163 / 177
異本 蠣崎新三郎の恋 その三十
しおりを挟む
蠣崎新三郎は、故郷松前に書を通じることが増えている。
浪岡家の姫君、亡き先代の妹君を嫡妻に迎えたいという願いに、色よい返事が来るのを待っている。新三郎にとって意外でもあり心外でもあったのは、父の許しが得られない。はっきりとした拒絶でもなければ応諾でもない。歓迎しているのではないのだな、とは薄々気づかされる。だが、反論しようにも、明確に反対されているわけでもないので、こちらは返答を願い続けるしかないのであった。
(蝦夷代官の政や戦は、こうか……。)
新三郎は遠く離れた土地で、政治家としての父親を理解しなければならなくなってきた。
兄たちの怪死と姉夫婦の刑殺に裏で糸を引いている気配には、衝撃を受けるしかなかった。敬慕するばかりだった父の像が揺らいだ。このたびのことも、悲しく、腹立たしい。だが、何故だと訝しく思い、考え込むうちに、そして虚しい腹の探り合いのような書状のやりとりばかりが続くうちに、そこには蠣崎家のためのしたたかな計算があるのも、これも悲しいかな、わかってしまった。
(さようなのか……。)
これはいずれ、松前で話をするしかない、と新三郎は肚を括った。家督の話もある。
(家督、おれに譲ってくれるのか?)
本来の主家である秋田の安東家―檜山屋形に出仕している同年の弟もいる。松前の父が浪岡に距離を取ろうとしている気配からそれも気になったが、こちらはやや明るい見通しもあるように思えた。
ある願いが、すぐに、希望以上の形でかなえられたからだ。
(おれは、見捨てられてはいないようだな。)
新三郎は複雑な気持ちを持った。もし家長たる父親に代官職の後継として見限られているのならば、むしろ楽だったのかもしれない。もう、何処の誰を気に掛けることもないのである。
(浪岡も、松前も捨てて、上方にでも行けるのかもしれない。姫さまのお手を取って……。京か、堺かで、新しい暮らしを始める。きっと喜んでくださるのではないか。)
そんな夢想にふとふけるのだが、しかし、一方ではすぐに届けられた荷物に昂揚を覚えている。それは、蝦夷侍としての血の騒ぎに違いなかった。
(見るがよい。蝦夷島の蠣崎家は、こんなことができる。蝦夷島、松前とはさようの土地じゃと。)
「組頭、もう平気なので?」
「ああ、もう前に戻った。弓も刀槍も、なんの不足もない。」
新三郎は御所さまの直隷の備(部隊)に戻った。その中の最も若い組頭(小隊長)として、蠣崎一太郎や蝦夷足軽たちといった自分の家の者たちに加え、無名舘の近隣の数家を束ねている。
「しかし新ざ……」と、同輩格の齢上の配下のひとりが、ついふだんの呼び方で、声を潜めた。「因縁の相手だぜ。」
新三郎に死線を彷徨わせた、新館こと強清水殿の残党であった。北畠一門で新館に拠っていた強清水殿本人こそ姿を消したが、その家臣の一部は新館に立てこもって逆襲し、そこで新三郎は銃撃されてしまったのだった。
もちろんやがて新館は焼け落ちたが、叛徒たちはしぶとかった。城外に奔り、街道筋の村を襲う形で、西舘こと現在の大御所が抑える浪岡御所に抵抗を続けた。この北畠一族内紛のそもそもの始まりである、川原御所の乱の残党たちと合流した気配もある。ということは、裏に大浦家がついているらしい。野盗に身を落とした、とだけはいえないのであった。
「おうよ。……じゃからな。」
馬上の新三郎は不敵に笑った。
「さにいうかと思うておったが、……野盗狩りとだけはいかぬ。手ごわいぜ。」
「うむ。……それも、それがゆえに、今日斯様に戻った次第よ。」
「種子島(鉄砲)がまだあるはず。また、撃たれるなよ。」
「……。」
それを聞いて新三郎はまた、しずかに笑ってみせた。なにか策があるのか、かなわないな、という表情で同輩は自分の位置に戻った。
御所さまの備のすべてが、街道筋の野盗征伐に今日、出動するわけではない。新三郎の組を含む、わずか三組、六十名に足りない手勢であった。一番若い組頭のはずの新三郎がこの中の先任だったから、指揮はかれがとる。
(おれが差配とれる。……つまり、面白いことができるわけじゃ。)
街道筋の掃除こそが大事だと思っている新三郎にとって、この兵力の出し方は、あまり感心しない。西舘―いまの大御所は、北畠一族の内紛と粛清に拘りすぎていると常々感じていた。無論、来たる大浦との決戦が念頭にあるのだろうと思うが、それであれば、今以上に丹念な街道警護を続けていくべきだと思うのだ。さきほど話した、若い同輩たちと新三郎がたまに酒席を囲むときなどに、議論になるところであった。
だが、いまは、こうした街道での掃討戦には比較的寡兵しか出さない上層部の消極性のおかげで、蠣崎新三郎に小なりといえど一軍が預けられているのである。
「面白いこと」の種は、すでに手元に仕込んでいた。その「種」は馬のそばにいたが、新三郎が囁くと、一つ頷いた。新三郎は、言い足す。
「しばらく、隣におられよ。お話を伺いながら、行こう。合図をしたら、よろしう頼みましょう。」
浪岡家の姫君、亡き先代の妹君を嫡妻に迎えたいという願いに、色よい返事が来るのを待っている。新三郎にとって意外でもあり心外でもあったのは、父の許しが得られない。はっきりとした拒絶でもなければ応諾でもない。歓迎しているのではないのだな、とは薄々気づかされる。だが、反論しようにも、明確に反対されているわけでもないので、こちらは返答を願い続けるしかないのであった。
(蝦夷代官の政や戦は、こうか……。)
新三郎は遠く離れた土地で、政治家としての父親を理解しなければならなくなってきた。
兄たちの怪死と姉夫婦の刑殺に裏で糸を引いている気配には、衝撃を受けるしかなかった。敬慕するばかりだった父の像が揺らいだ。このたびのことも、悲しく、腹立たしい。だが、何故だと訝しく思い、考え込むうちに、そして虚しい腹の探り合いのような書状のやりとりばかりが続くうちに、そこには蠣崎家のためのしたたかな計算があるのも、これも悲しいかな、わかってしまった。
(さようなのか……。)
これはいずれ、松前で話をするしかない、と新三郎は肚を括った。家督の話もある。
(家督、おれに譲ってくれるのか?)
本来の主家である秋田の安東家―檜山屋形に出仕している同年の弟もいる。松前の父が浪岡に距離を取ろうとしている気配からそれも気になったが、こちらはやや明るい見通しもあるように思えた。
ある願いが、すぐに、希望以上の形でかなえられたからだ。
(おれは、見捨てられてはいないようだな。)
新三郎は複雑な気持ちを持った。もし家長たる父親に代官職の後継として見限られているのならば、むしろ楽だったのかもしれない。もう、何処の誰を気に掛けることもないのである。
(浪岡も、松前も捨てて、上方にでも行けるのかもしれない。姫さまのお手を取って……。京か、堺かで、新しい暮らしを始める。きっと喜んでくださるのではないか。)
そんな夢想にふとふけるのだが、しかし、一方ではすぐに届けられた荷物に昂揚を覚えている。それは、蝦夷侍としての血の騒ぎに違いなかった。
(見るがよい。蝦夷島の蠣崎家は、こんなことができる。蝦夷島、松前とはさようの土地じゃと。)
「組頭、もう平気なので?」
「ああ、もう前に戻った。弓も刀槍も、なんの不足もない。」
新三郎は御所さまの直隷の備(部隊)に戻った。その中の最も若い組頭(小隊長)として、蠣崎一太郎や蝦夷足軽たちといった自分の家の者たちに加え、無名舘の近隣の数家を束ねている。
「しかし新ざ……」と、同輩格の齢上の配下のひとりが、ついふだんの呼び方で、声を潜めた。「因縁の相手だぜ。」
新三郎に死線を彷徨わせた、新館こと強清水殿の残党であった。北畠一門で新館に拠っていた強清水殿本人こそ姿を消したが、その家臣の一部は新館に立てこもって逆襲し、そこで新三郎は銃撃されてしまったのだった。
もちろんやがて新館は焼け落ちたが、叛徒たちはしぶとかった。城外に奔り、街道筋の村を襲う形で、西舘こと現在の大御所が抑える浪岡御所に抵抗を続けた。この北畠一族内紛のそもそもの始まりである、川原御所の乱の残党たちと合流した気配もある。ということは、裏に大浦家がついているらしい。野盗に身を落とした、とだけはいえないのであった。
「おうよ。……じゃからな。」
馬上の新三郎は不敵に笑った。
「さにいうかと思うておったが、……野盗狩りとだけはいかぬ。手ごわいぜ。」
「うむ。……それも、それがゆえに、今日斯様に戻った次第よ。」
「種子島(鉄砲)がまだあるはず。また、撃たれるなよ。」
「……。」
それを聞いて新三郎はまた、しずかに笑ってみせた。なにか策があるのか、かなわないな、という表情で同輩は自分の位置に戻った。
御所さまの備のすべてが、街道筋の野盗征伐に今日、出動するわけではない。新三郎の組を含む、わずか三組、六十名に足りない手勢であった。一番若い組頭のはずの新三郎がこの中の先任だったから、指揮はかれがとる。
(おれが差配とれる。……つまり、面白いことができるわけじゃ。)
街道筋の掃除こそが大事だと思っている新三郎にとって、この兵力の出し方は、あまり感心しない。西舘―いまの大御所は、北畠一族の内紛と粛清に拘りすぎていると常々感じていた。無論、来たる大浦との決戦が念頭にあるのだろうと思うが、それであれば、今以上に丹念な街道警護を続けていくべきだと思うのだ。さきほど話した、若い同輩たちと新三郎がたまに酒席を囲むときなどに、議論になるところであった。
だが、いまは、こうした街道での掃討戦には比較的寡兵しか出さない上層部の消極性のおかげで、蠣崎新三郎に小なりといえど一軍が預けられているのである。
「面白いこと」の種は、すでに手元に仕込んでいた。その「種」は馬のそばにいたが、新三郎が囁くと、一つ頷いた。新三郎は、言い足す。
「しばらく、隣におられよ。お話を伺いながら、行こう。合図をしたら、よろしう頼みましょう。」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
神楽
モモん
歴史・時代
前世を引きずるような転生って、実際にはちょっと考えづらいと思うんですよね。
知識だけを引き継いだ転生と……、身体は女性で、心は男性。
つまり、今でいうトランスジェンダーってヤツですね。
時代背景は西暦800年頃で、和洋折衷のイメージですか。
中国では楊貴妃の時代で、西洋ではローマ帝国の頃。
日本は奈良時代。平城京の頃ですね。
奈良の大仏が建立され、蝦夷討伐や万葉集が編纂された時代になります。
まあ、架空の世界ですので、史実は関係ないですけどね。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。
SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。
伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。
そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。
さて、この先の少年の運命やいかに?
剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます!
*この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから!
*この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる