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幕間 剣聖不要論
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グラドの故郷の襲撃から数日後、玉座の間には大層な面々が集められていた。
皇帝はもちろんのこと、ルーチェス、全ての将官や最上級士官だけでなく、政務職や特務職の者たちまで。
だが当事者である聖騎士の代わりに主君の前に立つのはシーオドアだった。
「聖騎士様は心身ともに傷が癒えておりませんので、本人より聴取した情報に基づいて私が代わりにご報告致します」
まずはグラドの同郷の者だけでなく、身内まで失われたことに皆は立場以前に人としての反応を示す。
それから次々と読み上げる内容のほとんどは、周囲を驚かせるものばかりであった。
贖人なる不可解な存在もそうだが、最たるものは「黒騎士」の名前だ。
聖魔道士の件から間を置かずに今度は聖騎士が敗北。
しかも帝国で随一と言われる防御術を力で打ち破ってとあらば、その技がどれほどの威力であったかを想像するには十分だった。
それによって各々が胸中に抱くのは懸念だ。
自分たちが防衛、管理すべき国の中でそれほどの強者が自由を謳歌している。
これ以上に脅威となることが他にあろうか。
だがその中で1人だけ嬉々として聞いている者がいた。
表情こそ固く、威厳を保ったままだが、醸し出す雰囲気は抑えきれないようである。
「ますます以て興味をそそられる。如何なるものを与えれば黒騎士は我が方になびくのか」
皇帝クルテュヌスがここまで黒騎士に執着するのはその本質ゆえなのだろう。
力ある絶対の者が他を支配することこそが道理であり、責任であり、真の平和だと考える彼にとっては。
元々は富んでいるとは言い難い小国であったガルシオンがここまで巨大な帝国になったのは、数ある力のうちで軍事力を選択したからだ。
もちろん一朝一夕に成し得ることではない。
長い時を費やし次々に優秀な人材を見出し、口説き、引き入れていった結果である。
それ故に魔人を拳で倒し、2人の聖者を撃破した男に白羽の矢が立った。
「しかし陛下、黒騎士たちはこのように発言しておりました」
シーオドアは自分や聖騎士が言われたことを踏まえて彼らの意向を伝える。
すると当然のことながら、一斉に起こるざわめきと共に一室全体が物々しい空気となった。
元より戦力はこちらが勝っているのに加え、念入りな戦略会議を重ねて敗戦に繋がる要素は既に除いている。
だがここにきて、あの黒騎士が相手国側に加担するかもしれないという突然のイレギュラーが発生したのだ。
国同士の大規模な戦争、ましてや特殊な地形でなければ数がそのまま力となる。
常識であるなら個人がどうこう出来る話ではない。
とは言っても議論の的の男はその範疇に収まらない上に、急に湧いて出たような得体の知れない人物である。
この時期にきて浮上する不安要素に軍は揺らぐだろうが、シーオドアの報告がなければ更なる打撃を受けていたことも確かだ。
「黒騎士エルトと面識のある者は何か分からぬのか? そやつは一体何を求めているのだ。巨額の金銭でも豊かな領地でも望むものがあればくれてやろう。なんなら属州のひとつでも構わんくらいだ」
気にかけているところについては、皇帝と周囲には明らかにズレがあった。
他の者たちが戦局であるのに対して、クルテュヌスは自分が最も欲している手駒を奪われることを憂いている。
傍から見れば呆れることではあるが、このガルシオン一族の支配欲こそ国の成功の礎と言っても過言ではなかった。
「陛下、私に提案がございます」
誰もが長時間に渡る評議に突入すると覚悟した矢先、突如として乱入する人物が現れる。
皆がほぼ同時にその先へ視線を集めると、話題の渦中にあった1人が玉座へと続く絨毯の上を歩いていた。
「聖魔道士ルナ、有意義な手があるというのなら申してみよ」
扱いに難はあれど、戦時下においては聖魔道士の火力を腐らせておくのは愚策と言える。
それ故に厳重な監視付きという条件で、先刻に地下牢より釈放されたばかりだった。
その際に部下から現状を知らされ、急遽この場へ参上したという次第だ。
「黒騎士と聖女は同郷であるというのは、陛下も聞き及んでおられると思います」
「ああ、貴様の尋問の際にこの場で聞いたな」
「そして元婚約者であったということもです」
エルトとセリアの関係を初めて知る者は多く、辺りは一様に驚嘆する。
しかしせっかく外に出られたというのに、藪をつついて蛇を出すようなことをしてまで聖魔道士は何を伝えたいのか。
やがて驚きは疑問へと変わっていった。
「辺境の村から帝都まで追いかけて、罰せられることも顧みずに剣聖との婚約パレードを妨害する。あの黒騎士がそれほどまでに執着していました」
「回りくどいのは気が急く。要点だけを簡潔に述べろ」
「つまり、聖女セリアを差し出せばよろしいかと。黒騎士を身内にして帝国が抱き込んでしまうのです」
ルナの申し出によって地響きのような声が起こる。
あの皇帝と側近までもが呆気にとられていた。
それくらい突飛な発想ではあるが、その一点に目的を絞るとするならば有効と言える。
「長く陽の光と分かたれ良識を失ったか聖魔道士よ。既に聖女は剣聖の妻となっている。神の御前で誓いを立てた者同士を軍略の為に引き裂くなど非人道的である」
「本当に誓ったのならそうでしょう。ですが聖女の方はあっさりと承諾するんじゃないですか? それに困るとすれば当人以上にルーチェス様のような気がしますけど」
ルナの指摘にルーチェスの様子は一切変わることはなかった。
だがそれはあくまでも表面上であり、内から滲み出る感情は大きく揺らいでいるように見える。
「どうせ例の儀式とやらで2人が結ばれることが望ましいんでしょうけど、それって本当に必要なんでしょうか?」
「何が言いたい?」
「だって、厄災を防ぐのが目的なら理由を話して黒騎士にお願いすればいいじゃないですか。文字通りの神頼みなんかより、現存する戦力の方が確実なんですから。言わばあいつの出現で剣聖の価値は下落したってことですよ」
ルナは大袈裟に肩を竦めたまま天井へ目を向け、挑発的な態度をとる。
もはや取り巻く空気は地位では劣る聖魔道士の見解に流れていた。
一部の者以外にはルーチェスの考えが不透明であったこと。
そして現時点で剣聖と黒騎士を天秤にかければ、どちらに傾くかは自明の理であったからだ。
たとえ戦いぶりを目の当たりにしていなくても、僅かな報告の中だけでも格の違いがハッキリとしている程なのだから。
「うむ……聖魔道士の言うことにも一理あるか」
それは皇帝でさえも同様だった。
クルテュヌスの一言にルーチェスは勢いよく顔を向けるが、半分は仮面の下に隠された表情は焦りというよりは怒りである。
今や黒騎士を傍に置きたくてたまらない彼から、そのようなうわ言が口をついて出るのは仕方がないこと。
しかしながらそれを許さない側近は、玉座に座る主君の前へ移動し見下ろす形となる。
「貴様……戯言はそこまでにしておけ。全世界をその手中に収めたいのであればな」
およそ国の頂点に君臨する人物へ放つべき言葉ではないにもかかわらず、クルテュヌスが激昴することはなかった。
それどころか顔に浮かぶのは、欲に忠実になりすぎていたことへの謝意と、ルーチェスからの叱責を誰にも聞かれていなかったことへの安堵だ。
「聖魔道士ルナよ。緊迫している状況の中でこれ以上皆を動揺させるようなことを申すなら、再び声も届かぬ地の底へと落ちてもらうぞ」
聖魔道士は無言のままわざとらしく首を振って両手を上げると、踵を返して部屋を後にする。
ルナにとってはほんの些細なことだった。
投獄の命を下したルーチェス、それに自分を侮辱したイグレッドへささやかな仕返しをしたかっただけ。
だがこの時に唱えた『剣聖不要論』が、この国の……この世界を蝕む毒となり、激動をさらに加速させる事となる。
皇帝はもちろんのこと、ルーチェス、全ての将官や最上級士官だけでなく、政務職や特務職の者たちまで。
だが当事者である聖騎士の代わりに主君の前に立つのはシーオドアだった。
「聖騎士様は心身ともに傷が癒えておりませんので、本人より聴取した情報に基づいて私が代わりにご報告致します」
まずはグラドの同郷の者だけでなく、身内まで失われたことに皆は立場以前に人としての反応を示す。
それから次々と読み上げる内容のほとんどは、周囲を驚かせるものばかりであった。
贖人なる不可解な存在もそうだが、最たるものは「黒騎士」の名前だ。
聖魔道士の件から間を置かずに今度は聖騎士が敗北。
しかも帝国で随一と言われる防御術を力で打ち破ってとあらば、その技がどれほどの威力であったかを想像するには十分だった。
それによって各々が胸中に抱くのは懸念だ。
自分たちが防衛、管理すべき国の中でそれほどの強者が自由を謳歌している。
これ以上に脅威となることが他にあろうか。
だがその中で1人だけ嬉々として聞いている者がいた。
表情こそ固く、威厳を保ったままだが、醸し出す雰囲気は抑えきれないようである。
「ますます以て興味をそそられる。如何なるものを与えれば黒騎士は我が方になびくのか」
皇帝クルテュヌスがここまで黒騎士に執着するのはその本質ゆえなのだろう。
力ある絶対の者が他を支配することこそが道理であり、責任であり、真の平和だと考える彼にとっては。
元々は富んでいるとは言い難い小国であったガルシオンがここまで巨大な帝国になったのは、数ある力のうちで軍事力を選択したからだ。
もちろん一朝一夕に成し得ることではない。
長い時を費やし次々に優秀な人材を見出し、口説き、引き入れていった結果である。
それ故に魔人を拳で倒し、2人の聖者を撃破した男に白羽の矢が立った。
「しかし陛下、黒騎士たちはこのように発言しておりました」
シーオドアは自分や聖騎士が言われたことを踏まえて彼らの意向を伝える。
すると当然のことながら、一斉に起こるざわめきと共に一室全体が物々しい空気となった。
元より戦力はこちらが勝っているのに加え、念入りな戦略会議を重ねて敗戦に繋がる要素は既に除いている。
だがここにきて、あの黒騎士が相手国側に加担するかもしれないという突然のイレギュラーが発生したのだ。
国同士の大規模な戦争、ましてや特殊な地形でなければ数がそのまま力となる。
常識であるなら個人がどうこう出来る話ではない。
とは言っても議論の的の男はその範疇に収まらない上に、急に湧いて出たような得体の知れない人物である。
この時期にきて浮上する不安要素に軍は揺らぐだろうが、シーオドアの報告がなければ更なる打撃を受けていたことも確かだ。
「黒騎士エルトと面識のある者は何か分からぬのか? そやつは一体何を求めているのだ。巨額の金銭でも豊かな領地でも望むものがあればくれてやろう。なんなら属州のひとつでも構わんくらいだ」
気にかけているところについては、皇帝と周囲には明らかにズレがあった。
他の者たちが戦局であるのに対して、クルテュヌスは自分が最も欲している手駒を奪われることを憂いている。
傍から見れば呆れることではあるが、このガルシオン一族の支配欲こそ国の成功の礎と言っても過言ではなかった。
「陛下、私に提案がございます」
誰もが長時間に渡る評議に突入すると覚悟した矢先、突如として乱入する人物が現れる。
皆がほぼ同時にその先へ視線を集めると、話題の渦中にあった1人が玉座へと続く絨毯の上を歩いていた。
「聖魔道士ルナ、有意義な手があるというのなら申してみよ」
扱いに難はあれど、戦時下においては聖魔道士の火力を腐らせておくのは愚策と言える。
それ故に厳重な監視付きという条件で、先刻に地下牢より釈放されたばかりだった。
その際に部下から現状を知らされ、急遽この場へ参上したという次第だ。
「黒騎士と聖女は同郷であるというのは、陛下も聞き及んでおられると思います」
「ああ、貴様の尋問の際にこの場で聞いたな」
「そして元婚約者であったということもです」
エルトとセリアの関係を初めて知る者は多く、辺りは一様に驚嘆する。
しかしせっかく外に出られたというのに、藪をつついて蛇を出すようなことをしてまで聖魔道士は何を伝えたいのか。
やがて驚きは疑問へと変わっていった。
「辺境の村から帝都まで追いかけて、罰せられることも顧みずに剣聖との婚約パレードを妨害する。あの黒騎士がそれほどまでに執着していました」
「回りくどいのは気が急く。要点だけを簡潔に述べろ」
「つまり、聖女セリアを差し出せばよろしいかと。黒騎士を身内にして帝国が抱き込んでしまうのです」
ルナの申し出によって地響きのような声が起こる。
あの皇帝と側近までもが呆気にとられていた。
それくらい突飛な発想ではあるが、その一点に目的を絞るとするならば有効と言える。
「長く陽の光と分かたれ良識を失ったか聖魔道士よ。既に聖女は剣聖の妻となっている。神の御前で誓いを立てた者同士を軍略の為に引き裂くなど非人道的である」
「本当に誓ったのならそうでしょう。ですが聖女の方はあっさりと承諾するんじゃないですか? それに困るとすれば当人以上にルーチェス様のような気がしますけど」
ルナの指摘にルーチェスの様子は一切変わることはなかった。
だがそれはあくまでも表面上であり、内から滲み出る感情は大きく揺らいでいるように見える。
「どうせ例の儀式とやらで2人が結ばれることが望ましいんでしょうけど、それって本当に必要なんでしょうか?」
「何が言いたい?」
「だって、厄災を防ぐのが目的なら理由を話して黒騎士にお願いすればいいじゃないですか。文字通りの神頼みなんかより、現存する戦力の方が確実なんですから。言わばあいつの出現で剣聖の価値は下落したってことですよ」
ルナは大袈裟に肩を竦めたまま天井へ目を向け、挑発的な態度をとる。
もはや取り巻く空気は地位では劣る聖魔道士の見解に流れていた。
一部の者以外にはルーチェスの考えが不透明であったこと。
そして現時点で剣聖と黒騎士を天秤にかければ、どちらに傾くかは自明の理であったからだ。
たとえ戦いぶりを目の当たりにしていなくても、僅かな報告の中だけでも格の違いがハッキリとしている程なのだから。
「うむ……聖魔道士の言うことにも一理あるか」
それは皇帝でさえも同様だった。
クルテュヌスの一言にルーチェスは勢いよく顔を向けるが、半分は仮面の下に隠された表情は焦りというよりは怒りである。
今や黒騎士を傍に置きたくてたまらない彼から、そのようなうわ言が口をついて出るのは仕方がないこと。
しかしながらそれを許さない側近は、玉座に座る主君の前へ移動し見下ろす形となる。
「貴様……戯言はそこまでにしておけ。全世界をその手中に収めたいのであればな」
およそ国の頂点に君臨する人物へ放つべき言葉ではないにもかかわらず、クルテュヌスが激昴することはなかった。
それどころか顔に浮かぶのは、欲に忠実になりすぎていたことへの謝意と、ルーチェスからの叱責を誰にも聞かれていなかったことへの安堵だ。
「聖魔道士ルナよ。緊迫している状況の中でこれ以上皆を動揺させるようなことを申すなら、再び声も届かぬ地の底へと落ちてもらうぞ」
聖魔道士は無言のままわざとらしく首を振って両手を上げると、踵を返して部屋を後にする。
ルナにとってはほんの些細なことだった。
投獄の命を下したルーチェス、それに自分を侮辱したイグレッドへささやかな仕返しをしたかっただけ。
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