13 / 34
12話「新しい一歩」
しおりを挟む12話「新しい一歩」
どんなに悲しい事があっても日常は続く。
朝はやって来るし、お腹は空くし、眠くなる。
目が赤くなって瞼が晴れても、いつかは涙は止まる。
「この度は大変お世話になりました。今度お邪魔する時はお礼させてください」
「そんなにかしこまらなくていいのに……」
「お礼はレース編みのドレスでいい」
「クマ様はぬかりないんだから」
凛の腕に抱かれたクマ様はそう言うと、凛は苦笑しながらも「確かに見たいかも」とその言葉に賛成をする。
この2人はやはり仲がようだ。
そんな彼らの輪の中に自分もいたのかと思うと不思議だ。
約2日前には出会っていなかった凛とクマ様。そんな関係なのに、今は寂しさを感じる。
けれど、いつまでも彼らの好意に甘えるわけにはいけないのだ。
「やってみるけど、もう少しで仕事がスタートするかも遅くなるかも」
「そっか。one sinのお仕事始まるんだね。新社会人、頑張って」
「まぁ、ほどほどに頑張れ」
「ありがとう。凛さん、クマ様」
笑顔が眩しい凛と、ぶっきらぼうのクマ様。
そんな2人を見ていると思わず笑みが零れる。すぐには笑えないと思っていたが、すんなりと笑えた。
こうやって自然に笑顔になれるなら、大丈夫。乗り越えられる。花はそんな気がした。
「あ、そうだった。凛さんに渡しておきたいものがあって」
「ん?何かな?」
花はワンピースのポケットに手を突っ込み、それをつかみ取ると凛に向けて手を伸ばした。
凛は不思議そうにしながらも、手を伸ばして手のひらを上にする。そこに花はあるものをぽとんッと落とした。
2色の光る石。宝石だ。
「これはお父さんの形見の宝石………」
「しかもこんなに大粒の宝石をそのままポケットに入れてたのか。さすがお嬢様だな」
「元、お嬢様です!」
「否定はしないんだな」
「本当の事なので」
クマ様の意地悪な言葉。そのやり取りは嫌ではなくなっている。むしろ、心地いいと思ってしまう。
それはクマ様が優しいと知っているから。ズバッと本音を言うところもあるが、それは全て相手を思っての言葉が多い。だからこそ、初めのように喧嘩をしなくなったのだろう。
「こんな大切なもの預かっていていいの?」
「はい。また、あのテディベア作ってくれるんだよね?」
「もちろんだよ。おじいちゃんよりもいいテディベアを作ってみせるよ」
「だったらこれはあった方がいいでしょ?」
「……そうだね」
「じゃあ、楽しみにしてる」
そう言って微笑んだ後、小さく1歩だけ下がった。
そして深くお辞儀をする。
父のテディベアをお願いする意味もあるが、別の意味の方が大きい。
「凛さん、やさぐれてた私に優しくしてくれて、ありがとう。牛丼、すっごいおいしかったから、また行きたいな」
「もちろん。一緒に牛丼屋デートにでもいこうか」
「ふふふ。それも楽しそうね。クマ様もありがとう。クマ様が背中を押してくれたから、お父さんと話せたと思う」
「よくわかってるじゃないか」
「うん。感謝してます。本当にありがとう。それで、その………」
感謝の言葉は伝えられた。
もっとちゃんと伝えたい事が沢山あったのに、これ以上口にしてしまうとまた泣いてしまいそうだったので止めた。彼らの前では泣いてばかりで、きっと泣き虫だと思っているだろうな、と少し恥ずかしさを感じていた。
けれど、その他にも伝えたい事がった。
もしかすると、その事は彼らの優しさに甘えたいだけなのかもしれない。
だが、どうしてもこの花浜匙のぬくもりと、凛とクマ様とのやり取りの楽しさがこの数日で体に沁み込んでしまっていた。穏やかでゆったりとした、小さな幸せ。
会話をするだけで笑えて、食事をするだけで温かく美味しいと感じられる。テディベアを丁寧に作り上げ、「可愛い」「綺麗」を言い合える。ゆったりとした時間が流れる、この空間に花はすっかり虜になっていた。
「仕事が休みの日に、また遊びに来てもいい?」
迷惑をかけた存在なのに、またも甘えてもいいのか。
邪険にはされないと思いつつも、返事を聞くのが、彼らの表情を見るのが怖かった。
洗っては着て洗っては着てを繰り返した黒のワンピースを握りしめながら、恐る恐る目を開ける。
すると、満面の笑みの凛と、同じ顔のはずなのにどこかニヤリと笑っているようなクマ様。
「どうせ暇してんだ。いいぞ」
「暇じゃないでしょ!仕事はちゃんとしてるからね。あ、でも花ちゃんは大歓迎だよ。それに、早く来てもらった方がいいかな」
「………?何か急ぎの用件でもあるの?」
最後の言葉の意味がわからずに思わず聞き返してしまう。その時だけ声のトーンも低くなっていたように思え、花は気になってしまう。そして表情にも影があった気もしてしまう。
が、花が聞き返すと、それは朝日が差し込んだかのように一瞬でいつもの明るさに戻る。
「俺が会いたいだけだよ」
そう言って凛はいつもと同じよう笑う。
けれど、その彼の笑顔の影があるように感じてしまったのは、朝日のせいなのか、気のせいなのか。
花にはそれがわからなかった。
「今日から一緒に働くことになった乙瀬花さんです。少し遅くなりましたが、新社会人です。いろいろ教えてあげてください」
「本日から働くことになりました、乙瀬花です。わからない事ばかりですが、早く仕事を覚えて即戦力となれるよう頑張ります。ご指導のほどよろしくお願い致します」
花浜匙の店にお世話になってから2日後。
花は新社会人として「one sin」で働き始める事になった。花を心配し、この店舗で雇ってくれた支店長の岡崎は花よりも20歳以上年上の男性で長身細見でスタイルもより、髪もしっかりと纏めて全体的に隙のない紳士的な印象だった。深いブルーとブラックのチェックのシャツにネクタイ、光沢のある黒のジャケットとズボンという制服を見事に着こなしている。見た目は少し強い印象があるが口調は柔らかい。とても話しやすい男性だった。
岡崎の紹介で花は軽く自己紹介をする。深く頭を下げると、朝礼に参加していたスタッフから拍手を貰え、花はホッとした。花の事情は、岡崎から事前に説明をされているようで、笑顔のスタッフもいれば、怪訝そうにしている人もいた。初めから認められようとは思ってもいない。けれど、私は私の仕事で認めてもらえればいい。岡崎がそう話してくれた事を思い出して、気にしないよう努めることにしていた。
それにone sinの制服は、花にとっては少し憧れでもあった。
チェック柄のシャツ、に黒のマーメードスカートはとても気品があり、首元のシャツと同じ柄のリボンも華やかで大好きだった。子どもの頃に両親とone sinの店に来て、父に「あの人と同じ服が欲しい」とスタッフの制服を買って欲しいと言い笑われた事を今でも覚えている。それぐらいにその制服が素敵だと思っていた。
それを自分が着る事になるとは昔の自分は考えもしなかっただろう。自分の制服姿を鏡越しに見た時はつい笑みがこぼれてしまった。
「それでは、お世話役として冷泉さん。お願いします」
「はい。冷泉翠(れいせんすい)です。乙瀬さん、宜しくお願いします」
そう言って花の目の前に歩み寄ったのは、ブロンドの髪が綺麗な女性だった。肌もきめ細やかで白く、瞳も日本人とは違う色。異国の人だろうか、と思いつつも名前は日本のものだった。にっこりと微笑みこちらを見るだけで、同性の花でもドキリとしてしまうほどの美人だった。
「乙瀬さんよりも年上だけど、何でも気軽に聞いてくださいね。今日は、店内の説明と当分の間、乙瀬さんにやっていただく仕事内容をお伝えします」
「は、はい。よろしくお願いします」
「それと、………少しいいかしら?」
朝礼が終わったのを確認した後、花は店内の奥、VIPルームに通された。まだ営業時間ではないので誰もいない。
パタンッと扉を閉めたのを確認した翠は、くるりと花の方を振り向いた。
その表情は先程笑みを浮かべていたものとは一変して真剣なものだった。次に何を言われるか、花にも察しがついた。
「岡崎さんから話は伺っています。お父様の件、残念でしたね」
「ご心配おかけしてすみません」
「ううん、いいのよ。あなたにとって大切な家族が亡くなったのだから、今は悲しむ気持ちがあって当然だし、お見送りする必要もあるわ。けれど、1つだけ伝えておきます」
「はい」
「スタッフの中でも、あなたのお父様がなさった事を悪だとし、花さんを雇う事を反対した人もいます。だから、あなたに対して辛い事を言われたりされたりするかもしれない。けれど、その時は私や岡崎さんにすぐに教えてくださいね」
「わ、私は大丈夫です。それも仕方がないことだから」
「罪を憎くんで人を憎むまず」
「え……」
当然、そんな事を言葉にした冷泉に花は目を見開く。
すると、真面目な表情から一転して、冷泉は「ふふふ」と笑った。
「私の大好きなおばあちゃんがよく話していた事なの。私もそう思ってる。それに、あなたが悪い事をしたわけではないんだから、あなたの傷つける言葉や態度は間違っていると私も岡崎さんも、ほとんどのスタッフも思っているわ。だから、堂々と仕事をしてね」
頑張るのよ、と手で拳をつくった左手にはダイヤモンドがはめ込まれた結婚指輪があった。
こんなにも素敵な人なのだ、お相手の男性はとても幸せだろうな、と花は思った。
それに、自分を理解し応援してくれる人がいる自分も幸せだなっと思い、彼女の真似をして拳をつくり「頑張ります」と2人で微笑み合ったのだった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
鎌倉古民家カフェ「かおりぎ」
水川サキ
ライト文芸
旧題」:かおりぎの庭~鎌倉薬膳カフェの出会い~
【私にとって大切なものが、ここには満ちあふれている】
彼氏と別れて、会社が倒産。
不運に見舞われていた夏芽(なつめ)に、父親が見合いを勧めてきた。
夏芽は見合いをする前に彼が暮らしているというカフェにこっそり行ってどんな人か見てみることにしたのだが。
静かで、穏やかだけど、たしかに強い生彩を感じた。
もっさいおっさんと眼鏡女子
なななん
ライト文芸
もっさいおっさん(実は売れっ子芸人)と眼鏡女子(実は鳴かず飛ばすのアイドル)の恋愛話。
おっさんの理不尽アタックに眼鏡女子は……もっさいおっさんは、常にずるいのです。
*今作は「小説家になろう」にも掲載されています。
雨音
宮ノ上りよ
ライト文芸
夫を亡くし息子とふたり肩を寄せ合って生きていた祐子を日々支え力づけてくれたのは、息子と同い年の隣家の一人娘とその父・宏の存在だった。子ども達の成長と共に親ふたりの関係も少しずつ変化して、そして…。
※時代設定は1980年代後半~90年代後半(最終のエピソードのみ2010年代)です。現代と異なる点が多々あります。(学校週六日制等)
あの日から、ずっと。
あすたりすく
ライト文芸
ホラー風の恋愛話。彼女を亡くした男がとある古本屋で出会った女性からおまじないの本を借りた。その本に記されていたのは、亡くなった人の電話番号とアプリだった。
※全六話
真夏の因果律
渋川宙
ライト文芸
夏の長期休暇を利用して祖父母の家を片付けることになった桐山夏樹。研究室の仲間を引き連れ、堂穴村に向うことに!
その堂穴村ではかつて、対立する名家の跡継ぎ同士が大恋愛を成し遂げたという話があって……
夏樹の先祖の秘密が解き明かされる!!
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。
光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。
昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。
逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。
でも、私は不幸じゃなかった。
私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。
彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。
私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー
例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。
「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」
「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」
夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。
カインも結局、私を裏切るのね。
エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。
それなら、もういいわ。全部、要らない。
絶対に許さないわ。
私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー!
覚悟していてね?
私は、絶対に貴方達を許さないから。
「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。
私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。
ざまぁみろ」
不定期更新。
この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる