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異本 蠣崎新三郎の恋 その五
しおりを挟む陸奥のはるか西。和泉国・堺。
堺はこの時代の三都である。そして、京とも奈良とも違う。海が開け、商人の支配する、日本に二つとない街だった。
敦賀あたりから下って来たらしい父娘が、この堺で古着を商い始めたのは、ほんの去年のことだ。ようやく上方に戻って来られたのだというが、北国が長かったらしい。奥州に古着を流せば儲けになる、と気づいたのだと言っていた。
父は無口な性質だが、商才があるようだ。堺は儲ける場所ではない筈なのに、奥州や蝦夷地の珍しい品のあれこれをたちまちさばいて、小さいながら店を構えた。
「いせや」という平凡な店名をつけた。伊勢とゆかりがあるらしい。
もっともこの大都会で、他人の出自に関心を払う者などいない。ましてや、ひとしなみ以上に稼げる商人ともなれば、余計な詮索をされる義理もない。
目の大きな娘と父とではじめた商いは、日に日に膨らんでいるようだ。愛想のよい、いかにも気のまわる娘が、ときに荷を担いで「町衆」といわれるような大店を回ると、そこの女衆にも大層可愛がられた。
「いせやは、おふくで持つ」
とまで言われるようになっている。
「蠣崎新三郎殿が、死んだのか?」
いせやの主人こと、「伊勢の者」の手練れ松蔵は、浪岡からの使者の知らせに、呻いた。
(ふく……?)
まずそれを考えている。他に、真っ先に考えなければならないことが、この異能集団の幹部級とも言える男にはあるはずだったが、それよりもさきに「娘」のことが案じられた。
ふくに、自分を父と呼ばせて、もうずいぶんになる気がする。
浪岡の大乱のあおりを受けて、自分たちまで身が危うくなった。ただ、「伊勢の者」としての面目は、突然の襲撃者を撃退することで果たせた。浪岡御所の新たな支配者である西舘さまがまねき入れた坂東の同業者を、二人で血祭りにあげてやったのだ。ただ、しばらくは浪岡城内にはいられない。「伊勢の者」の統領から暇を貰う形で、上方にのぼった。そのとき、伊勢の者の少女であるりくを、松蔵は娘だということにしたのだ。
りくは才能のある若い忍びだった。しかし松蔵はこの部下が、どうしても「伊勢の者」としては長生きできないと感じていた。
松前くんだりから出仕してきた蝦夷侍の子、天才丸、長じて蠣崎新三郎に馴染むうちに、いつしか懸想している。分際を越えた愛情を抱いているのを知った。
(こやつは、稼業から離してやらなければならぬ。)
いつしか松蔵はそれを思っていた。
りくの父母を知っていた。かれらはどういう了見だったのか、「伊勢の者」のいわば乱交に近い男女関係から離れ、当たり前の百姓か足軽かのように、貧しい所帯を持った。そしてりくを生み、育てようとした。ところが、「伊勢の者」としての任務のさいちゅうに、あっさりと命を落としてしまったのだ。仲間たちは同情しなかった。自分たちが人がましい生活に固執すれば、迷いが出る、躊躇いが生じる、命を捨てる度胸が欠ける、だからどうしてもああなるのだ―と達観していたからだ。
松蔵もまた、それと変わりはなかった。が、「伊勢の者」の女として、苛酷な幼少期を送らされてきたりくから、なぜか目が離せないままできた。りくの母を、娘の時分に一度だけ閨で可愛がったことがあるからかもしれないし、りくの父になった男とはごく近い同輩、弟分だったからかもしれない。そして、
(あの離れで、りくと身を潜めていた頃は、楽しかった。)
それほどむかしでもないのだが、懐かしく思う。下男と下女に身をやつして、出戻りの厄介(居候)の姫さまを半ば守り、半ば監視していた。
風変りな姫さまは、たしかに美しいひとだった。貴人の複雑な過去を知った時、若い女の人生の痛ましさに、非情のはずの胸が痛んだ。罪を背負い、苦しみながらも、いまは生きていこうとする姫さまに、あろうことか同情せざるを得なかった。心のこわばりからきていたのだろう、ひどい無口が徐々に解け、やがて妙に自分たちにも敷居低く接してくれたのが、何故かうれしく思えた。
そして、天才丸―新三郎というのは、面白い若者だった。りくがあれほどに慕う理由はわからないが、蝦夷侍の少年は、たしかに器量の大きさを思わせた。
それに比べると、一見英雄児にみえる西舘さまこそを、松蔵はまるで評価できない。勇将に疑いこそないが、なにか危ういと思わされた。
そして現に、あの始末であった。
謀叛を使嗾して父と兄を殺し、謀叛人の口を封じた勢いでまんまと家を乗っ取ってしまったのだ。
その行い自体を、松蔵のような者がとやかくは言わない。乱世の梟雄と呼んでやるべきかもしれない。だが、それほどのことをやってのけながら、西舘さまという青年はひどく脆い印象のままであった。妹のもとに忍んで来ようという心の空ろを抱えた、病んだ男にしか見えなかった。空っぽの豪傑が、お家を潰そうとしているとしか思えなかったのである。
松蔵のお頭にあたる「伊勢の者」の統領もおそらくそうらしい。彼は家中の変転から巧みに身を離し、城中の小役人に身をやつして、「伊勢の者」を陰から支配しつつ、じっと時機をうかがっている。
(どうやらお頭は、浪岡を見限った。主を代えようとしているのではないか?)
それに気づかされたとき、蠣崎新三郎という存在は、本来の主人を喪った自分たち「伊勢の者」にとって、また別の意味を持っている。
(……だが、死んでしまったのでは。)
「まだ亡くなられたわけにはございません。瀕死の床に喘いでおられるようで。」
その間、二十日ほどの間がある。このトメジという「伊勢の者」は、顔色の変わった松蔵に言い加えた。松蔵は浪岡の津軽蠣崎家の、分際をやや超えた広い屋敷に、こぶえを残した。そこから人づてにつてを重ねた末に、近江まで来ていたトメジが預かった伝えなのだ。
「よかろう。……まずは助かるまいが、ご快復を願おうぞ。……このことは、儂だけに。」
トメジは低頭した。そして、店の戸口に後ろ向きに視線を送る。
りくが戻ってきた。
客に軽く会釈をする。それが、いかにももう町の娘らしい所作なのに、「伊勢の者」であるトメジは内心で舌を巻いた。
「おとっつぁん、少し売れました。」
残った商いの品を片付けながら報告するりくに、松蔵も当たり前の商人のように頷いてみせる。
「おとっつぁん、とお呼ばせか?」
今は通いの者も引き上げた夕刻で他に店の土間に人もいないのに、トメジは驚いて声を低くした。
松蔵は、無言である。お前などには関係のないことだ、と言いたいのだろうか。
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