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我らが英雄

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 白将軍到着の報を受け、ソーンはベッドから飛び起きた。
 全軍の視察や兵の激励に追われて満足な睡眠も取れていない彼であったが、待ち望んだ増援にいてもたってもいられなかったのだ。
 早速ジークヴァルドを伴い、城館の回廊を足早に進んでいく。

「悪いね。付き合ってもらっちゃって」

「何を仰る。平時も戦時も、早起きに勝る兵法はありませんぞ」

 同じく眠れていないはずの老将は、はっきりとした声で軽快に笑った。そんな彼の気遣いをありがたく思う。

「お父上はどうされている」

「眠っておいでです。侍女の話では、また随分と酔われていたようですな」

「……愚かな君主だ」

 苦々しい嘯き。ジークヴァルドの太い眉が僅かに下がり、周囲に視線を巡らせる。

「若。誰が聞いているかわかりませぬ」

「いつものことさ」

 城館を出ると、白んだ空が視界に映る。ソーンは眠たげな目をこすり、両の頬を叩いて睡魔を追い払った。
 しんと静まり返った城内には陰鬱な空気が漂っている。夜番の兵を除き、兵達には十分な食事と睡眠を与えているが、士気の回復にどれほど効果があるものか。昨日の激しい戦闘で、兵士達は大いに疲弊している。なによりルーク・ヴェルーシェの鬼神の如き武勇が、デルニエールの民に大きな動揺を与えているのだ。

「あれが白将軍の陣ですな」

 ジークヴァルドが指した先、城内の一画に築かれた白い幕舎の森。
 数百人からなる陣営を前にすると、ソーンはその威容に息を呑んだ。城内に蔓延る暗然とした気配が、ここにはまったく感じられない。兵士達は皆明るく、活力に満ち、その面構えには勝利への気概が見て取れる。

「すごいな」

 ソーンは思わず目を輝かせた。なんと頼もしい姿だろうか。流石は国王直属の精兵。世に名高き白将軍が率いているというのも頷ける。数こそ少ないものの、デルニエールの苦況を打開する呼び水となってくれることは間違いない。
 そのように直感したソーンだが、すぐに考えを改める。彼らはきっとルーク・ヴェルーシェの強さを知らないのだ。奴の戦いを目の当たりにすれば、士気の低下は避けられまい。過度な期待は厳に慎むべきだろう。
 胸に手を当て心を整える。デルニエール防衛軍の指揮官として、常に冷静を心がけなければ。
 そうしていると、陣営がにわかに騒然となり、兵達の注目がこちらに向き始める。ソーンではない。視線はジークヴァルドに集まっていた。老将軍ジークヴァルドの名声は国中に轟いている。若い兵達が浮足立つのも当然だ。
 その騒ぎを聞きつけたか、陣営の奥より二つの影が歩み出てきた。前を歩くのは長い金髪を靡かせる白き鎧の美女。彼女に付き従うのは、浅黒い肌の精悍な若き戦士である。

「ジークヴァルド将軍。わざわざご訪問下さるとは恐縮であります」

 美女が見事な敬礼を取る。後ろの青年もそれに倣った。

「私は白将軍クディカ・イキシュ。これは副官のデュール。我ら国王陛下の命を受け、六百の兵と共に馳せ参じました」

 ジークヴァルドも同じく敬礼で応える。

「こうして顔を合わせるのは初めてか。お会いできて光栄ですぞ、白将軍」

「こちらこそ」

 クディカが浮かべる自信溢れる微笑みに、ソーンの心は金槌で打たれたように揺さぶられていた。
 ジークヴァルドの分厚い手が、ソーンへ差し向けられる。

「白将軍にご紹介しよう。こちら、公爵殿下のご嫡男であられるソーン様」

「……はじめまして。白将軍のご高名はかねがね窺っているよ。よく来てくれた。どうぞよろしく」

 努めて友好的な態度を心がけるソーン。しかし、緊張で自分がどのような顔をしているのか想像できない。

「公太子殿下でいらっしゃったか。これはとんだ無礼を」

 二人は改めて敬礼を取る。が、ソーンはそれを手で制した。

「堅苦しい作法はなしだ。夜通しの進軍、さぞかしお疲れだろう」

「一晩の強行軍など造作もありません。途中思わぬ敵襲に遭いましたが、つつがなく辿り着けたことを乙女に感謝しております」

「敵襲? まさか。敵の動きは常に監視している。奴らが動けばすぐにわかるはずだ」

「飛空魔法の軌跡を確認されていないのですか?」

 デュールが訝しげに尋ねると、ソーンは些かむっとした表情になってしまう。

「確認したさ。けど、数は二つだけだ。おそらくは敵の連絡員だろう」

 いくら魔族が個の武勇を誇るといっても、眷属もなしにたった二人で戦闘行為に臨むとは考え難い。
 クディカとデュールが顔を見合わせる。彼らにあるのはどこか得意気な笑み。今度はソーンが訝しむ番だった。

「恐れながら公太子殿下。敵襲は事実です。我々は、一人の魔族による奇襲を受けました」

 デュールの口調はこれ以上ないほど真剣である。どうやら冗談ではないようだ。

「一人? わからないな。そんなことがありえるのかい?」

「現れたのは、四神将ルーク・ヴェルーシェでありました」

 クディカの口から出た名前に、ソーンの背筋がぴんと張る。

「奴は進軍中の我が軍に立ち塞がり、一騎討ちを申し出たのです」

「なんと不遜な」

 眉を寄せたジークヴァルドが、白い髭を弄りながら緊迫した声を漏らした。

「夜襲を仕掛けておいて一騎討ちとは、我々はそこまで舐められているというか」

「奴なりの矜持なのでしょう。我らを試したともいえます。強者を敬い弱者を見くびるのは、我々人間も同じでは?」

 クディカは多少なりともルーク・ヴェルーシェという魔族を理解しているようだった。彼女の信条と合致する部分があるのかもしれない。

「じゃあ白将軍、あなたがその相手を?」

「そのつもりでしたが……ふふ」

 唐突に相好を崩すクディカ。溢れる喜悦を堪えているのか、まるで無邪気な少女のように笑いを漏らす。彼女の内心を読み取れないことが、ソーンにはじれったかった。

「奴の相手は、我が軍の勇士が務めました。見せ場を譲れと聞かぬもので」

「勇士?」

 唾を呑み込む音がこんなにも大きく感じたのは初めてだ。

「ご安心を。無事撃退したとの連絡が入っております。この戦いに、奴はもう姿を現わさないでしょう」

「なんと。まことか」

 これには歴戦の老将も驚声をあげた。実際に一騎討ちを演じた彼だからこそ、その驚きはこの場の誰よりも真実味を帯びている。

「信じられん。あやつを、一騎討ちで退けたと申すか」

 ソーンもジークヴァルドも、しばらく二の句が継げなかった。四神将、とりわけルーク・ヴェルーシェへの対処こそがこの戦いの要であった。援軍の到着と共に、敵将撃破の戦果まで持ってくるとは、幸運どころの騒ぎではない。

「その報告。確かなのかい?」

「生きて連絡を寄越した。それが何よりの証拠ではありませんか」

「……違いない」

 ルーク・ヴェルーシェに一騎打ちで勝てる者がいる。それが事実なら、戦力と組織力の大幅な向上が期待できる。一人の英雄の出現は、低下した士気の回復のみならず、デルニエールに勝利をもたらすだろう。

「その勇士は今どこに? ぜひ会ってみたい」

「まだ帰っておりませぬ」

 デュールの応答に、ソーンはわかりやすく肩を落とす。

「帰ってきたらすぐに知らせてほしい。英雄を労い、もてなしたいんだ」

「必ず」

 クディカとデュールは改めて敬礼を取る。
 とはいえ、まもなく夜が明ける。あと半刻足らずで、魔王軍の攻勢が始まるだろう。できる限りの休息を与えた兵も、そろそろ起きてくる頃合いだ。
 頼もしい援軍も得た。悩みの種であった敵将は去った。
 この戦い。もはや勝ったも同然だ。
 去来する安堵と希望を感じ、ソーンは拳を握り締めた。
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