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異本 蠣崎新三郎の恋 その二十
しおりを挟む(何を仰っておられるのか?)
新三郎はあまりに意外な言葉に、反応ができない。
すぐ間近で、目を潤ませながら頬を上気させ、濡れた唇を悩ましい色に光らせる姫さまの顔を、言葉も出ずに、まじまじと見てしまう。
「おわかりか?」
姫さまは目を伏せた。まつげが震えている。
「わかりませぬ! 何を……何を仰るのか? 飽きる? 捨てる? このわたしが? なんのことでございましょう?」
「さようにしてもよい。いつでも良いよ、と申しました。」
姫さまは、さびしく笑ったようだ。
「なじょう、このわたしが、姫さまを……? お戯れはおやめください。あまり思いもよらぬので、驚いて、笑えませぬ。」
新三郎は、さ栄をまた強く抱き寄せた。顔の見えなくなった姫さまが、吐息をついたのがわかる。それはうれしい、悦びのそれではないのだろうか。
「おわかりでないのか。……新三郎。さに言ってくれて、まことにうれしい。……されど、おわかりでないようでは、なりませぬよ。」
「わかりませぬ!」
そう小さく叫んだ時には、新三郎は少しわかりはじめている。姫さまの言わんとすることに、気づいた。そして、言いようもない思いが湧いている。
「姫さまは、また、お悪い癖じゃ。」
「癖?」
「卑下なさる。それは謙譲の美徳とは違いまする。これほども姫さまをお慕いする者を前に、困った、むごい物言いをなさるものじゃ。わたくしが、この新三郎が、姫さまに飽きるなど、ありえぬ! それは、おわかりでございましょうに!」
「むろん謙譲でも、卑下でもないよ、新三郎。新三郎は、ご存知ないのじゃ。」
「なにを、でございましょう?」
「さ栄が、どれほど汚い女ごか。道に外れた者か。」
「それをよくない卑下じゃと申し上げた。姫さまは、この世の天女様のような方ではございませぬか。新三郎が憧れつくしたおひとは、三国一の……。」
さ栄の目から涙が散った。
「いうてあげます。聞いたら、新三郎もさ栄のいいたきこと、腑に落ちてくれるはず。飽きるどころか、今にも捨てたくなりましょうか? さ栄は、……」
新三郎は、もう聞きたくない。さ栄を離し、まじまじと顔を見つめると、何か言いだしかけた唇を乱暴な勢いでまた奪った。さ栄が苦し気に呻いても、離してやらない。くぐもった悲鳴を上げても、舌とともに、背中に回した手で、夜衣のうえから熱い肌を撫で上げる。ぐったりとしてしまったところで、ようやく、絡めていた舌をほどき、唇を離した。さ栄は口をきく力も奪われたように、頭を揺らし、くたくたと男の胸にもたれかかった。半ば喪神しかけたのだ。
「……むごい。新三郎が、こんなに手荒な真似を……?」
相当の時間がたってから、ようやく息を継いださ栄は、恨めし気に視線をあげた。
(死ぬかと思うた……! そして、このまま死にたいと思うた! こんなふうに抱きしめられて、求められて、そのまま死ねるのは幸せだと思うた!)
恨めしいと思ったのは、そこだった。
(さ栄を、かようにしてしもうて、このひとは……!)
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