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補遺 やつらの足音がきこえる (二十四)

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「新三郎? また別のことをお考えじゃね?」
 無意識のうちに、姫さまの顔を見つめていたのだろう、目があってしまった。
「失礼いたしました。ぼんやりとしてしまいました。」
「何を考えておりました? お前は、ふと自分のお考えに入ってしまうね。」
(言えるものか、あなたさまのお行く末のことを考えてしまいました、などと!)
「まことに失礼いたしました。……りくのことでございましたな?」
 さ栄は笑った。わざと、たいそうな呼び方をしてみる。
「そう、初代の、りく。……やはり、りくと言うと、あの子の顔しかまだ浮かばぬな?」
「おりくさまも、えらくなられたものじゃ。」
 新三郎も笑ったが、ふとさびしい気分に襲われた。
「……前も申しましたが、あのような不始末をしでかそうとは、見張り行き届かず、まことに汗顔のいたりでございます。番役としては、あの娘も見張ってやるべきでございました。……はい、相手はどうも、ろくな職人でもないようでしたので。しかし、わからぬものです。昔は、ひどく嫌っておるように見えたのですが。いつの間に、あんな実のなさそうな男とよりを戻し……いえ、ご無礼いたしました。下々の者のことでございました。」
 松蔵のことは姫さまに思い出させるまい、と新三郎は思った。
 りくと同じ日にいなくなってしまったが、薪をとりに山に入ったのは、たしかなことであった。蠣崎の家の者たちで探してみると、悪い予感が当たってしまった。横がすぐ崖になった細い山道に、松じいのものらしい籠が転がっていた。崖の下で見つかった死骸はすでに山犬にでも食われたが無惨なもので、着衣からようやく松じいとわかったくらいだ。そんなことまで姫さまに伝えなくてもよい。
「松蔵も気の毒なことで、なにかいっぺんに寂しうなったな。」
「おそれいりまする。」
 さ栄はそこで、息を吸った。迷っていたが、やはり言ってしまおう。
「変なことを、言うよ。……りくは、まことにその男と逃げてしまったのかな?」
「あっ。……かどわかされたのでは、とおっしゃるので? じつは、わたしも、それを案じて……。」
「いや、二人目のりく―こぶえとやらに、言付けはしていったのじゃろう。じゃから、実のところは如何にあれ、無理矢理かどわかされたのではない。」
「左様で。」
「じゃが、新三郎は、あのりくが、と不審なのじゃ。それで、ふと左様に思った。」
「御意にございまする。あの娘は、下女にしてはなかなかに聡い。考えも深いところがございました。……身持ちもごく固うござったようで。これは、あれの前の勤めを知るという者から聞きました。如何したものか前の同輩の少ない娘で、その女たちを探し出すのにやや手間が要りましたが、こぶえを通じて何とか……。悪い噂はそこでも聞きませぬ。」
「そこまで調べたとは、新三郎も、とうてい信じられぬのじゃね。さ栄もじゃ。……しかも、同じ日に松蔵までもが、はかなくなったと。不思議がある。」
 新三郎は、やはり自分は疲れているのだと思った。
 りくと松蔵が急にいなくなり、驚きも慌てもした。死んでしまった松蔵はもう如何様にも仕方がないとは思ったが、りくのことを考えると胸が痛んだし、心もざわめいた。
 だが、毎日のように戦支度をさせられ、御所の備えとして、城内の小競り合いの仲裁や鎮圧に駆り出される日々のなかで、いつしか不審を不審として考えるのをやめてしまっていた。
 その間、姫さまはお考えだったのか、と思った。
 しかし、姫さまの断言にはたじろいだ。
「りくはきっと、松蔵と一緒におるよ。」
「えっ、死んでしまったと仰るのですか?」
「違う、違う。松蔵も、死んではおらぬのではないかな? どこかに身を隠しておると思えてならぬ。……亡骸は、たしかに松蔵のものであったか?……聞くに、むごたらしい有様で、着物でしかわからぬくらいであったと。」
「たれがお耳に入れましたか、左様なこと?……はい、わたくしは検分いたしましたが、顔はわかりませぬでした。じゃが、着物は間違いがなかった。」
「……それでよいのじゃろうね。さ栄の思うは、その程度にも何の証もない。ただ、下男下女が別々の理由で、ひと時にいなくなるなど、いかにもできすぎた話じゃと思うて……。」
 新三郎は、まさかさ栄もそれを疑っているとは思わないが、言ってみた。
「さ栄が松蔵を手に掛けるはずはございませぬ。あのふたりは、親子のようなものでございました。」
 さ栄は頷いた。
「左様じゃろう。ありえぬ。……それで、きっと別にわけがと思えてならぬのじゃ。」
「なんのわけでございましょうか?」
 新三郎には、もう考えがつかない。
「わからぬ。ただ、あの二人をさ栄につけてくれたのは、元をただせば、亡き御所さまであったことになるから……。」
「……?」
(さすがの新三郎も、わからぬか。)
 新三郎と言えども、「伊勢の者」の存在までは知らないのである。
 さ栄もそれはほぼ同じだが、御所さま―兄上が、蝦夷島から来たばかりの子供の天才丸だけを番役につけて、あとは放っておいたとも、考えてみれば思えないのだった。
(あやつらこそは、きっと、わたくしを左衛門尉の兄上から守り、一方ではわたくしと兄上とを見張っていたのじゃろう。まさかのことがあってはならぬ、過ちを繰り返させてはならぬ、と。……この妹は、御所さまに、最後までご心労をおかけしていた。)
「すまぬ。あだしごとじゃ。忘れてたも。……じゃがな、新三郎。松蔵はともかく、りくのことじゃが、頼みがある。」
「お頼み、でございますか?」
「さ栄と同じように思ってやってくれないか。信じてやってくれないか。」
(信じる?)
「あの娘は、へんな男と道行きなどしておらぬ、やむをえざる節があって、泣く泣く、身を隠したのじゃと。ほんとうは、この離れで、……お前と過ごしたかったと。出戻りの半端ものの姫や、口やかましい侍女の世話をしてやりたかったはずじゃ、と。」
 新三郎は、「お前と」と言われて、はっとした。
 当たり前に下女のりくのいた日々が、自分にとっても、かけがえのない楽しい日々だったことを思い出した。それは、きっと、
(……りく、お前にとっても?)
 やがて、ありがとうございます、と低頭する。
「……わたしも、あのりくは、姫さまご郎党の同心とも、……妹とも思っておりました。あやつを、信じてやりとうございます。」
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