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毒の話

Gift_Ⅱ

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 瞼を指でそっとなぞれば、瞼は淡い紫色に彩られていく。
 鏡の中の私はどこからどう見てもご機嫌で、今にも鼻歌を歌いだしそうだ。でも仕方ない。だって今日は、昨日手に入れたばかりのラメをつけて学園に行けるのだから。…いや、それは表面的な理由に過ぎないだろう。本当は、これをつけた私を見せたい相手がいるから嬉しいのだ。
 濃い紫のアイシャドウを目の際と目尻に重点的にいれてグラデーションになるように調整して、漆黒のアイラインで目元をしめる。仕上げに、昨日買ってきた貝殻や真珠、黄金を細かく砕いて作られたラメをちょうど虹彩の上あたりの瞼に軽く乗せる。そうすれば、瞼の上は一瞬にして星空のきらめきをはなつ。

「…うん、いい」

 鏡の中の、華やかなコチニールレッドに塗られた唇の両端が少しだけ持ち上がる。
 紫がかった不健康な唇の色は私のコンプレックスの一つだったが、サラが似合っているといってくれてからは嫌いじゃない。
 
 最近の私の毎日は本当に素晴らしいものだ。毎日が初めてのことの連続で、毎日がキラキラしている。それこそ、今私の瞼の上に乗っているラメよりもずっと。
 サラと教室で別れるその瞬間は、未だに慣れないし胸を引き裂かれるような感覚を覚える。だけど、それでもまた明日会えるのだと思えば幸せが胸に満ちる。ベッドの中で、はやく明日が来てほしいなんて願ったことは本当にいつぶりだろう。…ううん、これも初めてのことかもしれない。

 これも全部、サラのおかげだ。

 サラは私の隣の席のとても素敵な子だ。とてもいい子だけど、ちょっぴり抜けている。
 だから、私は学園にいる間はずっと彼女について、彼女の身の回りのことをやっている。そうでもしないと、きっと彼女の生活はめちゃくちゃになってしまうから。彼女は私がいないとだめなのだ。
 こういうと、まるで私が与えてばかりのように聞こえるかもしれない。でも、そんなことは決してない。前述したとおり、この素晴らしい毎日はすべて彼女のおかげなのだから。彼女は私と一緒にいてくれるし、言葉も交わしてくれるし、私の手を拒否しないでいてくれる。
 つまり、私たちはお互いになくてはならない存在なのだ。これまで、どうしてお互いなしで生きてこれたかわからないくらいに、私たちはお互いを必要としている。

 …なんて考えていたら、いつの間にかそろそろ学園が開く時間になっている。
 サラはどうせ遅刻ギリギリに来るだろうけど、それでももしかしたらの可能性があるから、なるべく早く行くことにしている。
 
「今日も頑張ろう…!」

 最後に鏡でもう一度しっかりと全身をチェックすれば、キラキラとラメが瞳の上で輝く。
 …サラにもいいなと思ってもらえるかな。少しでも思ってくれると嬉しいな。

 
  +  +  +  +


「サラ、君はお化粧をしないのかい」

 なんとなく投げかけた疑問。ふと、お化粧している彼女を見たことがないことに気づいたのだ。
 お化粧なんかしなくても、彼女はとてもとてもかわいい。でも、お化粧をしたらしたで、また違う魅力があるのではないかとも思う。

「私、不器用だし」

 どうせ失敗するしやりたくないんだよね、と彼女は耳たぶをひっぱりながら告げる。
 
 たしかに、彼女はあまり指先が器用な方ではない。お化粧というのは細かい作業が多いし、意外と神経を使う作業だから、そんな彼女があまりやりたがらないのも理解できるかもしれない。
 ただ、やらない理由がそれということは、お化粧という行為自体に嫌悪感があるというわけではないということだろうか。

「だったら…もしよければ、一度私にさせてくれないかな」
「え?」
「お化粧。…だめ?」

 サラはこちらを見上げて何度かまばたきを繰り返したあとに、斜め上を見上げて「ん~」と口元に手を当てる。
 その様子を見て、もしかして嫌なのかなと少し不安になる。だが、しばらくして「…私化粧品なにも持ってないけど、いいの?」と告げるのを聞いて安心する。よかった、私に化粧をされるのが嫌なわけではないようだ。

「お母さんのやつ借りてくる?」

 安心したのも束の間、その言葉を聞いた瞬間に自分の身体が強張るのを感じる。

「いらない」

 そして、思考が回りきる前に言葉が口から飛び出していた。
 意識の外から発されたその言葉に思わず動揺する。あまりにも意識せず発した言葉だったせいか、自分がどんな声色でその言葉を発したのかも思い出せない。今の言い方は、声はサラにどんな印象を与えたのだろうか。冷たく聞こえなかったか。
 募る不安に耐えきれず、弁解でもするかのように慌てて言葉を続ける。

「いや!その…私が用意するからいいよ!」
「…あ、うん。なるほど。…オッケー」

 ああ、よかった…。彼女は変わらない。私の言葉に問題はなかったのだ。
 彼女のいつも通りのコーヒーのような深い茶色の瞳に一人胸をなでおろしつつ、ふと思う。

 __彼女のはどんな人間なのだろうか、と。

 …会ったことはないが、あまりいい親ではないのだろうなと思っている。それは彼女の父親もそうだ。だって、サラにはもっと献身的なサポートが必要なはずなのに、彼女の両親ときたら、ほとんどなにもせずに彼女のことをほっぽりだしている。彼らは親という存在でありながら、サラのことを少しも理解していないし、彼女のことを守ろうともしていない。親としての役目を放棄しているとも言えるだろう。個人的には…サラのことを本当にちゃんと愛しているのかも疑問だ。

 …まぁ、サラはまだ両親のことをそれなりに好いてはいるようだが。
 でも、その好意だってきっと永遠には続かない。だって、好意の量がつりあわないアンバランスな愛は必ず崩壊する。今も、少しずつ本当の両親から私へと、彼女の重心が徐々に傾いていくのを日に日に感じている。当然だ。私はサラの本当の両親よりもずっとサラのために行動しているし、サラのことを想っている。

 …だめだ。せっかくサラと一緒にいられるのに、嫌なことを考えるものじゃない。もっと楽しいことを考えよう。

「…それで、いつやるかなんだけど…明日の放課後は時間は空いてる?」
「えっ…ああ…うん…」
「じゃあ、明日やろう」
「うん…」

 サラが首を縦にふると同時に、休み時間の終わりを告げるベルがなる。サラの瞳にかかってしまっていた髪を耳にかけてあげて、教卓の方を向く。休み時間がはじまってすぐに用意しておいたから、サラも私も授業準備は完璧だ。

 とはいいつつ、完璧なのは準備までで、授業になど少しも集中できなかった。だって、明日サラにお化粧をすることが決まったのだ。集中したくてもできるわけがない。
 アイシャドウは、アイラインは、リップはどんな色のものにしようか、どんな素材から作られたものであればサラの肌に負担をかけないか、全体をどういった雰囲気にまとめようか…そんなことばかり考えていた。
 サラは淡い青の薔薇のように可憐で、蚕のように純真で、子犬のように愛らしい。だけど…いや、だからこそ、そんなにサラに相応しいお化粧を決められない。サラだったら、どんなお化粧でも似合うだろう。でも、私がしてあげたいのはサラに一番似合うお化粧なのだ。私は、サラの魅力を一番知っている私だからこそできるお化粧を彼女にしてあげたい。



 結局、全ての授業が終わってもなにも決められないまま、私は放課後に街を訪ねていた。
 最初は塔に溢れるほどある私の化粧品を使おうかとも思っていた。だが、そんなものではサラの魅力を最大限に引き出すことなど不可能だと思いなおし、街に行って色々見てみることにした。…まぁ、これを口実にサラと一緒にお出かけできないかな、という思いがあったことも否定はしないけれど。そして残念ながら、サラはいつも通り忙しいらしく、お誘いは断られてしまった。

 この街は私の住む地域の周辺の地域の中では一番栄えている街だ。
 サラと行くのであれば、魔法を使わなくても行けるようなもっと近所の場所に行くつもりだったが、どうせサラがいないのであればと、気になっていた店があるこの街に来ることにした。村からここまで徒歩やら馬車などでは数日かかるが、魔法を使えば一瞬なのだ。
 この街では、様々な恰好をした人々が絶えず行き交い、村では到底見る事もできないような品が当然のように沢山並んでいる。

 そして、そんな街の中を私は黒いマントのフードを深く被り、私以外には視認できない魔力の蝶を追いかけて早歩きで移動している。
 …だが、いつも通りのことだが、結局いくら息を殺し全身をマントで隠したところで、道を歩く彼ら彼女らはなぜか私の存在にすぐ気づく。そして、怯えながら道を開けてくれる。「悪役だ…」という微かなざわめきとともに。混みあう街の中に開かれる一本の道は、もし私がお気楽な人間であったのなら「神話の主人公になったみたい!」とでも喜べたかもしれないが、あいにくそうではない。サラのおかげで忘れていた私の立場をよくよく思い出させてくれる。
 だからと言って、道端に並ぶお洒落なお店に意識を逸らそうとすれば、どこもサラがいれば喜びそうなものばかりが並んでいて、今はいない彼女を想像してその度に少し切なくなってしまう。

 __一緒に来たかったな。

 いや、いつかまた一緒に来ればいいのだ。チャンスはいくらだってある。魔法を使えばいつだって簡単にこれるのだから、本当に来たければ昼休みでも使って一緒に来ればいい。…なかなか勇気がでなくて、彼女の前で魔法を使ったことはまだないけれど、彼女だったら私の魔法を見てもきっと怯えたりしないだろう。むしろ喜んでくれるかもしれない。

 ふと、道案内をしてくれていた蝶がその輝きを失い、絡み合った2本の毛となって地面へと落ちていく。
 …どうやら着いたらしい。
 看板の"Kosmetikum"の文字を確認すると、フードを外し、大きく息を吸い込んでから、目の前の細かい彫刻の施された木製の扉を押す。すると、ちりんと涼やかな音が鳴り、奥から初老あたりと見える白髪の上品な男性が出てくる。彼は私の姿を認めると息を呑み、引き攣った両頬を無理やり吊り上げながら「いらっしゃいませ」と告げた。



 それからはあっと言う間だった。

 薄々想定していた事態ではあったが、別に常連客でも富豪でもないのに、私はあれよあれよという間に奥にある小奇麗な部屋へと案内された。そして、おそらく店にある全ての商品が私の前に並べられた。華やかな外装の口紅、アイシャドウ、チーク、アイライン、香水…私でも名前の知らないような化粧品などありとあらゆる化粧品が並ぶその光景はまさに圧巻という他ない。
 噂…というか学園の女の子たちの会話の盗み聞きだが、聞いていた通り、どの品も素晴らしいもので、中身はもちろん外装も一流のものばかりだった。なにも知らない状態でこの化粧品たちを私が見たら、少々独特な外観の宝石細工だと勘違いしただろう。いや、実際に外装部分に嵌めこまれている石は本物の宝石のようだから、宝石細工だといっても間違いはないのだろうが。まぁ、なんであれこの店が上流階級の子女に人気があるのも納得と言えよう。

 あまりに沢山並べられた品々に最初は目が回ったが、色々な商品を紹介してもらったり、実際に少し使わせてもらううちに、「これを使ったサラをみてみたいな」なんて感じで、欲しい物はある程度絞られた。あとは、店主におすすめを聞いて、とりあえずそれらを全部買っていくことにした。いくらなんでも買いすぎな気がしないでもないが、これまでお金なんて徒に貯まっていくばかりだったし、なによりもサラのためだからなんでもいいのだ。「うれしい」だとか「ありがとう」だとか言ってサラが笑ってくれるのであれば、私はどんなことだってできる。


 ああ、明日はどうかサラが喜んでくれますように。



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