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ウィンス・ケイルレス 2/2
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「帝国貴族を人質に使うか。いよいよなりふり構わなくなってきたな、ウィンス王子」
フェルメルトの声には僅かに険があった。
「気に入らないか? 貴公の騎士道に悖る行為だものな」
「今更そんなことを言うつもりはない」
ワイングラスを一気に空にして、ウィンスは幾分真剣な面持ちで肘をついた。
「真っ向から相対して勝てぬのならば、絡め手を用いるまで。侵略狂いの帝国とて、身内は大事だろう」
「やり方にはこだわらん。我々は金が手に入ればそれでいい」
「なによりだ」
ウィンスは一つ頷くと、物憂げな視線を岩肌の壁に彷徨わせる。
「しかし、ラ・シエラか。アシュテネのことを思えば……因果なものだな」
結果を見れば、士気旺盛のエーランドも、精強な騎士団を擁するアルシーラも、帝国の圧倒的な軍事力の前には為す術もなかったと言える。
だが、アシュテネはそうではない。緒戦は善戦し、最後の最後まで激しい抵抗を続けた。
「アシュテネは我らの希望だった。敗色濃厚な戦いの中で士気を保てていたのも、アシュテネの奮戦を聞けばこそだった」
ウィンスの言葉に、フェルメルトも同意する。
「うむ。俺も一人の剣士として、かの王を尊敬していた」
長い大陸の歴史において至高の名を冠するは虹の魔力。ひとたび剣に纏えば、その一振りは山を砕き海を割り、二振りすれば天を裂き大地を覆したという。アシュテネが虹の国と呼ばれる所以である。
「アシュテネ陥落の報を聞いた時、既に私は残党などと呼ばれていた。アシュテネの生き残り達と共に祖国奪還の道を歩むことを切に願ったものだが」
激戦の反動だろうか、降服後ヘネレア領と名を変えてからは、アシュテネの民は静かに帝国の支配を受け入れていた。アシュテネの将兵は黙して語らず、武器を捨て侵略者に恭順した。
「王子ローウェンが生きてさえいれば、アシュテネの空に再び虹が架かっていたであろうに。まったくもって、惜しい」
ウィンスは溜息交じりに本心を吐露する。フェルメルトが首肯で応えた。
「王がいない国など死んだも同然。王子のあなたが生きていることには、エーランドにとって大きな意味がある」
「ああ。だが、祖国の王位を継ぐ者が私だけと知った時の落胆は忘れられん」
その失望が今日のウィンスの力の源となったというのは、なんとも皮肉な話である。
ウィンスは傍らの伝令に視線を向けた。
「思い出に浸るのはここまでにしよう。ラ・シエラの娘はいつ届く?」
「それが……ダプアまで引き取りに来て頂きたいなどと申しております」
「ハッ。一介の商人風情に呼び出されるとは。エーランド王太子も落ちぶれたものだ」
自虐の言葉を、さも他人事のように口にする。その声に悲哀の響きは露ほどもない。
「よかろう。どれほどの価値があるか知らぬが、行って損をするということはあるまい」
ウィンスは勢いよく立ち上がると、大きく手を掲げた。
「さあ、準備に取り掛かかるぞ!」
即座に、周囲の兵達が洞穴の外へと一挙に動き始める。
出口で番を張る兵士が、ウィンスに一礼した。
「殿下。例の害獣が現れたようです。近くで声を聞いた者が」
「この辺りはあらかた狩り尽くしたと思っていたが、まだ残っていたか」
「いかがなされますか」
ウィンスが答えるより早く、夜の山岳に甲高い咆哮が重なり、響き渡った。
その場の全員が揃って空を見上げる。そこには月も星もない。巨大な影が二つ。高く長い跳躍をしてきたのだろう。頭上から二匹のコヴァルドが、音もなく軽やかに、しかし獰猛な怒りを露わにして、彼らの前に降り立った。
エーランド残党がこの場所を拠点として数か月。住処を追われたコヴァルド達は、遠方へ逃れるか、立ち向かうかの選択を強いられた。現れた二匹は、一帯に留まらんとするコヴァルドの群、その最後の生き残りである。
「懲りんものよな。けだものとは」
涎に濡れた牙と血走った瞳を剥き出しにするコヴァルドに、周囲の兵士達が臨戦態勢を取る。周囲に殺気が満ち、痛々しいほどに空気が張り詰める。
コヴァルドが、一際激しく吠えた。
――来る。そう直感した兵士らの武器が振るわれることは、ついぞなかった。
咆哮したままの姿勢、表情のまま、コヴァルドの頭部がずるりと下がったのだ。
一歩踏み込んだウィンスの剣が、一刀のもとにコヴァルドの首を刈り取っていた。
深紅の魔力を纏った彼の一撃は、コヴァルドを斬り捨てるのみならず、飛翔した余波が遠く彼方の山まで届き、直撃した。木々は爆散し、大地は抉られ、粉塵の晴れた後には巨大きな穴が穿たれていた。
「アシュテネ王のようにはいかんか」
剣を一振りし、ウィンスは剣を納める。彼がもう一匹のコヴァルドに向いた時には、すでに勝敗は決していた。
フェルメルトの放った斬撃が、コヴァルドの胴体を縦に両断していた。ちょうど身体を左右に分断された形である。断面を晒した死骸から臓物が零れ落ち、夥しい鮮血を豪雨のように降らせて絶命した。
「アルシーラの剣。見事なものだな。あの巨体を真っ二つか」
「造作もない。あなたとてそうだろう」
「むろん私も剣には自信があるが、貴公ほどではないさ」
フェルメルトの剣には、一滴の血すら付着していなかった。彼の剣が神速であることの証左である。
「頼もしい限りだよ。仮にアシュテネ王が居なければ、貴公が当代最強の名を冠していただろうに」
「大袈裟だ」
ウィンスの手離しの称賛に、フェルメルトは感慨なく首を振った。
魔力を有する剣士。その力は、持たざる者を遥かに凌駕する。
周到に準備を重ねた数十人の精鋭が、綿密な作戦を立てて相手取る魔獣コヴァルド。それをたった一太刀で打倒する実力は、言葉通り常人離れしていると言えよう。
「さぁ、参ろうか」
落ちたコヴァルドの頭部を足蹴にして、ウィンスは力ある声を張り上げた。
「必ず、我らが故郷を取り戻すぞ! 悲願成就までもう間もなくだ!」
夜の山に、エーランドの男達の雄々しい声が爆発した。
奪われた土地と、民と、矜持を奪還する。
強い笑みは、彼の決意と愛国心ゆえに。
フェルメルトの声には僅かに険があった。
「気に入らないか? 貴公の騎士道に悖る行為だものな」
「今更そんなことを言うつもりはない」
ワイングラスを一気に空にして、ウィンスは幾分真剣な面持ちで肘をついた。
「真っ向から相対して勝てぬのならば、絡め手を用いるまで。侵略狂いの帝国とて、身内は大事だろう」
「やり方にはこだわらん。我々は金が手に入ればそれでいい」
「なによりだ」
ウィンスは一つ頷くと、物憂げな視線を岩肌の壁に彷徨わせる。
「しかし、ラ・シエラか。アシュテネのことを思えば……因果なものだな」
結果を見れば、士気旺盛のエーランドも、精強な騎士団を擁するアルシーラも、帝国の圧倒的な軍事力の前には為す術もなかったと言える。
だが、アシュテネはそうではない。緒戦は善戦し、最後の最後まで激しい抵抗を続けた。
「アシュテネは我らの希望だった。敗色濃厚な戦いの中で士気を保てていたのも、アシュテネの奮戦を聞けばこそだった」
ウィンスの言葉に、フェルメルトも同意する。
「うむ。俺も一人の剣士として、かの王を尊敬していた」
長い大陸の歴史において至高の名を冠するは虹の魔力。ひとたび剣に纏えば、その一振りは山を砕き海を割り、二振りすれば天を裂き大地を覆したという。アシュテネが虹の国と呼ばれる所以である。
「アシュテネ陥落の報を聞いた時、既に私は残党などと呼ばれていた。アシュテネの生き残り達と共に祖国奪還の道を歩むことを切に願ったものだが」
激戦の反動だろうか、降服後ヘネレア領と名を変えてからは、アシュテネの民は静かに帝国の支配を受け入れていた。アシュテネの将兵は黙して語らず、武器を捨て侵略者に恭順した。
「王子ローウェンが生きてさえいれば、アシュテネの空に再び虹が架かっていたであろうに。まったくもって、惜しい」
ウィンスは溜息交じりに本心を吐露する。フェルメルトが首肯で応えた。
「王がいない国など死んだも同然。王子のあなたが生きていることには、エーランドにとって大きな意味がある」
「ああ。だが、祖国の王位を継ぐ者が私だけと知った時の落胆は忘れられん」
その失望が今日のウィンスの力の源となったというのは、なんとも皮肉な話である。
ウィンスは傍らの伝令に視線を向けた。
「思い出に浸るのはここまでにしよう。ラ・シエラの娘はいつ届く?」
「それが……ダプアまで引き取りに来て頂きたいなどと申しております」
「ハッ。一介の商人風情に呼び出されるとは。エーランド王太子も落ちぶれたものだ」
自虐の言葉を、さも他人事のように口にする。その声に悲哀の響きは露ほどもない。
「よかろう。どれほどの価値があるか知らぬが、行って損をするということはあるまい」
ウィンスは勢いよく立ち上がると、大きく手を掲げた。
「さあ、準備に取り掛かかるぞ!」
即座に、周囲の兵達が洞穴の外へと一挙に動き始める。
出口で番を張る兵士が、ウィンスに一礼した。
「殿下。例の害獣が現れたようです。近くで声を聞いた者が」
「この辺りはあらかた狩り尽くしたと思っていたが、まだ残っていたか」
「いかがなされますか」
ウィンスが答えるより早く、夜の山岳に甲高い咆哮が重なり、響き渡った。
その場の全員が揃って空を見上げる。そこには月も星もない。巨大な影が二つ。高く長い跳躍をしてきたのだろう。頭上から二匹のコヴァルドが、音もなく軽やかに、しかし獰猛な怒りを露わにして、彼らの前に降り立った。
エーランド残党がこの場所を拠点として数か月。住処を追われたコヴァルド達は、遠方へ逃れるか、立ち向かうかの選択を強いられた。現れた二匹は、一帯に留まらんとするコヴァルドの群、その最後の生き残りである。
「懲りんものよな。けだものとは」
涎に濡れた牙と血走った瞳を剥き出しにするコヴァルドに、周囲の兵士達が臨戦態勢を取る。周囲に殺気が満ち、痛々しいほどに空気が張り詰める。
コヴァルドが、一際激しく吠えた。
――来る。そう直感した兵士らの武器が振るわれることは、ついぞなかった。
咆哮したままの姿勢、表情のまま、コヴァルドの頭部がずるりと下がったのだ。
一歩踏み込んだウィンスの剣が、一刀のもとにコヴァルドの首を刈り取っていた。
深紅の魔力を纏った彼の一撃は、コヴァルドを斬り捨てるのみならず、飛翔した余波が遠く彼方の山まで届き、直撃した。木々は爆散し、大地は抉られ、粉塵の晴れた後には巨大きな穴が穿たれていた。
「アシュテネ王のようにはいかんか」
剣を一振りし、ウィンスは剣を納める。彼がもう一匹のコヴァルドに向いた時には、すでに勝敗は決していた。
フェルメルトの放った斬撃が、コヴァルドの胴体を縦に両断していた。ちょうど身体を左右に分断された形である。断面を晒した死骸から臓物が零れ落ち、夥しい鮮血を豪雨のように降らせて絶命した。
「アルシーラの剣。見事なものだな。あの巨体を真っ二つか」
「造作もない。あなたとてそうだろう」
「むろん私も剣には自信があるが、貴公ほどではないさ」
フェルメルトの剣には、一滴の血すら付着していなかった。彼の剣が神速であることの証左である。
「頼もしい限りだよ。仮にアシュテネ王が居なければ、貴公が当代最強の名を冠していただろうに」
「大袈裟だ」
ウィンスの手離しの称賛に、フェルメルトは感慨なく首を振った。
魔力を有する剣士。その力は、持たざる者を遥かに凌駕する。
周到に準備を重ねた数十人の精鋭が、綿密な作戦を立てて相手取る魔獣コヴァルド。それをたった一太刀で打倒する実力は、言葉通り常人離れしていると言えよう。
「さぁ、参ろうか」
落ちたコヴァルドの頭部を足蹴にして、ウィンスは力ある声を張り上げた。
「必ず、我らが故郷を取り戻すぞ! 悲願成就までもう間もなくだ!」
夜の山に、エーランドの男達の雄々しい声が爆発した。
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