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異本 蠣崎新三郎の恋 その二十二
しおりを挟む「また!」
新三郎は、叱るような口調になった。そんな声を姫さまに出したのは、初めてだ。そのことに、自分で驚いている。
この夜二度目の、激しい交合が終わり、二人ともに興奮が去り、事後の惑溺からも冷めた後、さ栄がまた言ったからだ。
「今宵はたくさん、ご立派に、……なさった。もう、……そろそろ飽きがきましたじゃろ?」
勘弁してくれ、と思い、ついぞ姫さまに向けたことのない、荒い声になってしまった。
さ栄も一瞬、驚いている。新三郎に叱りつけられるような形になるなど、想像だにしたことがなかった。
先ほど、新三郎との交わりの果てた後、自分の身に生じた異変に心を震わせた。
(女にされた……。新三郎に、こんなに早く、まことの意味で女にされてしまった。)
まだ躰が熟していない少女の時分に、男女の秘め事を兄と何度となく持った。そこでも快楽といっていいものはたしかにあった。最初の恐れや痛みが去ってからは、それは愛の悦びそのものだと思えた。悲惨な結末に至ってからは、その快感の記憶自体がさ栄を責めさいなむものにかわってしまったのだが、それでも、自分があのとき大人の女になったには違いないとは考えていた。
(あれよりも先があった。初めて知った。知れた……。)
静まらぬ荒い呼吸に、まだ上下する胸を掌で抑えながら、さ栄の中に、うれしく、誇らしい気持ちが湧いている。狂うかと怯えるほどの、そして幸せのなかで死ぬかと期待するほどの快感があったから、ではない。
(新三郎と、じゃから……! このひとと睦合ったからこそ、たったの二夜で!)
隣で臥している男への想いが、最も端的に愛情を交わす行為をひとしきり終えたあとも、高まって止まない。
若くして嫁し、人の妻として過ごした二年ほどがあり、齢をふることでもさ栄自身の女体の成熟はあったのだろう。新三郎という体力に恵まれた男性にも、経験や知識の不足を補って余りある、閨での交歓についての一種の才質は備わっていたに違いない。そうしたことを割り引いていも、ふたりの交わりには、愛する者同士が求めあったときだけに起こりうる一種の小さな奇跡があったといえよう。
(縁。……何者にも代えがたい、宿世のご縁が、新三郎とのあいだには、やはりあった。)
さ栄はそうとしか思えなかった。
生まれも立場も離れ、年齢すらも釣り合わぬ間の新三郎に、いつしか狂うほどの恋慕を抱いた。最初は、一方的なものだとあきらめていたし、それで納得していた。安堵していたといってもいい。
ところが相手も、女の忌まわしい過去の秘密を薄々は気づいているはずなのに、ひたむきに慕い、愛を告白してくれた。そして現に泣けるほどに可愛がってくれた。はじめての慣れぬ男としての行為に、戸惑いも怯えもあったろうに、若い躰をひたむきにぶつけてくれた。
この世にただ二人だけの境地に、ともに駆け上がることが、これほども早々にできた。
それは単に愛欲のゆえではない。ひとの知り得ぬ、縁というものが元からわたしたち二人にはあったのだろう。
(それなのに、わたくしはこの人と別れてやらねばならぬ!)
またそう思い当たって、さ栄は悲嘆に沈んだのである。半身を起こして着衣を直す手を、思わず離して、頭をかかえてしまった。
「姫さま、お頭でも痛いのでございますか?」
ほてりがさらないためか、まだ諸肌を脱いで若々しく固くしまった上半身を晒した姿の新三郎が、いつものように温和な声音で、心配げに尋ねてくれる。さ栄は、たまらなかった。
「案ずるに及びませぬ。少し、考え事をしていた。」
「お考えになられるな。」
反射的に新三郎はいってしまう。きつい口調にさ栄は少し驚いたが、さもいかぬよ、と微笑んだ。
そして、今の自分の気持ちを伝える言葉を探るうちに、また、元の話に戻してしまったのである。もうそろそろ、堪能したか? 私の躰にも飽きたであろう、と。
それに新三郎は、怒りを覚えてしまったのだ。
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