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34話「200年分の愛しさを」

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   34話「200年分の愛しさを」




 
   ☆☆☆




 桜門の話す内容は、到底現実とは思えないものだった。けれど、真剣な視線や当時を思い出して怯える様子を目の当たりにするとそれが嘘だとも思うはずもなかった。
 それに何故だろうか。とても切ない気持ちになる。
 桜門が生きてきた話。そして、愛しい人を守ろうとした結果の長い長い死人の生活が始まってしまった。それを受け入れ、人間の願いを叶え、生きてきた。

 自分の願いは叶うのかも、わからないのに。

 彼の気持ちを想像してしまったからだろうか。
 文月の瞳からは、いつの間に涙が流れていた。それにも気づかず、彼の話を聞き続けてしまった。とっくに彼に泣き顔を見られてしまっているはずだ。今さらだけど、文月は涙を拭きながら桜門を見つめた。
 ボヤけていた視界が鮮明になると、彼の表情もよくわかる。桜門は全て話し切ったからか、少しすっきりとした表情になっていたが、まだどこか苦しげに笑っているのだ。


 「文月が泣く必要なんてないんだよ」
 「え………」
 「………俺が文月に頼んだのは、死ねない人生が待っている孤独な世界だ。俺が死にたくて仕方がなかったものをおまえに頼んだ。………そんなつもりは全くなかったのに……な」
 「桜門さん………」


 自らの行いで自分を傷つけている。
 そんな苦しげな表情で文月を見つめた桜門。

 桜門はどんなに苦しい思いをして過ごしていたのだろうか。
 大切な相手だった初芽。その病気を治すために自分が身代わりになり、そして契約を受けるために死人のまま現世に残った。
 200年前の事なのだから、彼女は亡くなったはずだ。その姿を彼は見送ったのだろう。
 その時の彼の気持ちを考えると、どうしようもなく泣きそうになってしまう。文月が泣くのはおかしいはずなのに、どうしても悲しくなるのだ。


 「私は大丈夫ですよ」
 「………文月。それは……」
 「私は本来、死ぬ運命でした。それを助けてくれたのは、おばあちゃんと桜門です。子どもの頃に死んでしまうはずだったけど、大人になれた。それからはいろんな生活、出会い、好きなものを知る事が出来たから、満足してるんでふ。それに、最後に大切な人も出来たし」
 「…………」
 「………だから、桜門さんの願いを叶えたいって思うんです」
 「………本当にいいのか?おまえは死ぬことになるんだぞ」
 「はい。それは前にもしっかり聞きましたよ。…………でもちょっと怖いかな。痛くはない?」
 「………それは大丈夫だが………」
 

 堂々としている文月だったが、逆に願いが叶うはずなのに桜門が戸惑っているようだった。
 そんな彼を見ていると、涙は止まり笑みが浮かんでくる。
 この人は本当に優しい人なのだなと、改めてわかったからだ。

 桜門が願いを叶えるだけのために文月に近づいたのならば、こんな話をせずに無理やりにでも身代わりの仕事をさせてしまえばいいはずだ。文月が理由を聞いたからといって、本当の事を話す理由もないはずだ。それなのに、文月に身代わりの仕事の話も、過去の経緯さえも話してしまうのだ。
 これで怖くなった文月が断る可能性だってあったはずだ。

 それに、文月が話を聞いたうえで取引を受けると言うと、迷いさえ見えるのだ。
 そんな彼がとても愛おしく、好きになってよかったと思えた。
 死人であっても好きになっていい。そう思えるぐらいに、文月は桜門が好きになっているようだった。


 「………ほら。少し怖いけど、決心したんですから。私の気持ちが変わる前に、取引しちゃいましょう」
 「………いいのか?」
 「はい。あ、でも怖いから手を握ってて欲しいです。それぐらい甘えてもいいですか?」
 「あぁ………」


 桜門は文月に近づき、ゆっくりと両手を掴み、包むように手を握ってくれた。

 冷たい、彼の感触。
 それがもう少しで消えてしまうと思うと、胸が苦しくなる。彼がいない世界で自分は過ごしていけるのかと不安に押しつぶされそうになってしまう。そして、目の前でまっすぐに文月を見る彼の瞳が揺れる度に、もう彼に会えない事を考え怖くなる。
 けれど、それももうおしまいにしなければいけない。
 文月は、ジッと彼を見つめ返した後に目を閉じた。大丈夫、もう彼の姿は目にも記憶にも焼き付けた。


 「じゃあ、始めるぞ………」
 「はい。…………桜門さん。いえ、海里さん。私はあなたに出会えて本当に幸せだった。好きという感情がこんなにも心を幸せにしてくれるなんて知れてよかった。そして、優しくしてくれて、私を救ってくれた人が海里さんでよかった。大好きです。だから、生まれ変わった海里さんにまた会いたいです。その時は、恋人になってくださいね。………1回だけでいいから。約束です………ね?」


 海里が桜姫から聞いたという生まれ変わりの話。
 生まれ変わりが本当にあるのならば、寂しくない。身代わりの仕事をこなしながら、生まれ変わって現世に甦った桜門を見守れるのだから。
 彼が初芽を見守っていたように。
 きっと海里は初芽という女性に会う旅にでるのだろう。だから、文月が身代わりの任を終えて現世に戻ってきた時。たった1度だけ。そう願った。



 「文月、………ありがとう。おまえは、本当に変わらない。優しくて、強くて、本当に綺麗だ…………」
 「………桜門さん?」


 彼の言葉は不思議だ。
 まるで、ずっと見て来てくれたように聞こえるのだから。


 「昔からずっと、200年前から、どんな姿になったおまえも俺には大切だったんだよ」
 「………桜門さん、それって………」


 世間知らずで鈍感な文月でも、その言葉の意味がわからないわけはなかった。
 すぐに目を開けたが、目の前には彼はいなかった。
 変わりに視界に飛び込んでくるのは、夜空に咲く満開の桜の木。桜門と一緒に死んだ大きな桜だ。風で揺れた枝や花の間から、太い幹が見える。そこには、たくさんの線が刻まれていた。それは人が刻んでできたもの。ここに住む桜門が刻んだのだろう。身代わり依頼を終えた分だけ。

 
 「文月、有紗、美由、穂香・・・初芽。俺はずっとずっとおまえが好きだった。これからも、おまえを愛し続けるよ。だから、どうか健やかで幸せに」


 耳元で桜門の優しい声が聞こえる。そして、その名前はどこか懐かしく、そして文月が知っている人のようだったが、どうしても思い出せない。
 記憶が混乱しているのに、更に桜門は文月を戸惑わせる。
 今、文月は桜門に強く強く抱きしめられていた。
 全身が冷たい。彼の体温を全身で感じられている。

 幸せな瞬間のはずなのに、文月は彼の顔を見たくて彼の体を押すが、彼の腕は全く動かなかった。


 「待ってっ!!桜門さん。お願い、話を………」
 「ありがとう、愛している」


 一瞬だけ彼の顔が見えた。
 けれど、それは本当に瞬きほど短い時間。次に感じたのは、唇に落ちる冷たい感触。

 キスをしてくれた。
 それをもっと感じていたい。
 彼の話を聞かなくてはいけない。
 桜門と一緒に居たい。
 願いを叶えたい。


 それと同時に、突然頭の中に見知らぬ記憶が走馬灯のように巡ったのだ。
 そこには、桜門とよく似た銀髪の少年と病気で苦しむ自分によく似た女性。農家で働いたり、戦禍を必死に生き抜く女性や、レトロな服を着て町を走る女性。どの女性も文月の面影がある。
 それと共に幸せと寂しさと苦しさの葛藤。そんな気持ちも伝わってくる。

 それが彼の記憶と感情なのだと、文月はすぐにわかった。
 まだ彼から離れてはだめだ。彼の気持ちを思いを、知りたい。
 
 けれど、その思いはどれも叶わず、文月の思考は止まり、視界は真っ暗闇となり、深い深い眠りへと落ちていったのだった。






 







 
 次に気付いた時は、真っ暗な城門前だった。
 桜門に会いに文月が訪れた出会いの場所。

 死んだというのに、真っ暗な場所はどこか怖く感じてしまい、文月は茫然と歩き始めた。
 いろいろ考えなければいけない。桜門の言葉をよく思い出して整理しなければいけない。
 そのはずなのに、混乱から文月の頭は考えるのを辞めてしまっていた。


 身代わりの依頼がくるまで町を歩きながら考えよう。
 そう思って、明るい街へと足を向けた。

 しばらく歩いていると、「ぐーー」と自分のお腹から音が聞こえた。死人でも空腹を感じるのだろうか。桜門も甘い物を食べていたし、そういうものなのかもしれない。
 文月は、空腹を満たすために真夜中でもやっているファストフード店へと入った。


 「いらっしゃいませ」
 「このハンバーガーのラージサイズを3つください」
 「かりこまりました。持ち帰りでよろしいですか?」
 「はい」


 夜中にも関わらず、若い店員は笑顔で文月の淡々とした注文を聞いてくれる。
 文月は、気づかないふりなどできなかった。
 

 「あの………すみません」
 「はい?追加でご注文でしょうか?」
 「いえ、その、…………私の事、見えてますか?」

 文月とその男性の目が合う。
 しっかりと文月を見つめている。店員はきょとんとした後、怪訝な表情へと変わった。


 「はぁ………見えてますけど………?」


 先程よりも低いトーンでそう言うと、その店員はくるりと後ろを向いて注文を厨房へと伝え始めた。






 冷たい空気の冬の夜。
 胸に抱いて持つハンバーガーの袋。
 彼と同じように冷たくなっていた体は、ずつ温かくなっていく。
 冷え切った自分の部屋に到着する頃には、少し汗ばむぐらいになっていた。

 電気と暖房をつけ、部屋の真ん中でガサガサと大きなハンバーガーを袋から取り出す。
 文月はそれにガブリとかぶりついた。
 少し冷えてしまっているが、口の中に肉とパンの味が広がる。


 「…………ッ……………桜門さんの嘘つき」


 その言葉と共に涙も流れてくる。
 ぬくもりを持った涙。人間と会話でき、物に触れられる。ごく当たり前の生活。
 それら全てがこの世の生きている証拠。
 文月は生かされたのだ。
 桜門によって。身代わりの任の取引が行われなかった事を意味するのだ。

 そして、桜門が文月にキスをした時に、文月の頭に流れ込んできた彼の長い長い記憶。
 桜門、いや海里は、初芽を、そして生まれ変わった人々、そして文月を見守っていてくれたのだ。彼の視線で見ている昔の文月、そしてその時の桜門の気持ちも流れ込んできたのだ。
 愛しい人が幸せに生きている事で自分がやってきた事を誇る気持ちも、悔しい気持ち、寂しい、孤独感。
 全てで文月は彼の事を知れた。

 けれど、それが遅すぎたのだ。
 彼は、また自分の願いを押し殺して、文月に生きろと決めてしまったのだ。


 「取引したのに、また勝手に私を助けてくれる。早く、この世界であなたと一緒になりたいのに、どうして」


 海里と初めて会った初芽と、文月はきっと同じ気持ちで生きていく事になるのだろう。
 愛しい人を愛しいまま失い、彼を恋焦がれて生きていく。



 「ありがとう、なんて・・・言わないから」


 涙とハンバーのソースでぐじゃぐじゃになった顔をのまま、どこかに居るであろう彼へと言葉を向ける。


 その時、作られた風ではない。温かい春の風がどこから流れてきた。
 そんな気がしたのだった。



 
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