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異本 蠣崎新三郎の恋 その二十九
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さ栄はぶるぶると首を振ったが、力が抜けるときが近づいているのがわかる。
同衾のさい、いつもそうなるわけではなかった。新三郎と抱き合い、睦みあう時間はいつも甘美で、泣くほどにうれしいが、必ず喪神にまで至るわけではない。先ほどもともに幸せの極みにいたが、新三郎の精を受け止めるとき、さ栄は喜びのなかで自我を保っていた。ああ、熱い、気持ちがよい、新三郎が可愛い、愛おしい、うれしい、……と意識できた。
そうでないときがある。それはさ栄には、自分が無上の恋に辿り着いた証のようで、この上ない深い満足をあとになって与えてくれるのだが、その刹那は何もわからない。そこに追い上げられると気づいたときには、驚異の思いと怯えとがある。息も、声も、躰の動きはおろか、顔の筋肉すらもう自分の意のままにならないのだ。
(あさましい顔になっておる! 自分がどこかに行ってしまうのは、おそろしい……!)
いま、そうなりかけていた。二度目の新三郎は、長い。いくらかの余裕を持ち、今日などは確たるそれへの意図をもって、愛おしい女体を撫で揉み、舐め、揺り動かしている。
「耳、……耳が、ちぎれる!」
さ栄はあらぬことを叫んだ。新三郎が探り当てていた、さ栄をきわどくする箇所の一つは、薄い貝殻のような耳だった。
はじめて新三郎が耳たぶを舐め、噛んだとき、さ栄は悲鳴をあげて硬直し、そして、飛びのくようにそのまま逃げようとした。その勢いが強すぎたので、お耳がちぎれてしまいます、と新三郎は本気で案じた。さ栄はそのときは、息を整えながら、微笑できた。そして、見て、と自分の腕を男に恥ずかしげにも、また何か誇らしげにも見せた。あまりのことに、鳥肌が、ほら……、と笑った。
それ以来、新三郎は好んでさ栄の耳に唇を這わせ、軽く噛む。さ栄はどうしたものかそのとき必ず、耳がちぎれる、とうわごとのように叫ぶようになった。もう逃れようともしてないし、それほど強く噛むはずもなかったのに、なぜか陶酔をそんな言葉にする癖がついていた。
いまもさ栄の躰に、甘い緊張の波が走っているのだろう。新三郎はさらに進んだ。
やがて、男が待ちわびていた、なにかに驚いたような低い呻きが、女ののけ反らせた咽喉から漏れた。全身の緊張が腹の下から伝わる。新三郎は跳ねまわるようになったさ栄の裸の肩を抑えつけなければならない。
息が瞬時とまり、さ栄は硬直した。そして、無言で静かにわなわなと震えた。
すべてを放下するその表情を新三郎は、感動とともに目に妬きつける。さ栄が見せたい顔ではないのだろう。日頃の美しさとは、たしかに違う。だが、これほどに愛おしく、美しい顔もあろうかと思う。ある意味で獣じみた肉体をさらけ出した姿だが、新三郎には、忘我の極みにある姫さまは、やはりこの世のものではないように思えた。
そんな尊い、ありのままの姿を目にできるのは、この自分だけなのだと思うと、嵐のような感情が、懸命に躰を動かす若者の胸を襲った。
(おれのものだ……! さ栄さまは、もう、おれだけのものになった!)
薄く開いた目に、黒い眸は隠れてでてこない。涙が横に流れ落ちる。汗が滲み出る。息を詰まらせたさ栄の口が、空気を求めて動いた。低い呻きが、再び食いしばった歯の隙間から漏れる。
女のからだに断続して痙攣が走っているのが、新三郎にははっきりとわかった。ほんの一瞬だが、新三郎の重い体躯を、ちいさく細いさ栄の躰が持ち上げていた。
(……さ栄さま!)
濁った小さな悲鳴とともに、突っ張っていたさ栄の背中が崩れた。
その瞬間、矢も楯もたまらなくなった新三郎は、達したことで意識が空になってしまい、すべての力が抜け始めたさ栄を固く抱き締めた。
薄く開けた眼がまだ何処も見ていないさ栄が、それに無意識に反応した。力なく投げ出されていた両手が、ゆっくりと男の背に回る。
それを感じながら、新三郎は己の固い肉が震えるのがわかる。もっと深くに、とさらに突き入れてとまり、そこで精が吐きだされるに任せた。
(おれの、さ栄さまに……さ栄さまのなかに……!)
新三郎にとってそれが終わったと思った時、さ栄の腰が急に跳ねた。最後の快感が女のなかで押し寄せてきたのだろう。繋がった下半身を下から強く押しつけ、男の腰に巻き付けた脚に力が籠る。すべて、なかば無意識の動作だ。 背中にかかった手に、不思議な力がまた籠り、曲がった指が食い込むのが新三郎にはわかった。
震えるほどの愛おしさに打たれながら、新三郎は目を固く閉じたさ栄の、結んだ唇に唇を重ねた。すべてを一つにしたかった。前歯の列をこじあけて舌を入れ、絡める。さ栄の舌も、自然にそれにこたえてくれた。
女の腰は、まだ跳ねるように動いている。
……
しばらくたって、さ栄は、灯りを乱暴に吹き消し、さが悪(意地悪)、新三郎のさが悪、といって、声をあげて泣きだした。新三郎は震える肩を後ろから抱く。
「なじょう、お泣きになります?」
「わかっておるくせに。恥をかいた顔を、見ましたな!」
「恥なものか。」
なにをいうか、とさ栄は腹もたてている。白目をむいてよだれを垂らした顔に違いない。本人が恥といえば、恥なのだ。それに、新三郎は頼んでもいうことを聞いてくれなかった。やはり男は、自分の女にしてしまえば相手を軽んじるものだ、と思った。
「さ栄さま……お聞きください。」
「何を……? いや、なにも聞きとうない!」
「天女さまのお顔でございました……。」
揶揄っている声音ではない。若者は、妻に迎えると心定めた女が、本物の天女も同然だと信じているのだ。それを手に入れたのだと、自足に満ちているのがわかった。
「……!」
愚かな若者の錯覚に違いない。自分など、北畠だの姫だのといっても、ただの女でしかない。それも、人並みに身を律してこられたわけでもない、傷の入った器のような女ではないか。
(それを、この新三郎は……天女じゃという?)
ひとにここまで想われるとは、なんということがわが身に起きたのだろうか、とさ栄の心は激しく震えた。
「さが悪っ!」
さ栄はまた叫んで、温かい涙をとめどなく流し続けた。
同衾のさい、いつもそうなるわけではなかった。新三郎と抱き合い、睦みあう時間はいつも甘美で、泣くほどにうれしいが、必ず喪神にまで至るわけではない。先ほどもともに幸せの極みにいたが、新三郎の精を受け止めるとき、さ栄は喜びのなかで自我を保っていた。ああ、熱い、気持ちがよい、新三郎が可愛い、愛おしい、うれしい、……と意識できた。
そうでないときがある。それはさ栄には、自分が無上の恋に辿り着いた証のようで、この上ない深い満足をあとになって与えてくれるのだが、その刹那は何もわからない。そこに追い上げられると気づいたときには、驚異の思いと怯えとがある。息も、声も、躰の動きはおろか、顔の筋肉すらもう自分の意のままにならないのだ。
(あさましい顔になっておる! 自分がどこかに行ってしまうのは、おそろしい……!)
いま、そうなりかけていた。二度目の新三郎は、長い。いくらかの余裕を持ち、今日などは確たるそれへの意図をもって、愛おしい女体を撫で揉み、舐め、揺り動かしている。
「耳、……耳が、ちぎれる!」
さ栄はあらぬことを叫んだ。新三郎が探り当てていた、さ栄をきわどくする箇所の一つは、薄い貝殻のような耳だった。
はじめて新三郎が耳たぶを舐め、噛んだとき、さ栄は悲鳴をあげて硬直し、そして、飛びのくようにそのまま逃げようとした。その勢いが強すぎたので、お耳がちぎれてしまいます、と新三郎は本気で案じた。さ栄はそのときは、息を整えながら、微笑できた。そして、見て、と自分の腕を男に恥ずかしげにも、また何か誇らしげにも見せた。あまりのことに、鳥肌が、ほら……、と笑った。
それ以来、新三郎は好んでさ栄の耳に唇を這わせ、軽く噛む。さ栄はどうしたものかそのとき必ず、耳がちぎれる、とうわごとのように叫ぶようになった。もう逃れようともしてないし、それほど強く噛むはずもなかったのに、なぜか陶酔をそんな言葉にする癖がついていた。
いまもさ栄の躰に、甘い緊張の波が走っているのだろう。新三郎はさらに進んだ。
やがて、男が待ちわびていた、なにかに驚いたような低い呻きが、女ののけ反らせた咽喉から漏れた。全身の緊張が腹の下から伝わる。新三郎は跳ねまわるようになったさ栄の裸の肩を抑えつけなければならない。
息が瞬時とまり、さ栄は硬直した。そして、無言で静かにわなわなと震えた。
すべてを放下するその表情を新三郎は、感動とともに目に妬きつける。さ栄が見せたい顔ではないのだろう。日頃の美しさとは、たしかに違う。だが、これほどに愛おしく、美しい顔もあろうかと思う。ある意味で獣じみた肉体をさらけ出した姿だが、新三郎には、忘我の極みにある姫さまは、やはりこの世のものではないように思えた。
そんな尊い、ありのままの姿を目にできるのは、この自分だけなのだと思うと、嵐のような感情が、懸命に躰を動かす若者の胸を襲った。
(おれのものだ……! さ栄さまは、もう、おれだけのものになった!)
薄く開いた目に、黒い眸は隠れてでてこない。涙が横に流れ落ちる。汗が滲み出る。息を詰まらせたさ栄の口が、空気を求めて動いた。低い呻きが、再び食いしばった歯の隙間から漏れる。
女のからだに断続して痙攣が走っているのが、新三郎にははっきりとわかった。ほんの一瞬だが、新三郎の重い体躯を、ちいさく細いさ栄の躰が持ち上げていた。
(……さ栄さま!)
濁った小さな悲鳴とともに、突っ張っていたさ栄の背中が崩れた。
その瞬間、矢も楯もたまらなくなった新三郎は、達したことで意識が空になってしまい、すべての力が抜け始めたさ栄を固く抱き締めた。
薄く開けた眼がまだ何処も見ていないさ栄が、それに無意識に反応した。力なく投げ出されていた両手が、ゆっくりと男の背に回る。
それを感じながら、新三郎は己の固い肉が震えるのがわかる。もっと深くに、とさらに突き入れてとまり、そこで精が吐きだされるに任せた。
(おれの、さ栄さまに……さ栄さまのなかに……!)
新三郎にとってそれが終わったと思った時、さ栄の腰が急に跳ねた。最後の快感が女のなかで押し寄せてきたのだろう。繋がった下半身を下から強く押しつけ、男の腰に巻き付けた脚に力が籠る。すべて、なかば無意識の動作だ。 背中にかかった手に、不思議な力がまた籠り、曲がった指が食い込むのが新三郎にはわかった。
震えるほどの愛おしさに打たれながら、新三郎は目を固く閉じたさ栄の、結んだ唇に唇を重ねた。すべてを一つにしたかった。前歯の列をこじあけて舌を入れ、絡める。さ栄の舌も、自然にそれにこたえてくれた。
女の腰は、まだ跳ねるように動いている。
……
しばらくたって、さ栄は、灯りを乱暴に吹き消し、さが悪(意地悪)、新三郎のさが悪、といって、声をあげて泣きだした。新三郎は震える肩を後ろから抱く。
「なじょう、お泣きになります?」
「わかっておるくせに。恥をかいた顔を、見ましたな!」
「恥なものか。」
なにをいうか、とさ栄は腹もたてている。白目をむいてよだれを垂らした顔に違いない。本人が恥といえば、恥なのだ。それに、新三郎は頼んでもいうことを聞いてくれなかった。やはり男は、自分の女にしてしまえば相手を軽んじるものだ、と思った。
「さ栄さま……お聞きください。」
「何を……? いや、なにも聞きとうない!」
「天女さまのお顔でございました……。」
揶揄っている声音ではない。若者は、妻に迎えると心定めた女が、本物の天女も同然だと信じているのだ。それを手に入れたのだと、自足に満ちているのがわかった。
「……!」
愚かな若者の錯覚に違いない。自分など、北畠だの姫だのといっても、ただの女でしかない。それも、人並みに身を律してこられたわけでもない、傷の入った器のような女ではないか。
(それを、この新三郎は……天女じゃという?)
ひとにここまで想われるとは、なんということがわが身に起きたのだろうか、とさ栄の心は激しく震えた。
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