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22話「困り顔」
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★☆★
最近の千春は、目に見えておかしかった。
よそよそしくなって、避けられていると思った途端に、甘えてくるようになっり……。それが終ると今度は忙しそうに出掛ける事が多くなっていた。
秋文も練習や試合、そして起業準備に仕事などで忙しい日々を送っており、会える日も少なくっていた。それでも、千春への想いは変わるはずもないし、むしろ会えない日が続けば続くほどに愛しさは増していった。
惚れた方が負けというのは、本当に当たってるなと思ってしまう。
千春も寂しがってくれているのか、会える日は前以上に甘えてくれるようになっていた。
そして、彼女はよく秋文の部屋に泊まるようになり家に千春の私物も増えていった。それは、秋文にとっては嬉しいことだった。
千春は全て持って帰ろうとしていたけれど、秋文がそれを止めて置くように言ったほどだ。彼女はあまり納得してないようだったけれど、渋々置くようになったのだ。
部屋に千春がいなくても、パジャマが置いてあったり、スキンケアが鏡の前に並べてあったりするだけで、秋文は彼女がまたこの部屋に来てくれると安心出来るのだった。
その日も千春は秋文の家に泊まる事になっていた。
2人でお風呂に入る事が多くなっていたので、入浴剤をいろいろ準備しておくと、千春はとても喜んでくれて、「今日はどれにしようかなー。」と嬉しそうに選んでいた。
体や髪を洗っているところは見られたくないっと言って風呂場から出されてしまう。けれど、湯船に2人でくっついて入るのは好きになってくれたようだった。
「梅雨だと寒いから、お風呂は暖まるねー。」
向かい合って入るのはまだ恥ずかしいらしく、今日も後ろ向きの千春は、そのまま秋文に寄りかかっていた。
「もしかして、夏でも風呂に入るとか言わないよな?」
「入るよー!秋文お風呂好きじゃなかったの?」
「普段はシャワーでいいと思ってる。」
「えー……お風呂好きなのかと思ったのに。」
「おまえが好きだから入ってるだけだ。」
「………ずるいなぁー、秋文は。」
少しの沈黙の後。
千春は顔だけを後ろに向けて、悔しそうにそう言う。けれど、千春の顔はほんのり赤くなり、濡れた顔や髪が色っぽい。おまえの方がずるいと思い、悔しくなって千春の顔を軽く掴んでキスをする。
突然のキスに驚き、体が離れていこうとするのを、秋文は抱きしめて止める。
パチャパチャと水が跳ねる音が聞こえていたけれど、キスを続けていくとそれも止まり、口から聞こえる水音が浴室に響いていた。
時折彼女から洩れる声が、秋文を興奮させ、更にキスは深いものになっていく。
「ちょ……秋ふみぃ………。のぼせ、る………。」
キスとキスの間に、涙目の千春が必死にしゃべろうとして、何とか意味が伝わり、秋文は唇を離した。
「もう………こんな所で激しくしないでよ………。」
「家の中なら場所関係ないだろ?前だって、玄関で………。」
「わぁー!それは恥ずかしいから!」
この場には2人かいないのに、隠す意味はないと思いながらも、千春をからかうのを止めた。これ以上言うと、千春が怒ってしまうのを秋文は知っていた。
「ここのお風呂広いからゆっくり入りたいのに。……秋文のせいで、いろいろのぼせそう。」
「いつでも風呂ぐらい貸してやるけど………何、千春もしかして、体火照ってきた?」
「もぅ!秋文、えっちなんだから。」
そう言って、秋文がいる浴槽の反対側に体を丸くして座りながら、ジロリと千春が睨んできた。
そろそろ自分ものぼせそうになったので、浴槽から出る。すると、すぐに千春は視線を下にして水面を見つめる。お互いに裸を見せ合っている仲だというのに、まだ初々しい反応を彼女は見せていた。
それを微笑ましく見つめながら、秋文はある事を思い出した。
「上がったら千春にあげたいものがあるんだ。」
「え……なんだろう、気になる。」
「だったら早く上がってこいよ。俺は先に上がる。」
そう彼女に伝えて、秋文は一足早く浴室から出た。
すぐに服を着て髪を乾かし、ペットボトルを持ってリビングの窓際のソファに座ってボーッと外の夜景を眺める。
外は大粒の雨が降り続いていて、時折はげしく雨水が窓を叩いている。
こうやってこの温かい場所で、愛しい人が来るのを待っている穏やかな時間。それが何よりも大切でなくしたくない物だった。
自分がスペインに行ったら、長い間千春に会う事が出来ない。
先ほどのようにお風呂で笑い合い、キスを交わすことさえも出来なくなってしまうのだ。そんな事が自分に耐えられるのか。そんな自信はなかった。
千春と付き合う前は、頻繁に会う事ももちろん触れ合う事もなかった。けれど、月に数回は会っていたし、彼女を見守ると決めていたので我慢する事が出来た。
けれど、今は違う。
彼女を抱き締めた時の感触や暖かさや匂い。そして、照れたときの色っぽい顔、キスの柔らかさ、抱き合った時の幸福感。
それを味わってしまったら、もう後戻りは出来るはずがなかった。
千春がこの手から離れるの事など、想像さえもしたくなかった。
それに、千春も寂しがり屋だ。
秋文がスペインに行くと行ったら、泣き出すだろうか。それとも、無理に笑って送り出すのだろうか。
どちらにしても、そんな千春の顔を見たくはなかった。
けれど、憧れの海外チームのオファーだ。
夢のようだったし、日本代表に戻れるかもしれないと思うと、正直心が揺れた。
だが、自分は何のために起業までしたのか。
彼女を幸せにするためなのだ。幸せに暮らしてほしいと秋文は願っていた。
だから、千春と一緒にいると決めた。
スペインのオファーも断った。
けれど、まだ期間はあるからゆっくり考えてほしいと言われているが、答えはもう決まったようなものだった。
「秋文ー、お水貰ってもいい?」
いつの間にか風呂から上がっていたのか、千春かわ話をかけてくる。ロングのシャツワンピのパジャマを着て、濡れた髪は後ろでまとめていた。
冷蔵庫から新しいペットボトルの水を渡すと、「ありがとう。」と言い水をゴクゴクと飲み始めた。
「あぁ、さっき話した千春にあげるもの。……手、出して。」
「うん。」
千春は両手を皿のようにして差し出す。秋文はズボンのポケットからある物を取り出して、彼女の手の上に乗せた。
「………鍵?もしかして……。」
「俺の部屋の鍵だ。俺がいないときでも来ていいから。」
千春はどんな顔をするだろう。秋文は緊張しながら鍵を彼女に渡した。
驚いた顔をするのか。それとも、恥ずかしそうに照れるのか。よろこんで笑ってくれるのか。
秋文は、そんな想像をしていた。
けれども、それら全て違っていた。
千春は、手の中の鍵を見つめて戸惑った顔をしていたのだ。目は泳ぎ、何と返事をすればいいのか迷っているのか、口をうっすら開けて固まっていた。
その様子を見て、秋文も焦ってしまう。
まだ鍵は早すぎたのだろうか。それとも、部屋に来て料理や洗濯などの家事を手伝って欲しいと思われてしまったのか。
彼女が何故喜んでくれないのかわからないまま、秋文は少し早口で焦りを隠すように千春に声を掛けた。
「鍵はまだ早すぎたか?別に、家事をしてくれとかいってる訳じゃないから。好きなときにまて来てくれればいいから。………もし、鍵がいやなら………。」
「ご、ごめんなさい。驚きすぎて………とっても嬉しいよ。ありがとう、秋文。」
「でも、おまえ……。」
全然笑えてないぞ。
彼女に伝えたくても、必死に笑顔を作っている千春に言えるはずがなかった。
その後は普段の千春に戻っていた。
「自分の家の鍵と秋文の家の鍵を一緒のキーホルダーに入れられるなんて嬉しい。」とか、「秋文がいない部屋に入るのドキドキするなー。」とか、そんな事を笑って話している。先程よりは普通になったけれど、まだどことなくぎこちない表情だった。
秋文も普通通り返事をしていたが、内心では心が荒れていた。
千春が困っている姿を見て、酷くショックを受けていたのだ。
彼女は何故そんな顔を見せたのか。
いくら考えても、理解することは出来なかった。
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