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本編
10-2
しおりを挟む建国祭の賑わいの中、すでに孤児院の出店はオープンしていて、子どもたちや職員が温かく出迎えてくれた。
「えー!この人がメルヴィーナさまのだんなさん~!?」
「やややめなさいこちらのお方は侯爵家のシルヴェスター・リッチモンド様でおまえたちが気軽に話しかけていいお方ではないのよ…!」
「だってメルヴィーナさまはいっつもやさしいから…。」
慌てる孤児院の職員をたしなめつつ、「私は良いけど、他の貴族の人に失礼がないように今度練習しましょうね」と子どもたちに向けて膝を折る。
シルヴェスター様はというと、遠慮なく話しかけてくる子どもたちを無言で睨んでいる。しかし私には分かる。一見不機嫌そうに見えるが、あれは戸惑っているのだ。
接し慣れていない無垢な存在に、どんな態度を取ればいいのか測りかねているのだろう。
その証拠に右手で左頬をかいている。
「シルヴェスター様、この出店に並んでいるタペストリーやオーナメントは、全て子どもたちがデザインして刺繍しているんですよ。気に入ったものがあれば買って帰りましょう。」
「この子たちが…。」
言葉は少ないが、その見開いた目は確かに感嘆の意を表していて。
子どもたちにもそれは伝わったようで、気難しそうな貴族から認められたと、目配せして顔を綻ばせている。
夫は秋らしい山吹色の生地に複雑な紋様が刺繍されたタペストリーを選んでいた。彼の落ち着いた私室によく合うと思う。
「あー!ラルフレートさまだー!」
子どもたちが沸き立ち、視線の先には遠慮げに佇むラルフ。
「…シルヴェスター様、夫人も。いらしていたんですね。」
胸に手を当て丁寧に腰を折るラルフは、数週間前、テラスで最後に会ったときと変わっていないように見える。
あれから一度も会わず、孤児院の武術指導の担当が交代すると書状を受け取って、今日だ。
「子どもたちに挨拶をしないままでしたし、非番だったので。」
「ラルフレートさま、どうして来なくなっちゃったの~?」
「会えるのたのしみにしてたのに!」
あっという間に囲まれ、いかに彼がこの1年半子どもたちと真摯に向き合っていてくれたかが分かる。私が任された孤児院の業務が上手くいっていたのも、彼の依るところが大きかったと思う。
ラルフと子どもたちから少し離れたところで、その様子を眺めながらシルヴェースター様が私に問う。
「なぜ彼を担当から外したんだ。」
「さあ、本人の希望としか聞いていません。」
「本人の希望とは?」
「…私には何も。」
彼の思いに応えられない私に、詳しく詮索する権利はない。
でも、仕事をお願いした責任者としてお礼を言えずに任期を終えてしまったことは心残りだった。
「リッチモンド小侯爵閣下、メルヴィーナ夫人、ご紹介したい方が。」
院長に呼ばれ、慌ててラルフから視線を引き剥がした。シルヴェスター様の腕をとり、侯爵夫人の笑顔を貼り付けて支援者や議員らと挨拶を交わしていく。
普段夫は街には来ないから、ここぞとばかりに夫と顔見知りになりたい人が列を成している。
マンスール商会の一件があったせいだろうか。ギルド長や商人らしき姿も散見される。あの一件で中心となっていた夫と懇意になりたい者は大勢いるのだろう。
途切れない列に少々疲れを感じた頃。
「メルヴィーナさま!ぼくたちの刺繍があっちの広間で飾られてるの、ラルフさまと一緒に見に行き…わ!」
孤児院の子どもたちが遠くから叫び、職員に慌てて口を塞がれていた。
なんとも微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。
「皆さま用事があるのはあなたでしょうし、行ってきてもよろしいですか?」
見上げると、夫はぐるっとあたりを見渡してから、遠くから伺っていたラルフに「護衛を。」と告げる。それから私が手を添えていた自身の腕をくいと動かし、行って来いと促した。
相変わらず言葉が少ない。
「では、行って参りますね。」
子どもたちに連れてきてもらった広場には、えんじ色の布に国のシンボルを刺繍された国旗が何枚も連なってオーナメントとして吊るされていた。
「…見事だね。空が国旗で埋め尽くされている。」
ラルフがオーナメントを見上げて呟くと、子どもたちは満足そうに笑った。
「この広場のは全部わたしたちが作ったんだよ!」
「すごいわ。大変だったでしょう。」
子どもたちは皆それぞれ「これは僕が作ったやつだ!」「あれは私のよ」と手を引いて教えてくれる。
いくつも見上げて、首が疲れたので近くのベンチに腰掛けると、人ひとり分の隙間を開けてラルフも横に座る。
「…本当に、いい子たちばっかりだね。」
「みんなラルフが好きなのよ。改めて、本当にありがとう。慈善事業にこんなに真摯に向き合ってくれて。」
「ううん、子どもに優しくする男の方がいいかなって思っただけだから。」
「なあに、それ。そんな打算的な人がこんなに懐かれるわけないわ。あなたの人柄よ。」
「そうかな。」
隣に座るラルフは薄く笑うだけだった。
「…西部遠征に参加することにしたんだ。来週には出征する。」
西部遠征…。
その言葉を聞き、少し心が痛んだ。
西部は乾燥が酷く、食糧状況が悪いため土着の盗賊が多く治安が悪い。そのため定期的に王都の騎士団が派遣されるのだが、任期を終え帰って来た者は皆、その過酷な日々を口々に語るという。飲み水がないこと、食糧が足りないこと、衛生状態が悪く感染症が広まりやすいこと、盗賊との熾烈な戦い。そのため西部遠征の志願者は少ないものの、志願して任務を終えた騎士は叙勲され称えられる。
若い騎士にとって、出世への登竜門となっていた。
「…そう。気を付けて、行ってきてね。」
彼の決めたことだ。無関係の私にはそれしか言えなかった。
「王都にいたら、君に会いたくなってしまうから。」
「……ごめんね。」
「謝らないでよ。振られてるみたいで傷つく。」
ラルフの声は明るくて、思わずバッと顔を上げると、声に反して泣きそうな紫の瞳があって。
困ったように眉尻を下げるラルフと、私も同じ表情をしていたと思う。
「3年くらいかかるんだ、遠征。戻ってきたときに君がまだ白いままだったらシルヴェスター様に決闘でも申し込むかな。」
「馬鹿言わないで。侯爵家の次期当主と決闘なんて、私が許さないわ。」
口元だけでなんとか笑えば、ラルフは目を伏せて自嘲するように息を吐く。
「…かっこいいね。」
「西部遠征の勇敢な騎士様に比べたら私なんてまだまだよ。」
視界の端に映るラルフの靴が、私の方に傾く。こちらを向いたのだと悟って顔を上げると、真っすぐ私を見つめる紫の眼に射捉えられた。
「メル、忘れないで。何があっても、シルヴェスター様や他の人が何と言おうとも、君は、ずっと綺麗だ。自信をもって。」
「…うん。そう言ってくれるのはラルフだけよ。本当にありがとう。」
「ねえ、最後だからキスしてもいい?」
「ダメに決まってるじゃない。」
会話の流れに全く沿わないあり得ない要望に呆れて立ち上がると、「愛人をクビになる前にしておくんだった」と悪戯に笑われる。その瞳からはもう憂いは感じられなくて、正直救われた。
続く「手にならいい?抱きしめるのは?」という冗談も、私の心を軽くするための、優しい友人の気遣いなんだと思う。
オーナメントを見に行っていた子どもたちもあらかた集まって来たので、出店の方に戻ってきた時だった。
人ごみの中でも、頭一つ抜き出て目立つ白銀のプラチナブロンド。
遠目からでも分かる。その高貴な容貌はこの街の景色からは浮いている。
彼の前には、いまだ途切れぬたくさんの人。
そして夫の背後から少し離れたところ、同じくらい背の高い、様子のおかしい男の姿があった。
赤みがかった肩までの長髪は結ばれておらず、力なく歩を進めている。
焦点の合っていない目の先には、夫の背。
いつかの夜会で見たような妖艶さや余裕は見る影もなく、よれた衣服は浮浪者のようだった。
『違法な薬物で貴婦人を連れ込み、脅して』
『奴の会社の不正についてかなり粛清した』
『奴にとってかなりの痛手となったのだろう。私と交渉するために―――』
夫が話してくれたマージドの悪行が脳裏によぎる。
ヒュ…と喉からおかしな音が聞こえた。息が、上手くできなくて、声が思うように出ない。
(…目が、おかしい…。まさか…。)
ゆら…と夫に近づくマージドの手には、短刀。人混みの影で誰も気がついていない。
自分でも気が付かないうちに足が動いていた。制止するラルフの叫びも、私の耳には届かない。
「―――シルヴェスター様…!!」
目の前には刃を突きつけられる夫。私の叫び声で振り返った夫は、すぐ背後に迫るマージドの姿に気がつき、切れ長の蒼い目が大きく見開いている。
―――なぜ。
なぜ私はあの日のことを思い出しているんだろう。
『そろそろそんなに畏まった話し方でなくてもいい。私のことは、シルと。』
冷たいと思っていた夫に、そんなことを言われたことがあった。私はあの時なんて返したか。思い出せない。
結婚してから1年ほどの記憶が、ほとんど途切れ途切れなのだ。
愛されたかったのに拒否されてしまった悲しみに飲み込まれて。
どうして…、どうして彼はあんなことを言ったのか。考えたこともなかった。あの時私は、彼の目を見ていただろうか。
一目惚れした、あの、蒼い眼を。
ああ、ばかだな。
こんな時に気が付くなんて。
夫の彫刻のような顔が珍しく崩れている。
こんなに取り乱した姿は初めて見た。
「…メルヴィーナ、どうして…。」
いつも冷静な夫の、震える声を初めて聞いた。
抱えられている。
シダーウッドの香りだ。
この香り、実は気に入っていましたって、今度伝えよう。
夫に抱き留められるなんて、夢だろうか。
思わず、笑ってしまった。多分、嬉しいんだ。
そうだ、嬉しいんだ。
今なら言えそうな気がする。こんなに取り乱している夫の前でなら、惨めにならなくて済む。
そっと頬に触れる。
ああ、宝石のような綺麗な顔を汚してしまった。後で謝ろう。
蒼い眼が潤んで揺れている。綺麗。こんなときでも初めて踊ったときに見つめられた喜びを思い出している私の頭の中は、やっぱりお花畑なのかもしれない。
―――シルヴェスター様…
ずっと、本当はずっと思っていた。
初めてあなたの手をとったときに溢れた喜び。冷たさの中に覗く気遣い。その身にのしかかる責任や立場に弱音を吐かない、そんなあなたに釣り合うような妻になると誓ったあの日。
他の人を見てほしくないと思ったのは。それならいっそ他人になりたいと絶望したのは。
全部、全部―――。
本当は…。
「…ずっと、好きでした…あなたのことが…」
多分、笑えていたと思う。
声は震えてしまったけれど。
この感覚は10歳のときに知った。
人間、あまりに痛いときは脳がそれを感じ取ることを拒否する。
だから正直もうどこを刺されたのかは分からない。
でも、いいや。大切な人が怪我をしなくて済んだのなら。
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