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飽食のセイレーン
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しおりを挟む__君を夏の日にたとえようか。
『ソネット集』18番より
あの試験の日から徐々に増えていた呼び出しの回数は、イソトマさんとのことがあったあの日からさらに加速度的に増えていきました。
これは、僕の満たされない感覚__飢えが酷くなったから、というのもあります。ですが、彼女からの申し出があってのことでもありました。呼び出しの回数を増やして欲しい、と彼女に震えながら言われた時には耳を疑いましたがどうやらなにかお金が要り様のようで。
ただ、具体的になんのためにお金が必要なのかは知りません。
聞けば教えてくれたのかもしれませんが、これで聞いて「ルイ・クーポーのために」…などと言われた日には僕はどんな顔をすればいいのでしょう。
それに…お金が目的だろうとなんだろうと、彼女から「増やして欲しい」と言われたのは__もちろんそんなわけはないとわかってはいますが__「食事」と「作り替え」を彼女にも許容されたような気がしました。少なくとも、全くの非合意の行為ではないと。
「…一回の額を増やしましょうか?」
「作り替え」の傷の治り待ちの時に、以前よりかなり増えた「食事」に少しだけ心配になった僕は、「一回の額を増やすから<食事>の回数を減らすか」という意図をもってそう声をかけました。
でも、彼女はしばらく黙り込んだあと首を横に振り、「私にそんな価値はない」と言うのでした。
「…あなたは価値ある人ですよ」
「それは…おいしい食事としてってこと?」
「…その方向性での価値も否定はしきれませんが、そうでなくともあなたはとても価値のある人です。ちゃんと努力ができて、人を思いやることができて、どんな人からも必要とされる…素敵な人です」
こんなの、なんてこともない誉め言葉のつもりでした。
リップサービスというわけではなく、事実を述べただけ__という意味で。
「そんなわけない」
ですが、彼女はその言葉に対して彼女にしては珍しくはっきりとそれを否定しました。
「だって、私…、だって…だって…私…」
彼女の目の焦点がぶれ、まるで吹雪の中にいるように身体が震え始めます。
そして、そのまま「私」と「だって」を繰り返し続けるのです。最近、つらいことが多いのか震えている姿はよく見ますが、ここまで様子がおかしいのは初めて見ました。尋常ではない様子に僕は、彼女がこのまま死んでしまうのではないかと思って、「かよこさん!」と随分久しぶりに呼んだ気がするその名前を繰り返し叫びました。
するとやがて、震えはおさまり、目の焦点も合っていきました。
まぁ、いくら目の焦点があったところで彼女が僕の目を見ることはないのですが。
「あの、」
「…帰る。帰ります。傷、治ったから」
そう言って彼女はベッドから身を起こし、寝室のドアの方に向かって歩いていきます。
たしかにほぼ傷は治っています…が、それでも無理は厳禁で、
バタンッ!
彼女の身体がその場で崩れ落ちました。
「かよこさん!?」
「来ないで!」
悲鳴のようなその声に、僕は立ち上がりかけたおかしな姿勢のまま硬直します。
そんな僕を彼女は一瞥もせず、何度も転びかけながら部屋から立ち去っていったのでした。
彼女の寝室は、酷い惨状でした。
呼び出しの約束の時間になっても、一向に来ない彼女を不審に思って訪ねた彼女の住む館。
玄関にすら鍵がかかっていないなかったことを不審に思いつつ、最後の最後に開いた寝室の扉。
ベッドの上には、ピクリとも動かない白髪の青年。
そのすぐ下には、全身に火傷を負って意識のないルイ・クーポー。
扉のすぐ前には、首から大量の血を流し不穏な息の音を立て倒れているイソトマさん。
部屋の中央には……
「かよこさん!!!!!」
床に倒れ伏す彼女の首には鈍く銀色に輝くナイフが刺さっていました。
ナイフが栓になっているからか、イソトマさんよりも出血量は少ないようです。ですが、それでも人間であるかよこさんの方が明らかに状況は悪く、このままだとすぐに彼女が息絶えてしまうことは明らかでした。
その後の記憶は飛び飛びで非常に曖昧です。
ただ、ナイフを抜き取った後は、自分を切って、その血を彼女の傷口に、その血肉を彼女の口に流し込む…それを機械のように繰り返し続けました。
何十回、あるいは何百回その作業を繰り返したのかわかりません。今日生まれて初めてした口づけも、その後に繰り返された数多の口づけも、全て自身の血の味…というのは、非常にセイレーンらしい結末__いえ、僕に相応しい自業自得の結末でしょう。
「かよこさん…かよこさん…かよこさん…」
壮絶な痛み、そしてなにより途轍もないスピードで血が失われていきます。
このままこれを繰り返し続けば、そう遠くないうちに彼女より先に僕が死ぬでしょう。そして、僕が死ねば回復も止まりじきに彼女も死ぬでしょう。この作業の先には…おそらく共倒れの未来しかない。
それでも、辞められなかった。だって、彼女はあともう一月で祝福されるべき日を迎えるのです。誰かに…シェバさんや、いっそのことそこで死にかけているルイ・クーポーでもいい。彼女を愛し、彼女が愛する人に彼女は祝福されなければならない。夏の日よりももっと美しくおだやかな彼女に相応しい、特別で、素敵な誕生日を迎えないといけないのです。
だから、とにかく、彼女の終焉がこんな血の匂いに満ちたものであっていいはずがない。
しかし、そんな願いも虚しく。
彼女が目覚めるより先に視界は揺れ明転と暗転を繰り返しはじめました。
寒くて寒くて仕方がないのに、汗がとまりません。脈も信じられないほど早くて、頭が割れそうに痛い。
もう身体を起していることすら難しく、激しい震えと共に、体がゆっくりと地面に…
「あ…」
赤と黒しかない暗く昏い視界の端で、鈍い金色が淡く輝きます。
__あの、バレッタでした。
喉はカラカラで、もう血液もまともにないはずなのに、涙が知らず知らずのうちにこぼれていきます。
彼女は、祝福してくれたのです。
「生まれてきてくれてありがとう」と。
誰でもない、この僕を。誰にも祝福されない、僕を、僕の生誕を。
「か、よ…こさん…」
僕は、遠のく意識と体に鞭打ちながら、どうにかバレッタを髪につけ直し、僕の血肉を彼女に与える作業を再開しました。
苦しくて、苦しくて、たぶんおそらくは全て無に帰すであろうその行為は、もはや僕にとって儀式でした。なにも報われないかもしれない、なにも助けられないかもしれない、でも、やらなければいけない儀式でした。彼女になにも返すことのできなかった僕の、最期の無駄な抵抗でした。
__でも、やはり彼女は目覚めませんでした。
血の味のする彼女の唇から顔を上げ、そのままその場で崩れ落ちます。
眼鏡はついていて、なんども血は拭っているはずなのに、もうなにも見えない。
今度こそ、本当の本当に限界でした。
「…ハッピーバースデートゥーユー…」
そんな中、いつの間にか僕はあの祝福の歌を口ずさんでいました。
「ハッピーバー…スデー…」
痛みも、吐き気も、濃い血の匂いも、もはやなにもなくなった真っ暗な世界で、祈るように、最期の力を振り絞り、歌っていました。
「トゥーユー…」
ねぇ、神様…
王子様にならせてくれとはいいません。
でも怪物にも、どうか一度ぐらい慈悲を与えてください。
「ハッピーバースデー…」
どうか、どうか…
「ディア……」
それでも、奇跡は起きませんでした。
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