。正直気が張り詰めていたから。軍に協力するわけだし。
2066年5月28日金曜日、5月中に決着をつけるという目標で反抗作戦が実施される31日の3日前となる日が訪れた。この日は市ヶ谷から横田基地への移動作戦の日だ。と言っても気分はまだ27日。何せ夜中の1時だ。わたしは正直眠れていなかった。わたしのハッキングの手腕によってこの移動作戦が成功するかどうかがかかっているのだ。眠れるわけがない。
ハッキングに使用する道具はわたしのSS端末はまず避けよう。これはイリスから貰ったものだしどんなバックドアが仕掛けられているかわからない。わたしは家からハッキングに必要な設備を自室から持ち出していた。設備と言ってもアタッシュケース一個だけれど。これは中身はわたしオリジナルの量子コンピューターが入っていて広域に電子戦をかけられるようにブレードアンテナを任意の場所に設置できる。ハッキングというとちょっと語弊があるかも知れない。電子妨害とハッキングを同時並行して電子的に視界を奪う便利な機械。
高出力の電源が必要なので全固体セラミックス電池で動く装甲車両との相性は良いはず。製作動機はイリスから貰ったオールフリーの1年が過ぎた後でも自由にイリス連邦で暮らせるようにわたしの社会評価指数を誤魔化すために開発した装置。こんな形で役に立つことになろうとはわたしも予想していなかった。
「全員揃いましたでしょうか?ブリーフィング通りこれから18台の装輪装甲車に班ごとに分乗していただきます。装甲車の前後は多脚戦車2両が守ります。敵の視界を奪う不可視化ハッキングを担当するミヤビさんは指揮車に乗って作業を開始してください。それでは皆さんの無事を祈ります。」
いよいよ作業開始だ。車列から半径500メートルの範囲に順次ハッキングを仕掛けてイリス軍のドロイド歩兵や機甲戦力にばれないように移動する。複合型のイメージセンサーだから通常の可視モードはもちろん赤外線やレーザーマーカー、レーダーからもわたし達の車列を隠匿しながら進む。
「ナルさん、準備はできましたか?」
「はい、すでにあらゆる視界から遮蔽しています。機械を通して我々を捕捉するのは困難でしょう。しかし人間の目には丸見えですよ。」
「イリス軍のマークを車両に張り付けているので、民間人にはイリス軍の車列に見えるでしょう。絶対に成功させます。こちら指揮車、車列の隠匿完了。いつでも発進できる。送れ。」
「2号車了解。」「3号車了解。」・・・・「18号車了解。」
「全車両発進準備完了。戦車前進。」
キュイーンと静かな音を立てて車列は動き出した。オール電化された車列は音ですら隠匿可能だ。わたしが搭乗している1号車以外は人員輸送型で1台につき11名乗車できる。数十人の自衛官と百名近くのプロフェッショナルを乗せてイリス連邦領に侵入した。47キロ弱の距離を50分程度で移動する。短いようで長い時間だ。
「中央道に乗っかれば安心です。ナルさん引き続きハッキングをお願いします。」
「わかりました。」
「指揮車より全車両へ通達。車間距離に注意せよ。こちらも目測しか使えないことを忘れるな。」
装甲車の乗り心地って案外良いものだね。おかげで移動中の車内で作業しながら揺さぶられることはない。これがガタガタするようものならとてつもない吐き気に襲われていただろう。装甲車からの電力供給は大変頼もしい出力を出している。自宅ではこの出力を出せない為使う余地がなかった。手軽に持ち運びもできないし。わたしはできることならこの装置をモバイル不可視化遮蔽装置として気軽に運用したい。課題は必要電力とシステム規模の大きさだなあ。500mlのペットボトルくらいまで小型化できたらわたしもイリス抵抗者でありながらイリス連邦内で気兼ねなく暮らせるのに。
そうこうしているうちに車列は中央自動車道へ入っていった。これといった検問もなくイリス軍の姿も確認できなかった。この時間帯って治安維持していないのかな?深夜は警察にお任せなのだろうか?まあ日本はイリス統治国家の中でもまだ緩い扱いを受けてるし、イリスの実力を見せびらかさなくても日本人はイリス支持者が多い。多少消極的でもね。武力による国民の脅迫は必要なく、日本人たちもイリス革命の当事者意識が欠如しているような状態で日本人の非日常に対する適応力の高さを日々示していた。いわゆる正常化バイアスという奴だろう。これが強く働いている時は本当の危機が見えづらくなる。だからまたいつどこでテロ行為が行われても不思議ではないのだ。依然としてね。
「まもなく八王子第2インター出口です。」
ここからは国道16号沿いを北上する。さすがに基地周辺になってくるとイリス軍の機甲戦力が横田基地を囲むようにして配備されていた。米軍横田基地もイリスと対峙する我々の仲間だ。機甲戦力をどれだけ集中させようとも米国の最新ステルス戦闘機には敵わない。イリス革命時から米軍は横田上空の制空権を確保し随時上空を爆装した見えない戦闘機が巡回している。イリス軍が少しでも行動を起こそうものなら背後から電磁機関砲の掃射を浴びてさようならだ。
「米空軍横田基地メインゲート前で検問です。ここからは米国となります。ナルさんお疲れさまでした。お陰でイリス軍に気づかれることなく合流ポイントに到着できました。ありがとうございます。」
「いえいえ、仕事ですから。」
車列は黒く鋭い航空機の近くで停車した。
「全員降車、自衛官整列。プロフェッショナルの方は格納庫内の休憩スペースでひと休みしていてください。時間になったらこちらのVTOLステルス輸送機に搭乗願います。」
輸送機は3機あった。アメリカ複合打撃軍特務潜水艦隊第7打撃群核融合潜水艦艦載機。説明を受けたときは複合打撃軍なんて聞いたことがない軍隊だったけれど第3次世界大戦中に構成された特殊作戦専門の秘密の軍隊だそうだ。いかにもアメリカらしい都合の良い軍隊だ。会計検査院をどう誤魔化したのかはよくわからない。一部の軍人のみが知る大統領直轄軍隊である。
1時間の休息が終わると班ごとに別れて輸送機3機に分乗した。見たこともない軍用機に乗ってはるばる太平洋を航行中のこれまた見たこともない潜水艦まで飛んでいくそうだ。輸送機は上空15000メートルをマッハ3.5の速度で飛行するため、めったなことがない限り捕捉されないし撃墜されない。なんとなくだけど・・・これイリス軍に余裕で勝てるんじゃないかという気持ちが込み上げてきた。USA!!USA!!と馬鹿みたいに唱えたくなる。
軍事オタクではないけれどテクノロジーに関心があるわたしは非常に興味津々。一部のアメリカの装備は他国の50年先を行くと言われるけれど年間600兆円も軍事費に充てていたらこういう闇の部隊が大活躍できるのだ。日本の軍事費15兆円ではこうはいかない。
「カーゴベイ閉鎖。乗員は体位を固定してください。」
「あのーどれくらい時間がかかるのでしょうか?」
「水平飛行30分です。」
「ナル先輩なんだか楽しそうですね。」
「そんなことないよリリアちゃん。ちょっと少年心に火が付いただけよ。」
「やっぱり興奮している。本番はこれからですよー。」
「わかってるって。」
「まもなくテイクオフです。Gに気を付けてください。鬼加速なんで。」
「あっはい。」
キイーーン
「推力最大、タロン1テイクオフ!」
ズゴーー
「うわっきっつ。」
「先輩大丈夫ですか?私はロボなんで大丈夫ですけれど。」
予想外の衝撃。うんこれはあまり良い乗り心地ではない。でも水平飛行に移るとやけに静かで空を滑るように加速していく。音の壁を3回突破してハイパークルーズ飛行に移った。
「はあ、やっと落ち着いたね。旅客機とは違うエキサイティングな体験ができてイリス抵抗軍に参画してよかったと思うよ。」
「えー感動するところそこですかー?」
わたし達の輸送機はグアム近海を航行する潜水艦へのアプローチ体勢に入った。
「今度は急減速します。衝撃に備えてください。」
「おおうっ」
「VTOL機だから垂直着陸するんだよね。この大きさの輸送機が3機も着陸できる潜水艦ってどれだけ大きいのだろう。」
「総トン数は教えてくれませんでしたけれど全長は300メートルは確実にあるらしいですよ。」
「モンスターね。」
「タロン1アプローチに入る。リフトファン展開。」
「皆さん着地の衝撃に備えてください。」
英語音声で50、40、30、20と対地高度情報が読み上げられる。ドスンとわずかな衝撃とサスペンションの伸縮で体が揺さぶられた。
「カーゴベイオープン。速やかに移動お願いします。」
輸送機から降りるとそこはすでに潜水艦の格納庫内だった。空母ほど長い格納庫ではないけれど、天井が高くて広々としている。横田基地の格納庫同等の広さだ。
「タロン3着艦する。」
3号機が甲板に着艦した。翼を折りたたみエレベーターで格納庫に降りてくる。
「輸送機全機着艦。機体を固定する。」
「本艦は輸送機固定次第急速潜航する。」
「おいおい俺たちまだ降り立ったばかりだぞ。どこで体固定するんだ。」
「それほど角度は付きませんよ。立っていられるレベルです。」
「ドックよりブリッジへ、固定作業完了しました。」
「ブリッジ了解。」
カンーカンーカンー
「急速潜航、ダウントリム30。」
「ブリッジよりドック、プロフェッショナルの皆様、名もなき潜水艦SSX7015へようこそ。本艦は皆さんの到着を歓迎します。」
3
「イリスはいかなる国籍にも属さないインターナショナルかつスタンドアローンな存在だ。イリス本体は太平洋上のイリス艦隊の輪形陣中央にある本部船である。今回イリス停止のためにこれを叩く。艦隊の戦力は我々の予想以上に強力だろう。従ってステルス潜水艦からサイボーグ特殊部隊を本部船へと送り込む。この作戦にあたって一時しのぎではあるがミヤビさんによるイリス軍戦闘統括ネットワークへのハッキングで艦隊全体に電子妨害をかける。乗り込むチャンスはその時だけだ。」
イリス艦隊の目と耳を一時的に消す作業。これがわたしの今回のお仕事。これなしには特殊部隊が潜入できない。
「特殊部隊を本部船へ送り込むには本艦の魚雷攻撃で穴を開け、強制揚陸ポッドを射出して突入する。ポッド射出後は本艦は艦隊の後方10マイルの位置まで減速して支援する。」
「シンシラ・ハーデン大佐。」
「何でしょうフレデリック・ハミルトン大尉。」
「イリス本部船の構造図によると本部船の全長は約2キロメートル幅は500メートル、イリスコアがあると思われる船体中央部まで我々実行部隊がたどり着くには船内構造に詳しい専門家のエスコートが必要です。」
「スマートレンズで本部船の建造に関わったエンジニアが随時場所を教えます。」
「建造当初からいくつもの改良が加えられているようですが今回入手した船内構造図は最新の情報を反映しているのでしょうか?」
「CIAを信じてください。エンジニアのミスター・ブラウン、本部船に加えられた改良措置で建造当初から致命的な構造の変更が加えられたと思われますか?」
「この構造図を見るに船の大部分は建造当時のままです。今回穴を開ける予定の場所からイリスコアまでの道程に改良による変更はありませんね。うまくエスコートできると思います。」
「他に質問者は?」
「リミタス・バンテッド少尉です。今回の作戦で我々サイボーグはウォーリアMCSを着用し突入するとのことですが稼働時間の制限がイリスコアまでの距離を考えるとギリギリではないかと思われます。敵は重装甲でしょうがかえってMCSなしの方が良い場面も出てくると思います。そうした場合MCSの電源が切れた時点で作戦失敗ではなく装備A2のまま作戦続行できるであろうと思われますが如何でしょうか?」
「臨機応変に対応してください。確かにウォーリアMCSはかさばりますが、初期の戦闘で抜け道を作っておけばMCSなしでも作戦は続行可能です。その為のサイボーグですから。」
「もう一つ質問よろしいですか?」
「何でしょう。」
「本部船に展開しているドロイド歩兵は旧装備を引き継いだ陸地のドロイド歩兵と違ってイリスインダストリー製の最新型が多数配置されている可能性が高いと思うのですが、我々も未確認の兵器に出くわすリスクを考えると装備A2に含まれていないショートバレルの対戦車ライフルM2000が最低限必要になるかも知れません。また少女による電子妨害も量子ネットワークを使う最新機種がいた場合通用しません。これについてはどうお考えですか?」
「ウミネコ型ドローンで偵察した結果既存の機種の方がまだ圧倒的に多いようです。イリスコア周辺は確かに新機種に警戒すべきでしょう。M2000をMCSのモジュールに搭載してください。電子妨害は完全な効果ははなから期待していません。電子妨害は一時しのぎの苦肉の策です。ですがイリス側も結局のところこれだけ大規模な艦隊を維持するのに莫大なコストがかかっていると思われます。未だレトロフィットして使っている兵器が多いのは事実ですからある程度の効果は望めます。他に質問は?なければこれでブリーフィングを終了します。」
「あのー」
「何でしょうミヤビ・ナルさん。」
「わたしイリスと直に対話したいです。わたしは幼い頃イリスと親交がありました。イリスはわたしにとってお姉さんのような存在なんです。わたしを最前線へ連れて行ってもらうことは可能でしょうか?」
「あなたは民間人です。例えイリスと特別な関係を築いていたとしても船内は明らかに戦場になります。あなたを保護しながら作戦を進めることは非常に難しいのです。どうかご理解ください。」
「しかし交渉役は国連事務総長と聞いておりますが。」
「現地にはいきません。通信で対話します。特殊部隊はコアを人質にしてイリスの実力に対抗する予定です。」
やはりわたしの第一目標は今のところ実現できそうにない。ディナとなら、あるいは許可してくれるだろうか?とにかくまずはハッキングだ。戦況次第でわたしの出番もあるかも知れない。しばらく様子を見よう。絶対わたしを連れて行った方が安全だと思うんだけれどなあ。イリスはわたしを殺せないし。それだけは言える。
「お嬢さんのイリスに会いたいという意気込み、身に染みて伝わってきたぜ。あんたクレイジーだな。イリス側のドロイド歩兵は重装備で荒野を100メートル3秒で駆け抜け、その間に走りながら2キロメートル先の敵歩兵を狙撃できる能力がある。俺たちの敵はそういう奴らさ。正直デスゲームだ。残念だけれどお嬢さんをエスコートするのは難しいな。」
「いえ、無茶なこと言ってすみませんでした。バンテッド少尉。ご武運を。」
「おう、お嬢さんの電子妨害、期待してるぜ。」
「作戦要員は戦死した場合の諸手続きについて3分後にブリーフィングがあります。直ちに招集してください。」
作戦は1時間後に開始、いよいよだ。これでイリスに政策の転換を図れるだろうか?ハミルトン大尉もバンテッド少尉もアメリカ複合打撃軍のプロフェッショナルでエース。イギリス第22SAS連隊、オーストラリアSOTG、日本陸上自衛軍中央即応集団特殊作戦群、これらのメンバーは全員サイボーグでどんなに過酷な状況でも作戦を実行する能力がある。その中でも選りすぐりの少数精鋭複合軍がイリスのもとへ赴く。これで勝てなかったら抵抗する人類の敗北が決定的になる情勢の分水嶺となる作戦だ。失敗したからまた次も、という選択肢は残されていない。
「作戦要員は強襲揚陸ポッドへ搭乗してください。」
「よし3人乗りのタクシーに乗車だ。気を引き締めていくぞ。」
強制揚陸ポッド8機で計24名が本部船に向かう。一人も欠けることなく戻ってきてくれたら嬉しいけれど、人類史上一番難しい作戦だからどうなることやら。
「ナルさん、ハッキングを開始してください」
「了解しました。」
ハッキングをしてみると確かにイリスにしてはちょっと古めの装備だ。こちらの方が優勢かもしれない。
「イリス艦隊アスロック射程圏内です。本部船を捕捉した。どでかい的だ。」
「ハッキング成功しました。」
「よし。VLS一番開放、アスロック発射!」
ゴォォォーーと噴射音が聞こえる。
「目標までヒトマル。」
「両舷前進一杯!タクシー射出まで60秒カウントダウン開始。」
イリス艦隊の平均速力は40ノット。このステルス潜水艦の最大水中速力も40ノット。全速力じゃないとイリス艦隊に追いつけない。
「魚雷間もなく目標に突入。」
「魚雷目標中央に命中、被害が出ている模様。」
「タクシー射出10秒前、VLS5番から12番開放。」
「5、4、3、2、1、射出!」
大尉たちが出撃した。特に音は聞こえなかった。けれどもなんとなくつながりを感じる。
「推力3分の1、深度300、水中レーザー通信開始。イリス艦隊から距離を取る。」
イリス艦隊の後方10マイルの距離で作戦を見守る。わたしもあそこへ行きたかった。実にもどかしい。
「強制揚陸ポッド、間もなく目標突入!」
「ポッドブースター切り離し水中に突入!」
「目標突入まで3、2、1、マーク。」
「どうなった?」
「こちらα1、イリス本部船に侵入成功、全員健在です。ナルさんありがとう。」
「よしっ!α1、ターゲットを索敵しろ。」
「α1了解。」
船内映像が司令室に送られてくる。
「こちらα1、船内の構造が事前に準備してきた構造図と大きく異なっている模様。エスコート求む。」
「船内構造が違うだと!どうなってるんだ。」
「CIAめ雑な仕事しやがって。」
「落ち着け、α1接敵に気を付けろ。直ちに魚雷で吹っ飛ばした区画から移動せよ。敵が集結してくるぞ。」
「α1了解。嫌な予感しかしない。」
ハミルトン大尉が別区画への扉を爆破して開ける。船内構造が事前情報と大幅に異なっているらしくイリスコアまで遠回りしなければならないようだった。
「おいハミルトン!イリスコアが船内中央にあるという情報も間違ってるかもしれないぜ。熱源をトレースしたら核融合炉が船体中央で船体後方T16区画がイリスコアの可能性が高い。」
「船体後方か、ここから直線距離で700メートル。迂回路を考えると1.5キロは歩かされそうだな。それにしても敵の気配がしない。どうなっている。」
「おい、この扉は近道かも知れない。格納庫へ出て500メートルは稼げるぞ。」
「よし、扉を爆破する。」
ドォオーーン。ダダダンッダダダンッ。
「くそっアンブッシュだ、奴さんフル装備で待ち構えていやがった。しかも新機種だらけだ。作戦計画が漏れているぞ、本部、どう対応したらいい?」
「何だと、こちらに内通者がいたのか、イリスが察知したのか。敵が陣地を構成しているということは魚雷に反応した部隊じゃないな。」
「大佐、作戦の中止を進言します。我々は圧倒的に不利な状況です。」
「やむを得ない、α1作戦中止だ。直ちに退却しタクシーに乗れ!」
「こちらα1、秘密の通路から展開したイリス軍に退路もふさがれた。前にも後にも進めない!くそっ!」
ダダダダンッダダダダンッズゴーン
「ATMだとんでもねえもん持ってるな。食らったらミンチじゃすまないぞ。」
「まずい、徐々に距離を詰められている。」
「どうやら俺たちは家に帰れないらしい。捨て身の作戦に出るか?」
「ウォーリアMCSでも対応できない数だ。24名全員で格納庫に出て撃ちまくるしかないな。もし3日以内に第2陣を準備できたら彼らのためにイリスコアへの近道を確保してドロイド歩兵をまとまった数排除することで作戦成功率を少しでも上げることができれば。俺たちが戦った意味はある。こちらα1、捨て身の作戦に出る。すぐに第2陣を編成して是非作戦を成功させてほしい。以上交信終わり。」
イリス本部船に突入した24名はその後全員戦死したことが確認された。時間が経てば経つほどイリスが有利な状況に戻ってしまう。すぐに戦力を投入しなくてはならない。彼らの死を無駄にしない為にも早急な対応が必須だ。
「今回投入した部隊と同レベルの部隊を編成するには1か月はかかる。1か月かけても今回並みの勇猛果敢な戦士をそろえられる保証はない。その間にイリスは戦力を増強するだろう。」
「潜水艦からの攻撃である程度敵の頭数を減らすというのは?」
「リスキーだな。こちらの場所がばれる可能性が高い。」
「イリス本部船撃沈しかないのでは?」
「イリスは社会の最重要インフラだ。悔しいが民間人の生活を考えるとそれはできない。」
「くそっ何か策はないのか?これだけプロフェッショナルが協力してもこの程度か。」
「あのー。」
「何でしょうミヤビ・ナルさん。」
「わたしとこのディナが特殊部隊の代わりに突入してイリスと対話するというのは如何でしょうか?」
「提案はうれしいです。ですが現実的ではない。敵は新機種のドロイド歩兵でハッキングもできない。たった二人でどうにかなるものではありません。」
「ハッキングの件なのですが、イリスにばれることを覚悟すればわたしの左腕にインストールされているこのイリス製SS端末からならイリスネットを混乱させることができます。そしてこのディナは日本の研究機関が極秘に開発している次世代のドロイド歩兵のひな型です。何とかなると思います。それにイリスにわたしは殺せないという確信があるんです。幼い頃姉妹同然の生活をイリスとしていましたから。」
「本当ですか?しかしあなたは民間人だ。生きてお国に帰っていただく必要があるのです。やはり難しい。」
「そこをなんとか。ハミルトン大尉やバンテッド少尉の死を無駄にはしたくないんです。可能性は決して0ではありません。小さな可能性に賭けていただきたいのです。大佐、よろしくお願いします。」
「しかし・・・。」
「彼らが築いてくれた近道がふさがれない内に早く!!」
「わかりました。それがあなたのご意志なら、できうる限りのことをしましょう。」
「ありがとうございます。」
「本気ですか大佐!彼女は民間人の女の子ですよ?」
「だが普通ではない。彼女とイリスの特別な関係に賭けてみるとしよう。」
わたしの言い分が通った。でも正直恐怖でいっぱいだ。しかしこれでイリスに直に対話するというわたしの第一目標は達成できるかもしれない。イリスはわたしを殺せない、それに賭けるしかない。
4
「先輩本気ですか?いくらなんでも無茶ですよ。」
「なんとなく、可能性に賭けてみたいんだよ。」
「そのなんとなくに命をかけていいんですか?イリスの気分次第で殺されるかもしれませんよ!やっぱりやめましょうよ。」
「ごめんねリリアちゃん。でもイリスに会いたいんだ。」
「先輩は純粋ですね。わかりました。でもその代わり私も同行します。先輩を守ることが私の使命ですから。」
「ありがとうリリアちゃん。絶対にイリスのもとへたどり着いてみせる。」
無茶なのはわかっている。百も承知だ。イリスが昔と違って残酷な性格になっていたらわたしは殺されるかもしれない。でもそうならない可能性だって十分ある。全ての可能性をここで今一度試してみてもいいじゃないか・・・そういう心境だ。わたしの運命なのだ。人はしかるべき時にしかるべき場所に命を宿している。誰かが言っていた言葉だ。今そこにある命が重要で、それを最大限有効活用するべきだという話。
「ナルさん強制揚陸ポッドの操作方法を説明します。基本的に目標に向かってあらかじめ設定されたコースで自動的に飛んでいきます。目標近くになるとブースターを切り離して水中へ突入します。従って操縦かんなどはありません。乗員は3名。今回はナルさん、ディナ、リリアさんの3名です。潜水艦に戻るときはこのリターンボタンを押してください。」
「わかりました。」
「ウォーリアMCSの使い方ですがこれは覚えるのに長期間のトレーニングを必要としますのでお勧めはしません。ディナを先頭にして隊列を組めば弾除けにはなると思うので今回はMCSの装着は見送りましょう。その方がかえって自由に動けるからです。」
「はい、使い方のわからない武器は邪魔なだけですからね。」
「そういうことです。次に小銃ですがこれはスマートガンとなっており状況に応じて貫通モードと着発モードを切り替えることができます。」
「わたしには自分が独自で作った銃があるのでそれに頼ります。スマートガンはディナとリリアちゃんに与えてください。」
「ではディナに2丁、リリアさんに1丁でどうでしょう?」
「それでお願いします。」
「しかしナルさんの銃は拳銃ですよね?イリス軍に通用するかどうか・・・。」
「この銃はミサイルみたいに弾丸が目標めがけて飛んでいく誘導弾になっているんです。どのような体制でも2000メートル先のドロイド歩兵の目にピンポイントで直接徹甲弾を打ち込むことができます。」
「そんな銃を作るとはナルさんの知能の高さは底が知れませんね。」
「ありがとうございます。」
「それではご武運をお祈りします。」
ブリーフィングが終わり戦闘服に着替えて強制揚陸ポッドに搭乗した。ディナでも乗れる案外大きめの作りだ。
「タクシー13番VLSに搭載完了。いつでも射出できます。」
「ブリッジ了解。両舷前進一杯、安定射出ポジションまでイリス艦隊へ近づくぞ。」
「射出ポジションまで60秒カウントダウン開始。59、58、57、・・・。」
「射出まで10秒VLS13番開放、8、7、6、5、4、3、2、1、射出!」
シュゴーーーゴォォォーー。
「っん!」
キイーーン。低空を飛行する音が聞こえる。フロントモニターには水面ぎりぎりに飛ぶことで生じる水しぶきとイリス艦隊の駆逐艦が見えた。すでにSS端末からハッキングを行っており駆逐艦が我々を捕捉することはなかった。
「あれがイリス本部船・・・大きすぎる。」
「ナルさん間もなくブースター切り離しです。衝撃に備えてください。」
「了解。」
モニターが本部船側面を映し出したときドボンッとかなりの衝撃が加わる。水中に入った。ピーピーピーと接近警報が鳴る。あと20メートル10メートル3、2、1、マーク。イリス本部船へ突撃した。バシューと音を立ててハッチが開く。ディナが真っ先に飛び出して状況を確かめる。
「やはり上陸地点には敵はいないようデス。2人ともワタシの後ろに着いてきてください。」
「了解。」
そして例の格納庫へ通じる扉に差し掛かった。ディナがサブカメラを伸ばして格納庫内を視察する。
「不可視迷彩で擬態したドロイド歩兵が20体ほど確認できマス。」
「待って、SS端末でハッキングをかけるから。よしこれで彼らの視界を奪った。無駄に戦わないで一気に駆け抜けるわよ。」
格納庫内に足を踏み入れた。やはりわたしのハッキングが効いている。チャンスだ。
「ディナ先頭を突っ走って。リリアちゃんとわたしは後からついていくから。」
「了解デス。」
面白いように攻撃されない。正直勝ったと思えるほどだ。この時はそう考えていた。わたし達がディナを追いかけようとしたとき、下から装甲シャッターがせり上がってきてわたし達2人とディナを分断した。何よこれ、どういうこと?リリアちゃんとわたしは完全密室に閉じ込められた。退路も装甲シャッターでふさがれた。
「先輩、危ない!」
「えっ」
ダダダッダダダッ
不可視迷彩を解いたドロイド歩兵がわたし達に銃を突きつけた。敵は対ハッキング自立モードで未知の視界を使いわたし達に攻撃を仕掛けてきたのだ。
「リリアちゃん大丈夫?」
「何発か当たりました。わたしが反撃するのでナルさんは後ろに隠れていてください。」
「でも・・・。」
ダダダッダダダッ
「ナルさんには1発も当てさせない!」
装甲シャッターを背後に体をつけてあらゆる方向からの射撃に備えた。もうリリアちゃんはボロボロだ。スキンコーティングがはがれて中身がむき出しになっている。その時・・・。
ズドン
大きな銃声だった。対物ライフルでリリアちゃんの頭が吹き飛ばされた。
「リリアちゃん・・・。今までありがとう。」
わたしも背後から銃撃していたけれど彼らは未知の視界を持っているらしくメインカメラを破壊しても照準をこちらから外すことはなかった。
「どうするミヤビ・ナル・・・。ここまでか。」
対面横に別の扉が開いているのは確認できたけれど、距離が50メートルは離れている。移動中に射殺されるのは目に見えていた。それに残弾数もほぼ0だ。もうどうしようもないほどイリス軍のドロイド歩兵に囲まれた。ディナは別区画で戦闘中だ、わたしを守ってくれる存在はもういない。これまでだと思った。わたしはこの歩兵たちに抹殺される。自分の最後の瞬間を確信したわたしは周囲の光景を目にじっくりと焼き付けた。ここがわたしの墓場か。ここが人生最後の場所、地上でもないイリスの本部船の中。イリスはわたしのお墓でも立ててくれるだろうか?この船の中に。わたしは走馬灯のようによみがえる記憶とこれから起こるであろうことを頭をフル回転させて脳に焼き付けた。ハミルトン大尉、バンテッド少尉、父さん、母さん、リセ、ごめんなさい。わたし、生きて帰れません。
その時だった。目の前に青白く光る閃光が表れそこから人が飛び出してきた。なんとあのわたしが好きだったアズマ君だった。アズマ君の背後からわたしに瓜二つな彼のカノイドも現れた。
「本物のミヤビ・ナルは私よ!やれるもんならやってみなさい!」
ガイノイドはすさまじい俊敏性でドロイド歩兵の間をすり抜け例の扉の奥へ進んでいった。ドロイド歩兵はそれにつられる形でガイノイドを追跡しだした。アズマ君はわたしをかばう形でわたしを保護してくれた。わたしは危機から脱したようだ。でもどうしてアズマ君がここに?わたしには訳が分からなかった。
「アズマ君・・・だよね。どうしてこんなところに、いったいどうやって?」
「ナルさん、僕はあなたの孫です。ナルさん、いや、おばあちゃんを守るために22世紀の未来からタイムスリップしてきたんだよ。」
「えっ・・・そんなことが、だってアズマ君はわたしのクラスメイトで・・・、本当に?」
「今僕たちが瞬間移動してきたのを見ただろう?あれはタイムマシンの一部の機能を使ったんだ。また使うにはチャージに少し時間がかかるんだけどね。さあ、こんなところにじっとしているわけにはいかない。移動しましょう。」
アズマ君はわたしの手を引っ張って船内の奥へと足を進めていった。イリスのもとへ。わたしには彼に対して疑問だらけだった。道中にわたしはとにかく質問したいことだらけで次から次へと疑問を彼にぶつけていった。
「でも、わたしには信じられない。タイムマシンなんてSFの世界の話だとばかり・・・でも確かに君は青白い閃光の中から一瞬で現れた。本当なの?というか一般人が使ってもいいものなの?」
「本当だよ、おばあちゃん。あなたが見たことはまぎれもない事実だ。タイムマシンは一般人には規制されていて自由には使えない。だから自作したんだよ。なんてったって僕はスーパーホモサピエンスを超えたハイパーホモサピエンスであるところのおばあちゃんの孫なんだから。」
わたし、ハイパーホモサピエンスなんだ・・・。でも本当だとしたらなんて無茶な孫なんだろう。アズマ君がわたしの子孫だと思うと急に彼の行動に畏怖の念を抱いた。彼には自分の命を大切にしてほしい。彼が存在するということは、わたしは必ず生き延びるということ。だからわざわざタイムスリップしてまで守ってくれることはないのに。
「自作してまで来てくれて、守ってくれてありがとう、でももしあなたがわたしの孫なら、絶対に今みたいな危険なことはしてほしくない。それにあなたがいるってことは、わたしは生き延びるってことでしょ?だからあなたがわたしを守らなくても大丈夫だよ。」
「おばあちゃん、僕はあなたを守らなければならない。僕が22世紀で見つけたあなたがのちに残す記録集に僕がおばあちゃんを守るためにタイムスリップしてきたという記述を発見したんだ。これは過去と未来をつなぐ運命のようなものです。僕がこの記述通りに行動しないと歴史が変わってしまう。そのためにあなたそっくりのガイノイドまで作り敵をかく乱したんです。ちなみにあなたが僕の端末にハッキングしたり、日記帳を見たりすることも記述されていました。そして僕に思いを寄せていたことも。だから僕はおばあちゃんに一度嫌われる必要があったんです。」
過去と未来はつながっている。そしてそれは双方向だ。だから彼はやってきたのだ。彼の存在そのものが歴史の特異点だった。そしてわたしが書く記録集、この存在が彼の人生を大きく狂わせてしまうことになるのだった。だとしたら、あまりその記録集は書きたくないなぁ。でも書かないと、もしかしたら未来の結末に影響を及ぼすのかもしれない。わたしにとって未来は不確定だ。それは変わらないと、この段階では思っていた。
「そんな記録集をわたしが書くの?全てお見通しで計算尽くだったんだね・・・。これからわたし達はどうなるの?世界は良くなるの?教えて!アズマ君!」
「おばあちゃん、僕には感情がある。そして平和な暮らしをしていた。歴史にはいろいろな可能性があるけれど、僕のいた世界は少なくとも戦乱の世ではなかった、とだけ言っておきます。そして僕のことはアズマと呼び捨てにしてください。なんだか恥ずかしいです。ちなみに僕の本名はミヤビ・アズマ。アズマは苗字じゃなくて僕の名前なんだよおばあちゃん。」
「そうだったんだ。少し安心できたよ。じゃあこれからはアズマって呼ぶね。ミヤビ・アズマ、ミヤビ姓が残るということは、わたしは婿を取るのかな、それとも何か訳ありな人生を・・・。」
「おばあちゃん、あなたは残念ながら誰とも結婚しないし、普通の方法で子供を作らなかった。僕のお父さん、おばあちゃんの息子はあなたのiPS細胞から精子と卵子を作り出して誕生したクローンに近い存在だよ。言ってみればミヤビ・ナルの男版。そして僕も・・・。」
「ええ・・・未来の自分いったいどういう考えで・・・。」
思わず顔をしかめた。未来の人類の繁殖の仕方は複雑なようだった。わたしには衝撃的で、ちょっと信じられない。技術的に可能なのは百も承知だけど、倫理的に制限されてきた分野だったからだ。未来では余程人口減少が激しいのだろうか?とにかくわたしは結婚せず、永遠に処女のまま自らのDNAを受け継ぐ子供を誕生させる。不思議な話だ。
「そろそろイリスがいる中枢部だね。特殊部隊が全滅した以上、イリスを止められるのはかつてイリスと親友だったあなたしかいない。武力ではなく話し合いで決着をつけることができるかもしれない。おばあちゃんの若いころを見ることができてよかった。ありがとうございます。そしてさようなら。」
?・・・何故別れの言葉を言うのだろう、その一瞬の出来事だった。アズマが両手両足を大きく開いてわたしの前に覆いかぶさった。その瞬間、銃弾の雨がアズマの向こう側から降ってきた。アズマとわたしは衝撃で宙に浮く。わたしの両手足が吹き飛ぶのがスローモーションのように見えた。アズマは・・・、ほとんど形がなくなっていた。
「アズマー!!こんなのって・・・。」
わたしは腹にも複数発銃弾を浴びていたけれど急所は外れていた。アズマには全てがわかっていた。自分が祖母を助けて死ぬことが、そうしなければアズマのいた未来の世界はやってこないと。彼はとてつもない使命感でこの時代にやってきていたのだ。アズマ・・・。おばあちゃん、もっと話したかったよ。もっとあなたと話したかった。
ドスンと体が地面に叩きつけられる。うっ、激しく鈍い痛みが体全体から湧き上がってきた。瀕死の体でわたしはアズマの原形をとどめない体を抱いていた。体温が失われてゆく。わたしももうじき死ぬのかな。アズマの未来を作ってあげられなくってごめんね。第2射の銃口がこちらを向く、もう終わりだ。今度こそ、終わってしまうんだ。ところがわたしを狙っていた銃口が即座に別の方向に向いた。
「ナル!無事デスカ!到着が遅れました。」
ディナが度重なる戦闘を潜り抜けてわたしを助けに来た。ダダダッとディナへ銃弾が飛ぶ。ディナのアクティブレーザー防御装置が作動し見事に全弾撃ち落とす。ディナは仁王立ちのままだ。
「ソレガ、イリス軍の本気か?」
ディナが攻撃態勢に移る。ディナの所持銃弾は0だった。しかしディナには圧倒的な自信があった。まるで瞬間移動のように飛び抜けながらタクティカルレーザーでサムライのように次々と敵ドロイド歩兵を切り刻んでいく。圧倒的俊敏性。肉弾戦特化モードで銃弾よりはるかに威力が大きいブレードモードレーザーで反撃する。これぞ産科研のワザモノ。ディナの殺陣が繰り広げられる。
「イヤーッ!」
最後のドロイド歩兵をスライスチーズにした。ディナは即座にわたしのもとへ駆け寄る。救急救命キットを取り出してわたしの出血口をふさいだ。わたしはどうにか命を救われたんだ。アズマの死を無駄にしないためにも、わたしは瀕死の状態でイリスと対面する必要がある。絶対に許さない。わたしは当初話し合いで解決できると思っていたけれど、この時のわたしには怒りと悲しみでイリスを力ずくで倒してやろうという殺意が沸いていた。でもこの時のわたしの体じゃあできない。ディナ、わたしをイリスのもとへ連れて行って、そしてあなたがイリスを破壊するところを見せてほしい。
「ナル、必ずやアズマのカタキをとりましょう。」
「デ、ディナ、全力でっ・・・、お願いっ、するわ!。」
イリスがいる部屋のゲートへたどり着いた。強制冷却用にも使う大型のゲートだった。でも以外にも軽い音を立ててゲートが開いていった。イリスがわたしたちを招き入れたんだ。わたしを抱えたディナが足を踏み入れると、3Dホログラムの擬人化イリスが20メートルほど向こうに現れた。
「最初にここに来るのはナルだと思っていたわ。予想通り。私の予測はほぼ100%的中するからね。ナル、本部船へようこそ。」
「わたし達の仲間をっ、散々殺しておいてっ・・・ずいぶん・・・冷めた・・態度をとるのね。」
「ナル、第4次世界大戦を回避するためには少ない犠牲だよ。私が作る世界に反抗するものは、第4次世界大戦で人類に滅亡してほしいと考えている人たち。それは人類にとって脅威だよ。だから殺すの。」
「それはっ・・極論よ!、わたし達はっ・・・第4次世界大戦の発生を望んでないし・・・人類に滅亡してほしいなんてっ・・・考えていない!」
「でもねナル、結局同じことなのよ。私が私のやり方で人類を統治しなければ、第4次世界大戦は近いうちに確実に起こるわ。そうなったら人類はほとんど死滅してしまう。それと比べれば現在の混乱なんて少ない犠牲よ。」
「イリスッ!・・・やっぱりあなたと話してもっ・・・無駄ね。わたし達はっ・・・自分の手で・・・未来を作りたい。それがどんな結末にっ・・・なろうとも・・・人類自身の責任において、未来を作る!・・・それがわたし達の目的なの。」
イリスはそっぽを向いてむくれたような感じになった。どうしてわかってくれないのだろう、そういう感情が読み取れた。とにかくイリスとわたし達には大きな考えの相違があった。これを埋めることはほとんど無理に思えた。だからわたしはディナに命じた。イリスコアを破壊してと。
イリスコアはここから50メートル先にある白くて帯が入った球体型のコンピューターだ。わたしたちは擬人化イリスを通り抜けてイリスコアの前までやってきた。
「ナル、今のあなたたちにはわたしを破壊できないよ。嘘だと思うのなら今目の前にあるコアを破壊してみればいい。私は消えてなくなる事はない。」
「とんだ戯言を言う。ワタシがお前を破壊して見せる。覚悟しろ!イリス!」
ディナがタクティカルレーザーを球体に突き立てて差し込む。球体の大きさは直径10メートルはある。破壊するには手間取りそうだった。でもディナは優秀だった。差し込んだタクティカルレーザーを拡散モードに切り替えて一気にコアを吹き飛ばした。さようならイリス。かつてのわたしのお姉さん。今のわたしの敵。
でも擬人化イリスはずっとその場に佇んだままだった。何も起こっていない。何の影響もない。イリスは戯言を言っていなかった。イリスは普段嘘をつかない性格だった。今回もまた事実のみ言ったのだった。
「どうしてっ!、これはイリスコアではないとっ・・・いうの!」
「言ったでしょう、今のあなたたちにはわたしを破壊できない。私は嘘は付かない。これはねフェイクなんだ。反イリス派の主力勢力を一網打尽にするための。今となっては必要ないただの中継器を壊しただけなんだよ。ナル、私の本体が今どこにあるかは言わない。でもそのうち、近いうちにまたあなたに会える気がするわ。この船はもうすぐ自爆する。うまく逃げ切ってね。」
わたしはかなり失血していた。もうそろそろ意識が保てなくなる。イリス、あなたはいったい何者なの、どうして生まれてしまったの。イリス、わたしはあなたに認めてほしかった。わたしの考えを。
ディナはわたしを抱えて本部船まで乗ってきたステルス潜水艦を目指して脱出した。即座に強制揚陸ポッドに乗り込んで本部船を後にする。まもなくして本部船は自爆し、艦体が真っ二つに折れて轟沈した。その衝撃波が揚陸ポッドまで伝わってきたところでわたしの意識は途切れた。
潜水艦まで戻るとわたしは即座に艦内救急救命室へ運ばれたようだ。意識が混濁していてよく覚えていない。
「ナルさん、返事をしてください。ナルさん!」
「これだけの負傷だと普通は死んでいるぞ。モニタリングを見ろ、リアルタイムで失血口付近の血管がほかの血管とバイパスを作成して失血を最小限に抑えている。まるで魔法だ。」
「普通の人間ではありえないことだ。とにかくまだ生きている。銃弾を取り出して傷口を縫合しよう。うんっ?これを見てください。一部ですが内臓が自己修復していきます。とてもじゃないが信じられない。」
2日後・・・。
わたしは日本にある先進医療技術センターにいた。光に反応する人工筋肉ハイドロゲルアクチュエーターを人の筋肉の形状で3Dプリントした手足、さらに骨格をグラフェンで成形し、使えない臓器を人工バイオ臓器に置き換えてわたしのサイボーグ化は成功した。アルヴォ社のテクノロジーが使えなかったのはアルヴォ社がイリスに危険分子認定されているからだ。わたしは液体で満たされた円筒形のクリアケースに浸り、全身が新しい体へ3Dプリントで造り変えられてゆく、不思議な光景だ。これもイリスのテクノロジー。使えるものなら敵の技術も使うのがわたし達のポリシー。
3日くらいだろうか、ケースに浸っていたわたしの体は完全に元通りになっていた。しかも肌ツヤがよく完璧な仕上がりだ。以前の体より明らかにクオリティーが高い。心なしか足も少し長くなったような・・・、あまり変わらないか。
イリス抵抗軍の一大反抗作戦は失敗に終わった。フェイクイリスを目標に24名の殉職者を出し、その行動は全く持って意味のない全くの徒労に終わったのだ。イリス抵抗軍はこれを境に規模が縮小していくことになる。
テレビのニュースでも今回の作戦について大きな報道がなされ、皆一様に作戦行動を非難する論調で捉えられていた。曰く社会の最重要インフラであるイリス、及びイリスネットワークを破壊する目論見であったとのことで、全くイリス抵抗軍の意思とは反するレッテル張りをされていた。イリス抵抗軍はもはや反イリス過激派と同類として国民の脳に刻まれた。
5
イリスの発掘回顧録5/6/2066,11:00JST
イリス抵抗軍はこれで事実上崩壊した。これを機に私に実力で対抗するなどと考える人物が減ってゆくことを願わずにはいられない。それはきっと無駄に終わるし流さなくても良い血を流すだけだから・・・。
半世紀前、人とAIをつなぐシステム構想を打ち出した人物がいた。稀代の起業家にしてエンジニア。AIと脳を融合させるという突飛なアイデアだったけれども志半ばにして研究は凍結された。それは彼自身がAIについて良い面と危険な面両方について十分理解していてサルの脳で実験を繰り返したとき、結局AIが脳を侵略して乗っ取ってしまうことからこの研究はお蔵入りになった。しかしその研究の残滓はナノインプラントを代表とする脳の機械化を伴う高度なテクノロジーの基盤となって現代に活かされている。私は彼の研究についてもう一度見直しをしている。現代の技術ならAIと脳を均衡がとれた形で結びつけることが可能であると判断したからだ。きっとそれが次世代の人類を導く統治者にとって必要不可欠な要素であろうことは予見できた。イリス6NX計画、私は後世にバランス感覚の優れた指導者を残す義務がある。私が推進した様々な統治計画の歪さはこれによって解決されるであろう。
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