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ジェルドの神話

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「あの……」

 そこでオルタンシアが控えめに手を挙げた。

「この村のみなさんが、種馬さまをご存じなのはわかりました……伝説に謳われる救世神。でも、自分のことを聖母だと知っているのは、どうしてなんですか? 自分が、聖母だって言われ始めたのは……アナベルが生まれてからなのに」

 たしかにそうだ。
 アルドリーゼが持っていた石板には、聖母なんてワードは一つも出てこなかった。
 儚げなオルタンシアの表情を見て、ソロモンはふと目元を緩めた。

「それはね、簡単な話。石板は一つじゃないからなの」

 ほう。

「この奥」

 ソロモンは教会の演壇を見上げる。そこには、鎖で厳重に施錠された小さな扉があった。

「あそこに、もう一つの石碑が立ってるわ。聖母についての予言が刻まれてる。オルタンシアという名前と一緒にね」

 そういうことか。
 たしかに、予言が書かれた石板が一つだけというのも不自然だ。あるいは、もともと一つだったものが割れたって可能性もある。なにせ千年も昔からあるものだからな。

「救世神と聖母の伝説は、二つで一つだったってことか」

 あの予言が未来で書かれ、そして過去に送られたものだとすれば、頷ける話だ。
 どうしてこの村の人達が救世神と聖母を知っているのかはこれでわかった。
 だが、もう一つわからないことがある。

「この村の人達は、どうして救世神と聖母を待っていたんだ」

 俺の質問に、ソロモンは一息置いてから答える。

「……今、世界は死に瀕してる。とりわけマッサ・ニャラブはグランオーリスに近い土地でしょう? 瘴気の影響は特にひどい。それに加え、戦争、飢餓、疫病。この世の不幸が蔓延してる。そんな状況で、無力な人達が望むことは?」

「神は人を救わない」

「別に神じゃなくてもいいのよ。英雄。救世主。奇跡。呼び方はなんだっていい。絶望した人々は、降って湧く救いに身を委ねたくなるものでしょう」

「だから俺に縋るって? そんなもん――」

「間違ってる? 愚かしい他力本願?」

「……そうだ」

「そう言われて納得できるのは、あなたみたいに強い人だけよ」

 ソロモンはどことなく切なそうに、俺を見つめる。

「キミは、どうして俺達をここに連れてきた。この村の人達を救いたいのか?」

「そうとも言えるわ」

「別の言い方が?」

 俺の真剣な質問に、ソロモンも深刻なまなざしと声色で答えた。

「この世界と、この世界に生きる人たちを助けたいの。あたしがここにやってきた理由は、それだけよ」

 世界と、人々を救う。
 それは奇しくも、俺の目的と合致していた。

「あなた達と力を合わせればそれができる。ううん、そうじゃないわね。世界を救うお手伝いがしたいの」

 ソロモンの言葉はどこまでも真摯であり、嘘偽りを口にしているようには思えない。
 これは紛れもなく、彼女の本心だろう。

「わかった。そういうことなら大歓迎だ。だが、もう一つだけ教えてくれ。キミは俺達が今夜国境を越えることを知っていたな? 正確な時間や地点もだ。俺の仲間しか知らないはずの情報を、なぜジェルドの兵士であるキミが知ってる?」

「それは……」

 ソロモンは気まずそうに視線を逸らす。
 さすが俺。核心に触れてしまったようだ。
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