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異本 蠣崎新三郎の恋 その三十
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蠣崎新三郎は、故郷松前に書を通じることが増えている。
浪岡家の姫君、亡き先代の妹君を嫡妻に迎えたいという願いに、色よい返事が来るのを待っている。新三郎にとって意外でもあり心外でもあったのは、父の許しが得られない。はっきりとした拒絶でもなければ応諾でもない。歓迎しているのではないのだな、とは薄々気づかされる。だが、反論しようにも、明確に反対されているわけでもないので、こちらは返答を願い続けるしかないのであった。
(蝦夷代官の政や戦は、こうか……。)
新三郎は遠く離れた土地で、政治家としての父親を理解しなければならなくなってきた。
兄たちの怪死と姉夫婦の刑殺に裏で糸を引いている気配には、衝撃を受けるしかなかった。敬慕するばかりだった父の像が揺らいだ。このたびのことも、悲しく、腹立たしい。だが、何故だと訝しく思い、考え込むうちに、そして虚しい腹の探り合いのような書状のやりとりばかりが続くうちに、そこには蠣崎家のためのしたたかな計算があるのも、これも悲しいかな、わかってしまった。
(さようなのか……。)
これはいずれ、松前で話をするしかない、と新三郎は肚を括った。家督の話もある。
(家督、おれに譲ってくれるのか?)
本来の主家である秋田の安東家―檜山屋形に出仕している同年の弟もいる。松前の父が浪岡に距離を取ろうとしている気配からそれも気になったが、こちらはやや明るい見通しもあるように思えた。
ある願いが、すぐに、希望以上の形でかなえられたからだ。
(おれは、見捨てられてはいないようだな。)
新三郎は複雑な気持ちを持った。もし家長たる父親に代官職の後継として見限られているのならば、むしろ楽だったのかもしれない。もう、何処の誰を気に掛けることもないのである。
(浪岡も、松前も捨てて、上方にでも行けるのかもしれない。姫さまのお手を取って……。京か、堺かで、新しい暮らしを始める。きっと喜んでくださるのではないか。)
そんな夢想にふとふけるのだが、しかし、一方ではすぐに届けられた荷物に昂揚を覚えている。それは、蝦夷侍としての血の騒ぎに違いなかった。
(見るがよい。蝦夷島の蠣崎家は、こんなことができる。蝦夷島、松前とはさようの土地じゃと。)
「組頭、もう平気なので?」
「ああ、もう前に戻った。弓も刀槍も、なんの不足もない。」
新三郎は御所さまの直隷の備(部隊)に戻った。その中の最も若い組頭(小隊長)として、蠣崎一太郎や蝦夷足軽たちといった自分の家の者たちに加え、無名舘の近隣の数家を束ねている。
「しかし新ざ……」と、同輩格の齢上の配下のひとりが、ついふだんの呼び方で、声を潜めた。「因縁の相手だぜ。」
新三郎に死線を彷徨わせた、新館こと強清水殿の残党であった。北畠一門で新館に拠っていた強清水殿本人こそ姿を消したが、その家臣の一部は新館に立てこもって逆襲し、そこで新三郎は銃撃されてしまったのだった。
もちろんやがて新館は焼け落ちたが、叛徒たちはしぶとかった。城外に奔り、街道筋の村を襲う形で、西舘こと現在の大御所が抑える浪岡御所に抵抗を続けた。この北畠一族内紛のそもそもの始まりである、川原御所の乱の残党たちと合流した気配もある。ということは、裏に大浦家がついているらしい。野盗に身を落とした、とだけはいえないのであった。
「おうよ。……じゃからな。」
馬上の新三郎は不敵に笑った。
「さにいうかと思うておったが、……野盗狩りとだけはいかぬ。手ごわいぜ。」
「うむ。……それも、それがゆえに、今日斯様に戻った次第よ。」
「種子島(鉄砲)がまだあるはず。また、撃たれるなよ。」
「……。」
それを聞いて新三郎はまた、しずかに笑ってみせた。なにか策があるのか、かなわないな、という表情で同輩は自分の位置に戻った。
御所さまの備のすべてが、街道筋の野盗征伐に今日、出動するわけではない。新三郎の組を含む、わずか三組、六十名に足りない手勢であった。一番若い組頭のはずの新三郎がこの中の先任だったから、指揮はかれがとる。
(おれが差配とれる。……つまり、面白いことができるわけじゃ。)
街道筋の掃除こそが大事だと思っている新三郎にとって、この兵力の出し方は、あまり感心しない。西舘―いまの大御所は、北畠一族の内紛と粛清に拘りすぎていると常々感じていた。無論、来たる大浦との決戦が念頭にあるのだろうと思うが、それであれば、今以上に丹念な街道警護を続けていくべきだと思うのだ。さきほど話した、若い同輩たちと新三郎がたまに酒席を囲むときなどに、議論になるところであった。
だが、いまは、こうした街道での掃討戦には比較的寡兵しか出さない上層部の消極性のおかげで、蠣崎新三郎に小なりといえど一軍が預けられているのである。
「面白いこと」の種は、すでに手元に仕込んでいた。その「種」は馬のそばにいたが、新三郎が囁くと、一つ頷いた。新三郎は、言い足す。
「しばらく、隣におられよ。お話を伺いながら、行こう。合図をしたら、よろしう頼みましょう。」
浪岡家の姫君、亡き先代の妹君を嫡妻に迎えたいという願いに、色よい返事が来るのを待っている。新三郎にとって意外でもあり心外でもあったのは、父の許しが得られない。はっきりとした拒絶でもなければ応諾でもない。歓迎しているのではないのだな、とは薄々気づかされる。だが、反論しようにも、明確に反対されているわけでもないので、こちらは返答を願い続けるしかないのであった。
(蝦夷代官の政や戦は、こうか……。)
新三郎は遠く離れた土地で、政治家としての父親を理解しなければならなくなってきた。
兄たちの怪死と姉夫婦の刑殺に裏で糸を引いている気配には、衝撃を受けるしかなかった。敬慕するばかりだった父の像が揺らいだ。このたびのことも、悲しく、腹立たしい。だが、何故だと訝しく思い、考え込むうちに、そして虚しい腹の探り合いのような書状のやりとりばかりが続くうちに、そこには蠣崎家のためのしたたかな計算があるのも、これも悲しいかな、わかってしまった。
(さようなのか……。)
これはいずれ、松前で話をするしかない、と新三郎は肚を括った。家督の話もある。
(家督、おれに譲ってくれるのか?)
本来の主家である秋田の安東家―檜山屋形に出仕している同年の弟もいる。松前の父が浪岡に距離を取ろうとしている気配からそれも気になったが、こちらはやや明るい見通しもあるように思えた。
ある願いが、すぐに、希望以上の形でかなえられたからだ。
(おれは、見捨てられてはいないようだな。)
新三郎は複雑な気持ちを持った。もし家長たる父親に代官職の後継として見限られているのならば、むしろ楽だったのかもしれない。もう、何処の誰を気に掛けることもないのである。
(浪岡も、松前も捨てて、上方にでも行けるのかもしれない。姫さまのお手を取って……。京か、堺かで、新しい暮らしを始める。きっと喜んでくださるのではないか。)
そんな夢想にふとふけるのだが、しかし、一方ではすぐに届けられた荷物に昂揚を覚えている。それは、蝦夷侍としての血の騒ぎに違いなかった。
(見るがよい。蝦夷島の蠣崎家は、こんなことができる。蝦夷島、松前とはさようの土地じゃと。)
「組頭、もう平気なので?」
「ああ、もう前に戻った。弓も刀槍も、なんの不足もない。」
新三郎は御所さまの直隷の備(部隊)に戻った。その中の最も若い組頭(小隊長)として、蠣崎一太郎や蝦夷足軽たちといった自分の家の者たちに加え、無名舘の近隣の数家を束ねている。
「しかし新ざ……」と、同輩格の齢上の配下のひとりが、ついふだんの呼び方で、声を潜めた。「因縁の相手だぜ。」
新三郎に死線を彷徨わせた、新館こと強清水殿の残党であった。北畠一門で新館に拠っていた強清水殿本人こそ姿を消したが、その家臣の一部は新館に立てこもって逆襲し、そこで新三郎は銃撃されてしまったのだった。
もちろんやがて新館は焼け落ちたが、叛徒たちはしぶとかった。城外に奔り、街道筋の村を襲う形で、西舘こと現在の大御所が抑える浪岡御所に抵抗を続けた。この北畠一族内紛のそもそもの始まりである、川原御所の乱の残党たちと合流した気配もある。ということは、裏に大浦家がついているらしい。野盗に身を落とした、とだけはいえないのであった。
「おうよ。……じゃからな。」
馬上の新三郎は不敵に笑った。
「さにいうかと思うておったが、……野盗狩りとだけはいかぬ。手ごわいぜ。」
「うむ。……それも、それがゆえに、今日斯様に戻った次第よ。」
「種子島(鉄砲)がまだあるはず。また、撃たれるなよ。」
「……。」
それを聞いて新三郎はまた、しずかに笑ってみせた。なにか策があるのか、かなわないな、という表情で同輩は自分の位置に戻った。
御所さまの備のすべてが、街道筋の野盗征伐に今日、出動するわけではない。新三郎の組を含む、わずか三組、六十名に足りない手勢であった。一番若い組頭のはずの新三郎がこの中の先任だったから、指揮はかれがとる。
(おれが差配とれる。……つまり、面白いことができるわけじゃ。)
街道筋の掃除こそが大事だと思っている新三郎にとって、この兵力の出し方は、あまり感心しない。西舘―いまの大御所は、北畠一族の内紛と粛清に拘りすぎていると常々感じていた。無論、来たる大浦との決戦が念頭にあるのだろうと思うが、それであれば、今以上に丹念な街道警護を続けていくべきだと思うのだ。さきほど話した、若い同輩たちと新三郎がたまに酒席を囲むときなどに、議論になるところであった。
だが、いまは、こうした街道での掃討戦には比較的寡兵しか出さない上層部の消極性のおかげで、蠣崎新三郎に小なりといえど一軍が預けられているのである。
「面白いこと」の種は、すでに手元に仕込んでいた。その「種」は馬のそばにいたが、新三郎が囁くと、一つ頷いた。新三郎は、言い足す。
「しばらく、隣におられよ。お話を伺いながら、行こう。合図をしたら、よろしう頼みましょう。」
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