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10、

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      10、


  ここ数日は、いつもと違いすぎた。
  夜遅くまで仕事をして、ヘトヘトになりながら夜道を歩き、ベットに体を沈めて死んだように寝る。それがほぼ毎日だった、仕事が休みの日は、荒れ果てた部屋を片付けて、それが終わったら買い出しをして余った時間をでゲームをする。ありふれた時間をであるが、蛍はそれでも充実していると思えた。
  それに月に1度は大切な人たちにも会えるのだから。
  その人たちに恥じないように、死んでいた彼が安心して見ていられるような生活をしよう。それが、蛍が日々の生活で心掛けている事だった。

  けれど、彼女に会ってからはどうだろうか。
  確かに面白い女だとは思うし、話は聞いていて飽きない。夢に向かって駆け上がっていく姿もかっこいいと思う。
  だが、これ以上一緒にいれば、自分の大切にしていた平穏な暮らしが音を崩れていくような気がしてならないのだ。

  それに彼女のが話した「婚約者になってほしい」というのも、所詮は偽りだ。本当だとしたらもっと困るが、偽りの関係というのも厄介だ。しかも彼女は大手企業のお嬢様でもある。そんな彼女の偽の婚約者になればどのような事に巻き込まれるのか。考えもしたくないが、絶対と言っていいほど何かが起こるだろう。

  大学の研究室に入り込み、窃盗をさせるほど大切にしているお嬢様をどんな男がさらっていこうとしているのか。どんな手段でも調べるだろう。

  絶対に引き受けるわけにはいかない。


  そんな事を呆然と考えながら夜道を足早に歩いていると、いつの間にか駅には向かっておらず、癖で終電がなくなった時の徒歩ルートを歩いていた。
  運動不足だからちょうどいいと考え直し、彼女と初めて出会った歩道橋が見えてきた。複雑な気持ちを抱えながら、蛍は歩道橋を上った。そこからの景色は本当に川を泳ぐ魚のように見えた。ここの景色を楽しんでいた透碧の気持ちもわからなくもなかった。澄んだ冷たい空気と色とりどりの流れるライト。冬の名物と言ってもいいかもしれない。ここで粉雪など降ったらどんなに綺麗だろうか。まあ、雪が降るとなると寒くなりすぎるので勘弁してほしいものだが。

  ちょうど歩道橋の中央を横を向いて歩いている時だった。
  カンカンッとヒールを鳴らして歩道橋を駆け上がる音が夜の街に響いた。
  急いでいる人がいるのだろう。それぐらいしか思わなかった。が、この瞬間背中に衝撃が走った。
  何か硬いものが物凄い勢いで飛んできたのか、それが背中に当たり、ボンッという音と共に歩道橋の床に落ちた。背中の衝撃は大したものではなかった。だが、何かが飛んできたのは確かだ。蛍は何かを確かめるべく下を見ると、黒の細身のヒールの靴が落ちていた。その靴は見覚えがある。

「華嶽さん………」
「今、あなたに物を投げてぶつけました。私も犯罪者です!」
「………な、何言って」
「私、諦めないですって言いましたよ!それに、女の人が一生懸命告白しているのに、話しもせずに去っていくなんて、ほたるさんらしくないですよ!」
「なんだよ、それは……」
「どうして人を殺したのか教えてください。私、ほたるさんが知りたいんですっ!」


  会う度に完璧に身なりを整えていた透碧だが、今は髪はボサボサになり、息もあがり冬だというのに顔にはうっすらと汗が浮かんでいる。そして、右足はストッキングの足先が見えており、片方だけほぼ裸足で蛍の方へと泣きなあがら近づいてくる。
  ボロボロた姿を蛍に沙汰してもいいと思うほど、いやそんな身なりを気にする余裕もないほどに彼女は蛍を無我夢中で追いかけてくれてのだろう。

  どうして、そこまで出来るんだ?
  裏の世界で生きて、大切な人を殺してしまった過去を死ぬまで背負って生きていく人間に。
  自分でさえも、普通の幸せなど求めるべきではないとわかっているのに。

  彼女のは明るい場所へと導こうとしてくれているのか。
  いや、違うのか。
  彼女のは蛍と闇の世界に堕ちてしまおうと思っているのだろうか。

  そんな事をさせてはいけない。
  それなのに、どうしてだろうか。
  彼女が追いかけて来てくれたことが、嬉しいと心の何処かで思ってしまっているのだった。

  考えすぎてしまったからなのか、こんなにも自分に夢中になってくれる人がいて嬉しかったのか。自分でもよくわからなかったが、ある気持ちが湧き上がって来た。


「………くくくくッ」
「な、何でこの場面で笑えるんですか?」
「ほんとに、おまえって面白いな。はははッ。お嬢様が自分のヒール投げてぶつけるなんてするのか?くくく」
「しょうがないじゃないですか。追いかけるのにいっぱいいっぱいで、どうやってほたるさんを引き留めようかって考えついたのがこれしかなかったんです!そんなに笑わないで。意地悪しないでください」

  恥ずかしさもあったのだろう。
  だが、それ以上に彼女は必死だった。
  自分を引き留めるのに、話しを聞きたくて、そして聞いて欲しくて。河崎蛍という人物を知りたくて。ここまでしてくれる。
  そして、目の前で泣いてくれている。

  蛍は小さく息を吐いた後に、彼女に近づきしゃがんで靴を履かせてあげる。

「泣かないでください、強いシンデレラ」
「おっしゃる事ががいちいちキザっぽいですわ」
「いじけちゃった?」
「もう笑わないでください」
「わかったよ」
「逃げないでください」
「わかったよ。……ごめん」


  そういうと、蛍は彼女の手を握った。走ってために上昇した体温。けれど、彼女の指先だけは冷たくなっている。初めて知る彼女の体温を感じ、蛍は胸の奥に何かを感じた。苦しいような感じだが、全く嫌ではない。むしろ、心地よく感じる。こんな気持ちになるのは久しぶりだ。

「話すと長くなるけど、聞いてくれるかな?本当に気分がいい話しではないから覚悟はしておいて欲しいんだけど」
「もう覚悟は決まってるのです。私は自分の気持ちに嘘をつきたくないんです」
「うん、そうだったね」

  蛍は自分の鞄からハンカチを取り出して彼女の頬や目の際にあてる。
  その後、2人は交わす言葉も少なく、手を繋いだまま歩き、歩道橋を降りる。

  この日は心が温かく帰路であった。蛍には過去に置いてきた感覚だった。



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