7 / 38
6話「初恋」
しおりを挟む6話「初恋」
どれぐらいの時間がたっただろうか。
スマホの時間を見ると、公園でストリートライブを初めてから2時間は経過していて、畔は驚いた。彼と過ごす時間は楽しくてあっという間だった。
スマホのメッセージをうって話す会話は、言葉を交わす会話より時間がかかってしまう。けれど、そんな事が億劫にならないほどに彼との話は楽しかった。
音楽の話や手話の話、畔が親しみ深い話題を選んでくれたのか、彼も興味を持っているのかはわからない。けれど、そんな話をニコニコとしてくれるのだ。畔はとても楽しんで過ごすことが出来た。
それに、気になってしかたがなかった彼が目の前にいるのだから有頂天になってしまうのも仕方がないだろう。時間が経つのも忘れて、彼と視線を合わせて話し込んだ。
『結構、夜遅くなってしまったね。そろそろ帰ろうか。夜遅いと君があぶないだろうし』
『わかりました』
素直にそう返事をしたけれど、内心では「まだ帰りたくない。話したい」と叫んでいた。けれど、ほぼ初対面の彼にそんな我が儘など言えるはずもなかった。
やはり一夜だけの夢の時間だったのだ。
「連絡先教えてください」や「また会いたいです」と、男慣れしていない畔から誘えるはずもない。
自分の情けなさと切なさから、ため息と共に涙も出そうになってしまう。
と、彼がまたスマホにメッセージをうったようで、畔に画面を差し出した。
「帰ろうか」「楽しかった」という別れの言葉だろう。見るのが怖かったが、畔はそちらに視線を向けた。
『今度また夜の街を散歩してみない?君のしてみたい事、教えて』
そんなメッセージが入っており、畔を思わず彼を見上げた。彼が誘ってくれている。それが信じられなかったのだ。
畔と視線が合うと、彼は首を傾げながら「ダメかな?」と口の動きで畔に伝えた。
コクコクと頷くと、彼はホッとしたように笑みを浮かべて、「よかった」と手話をした。
そう思ったのは畔の方だというのに。
『いろんな事楽しもう。きっと知らない世界をしれば、君が活動をする上でもいい経験になるはずだよ』
『ありがとうございます。すごく楽しみです』
『じゃあ、決まりだね。連絡先を伝えておくよ』
そうメッセージを残した後、彼はスマホに何かをつちこもうとしたが、その指が止まり考え込んでしまった。
何かあったのだろうか、と不安に思って彼を見つめる。すると、その視線に気づいたのか、真剣な表情から一転して笑みを浮かべた。そして、スマホに一気に打ち込むとその画面を見せた。
『神水椿生 0×0-××××-×××× …………』
名前の後に彼の電話番号とメールアドレスが書いてあった。
畔は連絡先よりも、彼の名前に目が入ってしまう。初めて知った彼の名前を、畔はしっかりと頭の中に入れた。
『つばきさん、ですか?』
『そう。自己紹介してなかったね。遅くなってごめん。俺の方が年上だろうけど、気軽に話してくれていいから』
そういうと、椿生はにっこりと笑った。
確かに彼は自分より年上だっただろう。ブラックスーツ姿の彼は、とても大人っぽく見える。けれど、近寄りがたい雰囲気は全くないのは、彼の優しく陽気な性格からだろうな、と思った。
店を出ると椿生はタクシーを停めて、畔を載せた。畔が運転手にマンションの近くの場所を伝えると、椿生は運転手にお札を手渡した。
『また会おうね。バイバイ』
そう手話で挨拶をすると、椿生は同じタクシーには乗らずに手を振って畔が乗車したタクシーを見送った。
てっきり彼も一緒なのだと思っていた椿は焦っておじきをするだけが精一杯で、小さくなっていく彼を見つめた。
きっと、ほぼ初対面の畔と一緒にタクシーに乗ってしまえば、畔の住んでいる場所を知ってしまう事になる。椿生はそれを避けるために畔とは一緒に乗らなかったのだろう。
最後まで、彼の優しい心遣いを感じ胸が熱くなる。
タクシーが夜道を走っている間、畔は長く息を吐いた。ため息とは違う、自分を落ち着かせるためのものだ。
(本当にあの人に会えたんだよね。夢じゃないよね)
先ほどまで実際に会っていたというのに、それが信じられない。畔は慌てて、スマホを開いた。そこには、紛れもなく椿生の名前と連絡先がある。それを見て、やっと実感出来た。
タクシーを降りて、自宅に戻るとリビングに機材を置いたまま、椿生にメッセージを送った。
『畔です。今日はありがとうございました。帰り際、タクシー代までいただいてしまったのに、お礼を言えずに、すみませんでした。カクテル、おいしかったです。 守青畔』
メッセージと共に自分の連絡先も送信した。
するとすぐに彼からの返信が届き、ブブブッとスマホが振動した。畔は慌ててメッセージを開く。
『連絡ありがとう。今日は話せて楽しかった。新曲楽しみにしているね。また、遊びにいきましょう』
メッセージの読むと頭の中に椿生の顔が浮かぶ。よかった。夢ではないし、次に会うことも出来る。
それが嬉しくて、畔はスマホを持ったままリビングのソファにダイブした。そして、彼との夜の時間を思い出す。
手を繋いで走った公園。お酒を飲みながら手話やスマホを使っての話。
大きな綺麗な瞳や笑った顔、仕草、やゆったりとした声の振動。彼の何もかもが畔の心を大きく揺らした。
(早く会いたいな………)
自然とそんな思いが浮かんでくる。
それで気づいた。
いや、気づかないようにしていただけかもしれない。もうとっくに感じてはいたはずだ。自分の心の変化を。
(私、椿生さんに恋してるんだ)
気になる存在から、好きな人になった。
会ったことで大きくなっていく、その会いたいという気持ち。憧れや一目惚れだけではない。その気持ちに気づくと、後は恋しくなってしまうだけ。
畔は初めて好きな人が出来たのだった。
0
お気に入りに追加
89
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
俺様系和服社長の家庭教師になりました。
蝶野ともえ
恋愛
一葉 翠(いつは すい)は、とある高級ブランドの店員。
ある日、常連である和服のイケメン社長に接客を指名されてしまう。
冷泉 色 (れいぜん しき) 高級和食店や呉服屋を国内に展開する大手企業の社長。普段は人当たりが良いが、オフや自分の会社に戻ると一気に俺様になる。
「君に一目惚れした。バックではなく、おまえ自身と取引をさせろ。」
それから気づくと色の家庭教師になることに!?
期間限定の生徒と先生の関係から、お互いに気持ちが変わっていって、、、
俺様社長に翻弄される日々がスタートした。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる