上 下
58 / 74

再会

しおりを挟む
 高い建物に挟まれた暗い路地の片隅。セスは壁に背を預けたまま力なく座り込んでいた。すでに夜が訪れ、空には星が輝いている。
 数えきれないほどの傷を負った。浅い深いを問わず全身に及んでいる。肩。腰。腕。脚。見事に傷だらけ。多くの血を失い、呼吸は整わず、身体は虚脱感に苛まれていた。
 追撃の手を振り切り、朦朧とした意識を繋ぎ止め、弱った体を引きずってこの場に辿りついた。敵や住民から身を隠す必要があるのだ。家々から覗くパマルティスの住民達は残党軍に協力的である。
 残党軍は予想をはるかに超えて精強であった。真紅の魔力は凡夫に豪傑の力を与え、英雄の如く勇壮な精神力をもたらしている。

「痛ってぇ……」

 セスは深い息を吐く。痛くて、苦しくて、堪らない。表情は自ずと歪んでしまう。いっそのこと気を失ってしまいたい。そうすれば、楽になる。
 全身の傷と失血、加えて激しい戦闘による肉体の疲労で、セスは満足に歩くことさえできない状態だった。簡単な止血など応急処置は施したが、死に瀕していることに変わりはない。鮮血で赤く染まった手では、剣を握るのもやっとだった。
 こんなことでは、シルキィを救出しに行くなど夢のまた夢だ。

「弱いな……俺は。こんなことじゃ、お前のご主人も失望するだろうな」

 自虐的な言葉は、物言わぬ魔導馬に向けられたものだった。生物の形をしていても、それはただ命令に従うだけの道具である。期待した慰めの反応が返ってくることはない。
 座り込むべきではなかった。平衡感覚は徐々に曖昧になり、意識が薄れていく。気力は失われ、今や思考も混濁している。

「見つけた」

 故にセスが剣を振るったのはもはや反射であった。何を言っているかとか、誰の声なのかとか、そんなことに気付く間もなく、体が自ずと剣を放つ。

「相変わらずの、おバカさんだね」

 セスの意識は、瞬時に明晰さを取り戻した。
 突きつけた剣の先には少女の微笑。紫がかった古風な髪と、眠たげな金の瞳。薄い唇に浮かんだ笑みは、懐かしい記憶を蘇らせる。

「あなたはいつも傷だらけ」

 乱れた息が一瞬止まった。闇夜に佇む少女はどこか蠱惑的だ。袖のない服から伸びる白い腕も、スリットから覗くしなやか脚線も、細身の衣装に浮かぶ豊かな胸の膨らみも、間違いなく一つ一つは十代半ばの少女のものであるはずなのに、その全てに魔性を湛えている。微笑みは無垢だが、その奥には煮詰まった濃密な感情が見え隠れしていた。

「イライザ」

 微笑の瞳に涙が滲み、零れた。イライザは突きつけられた剣など意に介さず、セスの胸に飛び込む。そうして、強引に唇を重ね合わせた。
 セスは驚きの中で瞠目し、何度も瞬きを繰り返した。乾いた唇に感じる柔らかな温かさは、張り詰めた神経に安らぎを運ぶ。この瞬間ばかりは、傷の痛みも忘れていた。
 のしかかるようにして口づけをするイライザを振りほどくことは出来ない。セスは彼女を受け入れ、唇が離れるまで華奢な背中を撫でていた。
 幾ばくか経って彼女は体を退く。白い肌も上等な服も、セスの血で汚れてしまっていた。

「本当に、君なのか」

「忘れたなんて言ったら許さないよ。一生呪う」

 拗ねたような声。膨らんだ白い頬。

「あなたがダプアに帰ってくるのを、ずっとずっと待ってた。きっと私を見つけてくれると思ってた。それなのに……女の子ばかり連れて、私を探してもくれない」

「ごめん……だけど無理もないだろう? こうやって目の前にしても、君が生きているなんて、まだ信じられない」

「キスだけじゃ、足りない?」

 切羽詰まったような細い声で、イライザは壁に手をついた。吐息を感じ、鼻先が触れるほどの距離だ。セスは落ち着いた鼓動が再び速くなるのを感じて、それでも顔を背けることが出来なかった。

「許してくれって。死にかけてるんだぞ、俺は」

「そんなのいつものことでしょ。もう慣れたよ」

「言ってくれる」

 イライザはセスから離れると、小さな手を差し伸べた。
 その姿が、過去の記憶と重なる。彼女はいつもこうして傷付いた手を引っ張り上げてくれた。辛い時も楽しい時も、隣にいてくれた。そして今もまた、膝を屈しようとする自分を励ましてくれているのだ。
 差し出された手を取る。剣を杖にして、イライザの力を借りてようやく立ち上がった。

「ミス・シエラは、大聖堂の地下倉庫に捕まってる。チャンスがあれば私が助けるから」

「そのチャンスを作ればいいんだな」

 イライザは首肯する。

「ウィンス・ケイルレスは稀代の英雄だ。そう甘くない」

 セスの背中がぱしんと叩かれた。軽い衝撃が全身に響いて思わず眉を寄せる。

「弱音を吐かない。あの時に比べたら、なんでもないでしょ。ね?」

「わかった。わかったよ」

 相変わらずイライザは厳しい。満身創痍なのだから、少しは甘やかしてくれてもいいだろうに。そう思う反面、それが信頼の裏返しであることを、セスはよく分かっていた。

「どの時のことか。心当たりがありすぎてわからないけど」

「全部だよ。ぜんぶ」

 信じるということは難しい。何を信じ、何を信じないかを判断するのも容易ではない。そしてイライザは、セスの勝利だけは疑いようもなく確信していた。

「大丈夫。あなたなら、きっとできる。なんでもできる」

 向けられる信頼は時に重荷にもなろう。だがセスには、その重さを前に進むための活力とする強さがあった。希望とは、信じることから生まれるものだ。

「まるで女房だな」

「私はずっとそのつもりだよ?」

 セスの軽口に、イライザは微笑みで答えた。誰かが傍にいてくれるだけでこんなにも心強いとは。こみ上げる喜びを噛み締める。
 イライザに支えられ、路地裏をゆっくりと歩いていく。通りに兵の足音はない。様子を窺って、路地裏を出る。

「急ごう」

 セスは魔導馬に跨ると、イライザに手を差し出す。
 彼女の目をじっと見つめる。長い時を経ても、金色の瞳は何も変わっていない。
 イライザは頷き、セスの手を取った。魔導馬に跨り、セスの腰に腕を回す。
 魔導馬が大地を蹴る。大聖堂を目指し、街を走り抜けた。

「懐かしいね、この感じ」

 感極まった声が、セスの耳朶を打った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界転移したら、死んだはずの妹が敵国の将軍に転生していた件

有沢天水
ファンタジー
立花烈はある日、不思議な鏡と出会う。鏡の中には死んだはずの妹によく似た少女が写っていた。烈が鏡に手を触れると、閃光に包まれ、気を失ってしまう。烈が目を覚ますと、そこは自分の知らない世界であった。困惑する烈が辺りを散策すると、多数の屈強な男に囲まれる一人の少女と出会う。烈は助けようとするが、その少女は瞬く間に屈強な男たちを倒してしまった。唖然とする烈に少女はにやっと笑う。彼の目に真っ赤に燃える赤髪と、金色に光る瞳を灼き付けて。王国の存亡を左右する少年と少女の物語はここから始まった!

異世界で穴掘ってます!

KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語

RiCE CAkE ODySSEy

心絵マシテ
ファンタジー
月舘萌知には、決して誰にも知られてならない秘密がある。 それは、魔術師の家系生まれであることと魔力を有する身でありながらも魔術師としての才覚がまったくないという、ちょっぴり残念な秘密。 特別な事情もあいまって学生生活という日常すらどこか危うく、周囲との交友関係を上手くきずけない。 そんな日々を悶々と過ごす彼女だが、ある事がきっかけで窮地に立たされてしまう。 間一髪のところで救ってくれたのは、現役の学生アイドルであり憧れのクラスメイト、小鳩篠。 そのことで夢見心地になる萌知に篠は自身の正体を打ち明かす。 【魔道具の天秤を使い、この世界の裏に存在する隠世に行って欲しい】 そう、仄めかす篠に萌知は首を横に振るう。 しかし、一度動きだした運命の輪は止まらず、篠を守ろうとした彼女は凶弾に倒れてしまう。 起動した天秤の力により隠世に飛ばされ、記憶の大半を失ってしまった萌知。 右も左も分からない絶望的な状況化であるも突如、魔法の開花に至る。 魔術師としてではなく魔導士としての覚醒。 記憶と帰路を探す為、少女の旅程冒険譚が今、開幕する。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

引きこもり転生エルフ、仕方なく旅に出る

Greis
ファンタジー
旧題:引きこもり転生エルフ、強制的に旅に出される ・2021/10/29 第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞 こちらの賞をアルファポリス様から頂く事が出来ました。 実家暮らし、25歳のぽっちゃり会社員の俺は、日ごろの不摂生がたたり、読書中に死亡。転生先は、剣と魔法の世界の一種族、エルフだ。一分一秒も無駄にできない前世に比べると、だいぶのんびりしている今世の生活の方が、自分に合っていた。次第に、兄や姉、友人などが、見分のために外に出ていくのを見送る俺を、心配しだす両親や師匠たち。そしてついに、(強制的に)旅に出ることになりました。 ※のんびり進むので、戦闘に関しては、話数が進んでからになりますので、ご注意ください。

男装の皇族姫

shishamo346
ファンタジー
辺境の食糧庫と呼ばれる領地の領主の息子として誕生したアーサーは、実の父、平民の義母、腹違いの義兄と義妹に嫌われていた。 領地では、妖精憑きを嫌う文化があるため、妖精憑きに愛されるアーサーは、領地民からも嫌われていた。 しかし、領地の借金返済のために、アーサーの母は持参金をもって嫁ぎ、アーサーを次期領主とすることを母の生家である男爵家と契約で約束させられていた。 だが、誕生したアーサーは女の子であった。帝国では、跡継ぎは男のみ。そのため、アーサーは男として育てられた。 そして、十年に一度、王都で行われる舞踏会で、アーサーの復讐劇が始まることとなる。 なろうで妖精憑きシリーズの一つとして書いていたものをこちらで投稿しました。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

【完結】異世界転移した私がドラゴンの魔女と呼ばれるまでの話

yuzuku
ファンタジー
ベランダから落ちて死んだ私は知らない森にいた。 知らない生物、知らない植物、知らない言語。 何もかもを失った私が唯一見つけた希望の光、それはドラゴンだった。 臆病で自信もないどこにでもいるような平凡な私は、そのドラゴンとの出会いで次第に変わっていく。 いや、変わらなければならない。 ほんの少しの勇気を持った女性と青いドラゴンが冒険する異世界ファンタジー。 彼女は後にこう呼ばれることになる。 「ドラゴンの魔女」と。 ※この物語はフィクションです。 実在の人物・団体とは一切関係ありません。

処理中です...