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6話「初恋」

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   6話「初恋」





 どれぐらいの時間がたっただろうか。
 スマホの時間を見ると、公園でストリートライブを初めてから2時間は経過していて、畔は驚いた。彼と過ごす時間は楽しくてあっという間だった。

 スマホのメッセージをうって話す会話は、言葉を交わす会話より時間がかかってしまう。けれど、そんな事が億劫にならないほどに彼との話は楽しかった。
 音楽の話や手話の話、畔が親しみ深い話題を選んでくれたのか、彼も興味を持っているのかはわからない。けれど、そんな話をニコニコとしてくれるのだ。畔はとても楽しんで過ごすことが出来た。
 それに、気になってしかたがなかった彼が目の前にいるのだから有頂天になってしまうのも仕方がないだろう。時間が経つのも忘れて、彼と視線を合わせて話し込んだ。


 『結構、夜遅くなってしまったね。そろそろ帰ろうか。夜遅いと君があぶないだろうし』
 『わかりました』


 素直にそう返事をしたけれど、内心では「まだ帰りたくない。話したい」と叫んでいた。けれど、ほぼ初対面の彼にそんな我が儘など言えるはずもなかった。
 やはり一夜だけの夢の時間だったのだ。
 「連絡先教えてください」や「また会いたいです」と、男慣れしていない畔から誘えるはずもない。
 自分の情けなさと切なさから、ため息と共に涙も出そうになってしまう。


 と、彼がまたスマホにメッセージをうったようで、畔に画面を差し出した。
 「帰ろうか」「楽しかった」という別れの言葉だろう。見るのが怖かったが、畔はそちらに視線を向けた。


 『今度また夜の街を散歩してみない?君のしてみたい事、教えて』


 そんなメッセージが入っており、畔を思わず彼を見上げた。彼が誘ってくれている。それが信じられなかったのだ。
 畔と視線が合うと、彼は首を傾げながら「ダメかな?」と口の動きで畔に伝えた。
 コクコクと頷くと、彼はホッとしたように笑みを浮かべて、「よかった」と手話をした。
 そう思ったのは畔の方だというのに。


 『いろんな事楽しもう。きっと知らない世界をしれば、君が活動をする上でもいい経験になるはずだよ』
 『ありがとうございます。すごく楽しみです』
 『じゃあ、決まりだね。連絡先を伝えておくよ』


 そうメッセージを残した後、彼はスマホに何かをつちこもうとしたが、その指が止まり考え込んでしまった。
 何かあったのだろうか、と不安に思って彼を見つめる。すると、その視線に気づいたのか、真剣な表情から一転して笑みを浮かべた。そして、スマホに一気に打ち込むとその画面を見せた。



 『神水椿生 0×0-××××-×××× …………』


 名前の後に彼の電話番号とメールアドレスが書いてあった。
 畔は連絡先よりも、彼の名前に目が入ってしまう。初めて知った彼の名前を、畔はしっかりと頭の中に入れた。
 


 『つばきさん、ですか?』
 『そう。自己紹介してなかったね。遅くなってごめん。俺の方が年上だろうけど、気軽に話してくれていいから』


 そういうと、椿生はにっこりと笑った。
 確かに彼は自分より年上だっただろう。ブラックスーツ姿の彼は、とても大人っぽく見える。けれど、近寄りがたい雰囲気は全くないのは、彼の優しく陽気な性格からだろうな、と思った。

 
 店を出ると椿生はタクシーを停めて、畔を載せた。畔が運転手にマンションの近くの場所を伝えると、椿生は運転手にお札を手渡した。


 『また会おうね。バイバイ』


 そう手話で挨拶をすると、椿生は同じタクシーには乗らずに手を振って畔が乗車したタクシーを見送った。
 てっきり彼も一緒なのだと思っていた椿は焦っておじきをするだけが精一杯で、小さくなっていく彼を見つめた。
 きっと、ほぼ初対面の畔と一緒にタクシーに乗ってしまえば、畔の住んでいる場所を知ってしまう事になる。椿生はそれを避けるために畔とは一緒に乗らなかったのだろう。
 最後まで、彼の優しい心遣いを感じ胸が熱くなる。



 タクシーが夜道を走っている間、畔は長く息を吐いた。ため息とは違う、自分を落ち着かせるためのものだ。
 

 (本当にあの人に会えたんだよね。夢じゃないよね)


 先ほどまで実際に会っていたというのに、それが信じられない。畔は慌てて、スマホを開いた。そこには、紛れもなく椿生の名前と連絡先がある。それを見て、やっと実感出来た。

 タクシーを降りて、自宅に戻るとリビングに機材を置いたまま、椿生にメッセージを送った。


 『畔です。今日はありがとうございました。帰り際、タクシー代までいただいてしまったのに、お礼を言えずに、すみませんでした。カクテル、おいしかったです。  守青畔』


 メッセージと共に自分の連絡先も送信した。
 するとすぐに彼からの返信が届き、ブブブッとスマホが振動した。畔は慌ててメッセージを開く。


 『連絡ありがとう。今日は話せて楽しかった。新曲楽しみにしているね。また、遊びにいきましょう』


 メッセージの読むと頭の中に椿生の顔が浮かぶ。よかった。夢ではないし、次に会うことも出来る。
 それが嬉しくて、畔はスマホを持ったままリビングのソファにダイブした。そして、彼との夜の時間を思い出す。

 手を繋いで走った公園。お酒を飲みながら手話やスマホを使っての話。
 大きな綺麗な瞳や笑った顔、仕草、やゆったりとした声の振動。彼の何もかもが畔の心を大きく揺らした。


 (早く会いたいな………)


 自然とそんな思いが浮かんでくる。

 それで気づいた。
 いや、気づかないようにしていただけかもしれない。もうとっくに感じてはいたはずだ。自分の心の変化を。


 (私、椿生さんに恋してるんだ)


 


 気になる存在から、好きな人になった。
 会ったことで大きくなっていく、その会いたいという気持ち。憧れや一目惚れだけではない。その気持ちに気づくと、後は恋しくなってしまうだけ。

 畔は初めて好きな人が出来たのだった。





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