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失ってこそ
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漆黒の鎧。その胸の中心が、粒子となって砕け散る。生まれた亀裂から黒々とした霧が流出し、虚空へと溶けていく。
しくじった。傷は浅い。鎧と肉体の表面をわずかに傷付けただけ。
覚悟はあった。踏み込みも十分に。だが折れた剣ゆえに間合いを見誤った。後の一切を捨てた乾坤一擲の一撃は、虚しくも失敗に終わったのだ。
カイトの体勢が崩れる。
戦いの主導権はルークの手に渡った。彼は大地を踏みしめると、カイトの腕にめり込む大剣を両手で握り締め、重厚な気合と共に容赦なく引き斬った。
飛散する鮮血。切断された左腕が、鈍い音を立て地に落ちる。
カイトの口から、言葉にならない悪態が吐き出された。止めどない出血。耐えがたい喪失感。耳元では死神の足音が響いている。手中にあった唯一の勝機が、左腕ごと奪われた。
「まだまだぁッ!」
それがどうした。カイトはさらに前へと進む。密着するような至近距離で、ほとんど体当たりのように突きを放つ。体が駄目なら頭だ。魔族だろうと弱点に違いない。
対してルークは大剣を巧みに操り、頭部への攻撃を防ごうと試みた。だが、あろうことかカイトの剣筋を読み違える。
左腕を失ったカイトは、自身の身体の重心を見失っていた。今まで通りの動きができず、理に適わない動きとなる。剣筋は乱れに乱れていた。だからこそ、意図せずしてルークの虚を衝いた。
上体をのけ反らせ回避に転じたルークであったが、カイトの剣はそれを許さない。漆黒の兜のこめかみ部分を、ごっそりと削り取っていく。めくれ上がるように開いた兜の亀裂からは、黒々とした魔力の粒子と、鮮やかな赤い血が飛び散った。
「あぁクソッ!」
再び勝機を見出したというのに、またも仕損じた。直撃していれば決着だったはずだ。
だったら次だ。次で決める。黒き瞳の灯は、勝利から遠ざかれば遠ざかるほど、死に近づけば近づくほど、いやましてその輝きを強めていく。
それに呼応するように、ルークの狂気的な哄笑が鼓膜を震わせた。
「この痛み! この恐怖! 感じるぞカイト! 俺は……生きているッ!」
「うるせぇッ!」
粗雑に振り下ろされた大剣を、折れた刃で受け止める。片腕を失った状態では鍔競りを維持できない。力比べはもう終わり。ここからは根性の勝負だ。
カイトはほとんど喚くような大声で、がむしゃらに剣を振り回す。体力が続く限り、意識がある限り、もう止まるつもりはない。
だが、聞こえてきたのはリーティアの悲痛な叫びだった。
「カイトさん! もう十分です! もうやめて!」
拮抗している今なら、まだ退くことができる。勝利は得ずとも、命を失わなくて済む。カイトは英雄だ。王国にとってなくてはならない存在。真の意味でそれを知るのは、ただリーティアのみ。だから止めたのだ。彼をここで死なせるわけにはいかないと。
「冗談! ここまで来て、引き下がれるかよッ!」
すでにカイトは聞く耳を持たない。彼もルーク同様、命を賭けた戦いに酔い潰れている。否、そうではない。リーティアより与えられた偉大な力と、その力を存分に振るう自分に酔っているのだ。最強の敵と互角に切り結び、英雄の役目を果たす。今だけは、思い描く理想の自分でいられる気がする。
断続する剣戟の響き。両者は雄叫びをあげ、互いに死を押し付け合う。
どちらかが死ぬまで終わることはない。いつしかそんな認識が、二人の間に暗黙の了解として横たわっていた。
だが、終幕は期せずして訪れる。
宵闇の上空から黒い火球が一閃。カイト目掛けて飛来した。
リーティアが瞠目する。伏兵。攻撃魔法。反応は間に合わない。カイトは攻撃魔法に対してあまりにも無力だ。かすっただけで、致命傷は免れない。
「カイトさん!」
リーティアは脇目も振らず駆け出していた。無意味と知りつつも、そうせずにはいられなかった。
無情にも、黒い火炎は一騎討ちの間に割って入る。眼前の敵に全神経を注ぐカイトが、よもや避けられるはずもない。
直撃。爆炎が膨張し、ルークとカイトを包み込む。
カイトの視界を埋め尽くす黒。何が起こったか理解できなかった。皮膚が焼かれるような痛みを覚え、反射的に顔を覆う。
おかしい。なんとなく状況を推測できたカイトは、自分が受けたダメージの小ささに疑念を抱いた。本来なら今頃消し炭になっているはずだ。魔族の攻撃魔法を受けて原型を保っていられるわけがない。ところが事実、魔法から散ったマナの影響をわずかに浴びるだけに留まっている。
「戦士の戦いに――」
ルークが吼える。
「――水を差すなシェリンッ!」
煤けた鎧の後背が、カイトの盾になっていた。
気合で爆炎を吹き飛ばしたルークは、攻撃魔法が飛来した上方を仰ぎ見る。その視線の先を、カイトも思わず追いかけた。
煌めく月を背に、白金の長髪を揺らす美女が宙に佇んでいる。その顔は無表情のようにも、あるいは激怒しているようにも見えた。
「こんの――」
カイトが考える間もなく、美女は一直線にルークへと急降下し、
「――バカーッ!」
罅割れた兜に全身全霊の膝蹴りを叩きこんだ。
耳を貫くような鈍い打撃音。ルークの巨体がぐらりと傾く。衝撃の余波がカイトにたたらを踏ませた。
シェリンと呼ばれた妙齢の美女は、転倒したルークの上に馬乗りになると、その胸倉を強かに掴み上げた。
「バッカじゃないの! 戦士とか決闘とか! 死んじゃったら、何の意味もないでしょーが!」
美しい白金の髪を振り乱して、シェリンは力強く訴える。
「こんなところであなたが死んだら、アーシィの想いはどうなるの! ネキュレーがどうしてあの人の死を受け入れないといけなかったか……まさか忘れたなんて言わないでしょうね!」
理性ある激昂であった。戦に酩酊していたルークの生命が、急速に酔いから醒めていく。
「シェリン……俺は」
自身よりはるかに小さな女に組み伏せられるルークを前に、カイトは呆気に取られるしかなかった。
しくじった。傷は浅い。鎧と肉体の表面をわずかに傷付けただけ。
覚悟はあった。踏み込みも十分に。だが折れた剣ゆえに間合いを見誤った。後の一切を捨てた乾坤一擲の一撃は、虚しくも失敗に終わったのだ。
カイトの体勢が崩れる。
戦いの主導権はルークの手に渡った。彼は大地を踏みしめると、カイトの腕にめり込む大剣を両手で握り締め、重厚な気合と共に容赦なく引き斬った。
飛散する鮮血。切断された左腕が、鈍い音を立て地に落ちる。
カイトの口から、言葉にならない悪態が吐き出された。止めどない出血。耐えがたい喪失感。耳元では死神の足音が響いている。手中にあった唯一の勝機が、左腕ごと奪われた。
「まだまだぁッ!」
それがどうした。カイトはさらに前へと進む。密着するような至近距離で、ほとんど体当たりのように突きを放つ。体が駄目なら頭だ。魔族だろうと弱点に違いない。
対してルークは大剣を巧みに操り、頭部への攻撃を防ごうと試みた。だが、あろうことかカイトの剣筋を読み違える。
左腕を失ったカイトは、自身の身体の重心を見失っていた。今まで通りの動きができず、理に適わない動きとなる。剣筋は乱れに乱れていた。だからこそ、意図せずしてルークの虚を衝いた。
上体をのけ反らせ回避に転じたルークであったが、カイトの剣はそれを許さない。漆黒の兜のこめかみ部分を、ごっそりと削り取っていく。めくれ上がるように開いた兜の亀裂からは、黒々とした魔力の粒子と、鮮やかな赤い血が飛び散った。
「あぁクソッ!」
再び勝機を見出したというのに、またも仕損じた。直撃していれば決着だったはずだ。
だったら次だ。次で決める。黒き瞳の灯は、勝利から遠ざかれば遠ざかるほど、死に近づけば近づくほど、いやましてその輝きを強めていく。
それに呼応するように、ルークの狂気的な哄笑が鼓膜を震わせた。
「この痛み! この恐怖! 感じるぞカイト! 俺は……生きているッ!」
「うるせぇッ!」
粗雑に振り下ろされた大剣を、折れた刃で受け止める。片腕を失った状態では鍔競りを維持できない。力比べはもう終わり。ここからは根性の勝負だ。
カイトはほとんど喚くような大声で、がむしゃらに剣を振り回す。体力が続く限り、意識がある限り、もう止まるつもりはない。
だが、聞こえてきたのはリーティアの悲痛な叫びだった。
「カイトさん! もう十分です! もうやめて!」
拮抗している今なら、まだ退くことができる。勝利は得ずとも、命を失わなくて済む。カイトは英雄だ。王国にとってなくてはならない存在。真の意味でそれを知るのは、ただリーティアのみ。だから止めたのだ。彼をここで死なせるわけにはいかないと。
「冗談! ここまで来て、引き下がれるかよッ!」
すでにカイトは聞く耳を持たない。彼もルーク同様、命を賭けた戦いに酔い潰れている。否、そうではない。リーティアより与えられた偉大な力と、その力を存分に振るう自分に酔っているのだ。最強の敵と互角に切り結び、英雄の役目を果たす。今だけは、思い描く理想の自分でいられる気がする。
断続する剣戟の響き。両者は雄叫びをあげ、互いに死を押し付け合う。
どちらかが死ぬまで終わることはない。いつしかそんな認識が、二人の間に暗黙の了解として横たわっていた。
だが、終幕は期せずして訪れる。
宵闇の上空から黒い火球が一閃。カイト目掛けて飛来した。
リーティアが瞠目する。伏兵。攻撃魔法。反応は間に合わない。カイトは攻撃魔法に対してあまりにも無力だ。かすっただけで、致命傷は免れない。
「カイトさん!」
リーティアは脇目も振らず駆け出していた。無意味と知りつつも、そうせずにはいられなかった。
無情にも、黒い火炎は一騎討ちの間に割って入る。眼前の敵に全神経を注ぐカイトが、よもや避けられるはずもない。
直撃。爆炎が膨張し、ルークとカイトを包み込む。
カイトの視界を埋め尽くす黒。何が起こったか理解できなかった。皮膚が焼かれるような痛みを覚え、反射的に顔を覆う。
おかしい。なんとなく状況を推測できたカイトは、自分が受けたダメージの小ささに疑念を抱いた。本来なら今頃消し炭になっているはずだ。魔族の攻撃魔法を受けて原型を保っていられるわけがない。ところが事実、魔法から散ったマナの影響をわずかに浴びるだけに留まっている。
「戦士の戦いに――」
ルークが吼える。
「――水を差すなシェリンッ!」
煤けた鎧の後背が、カイトの盾になっていた。
気合で爆炎を吹き飛ばしたルークは、攻撃魔法が飛来した上方を仰ぎ見る。その視線の先を、カイトも思わず追いかけた。
煌めく月を背に、白金の長髪を揺らす美女が宙に佇んでいる。その顔は無表情のようにも、あるいは激怒しているようにも見えた。
「こんの――」
カイトが考える間もなく、美女は一直線にルークへと急降下し、
「――バカーッ!」
罅割れた兜に全身全霊の膝蹴りを叩きこんだ。
耳を貫くような鈍い打撃音。ルークの巨体がぐらりと傾く。衝撃の余波がカイトにたたらを踏ませた。
シェリンと呼ばれた妙齢の美女は、転倒したルークの上に馬乗りになると、その胸倉を強かに掴み上げた。
「バッカじゃないの! 戦士とか決闘とか! 死んじゃったら、何の意味もないでしょーが!」
美しい白金の髪を振り乱して、シェリンは力強く訴える。
「こんなところであなたが死んだら、アーシィの想いはどうなるの! ネキュレーがどうしてあの人の死を受け入れないといけなかったか……まさか忘れたなんて言わないでしょうね!」
理性ある激昂であった。戦に酩酊していたルークの生命が、急速に酔いから醒めていく。
「シェリン……俺は」
自身よりはるかに小さな女に組み伏せられるルークを前に、カイトは呆気に取られるしかなかった。
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