139 / 177
異本 蠣崎新三郎の恋 その六の半
しおりを挟む ただただショックだった。
現れてくれるなと思っていたリアスが来た。
それだけでなく、彼が謎の女性と密会しているという事実を、この目で見る日が来てしまったことが。
ここからは彼らの横顔しか見えないが、一瞬だけ見えた女性は異国情緒溢れる妖艶な雰囲気を纏った人物のようだった。
きっと、あの見た目だけで男性を陥落させるなど、彼女にとっては容易いことだろうと想像させるほどの余裕も感じる。
見間違いであることを祈って、もう一度彼らを一瞥する。だが、視界に映るのは間違いなく、愛する夫と少しあどけなさ残るエキゾチックな面立ちの美女の姿だった。
――まさか彼女と会うために、ここに来ていたの?
何を話しているかははっきりと聞こえないが、後方から時折女性の楽しそうな笑い声が聞こえる。
そのたびに、この女性はきっとリアスに好意を持っているのだと思い知らされた。
眉目秀麗、高身長、細身ながら鍛え抜かれた精悍な身体を持つリアスは、声も良いうえ賢さまで兼ね備えている。
しかも、彼のまさに黄金比と言えるほど、左右対称の完璧な顔の左目の下には、人間味を感じる小さな可愛いほくろがあるんだから、ほっとけない気持ちも分かる。
それでいて、優しくて健気なうえに真面目だから好きになっちゃうわよね……分かるわ。
――どうしたらいいの……?
あまりのショックに自分が何を考えているのかもよく分からなくなり、ユアンさんの顔を見る。
刹那、ある言葉が脳内でリフレインした。
『ああ、あのときはエリーゼ様への片想いで、恋煩っていたんです。まさに、今のような感じでしたよ』
――まさか、リアスの不調は恋煩い……?
新しく好きな人が出来たから、最近おかしかったのだろうか。そう考えると何だか辻褄があってしまうことに、とても嫌な気持ちが込上げる。
でも、でも……もしかしたら仕事の話をしているだけかもしれない。だって、彼は決して不倫なんてするような人ではないもの。
仮にほかに好きな人ができたとしても、絶対に私との関係を精算してから関係を持つ。
私の知るラディリアス・ヴィルナーとは、そういう男なのだ。
そう思った矢先、彼らの会話の一部が明瞭に耳に入ってきた。
「そんなに好きになって大丈夫? ふふっ」
「本能だから仕方ない……。好きなんて言葉じゃ足りないくらい愛してるよ」
ポタリっ……。
固く握り締めた手の甲に水滴が落ちる感覚がした。
ゆるゆると震える拳を広げ、そっと頬に触れる。すると、氷のように冷たくなった指先が涙で濡れた。
「エリーゼ様」
決して周囲には聞こえない、細心の注意を払ったユアンさんの声が耳に届く。
ハッとユアンさんに集中すると、青筋を立て、見たこともないほど怖い顔をした彼が口を開いた。
「あなた次第です。乗り込みますか? もしそうでしたら、私は全力であなたの味方になりましょう」
さあ、どうする――そんな視線でユアンさんが見つめる中、私は力なく首を横に振った。
「突入しません。もしするにしても、もう少し状況証拠を集める必要があるわ。それに……場所が悪すぎよ」
どれだけショックであろうと、感情任せに今すぐ勢いで突入しても、ろくな事にならないということだけは理解できる。
悪いことはあれど、良いことなど何も無いのだ。
すると、そんな私の意図が伝わったのだろう。
依然としていつもの色気など台無しなほど厳しい顔つきのままではあるが、ユアンさんは少し冷静さを取り戻した。
「確かにその通りです。すみません、少々頭に血が上っておりました」
「……」
大丈夫だとでも言ってあげた方が良いのは分かっている。だが、そんな声掛けをするほどの余裕は、今の私にはなかった。
「っ……! 二人が席を立ちました」
神妙な面持ちのユアンさんが、囁き声で報告してきた。
「一緒にですか?」
「はい。ただ……」
ユアンさんの返事と重なるように、カランカランと店の扉のベルが鳴る。きっと二人が出て行った音だろう。
私はユアンさんの返事を聞く前に、思い切って二人の動向を追うべく背後に振り返った。
すると、一部ガラス張りになった店内に置いてある観葉植物の隙間から、別れる二人の姿が見えた。
「どうやらここで解散みたいですね」
恐ろしいほどに冷静なユアンさんの声が耳に届く。その声を聞き、私は彼の方へと振り返った。
「っ……」
振り返った私の顔が、きっと酷く情けないものだったのだろう。ユアンさんは私の顔を見るなり、痛ましげに表情を歪めた。
「エリーゼ様、今日は戻りましょう。私はあの女をつけますので、母と一緒に先にお帰りください」
「ええ……お願いします」
何とか彼の言葉に返事をした私は、ユアンさんとともに店を出ることになった。
幸い女性は、喫茶の目の前の建物に入っていった。
そのため、ユアンさんは女性を見失うこと無く、私をメリダさんが待つ馬車まで送ってくれた。
「奥様、まさかっ……」
馬車で待機していたメリダさんは、きっと店から出てきたリアスと女性を見たことだろう。
そして今、私とユアンさんの表情とその情報を照らし合わせ何かを察したのか、いつも温和なその表情を悲痛に染めた。
彼女は私が馬車に乗り込むと、嘆きながら私の手を包み撫でてくれた。
ただ、女性といるリアスを目の前にしても私にはまだ彼を信じたい気持ちがあった。
だからだろう。
そのメリダさんの優しく慰めるような手の温かみを感じるたび、私の心はひどく痛んだ。
現れてくれるなと思っていたリアスが来た。
それだけでなく、彼が謎の女性と密会しているという事実を、この目で見る日が来てしまったことが。
ここからは彼らの横顔しか見えないが、一瞬だけ見えた女性は異国情緒溢れる妖艶な雰囲気を纏った人物のようだった。
きっと、あの見た目だけで男性を陥落させるなど、彼女にとっては容易いことだろうと想像させるほどの余裕も感じる。
見間違いであることを祈って、もう一度彼らを一瞥する。だが、視界に映るのは間違いなく、愛する夫と少しあどけなさ残るエキゾチックな面立ちの美女の姿だった。
――まさか彼女と会うために、ここに来ていたの?
何を話しているかははっきりと聞こえないが、後方から時折女性の楽しそうな笑い声が聞こえる。
そのたびに、この女性はきっとリアスに好意を持っているのだと思い知らされた。
眉目秀麗、高身長、細身ながら鍛え抜かれた精悍な身体を持つリアスは、声も良いうえ賢さまで兼ね備えている。
しかも、彼のまさに黄金比と言えるほど、左右対称の完璧な顔の左目の下には、人間味を感じる小さな可愛いほくろがあるんだから、ほっとけない気持ちも分かる。
それでいて、優しくて健気なうえに真面目だから好きになっちゃうわよね……分かるわ。
――どうしたらいいの……?
あまりのショックに自分が何を考えているのかもよく分からなくなり、ユアンさんの顔を見る。
刹那、ある言葉が脳内でリフレインした。
『ああ、あのときはエリーゼ様への片想いで、恋煩っていたんです。まさに、今のような感じでしたよ』
――まさか、リアスの不調は恋煩い……?
新しく好きな人が出来たから、最近おかしかったのだろうか。そう考えると何だか辻褄があってしまうことに、とても嫌な気持ちが込上げる。
でも、でも……もしかしたら仕事の話をしているだけかもしれない。だって、彼は決して不倫なんてするような人ではないもの。
仮にほかに好きな人ができたとしても、絶対に私との関係を精算してから関係を持つ。
私の知るラディリアス・ヴィルナーとは、そういう男なのだ。
そう思った矢先、彼らの会話の一部が明瞭に耳に入ってきた。
「そんなに好きになって大丈夫? ふふっ」
「本能だから仕方ない……。好きなんて言葉じゃ足りないくらい愛してるよ」
ポタリっ……。
固く握り締めた手の甲に水滴が落ちる感覚がした。
ゆるゆると震える拳を広げ、そっと頬に触れる。すると、氷のように冷たくなった指先が涙で濡れた。
「エリーゼ様」
決して周囲には聞こえない、細心の注意を払ったユアンさんの声が耳に届く。
ハッとユアンさんに集中すると、青筋を立て、見たこともないほど怖い顔をした彼が口を開いた。
「あなた次第です。乗り込みますか? もしそうでしたら、私は全力であなたの味方になりましょう」
さあ、どうする――そんな視線でユアンさんが見つめる中、私は力なく首を横に振った。
「突入しません。もしするにしても、もう少し状況証拠を集める必要があるわ。それに……場所が悪すぎよ」
どれだけショックであろうと、感情任せに今すぐ勢いで突入しても、ろくな事にならないということだけは理解できる。
悪いことはあれど、良いことなど何も無いのだ。
すると、そんな私の意図が伝わったのだろう。
依然としていつもの色気など台無しなほど厳しい顔つきのままではあるが、ユアンさんは少し冷静さを取り戻した。
「確かにその通りです。すみません、少々頭に血が上っておりました」
「……」
大丈夫だとでも言ってあげた方が良いのは分かっている。だが、そんな声掛けをするほどの余裕は、今の私にはなかった。
「っ……! 二人が席を立ちました」
神妙な面持ちのユアンさんが、囁き声で報告してきた。
「一緒にですか?」
「はい。ただ……」
ユアンさんの返事と重なるように、カランカランと店の扉のベルが鳴る。きっと二人が出て行った音だろう。
私はユアンさんの返事を聞く前に、思い切って二人の動向を追うべく背後に振り返った。
すると、一部ガラス張りになった店内に置いてある観葉植物の隙間から、別れる二人の姿が見えた。
「どうやらここで解散みたいですね」
恐ろしいほどに冷静なユアンさんの声が耳に届く。その声を聞き、私は彼の方へと振り返った。
「っ……」
振り返った私の顔が、きっと酷く情けないものだったのだろう。ユアンさんは私の顔を見るなり、痛ましげに表情を歪めた。
「エリーゼ様、今日は戻りましょう。私はあの女をつけますので、母と一緒に先にお帰りください」
「ええ……お願いします」
何とか彼の言葉に返事をした私は、ユアンさんとともに店を出ることになった。
幸い女性は、喫茶の目の前の建物に入っていった。
そのため、ユアンさんは女性を見失うこと無く、私をメリダさんが待つ馬車まで送ってくれた。
「奥様、まさかっ……」
馬車で待機していたメリダさんは、きっと店から出てきたリアスと女性を見たことだろう。
そして今、私とユアンさんの表情とその情報を照らし合わせ何かを察したのか、いつも温和なその表情を悲痛に染めた。
彼女は私が馬車に乗り込むと、嘆きながら私の手を包み撫でてくれた。
ただ、女性といるリアスを目の前にしても私にはまだ彼を信じたい気持ちがあった。
だからだろう。
そのメリダさんの優しく慰めるような手の温かみを感じるたび、私の心はひどく痛んだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。
鉄と草の血脈――天神編
藍染 迅
歴史・時代
日本史上最大の怨霊と恐れられた菅原道真。
何故それほどに恐れられ、天神として祀られたのか?
その活躍の陰には、「鉄と草」をアイデンティティとする一族の暗躍があった。
二人の酔っぱらいが安酒を呷りながら、歴史と伝説に隠された謎に迫る。
吞むほどに謎は深まる——。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
奇絵画
武州人也
歴史・時代
時は隋の文帝楊堅の時代。江南の港都揚州に、見事な絵を売る老爺が市にやってきた。市の者はこぞって老爺の絵を買い求めたが、その老爺の絵が、不気味な事件を引き起こすこととなる……
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる