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ファム・ファタール
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しおりを挟む「あ~~、えっと~その、ごめんなさい。あの…ごめんなさい。あなたには、お仕事を辞めて欲しいというか…辞めてもらわないといけなくて…」
一日中なにかを言いかけては辞めてを繰り返す店長を問い詰めたらコレ。
「は?」という言葉にすらなかった音を思わず発してしまった私は…きっと悪くない。たぶん誰だってそうなるはずだから。この時の私は悪くなかったかもしれないけど、でももともとの要因を探っていけば悪いのはおそらく私。「事情があって…」と店長は言うけど、本当に悪いのはいつまでたっても仕事ができない私の無能さだ。不出来ながらちょっとずつ成長はしていて、「がんばってる」ってみんなから言われて、ちょっと調子に乗ってたしなんか私の無能さが許された気がしていたけど…ぜんぶ私の思い込みだった。
恥ずかしくて恥ずかしくて今すぐどこかに消えてしまいたかった。息がつまる感覚にそのまま溺れてどこかに沈んでしまいたかった。
バイトをクビにされたなんて恥ずかしくて、幼くて言っていることを半分も理解していなさそうな八条以外に誰にも言えなかった。だから、大学内の知り合いにはとりあえず「辞めた」とだけ伝えて、文房具屋さんで一緒に働いていた人たちとは…連絡をとるのをやめた。
そして、すべてのきっかけはここだった気がする。
私の人生が本格的に崩れ落ちはじめたのは、たぶんここだった。
一回落ち始めてしまえばあとは簡単。なにをしようとも望もうが望まいがただただ落ちていく。
嫌がらせは昔よりずっと激しくなった。私が一人になる瞬間を見計らったようにソレはやってきて、私に理不尽な暴力と言葉を押し付ける。殴られて蹴られて罵倒される。ふとした時に物が消えて、授業の時に開いたノートと教科書には悪口が書いてある。前まではここまで露骨じゃなかったし、嫌がらせの数もここまで多くなかった。
誰かに相談することも考えたけど…無理だ。エルちゃんとルイゼにはこれ以上迷惑かけられないし、いじめられているなんて恥ずかしいから知られたくない。八条にはちょっと話しているけれど伝えたところで…だ。シェバさんとは…もうそんな関係じゃない。先生にも当然無理だ。この前ルエさんに話したけど、嘘つき扱いされてなにも信じてもらえなかった。私は頭もよくないしコミュ力もないので他の先生からも疎まれているから、彼らが助けてなんかくれるわけない。
偶然なのかなんなのか本当にまずい嫌がらせの時はルイゼが来てくれたりするから、致命的な嫌がらせは回避できているけどこのままだとよくないことはよくわかる。
だけど、どうにもならない。勇気を出して、まだ私を助けてくれそうなエルちゃんかルイゼに助けを求めればいいのかもしれない。でも、これで変な風に知られて「面倒だしもう近づかないでおこう」だなんて思われちゃったら私はどうすればいいのかわからない。
そんなんで嫌がらせは悪化するばかりでどうにもならないし、バイトもはやく見つけなきゃいけないのに見つからない。
焦りと不安ばかりがつもる毎日。それでも一応「生きる」ことはできていたから、生きていた。生きていたんだけど、ある日生きることすらできそうもないことに気づいた。
__財布の中は空っぽでいくらひっくり返しても何も出てこない。
極限まで切り詰めていたし、途中からご飯はお昼だけとかにしていたけど…やっぱりどうしても足りなかった。
お金がなければごはんもなにも買えない。ごはんを買えなければ、死ぬしかない。森の中の草とかも本を片手に色々食べて見たけど、お腹が満たせるレベルじゃない。
本当はお昼を買うお金もないけど、そんなことはバレたくない。だから、ダイエット中だとか言って、お昼の時間はルイゼを振り払って誰もいなそうな教室に逃げたり。まともな食事と言えば、エルちゃんが休憩の時に出してくれるオヤツかルイゼが「いらないから」と渡してくるちょっとした軽食ぐらい。
たぶん、もう限界だった。
ちょっとの間は頑張ってみたけれど、ちょうど生理も来ちゃって身体もふらふらで…。ルエさんに前借をお願いするとかもっと他に選択肢はあったのかもしれない。でも、そんな選択肢も思い浮かばないぐらいに極限まで追い詰められていた。
あともう何日かだけ我慢すれば、支援金の支給日だったけど__その数日がもう耐えられなかった。
「…あ」
エルちゃんの驚愕に見開かれた、この島を取り囲む海のようなエメラルドグリーンの瞳に照らされて我に返る。そして、絶望する。
私の両手は__罪を握りしめていた。
それをエルちゃんが自腹を切って「サークル用」としていることを私は知っていた。「サークル用」と書きながら、その半分近くを私の学習のために使ってくれていることを私は知っていた。
知っていながら、裏切った。
「助けて」と言うのを怠って、よりにもよって全てを滅茶苦茶にする方法で解決しようとした。
言い訳をさせてもらうと、それを考えられる程の理性ももうなかったのだ。あまりの貧窮と空腹に私は耐えられなかった。一切の遊びを捨ててもなお、お腹がすいてすいて仕方なくて。心が今にも潰れそうで、頭はもうとっくにおかしくなっていた。無防備に置かれたそれに、私の生存本能は逆らえなかった。
「…ごめんなさい!!!!」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…自分でもなにを言っているのか半分わからなくなるほどにその言葉を繰り返す。そして、半分は申し訳なさで、四分の一は打算で、残りはエルちゃんの顔を見ないようにするために頭を地面にこすりつける。
「魔がさしてしまって!その…その、バイトをクビになっちゃって、お金が全然なくて…ご飯もずっと食べれてなくて…」
私はとてもズルい人間だ。ここまでしてこういえば、エルちゃんは…許してはくれるかどうかはわからないが、見逃してはくれると薄々思っていてコレをやっている部分がある。
でも、それでも申し訳ないと思う気持ちも本当で、ここでエルちゃんがどんな決断を下そうと私たちの関係が「これまでと同じではいられない」ことに絶望していることも間違いなかった。
「だから、そこに…机の上にお金が…おいてあったからつい…」
そう言いながら、情けなさと恥ずかしさと申し訳なさで眩暈がする。
こんな人間に生きている価値があるのだろうか。あるわけない。ないけど、私はやっぱり死にたくない。死ぬのはこわい。
「お金は勿論返しますし、なんでもします…」
このことがバレたらきっとこの大学からも追い出されてしまう。そんなことになったら、私が生きていけるわけがない…
「だから…どうか、どうかこのことは誰にも言わないで…。ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
ひたすら頭を下げ続ける私の上にくらい影がかかる。
これまでなんの反応もなかったはずのエルちゃんが動いた気配に、少しだけ顔を上げて様子を伺おうとする前に、無理やり腕を引っ張り上げられた。
「えっ」
あまりにエルちゃんらしからぬその動作に思わず驚愕の声が漏れ出る。
そして、ずっと見まい見まいとしていたエルちゃんの顔を咄嗟に私は見てしまった。
「__あ」
それは、わらっていた。
目を不気味にぎらぎらと光らせ、ぎざぎざと鋭い歯をむき出しにして、口が裂けてしまいそうなほど口角を吊り上げて__笑っていた。
「え、エルちゃん…?」
そう呼びかけながらも、私はそれが本当に私の知る「エルちゃん」なのかわからなかった。
それは、血のように真っ赤で異様に長い舌を出すと、ぺろりと私の指にいつのまにか滲んでいた指を舐める。
そして、歌った。
やさしいけどぜんぜんやさしくない声で歌って、歌って、私を食べた。
私を、歌って、食べて、歌って、食べてたべてタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテタベテ…
「ねぇ?わかりますよね?このこと…話しちゃだめですよ?大学の誰にも。もちろん、あなたの大好きなルイ・クーポーにも話したらだめ。わかってますか?」
「あなたもお金盗んだこと…バラされたくないでしょ?黙っててあげますから」
「それにね、このこと学校側に話したところで…もみ消されるだけですよ。たぶん言ってなかったと思うのですが、僕って…セイレーンていうバケモノなんです。僕の母とその姉妹たちもみーんなバケモノなんですけど、この島を守ってるのもそのバケモノなんですよ。だから理事長も僕たちには逆らえない。だからなにを学校側に訴えてもムダ。無駄なんですよ」
「ここでのことはぜんぶ二人だけの秘密…そういうことにしましょうね?」
自らの肉を切りその血を私の傷口と口に注ぎ込みながら、とても楽しそうにソレは嗤う。これまで見たことがないぐらいに幸せそうに、いつもは青い頬を赤らめて。
どんな原理なのか食われている間も痛くはなかった。そして、先ほどソレに啜られ削られた血肉も、ソレの血を浴びると同時に癒えていく。気が付けば、血塗れなのは心のみであとは全部なかったかのようにすべて元通り。
「お金ももちろんあげますから…いいでしょう?」
血のべったりとついた口を拭いもしないまま、ソレは私の上に金をばら撒く。
「そうだ、盗みのこと黙っててほしければ__ぜひまたここに来てくださいな。また、一緒に楽しみましょう」
私が罪を犯したその日から、私の天使は魔物となり果て、私の静かな幸福の隠し場所であったはずの秘密の地下は私を喰らう地獄の食卓となった。
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