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8話「お祈りの時間」
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結婚してからというものの、花霞は忙しく生活していた。
名字が変わるだけで、こんなにも沢山の手続きをしなければならないのだと知った。けれど、どんな事をしていても「鑑さん」と呼ばれるので、その度に花霞は結婚したという事実を感じられるようになっていた。
椋と沢山買い出しをして、身の回りの物を揃ってきたため、花霞は毎日の生活がとても過ごしやすくなった。それに、彼はいつも「これ、花霞ちゃん好きかな、と思って。」と、小物やデザートなどを買ってきてくれる。椋が自分をとても大切にしてくれているのがわかって、花霞は嬉しかった。
思えば、玲との生活では全く違った思い出しかなかった。休みの日は、確かに出掛けてあそびに行っていた。けれど、今流行りの場所や物を食べたり、遊んだりしていた。確かに楽しかったけれど、玲は花霞の事よりも自分の楽しさを優先していたのだと気づいた。
玲は花霞が好きな、花や植物が嫌いだった。面倒だし、見ていて何が楽しいのかわからないといつも言っており、花屋の仕事も「何が楽しいの?」と聞いてくるぐらいだった。1度、植物園に行きたいとデートを提案したこともあったけれど、「嫌だ。」と、言われてから彼に何かを求めるのは止めてしまった。
比べるのはよくないかもしれないが、椋は逆に「花霞の好きなものを知りたい。」と、言ってくれた。
自分で調べては「ここの花畑が見頃みたいだよ。」とか、「植物園には行ったことある?」など聞いて来てくれ、休みの日に連れていってくれる。そして、花霞と共に楽しんでくれるのだ。「楽しいね。」「新しい事が知れて嬉しいよ。」などと、言ってくれるのが、花霞は嬉しかった。
「春になってきたからいろんな花が咲いてるでしょ?だから、今度はお花見かなって話してたの。」
「そう。……楽しそうね、花霞。」
「え………そうかな?」
「うん。私にのろけ話なんかした事ほとんどなかったじゃない。」
学生の頃は、男性と付き合う事などなかったし、玲と恋人になってからも、そこまで栞に話をしようと思わなかった。
それなのに、椋との事はつい話をしてしまうから不思議だった。
「………確かに。あんまり話したことなかったかも。」
「急に決めた結婚だっし、訳ありだったけど、花霞が幸せそうで安心したよ。」
「………うん。今は笑って過ごせてる、かな。………ありがとう、栞。」
いつも心配し、花霞の話も楽しそうに聞いてくれる栞に、今度何かお礼をしなければな、と花霞は思った。
「私は何もしてないわ。あ、そういえば、あのおじいさんからまた電話があったから、今日の夕方に行ってきてくれないかな。」
「あ、電話きたんだ………。お店が落ち着いたら行ってくるね。」
そう言いながら、花霞はその時のためにどんな花を使おうかと考え始めた。
1年ぐらい前から、不思議な注文をされるお客さんから電話が来るのだ。
始めは、珍しい注文だと思ったが、週に1回のペースで電話が来るため、この花屋では普通の事になっていた。
この日は、栞のフラワーアレンジメントの教室もあり、忙しく時間が取れたのは日が沈む前の夕方の事だった。
春になって来きて、昼間は暖かい風が吹いていたれど、夕方になると肌寒い。花霞は自分が作った花束を確認した後、薄手のコートを羽織って店を出た。栞に「気を付けてね。」と見送られながら、紅く染まった街中を、急ぎ足で歩いた。
今日は、白を基調とした花束にした。
夕日に映えるのはどんな色だろうか。そして、色とりどりの服を着た達が溢れる春の街で、ひっそりと咲いている花はどんなものが似合うだろうか。考えてすぐに浮かんだのは、「白」のイメージだった。
夕日に染まる白。春の街を邪魔しないけれど、凛としたイメージの白。
この注文で花を作る時。何故か自然と白の花を選んでしまう。
その理由は、花霞にはわからなかった。
店から15分ぐらい歩いた頃。
花霞は目的の場所に着いた。
そこは、変哲もない街の中の一角。大通りだけれど、そこまで人通りが激しい場所でもない。小さな店が立ち並ぶ街のある交差点の少し手前の歩道だった。
そこには、小さな花瓶に入った少し枯れてしまった花束。
その花束を1週間前の花霞が、そこに飾ったのだ。
花霞は、その場所にしゃがみ、目を閉じ手を合わせてから「失礼します。お花を変えに来ました。」と小さな事で語りかけるように言った後、その枯れかけた花束と持ってきた白い花を交換した。
花瓶の水を変えた、汚れを落としたりして、綺麗した。その頃、太陽が完全に見えなくなる一歩手前だった。
「なんとか、間に合った。」
花霞はそう呟いた。
何となく、明るい時間たちに祈った方がいいような気がしたのだ。
花霞は、手を合わせて、また瞳を閉じた。
先程よりも長い時間、花霞は願った。
安らかな眠れますようにと。
そして、笑顔で過ごせますように、と。
約1年前から花屋にくる電話の注文。
それは、病院で入院中だというおじいさんからだった。
大切な人を、ある場所で亡くし、祈りに行きたいけれど行けなくて困っているというものだった。
お金は倍払うので、指定の場所に花を手向けて手向けて欲しいとの事だった。
電話を受けた花霞は、花の代金だけを受けとる事を条件に、それを承諾して指定された場所に向かった。そこには枯れてしまった花が1輪置いてあり、誰かが手向けたのがすぐにわかった。
花霞は、そこで何かあったのかはわからなかったけれど、ここで命を落とした人が居るのだ。そう思ったら胸が締め付けられる思いを感じ、もう一度花屋に戻って、栞に訳を話してから掃除道具を持っていき、その場所を綺麗にし、花瓶を置いて、ガードレールに固定した。そして、そこに作った花束を飾った。
その後、手を合わせてお祈りをした。これは依頼主に頼まれたことではない。けれど、きっと入院中のおじいさんがしたいことなのだと思ったら、花霞は自然のそうしてしまった。
ただご冥福を祈るしか出来ないけれど、代わりにしたいと思ったのだ。
それから、1週間後にも同じおじいさんから連絡があり「この間はありがとう。また、あなたにぜひお願いしたい。これからずっとお願いすることになると思うけれど……よろしく。」と、言われたのだ。
それから、このお祈りはずっと続いているのだった。
それが終わると、花霞はゆっくりと歩いて帰る。
どんな人が亡くなったのかわからない。
けれど、その人の事を思って帰る。
今は笑顔でおじいさんを見ているのだろうか。それとも生まれ変わって違う人生を生きているのだろうか。そんな事を考えながら帰る、この時間は花霞の暮らしの一部分となっていたのだった。
花屋に戻る頃には、辺りは真っ暗になっていた。
「ただいま戻りました。」
掃除道具と枯れた花を抱えながら店に戻る。
すると、いつものように返事が返ってくる。
「あぁ、おかえりなさい。」
「花霞ちゃん。お疲れ様。」
花霞の言葉への返事が2つあり、そして、馴染みのある声に、花霞は驚いて顔を上げた。
すると、店内には何故か椋の姿があったのだ。
椋はシャツに黒ズボン、そしてジャケットという仕事帰りであろう服装で、花霞を出迎えた。
驚き固まる花霞を見つめながら、椋はにこやかに手を振っていた。
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