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6話「忘れさせる」
しおりを挟む6話「忘れさせる」
秋文が連れていってくれたのは、よく四季組で来る個室のカフェだった。
出の友人のお店で、看板などもない会員限定のカフェと聞いた時は、千春も立夏もとても驚いた。立夏は「会員限定のお店って、なんかやらしいねー。」と言って、出に怒られていたのを思い出す。
店内は、とても落ち着いた雰囲気で、店長さんも気さくないい叔父さんだった。
個室も大きなソファがあり、たくさんのクッションもあり、女の子が好きそうな作りになっていた。
千春はこの店が気に入り、それからは、よく四人でこの店に遊びに来ていた。
秋文と千春のふたりでお店に入ると、店長は「珍しい組み合わせだね。」と驚きながらも、千春がお気に入りの部屋へ案内してくれる。
秋文は、千春のものを注文をしてくれる。ここに来ると千春は同じものを飲むので、彼を覚えていてくれるのだろう。
秋文にはブレンドコーヒー。千春にはチャイティーラテ。そして、チーズケーキ。すべて、千春の好きなものだ。
彼は自分に興味がないフリをして、よく見ていてくれている。そう感じると、妙に恥ずかしくなり、温かいチャイティーを一口飲んで、視線を誤魔化した。少しだけピリッとする、香辛料が効いたチャイティー。秋文は「なんだこれ……よく飲めるな。」と、昔1度だけ飲んでから、絶対に飲まないけれど、千春はこれを飲むととても落ち着くのだった。
「で、なんでそんなに怒ってんだ?」
「怒ってない……。」
「怒ってるだろうが……。」
秋文は少し呆れた顔でこちらを見ていた。
自分でもどうして、こんなにイライラしてしまうのか、よくわからない。
昨日、秋文と知らない女性を見てから、気持ちが落ち着かないのだ。
その時、テーブルの上のスマホがブブっと震えた。
思わずそちらを急いで見て通知を確認してしまう。出からの、食事のお誘いで、きっと秋文にも同じものが届いているだろう。
「出からだね。秋文にも届いてるでしょ?」
「………おまえ、今、先輩とかいう元彼からの連絡だと思っただろ?」
「え………。」
自分の気持ちが彼にバレている事に、千春は慌ててしまう。
どうして彼にはわかってしまうのだろうか。スマホを見る時に顔に出ていたのだろうか。
「そんなことない……。」
「あんなにショック受けてたのに?」
秋文が優しくしてくれる。
それなのに、千春は秋文の言葉を聞くと、何故かイラッとしてしまうのだ。自分の気持ちがわからない。自分の感情が制御出来ない。
「………忘れられるはずないじゃない。だって、好きだったんだもん!そんなに簡単に忘れられないよ……。」
気づくと、大きな声で彼怒鳴るような言葉が出ていた。いつもの冗談の言い合いではない。
本気で、怒ってしまったのだ。
それに気づいた頃には、もう遅い。
秋文の驚いた顔を見て、ハッとなり少しずつ冷静になるが、もう後には引けない。
「憧れてた優しい先輩だから。いつも、私に優しくしてくれてたのに、急にフラれて隣から居なくなってしまったんだから、仕方がないじゃない。………。私、そんなにモテるわけじゃいから。彼女がたくさんいる、秋文とは違うよ。」
「………なんだよ、それ。」
「ぁ………。」
秋文は、低い声で千春の話しに反論する。
いつもとは違う、鋭い瞳で千春を見つめ、声は別人のような大人の男の物になっていた。
「彼女はいないって言っただろ。それに、お前が好きだとも言ったはずだよな?……おまえ、俺の気持ちが嘘だとでも思っているのかよ?」
「……そんなことなぃ……。」
「あるだろっ!」
秋文の強い声が聞こえ思わず目を閉じると、ドンッと肩を押されたのがわかった。抵抗する暇もなく、千春はクッションの上に押し倒される。
驚いて目を開けた頃には、秋文が千春に覆い被さっており、間近にある彼の綺麗な顔にドキッとしてしまう。
けれど、彼の顔には怒りが見られ、緊張よりも怖さを感じてしまう。秋文を本気で怒らせてしまったのだ。
「俺は、我慢するのを止めるって言ったよな?お前が俺のものになるなら、なんでもやってしまいそうなんだよ。………こうやって、押し倒して、無理矢理キスして、それ以上のことをして……。体から俺の物にして、俺を好きになってくれたって構わないんだ。順番や手段なんて、どーでもいい。おまえが、俺の気持ちを本気だと思わないなら……関係ない。」
怒っているはずの彼の表情は、少しずつ悲しみを帯びてきて、最後の方は泣いてしまうのではないかと思うほど、悲しんだ瞳で、千春を見つめていた。
千春は、秋文を怒らせたのではなかった。
秋文を傷付けてしまっのだ。
そう気づいた時。
千春はやっと冷静になった。彼を傷付けてから、怒りが静まるなんて、最低だと思った。
「ごめんなさい………私、今最低なこと言った。せっかく、秋文が気持ちを打ち明けてくれたのに、それに向き合ってなかった。………ごめんなさい、秋文。私、自分のことばっかり考えてたよね。」
「千春………。」
千春は、押し倒され恥ずかしくもあったけれど、まっすぐと秋文の目を見て、自分の気持ちを伝えようと、真剣な表情で、言葉をゆっくりと紡いで話しをした。
「あのね、秋文は遠征の後にすぐに来てくれるって言ってたでしょ。だから、その昨日来るのかなって思ってた………テレビで、秋文のチームは日曜日の夜には戻ってきてるって言ってたから、昨日おうちに来てくれるのかなって。そしたら、連絡なかったひ、その………昨日、帰りに秋文の車に綺麗な女の人がいたから。なんか、私が好きっていうのは、1番じゃないのかなって思っちゃって……って、何で笑うの?」
必死に言葉を探して、昨日のことや自分の気持ちを伝えていると、秋文は途中から片手で顔を隠しながら、何故か、くくくっと笑っていた。
どうして笑われているのかわからず、千春は恥ずかしくなってしまう。自分の真剣な話が笑われているのだ。笑われる理由がわからない。
「いや……悪い。つい、嬉しくて。」
「え、何で、嬉しいの?」
「………それ、嫉妬してくれたんだろ、その女に。」
「えっ………そ、そんなこと……そうなのかな?」
秋文の言葉に反論しようと思いながらも、妙に納得してしまう。彼は「おまえの事だろ。」と言いながらも、まだ嬉しそうにしている。
押し倒されたままだった体を、「悪かった。」と言いながら、腰に手を添えて起こしてくれる。そんな風に優しくされながら、千春は秋文を見つめながら考えていた。
確かに、秋文が会いに来てくれると思っていたのに、来てくれなくて他の女の人と会っていたのには、寂しさを感じていて、もしかしたら嫉妬のような感情もあったのかもしれない。
けれど、秋文の事が好きなのかと考えると、まだよくわからなかった。抱き締められたり、顔が近くにあったり、色っぽい声で囁かれればドキッとはする。けれども、それが好きだからドキドキするのかはわからなかった。
「とりあえず、昨日の女は彼女とかじゃないから。前に紹介されて1回飲みに行ってからしつこくて。試合終わってから勝手に着いてきたから、とりあえず家に送っただけだ。」
「そう、なんだ……。」
けれども、秋文があの女性と付き合ってないとわかると、安心する自分もいる。
千春は、いろいろと考えすぎて頭がパンクしそうだった。
「それで、告白の返事聞いていいか?」
少し緊張した面持ちの秋文の声に、千春はこくりと頷き、ゆっくりと今の心情を彼に伝える。一つ一つの言葉を、丁寧に彼に伝えた、心の中に気持ちをそのまま教えられるようにと願いながら、話をした。
「……あのね。秋文の話を聞いて、確かに嫉妬みたいな気持ちもあったし、ドキドキしちゃうこともあった。でも、秋文が好きなのかなって思うと……ごめんなさい。まだ、わらなくて。それに、まだ先輩が好きって気持ちもあって。だから、秋文と付き合うとしたら、先輩を忘れるために利用しちゃってるみたいになってしまいそうなの。だから、今は……。」
全ては自分の都合だ。
先輩を忘れらないから。秋文を好きなのか、わからないから。そんな理由だけれども、大きな理由。
大切な友達だから、うやむやのままにはしたくない。だから、「ごめんなさい。」と言葉を続けようとした。
けれども、それを秋文は止めた。
「忘れるために利用してくれて構わない。それで、おまえがあんな奴の事忘れられるなら安いもんだろ。」
「……え。」
「他の男を忘れるために頼られるなら嬉しいぐらいだ。」
秋文は、にっこりと笑うと千春の頭を撫でてくれる。その優しさにまた少しだけ、胸が高鳴る音がする。
「そんなのダメだよ……。」
「ダメじゃない。俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ。」
「そんな…………。」
「絶対に忘れさせて、俺を好きにさせるから。だから、俺のモノになってくれるだろ?」
「いいの、秋文。こんな私で……。」
「おまえがいい。おまえが好きなんだ。俺の彼女になってほしいんだ。」
彼の優しい瞳と言葉が、千春の体に染み込んで、中から温かくしてくれる。こんな誠実な告白をされてしまうと、彼ならば先輩の事を忘れさせてくれるんじゃないか、そして、秋文に夢中になってしまうのではないかと、予感してしまう。
千春は、少し戸惑いながらも彼の優しさに甘えたくなる。
「………あの、こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
「っっ………。よかったっ!」
「きゃ!秋文っ?!」
千春の返事を聞くと、秋文はすぐに千春を思い切り抱き締めた。耳元で聞こえてくる声が、とても嬉しそうで、千春も思わず笑顔になってしまう。
秋文が、自分と付き合えることを喜んでくれているのだ。人と付き合って、相手がこんなにも喜んでくれたことがあっただろうか。
「ずっと、こうしたかった……おまえを抱き締めたかった。……幸せすぎて、おかしくなりそうだ。」
「秋文、大袈裟だよ。私、ずっと近くにいたじゃない。」
「近くにいたのに、触れられなかった。それがなにより辛かったんだ。」
「秋文…………。」
「しばらく、こうさせてくれ。……頼む。」
「うん………。」
いつもは冷静で落ち着いている彼が、興奮した様子で話そして、力強く抱き締めてくれる。
与えられる「好き」という感情を、全身で感じながら、いつもとは違った幸せを、千春は目を閉じて感じていた。
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