花筏に沈む恋とぬいぐるみ

蝶野ともえ

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12話「新しい一歩」

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   12話「新しい一歩」



 どんなに悲しい事があっても日常は続く。
 朝はやって来るし、お腹は空くし、眠くなる。
 目が赤くなって瞼が晴れても、いつかは涙は止まる。


 「この度は大変お世話になりました。今度お邪魔する時はお礼させてください」
 「そんなにかしこまらなくていいのに……」
 「お礼はレース編みのドレスでいい」
 「クマ様はぬかりないんだから」


 凛の腕に抱かれたクマ様はそう言うと、凛は苦笑しながらも「確かに見たいかも」とその言葉に賛成をする。
 この2人はやはり仲がようだ。

 そんな彼らの輪の中に自分もいたのかと思うと不思議だ。
 約2日前には出会っていなかった凛とクマ様。そんな関係なのに、今は寂しさを感じる。
 けれど、いつまでも彼らの好意に甘えるわけにはいけないのだ。


 「やってみるけど、もう少しで仕事がスタートするかも遅くなるかも」
 「そっか。one sinのお仕事始まるんだね。新社会人、頑張って」
 「まぁ、ほどほどに頑張れ」
 「ありがとう。凛さん、クマ様」


 笑顔が眩しい凛と、ぶっきらぼうのクマ様。
 そんな2人を見ていると思わず笑みが零れる。すぐには笑えないと思っていたが、すんなりと笑えた。
 こうやって自然に笑顔になれるなら、大丈夫。乗り越えられる。花はそんな気がした。


 「あ、そうだった。凛さんに渡しておきたいものがあって」
 「ん?何かな?」

 花はワンピースのポケットに手を突っ込み、それをつかみ取ると凛に向けて手を伸ばした。
 凛は不思議そうにしながらも、手を伸ばして手のひらを上にする。そこに花はあるものをぽとんッと落とした。
 2色の光る石。宝石だ。


 「これはお父さんの形見の宝石………」
 「しかもこんなに大粒の宝石をそのままポケットに入れてたのか。さすがお嬢様だな」
 「元、お嬢様です!」
 「否定はしないんだな」
 「本当の事なので」


 クマ様の意地悪な言葉。そのやり取りは嫌ではなくなっている。むしろ、心地いいと思ってしまう。
 それはクマ様が優しいと知っているから。ズバッと本音を言うところもあるが、それは全て相手を思っての言葉が多い。だからこそ、初めのように喧嘩をしなくなったのだろう。


 「こんな大切なもの預かっていていいの?」
 「はい。また、あのテディベア作ってくれるんだよね?」
 「もちろんだよ。おじいちゃんよりもいいテディベアを作ってみせるよ」
 「だったらこれはあった方がいいでしょ?」
 「……そうだね」
 「じゃあ、楽しみにしてる」


 そう言って微笑んだ後、小さく1歩だけ下がった。
 そして深くお辞儀をする。
 父のテディベアをお願いする意味もあるが、別の意味の方が大きい。


 「凛さん、やさぐれてた私に優しくしてくれて、ありがとう。牛丼、すっごいおいしかったから、また行きたいな」
 「もちろん。一緒に牛丼屋デートにでもいこうか」
 「ふふふ。それも楽しそうね。クマ様もありがとう。クマ様が背中を押してくれたから、お父さんと話せたと思う」
 「よくわかってるじゃないか」
 「うん。感謝してます。本当にありがとう。それで、その………」


 感謝の言葉は伝えられた。
 もっとちゃんと伝えたい事が沢山あったのに、これ以上口にしてしまうとまた泣いてしまいそうだったので止めた。彼らの前では泣いてばかりで、きっと泣き虫だと思っているだろうな、と少し恥ずかしさを感じていた。
 けれど、その他にも伝えたい事がった。
 もしかすると、その事は彼らの優しさに甘えたいだけなのかもしれない。
 だが、どうしてもこの花浜匙のぬくもりと、凛とクマ様とのやり取りの楽しさがこの数日で体に沁み込んでしまっていた。穏やかでゆったりとした、小さな幸せ。
 会話をするだけで笑えて、食事をするだけで温かく美味しいと感じられる。テディベアを丁寧に作り上げ、「可愛い」「綺麗」を言い合える。ゆったりとした時間が流れる、この空間に花はすっかり虜になっていた。


 「仕事が休みの日に、また遊びに来てもいい?」


 迷惑をかけた存在なのに、またも甘えてもいいのか。
 邪険にはされないと思いつつも、返事を聞くのが、彼らの表情を見るのが怖かった。
 洗っては着て洗っては着てを繰り返した黒のワンピースを握りしめながら、恐る恐る目を開ける。

 すると、満面の笑みの凛と、同じ顔のはずなのにどこかニヤリと笑っているようなクマ様。


 「どうせ暇してんだ。いいぞ」
 「暇じゃないでしょ!仕事はちゃんとしてるからね。あ、でも花ちゃんは大歓迎だよ。それに、早く来てもらった方がいいかな」
 「………?何か急ぎの用件でもあるの?」


 最後の言葉の意味がわからずに思わず聞き返してしまう。その時だけ声のトーンも低くなっていたように思え、花は気になってしまう。そして表情にも影があった気もしてしまう。
 が、花が聞き返すと、それは朝日が差し込んだかのように一瞬でいつもの明るさに戻る。


 「俺が会いたいだけだよ」


 そう言って凛はいつもと同じよう笑う。
 けれど、その彼の笑顔の影があるように感じてしまったのは、朝日のせいなのか、気のせいなのか。
 花にはそれがわからなかった。















 「今日から一緒に働くことになった乙瀬花さんです。少し遅くなりましたが、新社会人です。いろいろ教えてあげてください」
 「本日から働くことになりました、乙瀬花です。わからない事ばかりですが、早く仕事を覚えて即戦力となれるよう頑張ります。ご指導のほどよろしくお願い致します」

 花浜匙の店にお世話になってから2日後。
 花は新社会人として「one sin」で働き始める事になった。花を心配し、この店舗で雇ってくれた支店長の岡崎は花よりも20歳以上年上の男性で長身細見でスタイルもより、髪もしっかりと纏めて全体的に隙のない紳士的な印象だった。深いブルーとブラックのチェックのシャツにネクタイ、光沢のある黒のジャケットとズボンという制服を見事に着こなしている。見た目は少し強い印象があるが口調は柔らかい。とても話しやすい男性だった。

 岡崎の紹介で花は軽く自己紹介をする。深く頭を下げると、朝礼に参加していたスタッフから拍手を貰え、花はホッとした。花の事情は、岡崎から事前に説明をされているようで、笑顔のスタッフもいれば、怪訝そうにしている人もいた。初めから認められようとは思ってもいない。けれど、私は私の仕事で認めてもらえればいい。岡崎がそう話してくれた事を思い出して、気にしないよう努めることにしていた。


 それにone sinの制服は、花にとっては少し憧れでもあった。
 チェック柄のシャツ、に黒のマーメードスカートはとても気品があり、首元のシャツと同じ柄のリボンも華やかで大好きだった。子どもの頃に両親とone sinの店に来て、父に「あの人と同じ服が欲しい」とスタッフの制服を買って欲しいと言い笑われた事を今でも覚えている。それぐらいにその制服が素敵だと思っていた。
 それを自分が着る事になるとは昔の自分は考えもしなかっただろう。自分の制服姿を鏡越しに見た時はつい笑みがこぼれてしまった。


 「それでは、お世話役として冷泉さん。お願いします」
 「はい。冷泉翠(れいせんすい)です。乙瀬さん、宜しくお願いします」


 そう言って花の目の前に歩み寄ったのは、ブロンドの髪が綺麗な女性だった。肌もきめ細やかで白く、瞳も日本人とは違う色。異国の人だろうか、と思いつつも名前は日本のものだった。にっこりと微笑みこちらを見るだけで、同性の花でもドキリとしてしまうほどの美人だった。


 「乙瀬さんよりも年上だけど、何でも気軽に聞いてくださいね。今日は、店内の説明と当分の間、乙瀬さんにやっていただく仕事内容をお伝えします」
 「は、はい。よろしくお願いします」
 「それと、………少しいいかしら?」


 朝礼が終わったのを確認した後、花は店内の奥、VIPルームに通された。まだ営業時間ではないので誰もいない。

 パタンッと扉を閉めたのを確認した翠は、くるりと花の方を振り向いた。
 その表情は先程笑みを浮かべていたものとは一変して真剣なものだった。次に何を言われるか、花にも察しがついた。


 「岡崎さんから話は伺っています。お父様の件、残念でしたね」
 「ご心配おかけしてすみません」
 「ううん、いいのよ。あなたにとって大切な家族が亡くなったのだから、今は悲しむ気持ちがあって当然だし、お見送りする必要もあるわ。けれど、1つだけ伝えておきます」
 「はい」
 「スタッフの中でも、あなたのお父様がなさった事を悪だとし、花さんを雇う事を反対した人もいます。だから、あなたに対して辛い事を言われたりされたりするかもしれない。けれど、その時は私や岡崎さんにすぐに教えてくださいね」
 「わ、私は大丈夫です。それも仕方がないことだから」
 「罪を憎くんで人を憎むまず」
 「え……」
 

 当然、そんな事を言葉にした冷泉に花は目を見開く。
 すると、真面目な表情から一転して、冷泉は「ふふふ」と笑った。


 「私の大好きなおばあちゃんがよく話していた事なの。私もそう思ってる。それに、あなたが悪い事をしたわけではないんだから、あなたの傷つける言葉や態度は間違っていると私も岡崎さんも、ほとんどのスタッフも思っているわ。だから、堂々と仕事をしてね」


 頑張るのよ、と手で拳をつくった左手にはダイヤモンドがはめ込まれた結婚指輪があった。
 こんなにも素敵な人なのだ、お相手の男性はとても幸せだろうな、と花は思った。


 それに、自分を理解し応援してくれる人がいる自分も幸せだなっと思い、彼女の真似をして拳をつくり「頑張ります」と2人で微笑み合ったのだった。




 
 
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