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この日の夜は、初雪が降るのではないか、と思われるほど寒かった。
しっかりコートを着ているとはいえ、長い間外にいては透碧が風邪をひいてしまう。早く店に入らなければと思いながらも、周囲に人がいる場所で話すわけにもいかない内容を今から伝えようとしているのだ。
と、誰にも邪魔されず聞き耳を立てられない場所となると、蛍は一箇所しか思いつかなかった。
「綺麗じゃないからな。それでもよかったら入って」
「お、お邪魔します」
「と言うか、人を殺したって話したばっかりなのに、よくそんな奴の部屋に一人で入るよな」
「ほたるさんが話したんじゃありませんかっ!」
ある意味で感心しながらそう言うと、もっともな事を言われてしまう。
お互いに変わり者なのだなと思う。
蛍が話し合いに選んだ場所は自分の家であった。恋人でもない異性を部屋に誘うなどしていいのかと思いつつも、自分の過去を話すには人気のない場所が必要であった。そうなると違いの部屋が一番なのだ。
嫌だったらホテルなどでもいいと言ったが、透碧は「私はほたるさんの部屋でもかまいません。信じてますので」とにこやかに言われてしまえば、蛍は何も出来なくなる。いや、元から何もしないつもりなのだが。
適当にデリバリーを頼み、お茶代わりのミネラルウォーターのペットボトルを渡す。
蛍の部屋は2部屋とキッチン、風呂、トイレしかない小さな一人暮らし用のマンションに住んでいた。奥部屋がベットとパソコンが置かれており、透碧を案内した場所はリビングとして使用していた。壁掛けのテレビの向かえにローテーブル、2人掛けのソファーが置かれている。透碧にソファに座ってもらい、蛍はクッションを下に引き、絨毯の上に腰を下ろした。寒くなると思い、新しく冬用の小さなめな絨毯を買っていてよかったなっと思った。家具が増えるので多少は部屋の掃除をしていたのもタイミングがよかったのかもしれない。
「早速ですが、話を聞いてもいいですか?」
「先に華嶽さんの婚約の話を聞きたい。それを聞いてから、どうするか決めたいんだ」
「わかりました」
透碧は先ほど蛍が渡したホットココアの缶を大切そうに両手で包んでいた。
もうすっかり暖かさはなくなっているはずなので、暖をとっているわけではないだろう。透碧はしばらくジッとそれを見つめ黙り込んだ後、ゆっくりと顔を上げた。どうやら、どのように話をするか頭の中で整理していたのだろう。
「私のお話はありふれた話です。出来が悪くて、自分の思い通りに育たなかった娘を最大限に利用出来る方法を両親はずっとかんがえていました。それが、政略結婚ですね」
「……まあ、そうなるだろうな」
「蛍さんが想像している通りです。どうやら、最近増えてきた歯科病院の系列の息子との縁談を取り付けたらしいです。その息子さんの中に薬剤関係の進んだ方がいらっしゃるらしく、その方を華嶽の会社の幹部の1人にするかわりに、うちがその歯科病院を買収するらしいですわ。増えてはきたものの最近は思うように利益が出ていないらしく、うちに泣きついてきたのでしょう。けれど、沢山の支店があるのならば薬を使ってもらえるようにすれば利益が上がりますしね。それに、経営には自信があるのでしょう」
完璧な政略結婚である。
優秀な人材である透碧は、薬学の道には進まず親の気持ちを無視して反発し大学に入学。その後も自分で生きる道を見つけて独り立ちをしようとしている。
だが、そんな娘を応援するはずもなく、親は最後の最後は自分たちの希望を叶えろと押し付けてきたのだろう。
「それは災難だったな」
「はい。そのため、私の論文の邪魔をしたり、ブログにも嫌がらせするようになってきて大変困っていました。それでも我慢していたら、次は教授の研究室に侵入するまでするとは……。信じられません。私だけ迷惑を受けるのは構わないのですが、他の人にも被害が出るのはやめてほしいですよね。まあ、結婚はしませんけど」
「どうして結婚が嫌なんだ?」
「……ほたるさん。私はほたるさんが気になると言ったのに、その発言はショックです」
「あ、ああ。わ、悪い……」
至極当然のことを質問したように感じたが、どうやら女心を傷つけてしまったらしい。
蛍は、思わず謝罪の言葉を口にすると、透碧はクスクスと笑っていた。
「冗談です。蛍さんにお会いする前から決まっていたことですから。でも、少し悲しかったですが」
「だから、悪かった。こういうのは慣れていないんだ」
「え、蛍さんは彼女さんとか好きな方とか、愛人はいないんですか!?」
「愛人も彼女がもいない。まあ、ずっと憧れている人はいるが」
「……え」
その人の事だけは誤魔化すことも嘘をつく事もしたくなかった。
蛍の1番大切な人だ。恋人になれるはずもない。いや、恋人になりたいとは思わない。蛍には遠すぎる存在である、大切すぎる人。好きな人であり、尊く、守りたいと思う女の人だった。
彼女の事を考えるだけで、自然と笑顔になれる。頑張ろうと思える。
それぐらいに、蛍にとっては大切な人であった。
「ほたるさんって、そんな表情をなさるんですね」
「俺、どんな顔してた?」
「とっても優しくて、嬉しそうでした。その方の事を本当に大好きなんですね」
「うん。ああ、でももう結婚してるし、大好きな旦那様がいるからね。そんな関係ではないよ」
「……そうですか」
「大切すぎて頬にキスした事があるんだけど、聴取室で旦那さんに思いっきり頭叩かれたよ。あれって本当なら違法行為だよ」
「……奥さんが他の方にキスされたのですから、怒りますよ」
少し寂し気な表情になってしまった透碧の姿を見て、蛍は調子に乗りすぎて話しすぎてしまった事に気付いた。
我ながら恩人夫妻の話になると気が緩んでしまう。
「悪い。話しが逸れてしまったね。華嶽さんは、その縁談を破綻させたいから俺との婚約をしたいって事だよね」
「はい。その通りです」
「わかったよ。まずは話してくれてありがとう。君の両親がしていることは犯罪ギリギリ、いや捕まってしまう可能性がある行為だから、君を助けてあげたいとは思うよ。でも、さっきも言ったように俺は君の婚約者にふさわしい存在ではないんだ」
「罪人、だとおっしゃっていました」
「あぁ。そうだよ。ここからは話しを聞いても全くいい事はないし、面白くもない。不快に思うだろう。それでも、聞く覚悟はあるかな?」
自分は本当に弱いと思う。こうやって前もって警告をしておいて、もし透碧が「怖いのでもう関わらないで」と言ってきたら「だから言ったじゃないか」と言えるために予防線を張っている。そんな事を言うような人ではないとわかっているのに。
それでも、自分が傷つくのが怖いのだ。自分は他の人を傷つけていたというのに。
本当にしょうもない人間なのだ。
「ほたるさんのお話、聞きたいです。何があったのか、ほたるさんがどんな気持ちだったのか、私にも教えてください」
誰にも話さずに生きていこうと思っていたし、1人で生きていこうと思っていた。
けれど、少しだけなら温かさを感じていいだろうか?
偽りという関係ならば、許されるだろうか。
本当の婚約ではないならば。それが彼女を助けることになるならば。
透碧を信じてみようと、蛍は重たい口を開けたのだった。
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