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補遺 やつらの足音がきこえる (二十五)

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「なにが妹だい。あたしの方が、齢も上だ。」
 りくは笑った。すっかり装束を改めて、商人の家の子らしくしている。
 浪岡城外の市場町の一角の、小さな家の中だ。新しく商売を始める用意らしきものが、荷となって運びこんであるが、まだ板戸は固く閉めたままだ。もっとも、この雪では仮に店を開けたところで、街道を行く人さえまばらである。
 こぶえが寒そうに身をすくめた。この室内は、火の気が乏しい。
 りくは気づいて、火桶を妹分に近づけてやった。
(忙しいだろうに、わざわざすまないね……。)
 感謝の気持ちがある。こぶえは、さ栄と新三郎の会話を、りくに伝えにやってきてくれたのだ。もちろん、お離れを見張る役をりくたちに代わって引き受けている以上、さ栄のもとに客でもあれば、耳を澄ませる義務がある。
(これは、りくねえさんにまず伝えよう。)
 と思ってくれたのだ。
「信じてやりたい、と若旦那は仰いました。」
 それを聞いて、りくは歓喜に胸が弾けるかと思った。
(お別れではない……。たとい、しばらくは会えずとも、あたしはお二人とお別れはしていない!)
「……弟みたいにしてやったのは、こちらのほうさね。」
 喜びの動悸を抑えて、りくはやれやれ仕様がない、という風をする。
こぶえは、にこにこ笑った。
「いつか、お離れに戻れますね。」
「……それは、如何じゃろうな?」
 とは、思う。
「姫さまは、お気づきのようじゃ。……こぶえ、お前とて、これからは左様には見られる。心には留めておけ。ご存知ないと思うて無闇な振る舞いをすれば、お気を悪くなさる。」
 こぶえは、頷いた。
「こぶえも、若旦那や千尋さまのお家には、居りたいからね。」
「うむ。よって、いまの話、松蔵さまにはそのままするな。姫さまお気づきのくだりは、いずれ、あたしから伝えよう。……不都合はないじゃろう。松じいの儘で顔を出せるわけではないのじゃから。」
(あたしは、あの「ふく」だと言うて、またお目にかかれるときがあるじゃろうか? あるとすれば、まことを言おう。許していただこう。そして、……)
「何の話を、わしにするな、と?」
木戸を開け、雪風を吹き入れながら、真っ白になった蓑姿の松蔵が入って来た。
「おふく、心得違いじゃ。わしがお前の頭になったを、忘れたか? お離れでともまた違うぞ。知り得たことは、一言一句欠かさず伝えよ。」
「ねえさん、松蔵さまの下になったのですか?」
「如何せん、左様らしい。」
 如何せんとは何じゃ、と蓑を脱ぎながら、松蔵は目で叱ってみせる。

 松蔵は、りくがさ栄姫のもとに潜り込む仕事から離れざるを得なくなった次第を、上にはうまく取り繕ってくれたらしい。
 松蔵自身は、「本田」らしき一味を三人も倒したのだから、むしろ手柄とすべきだとされた。三人の上の者に、左衛門尉は、さ栄を守る「伊勢の者」の口を封じよと命じたはずだ。主人である左衛門尉さまとのとのやりとりを思うと、「伊勢の者」の表向きの統領である銀蔵は複雑な顔になる。だが、かれ自身も新参者の坂東の忍びに一泡吹かせてやるのは、やぶさかではなかった。
 褒美がわりに、松蔵は好きな仕事を自分の考えでやれ、とされた。頭待遇の独立部隊長、と言ったところか。ただし、統領の銀蔵が面倒を見てやれる当座のことはともかく、いずれ目くらましの生計はおのが手でたてるがよい、と言うのである。「表」も「裏」もそうしている。現に真の統領である安岡右衛門は、書庫のなかで筆を走らせている。
「りく、お前はおれと暮らすんじゃ。」
 松蔵はそう言った。お前の頭はわしになったぞ、と告げた。
「暮らす?」
 りくは、おかしな顔になった。
「松蔵さま? あんた、もしかしたらあたしに自分の子を産ませようってんじゃなかろうな?」
「馬鹿野郎。」
 松蔵は思いもよらぬことを言われたのか、慌てた。
「たれが、お前なんかと……。」
「しかし、あんたもそのお歳でおひとりは、寂しうなったかと。」
「寂しう……? 馬鹿、餓鬼なんぞもう飽きたわ。わしがこの齢になるまで、何人の子を産ませてきたと思うておるか。数えたこともない。……あの、こぶえとて、わしの胤かもしれんぞ。あいつを産んだ女は、知っておる。」
 りくは、少しげんなりした。それはそうであった。
「伊勢の者」の男女は、仲間で異性を分け合うような、いやらしいところがある。
 上忍の男ともなれば、女をある程度は選び放題だ。現にりくも、言われるままに「頭」と寝たのだ。あのときのりくは、こんな扱いは二度と御免だと決意したが、たいていは女のほうとて一方的に泣かされるばかりではない。若く、能力のある男と選び選ばれあうのを、決して厭がるばかりではないのである。
 自然、できた子どもはともすればたれの胤かわからなくなるので、一党全体で「伊勢の者」らしく育ててしまう。
「しかし、あたしにはお父うとお母あがいた。あれは、所帯を構えていたんじゃねえのかね?」
(あれは、温かった。思い出すと、うれしくなる思い出じゃ。小さいあたしを、二人で育ててくれた。)
 松蔵は、遠いところを見る目に一瞬なったが、すぐに苦い顔つきを作った。
「あいつらは、変わっていた。」
「やはり。」
だから自分も変わっているのか、とりくは得心が行く気がしたが、松蔵はぼそりと、
「……じゃから、生き残れなんだ。」
「……。」
 りくは黙り込んだ。
 松蔵もこれ以上、りくの両親のことを聞かれたくはない。

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