128 / 177
補遺 やつらの足音がきこえる(二十二)
しおりを挟む「『女はわからん』と言われたそうですよ。」
りくは苦笑しながら、そう告げた。
松蔵は黙っている。
こぶえに、りくねえさんは研ぎ師と手をとってどこぞに行ってしまった、と申し出させたとき、ふくは当然ながら、憤激したそうだ。そんな娘には見えなかったが、……と天を仰ぎ、ご時世じゃと嘆いたという。
それは構わない。ふくが勿論姫さまに下女の不始末を告げたのも、仕方のないことだ。
ただ、姫さまは驚いた様子だったが、何も言わなかったらしい。そのまま、また日課の読経に戻ったようだ。
問題は―りくにとっては―、新三郎にもすぐに伝わったことだろう。これも致し方のないとは思うのだが、りくはつらかろうよ、と松蔵はわかっている。
「『あいつだけはやめておけ、と昔、言うてやったのに。』と首をひねられたそうで。」
りくは、また、笑った。
「裏」の隠家の、蔵の中だ。灯のひとつもない中に、松蔵と二人になっている。
「左様なことも、たしか、あった。……ずいぶん昔のことじゃ。」
「りく。」
松蔵は、りくを遮った。
「こぶえに、“りく”を名乗らせたのじゃな。」
「おふくさんの好みそうにしてやった。あのお離れの下女は、たれであろうと“りく”じゃと言えば、それらしい。なるほど、と喜ばれたとのことですよ。」
(自分を忘れさせないため……? いや、逆じゃな。まったくおらなくなってしまうためじゃ。こぶえが新しい“下女のりく”になれば、このりくは、あいつらの覚えから、だんだんに消えてしまう。……いっそ、そこまでと思い切ったか。)
「そこまで……。」
「は?」
「いや、りくは直に三人目になるな。こぶえとて、お前とつながりがあるのだから、探られると弱い。」
「まあ、あれは飯炊きの役が務まる柄じゃない。そちらのほうも、仕込んでやれるつもりでいたが、……。」
「あの齢だと、駆け落ちは無理かな。……使い物にならぬとて、追い出させるか。」
「気の毒なことじゃ。おふくにきつく叱られたうえじゃからな。」
りくはおかしげに笑った。そして、真面目な顔になると、
「連中の正体は知れましたか?」
松蔵は頷いた。左衛門尉の秘密を直接知ったに違いない「伊勢の者」の口封じに使われた三人は、浪岡城に招き入れられた一党に属している。その正体は、この二日のうちに割れた。
「本田の者じゃと。」
坂東の合戦で、北条氏が重用している、「忍び」を抱えた一族とその土地の名だ。夜戦や火付け、城への侵入を得意とする、戦の別動隊を勤めることが多い集団であった。
「伊勢の者」にとっては、同業とは言え、些か勝手が違う連中ではあった。
いまの上方や中国、九州と坂東の戦にさほどの違いがあるわけでもないはずだが、西国の「草」は諜報や謀略の仕事を得意にし、本分ともする。信じがたい異能も、それに向けて磨かれる傾向があり、だからこそ女も多い。荒事での体力的な不利は、身分を偽っての潜入や篭絡の才がそれを補ってくれる。
「本田」を始めとする東国では、「忍び」と言う言葉自体が夜戦や放火、侵入と言った奇襲を意味した。彼らは異常な能力を持った戦闘集団を以て自認している。
そして、ひどく猛々しく、荒々しい。戦場働きにつきものの略奪や暴行で問題とされるほどで、統制の取れた秘密の集団という側面が、この戦士たちにはどうも乏しい。現に、りくはさっさと殺されてよかったのに、行きがけの駄賃とばかりに犯されようとした。西国の「草」や「忍び」とて戦場で乱暴狼藉をしないわけではないが、平時の仕事でそんな真似はしない。危険だからだ。現に、りくを襲うのに夢中になったのが、腕は立つのだろう二人の命取りになった。
(あんな者どもを、城中に入れおって。左衛門尉は、それだけで北畠の主の器ではないわ。)
「本田か。……松蔵さんは、さすがに、よく勝てたものじゃ。」
「さほどのことはなかった。本田の中でも、筋目の通った者は、奥州には来るまい。」
それを聞いて、りくが妙な顔になったのがわかって、慌てて言い添える。
「わしらは違うぞ。北畠さまの繋がりがあらばこそ、はるばる伊勢から遣わされた。伊勢を追い出されたわけではない。」
「左様ですか。」
「左様じゃ。」
「……で、これより如何なりまする?」
「左衛門尉の考えじゃ。やつらの一党、これからも使われよう。いまいましいが、『伊勢の者』と競わせるくらいのつもりでおろうな。危うく思えて、ならぬが……。」
「いえ、それではなく、明日からのあたしの身の振りですよ。うちのお頭とお話あったんじゃろう?」
松蔵は、りくの顔をまじまじと見つめる。
「……なんでございますか?」
「りく。」
(りく、お前は、本当は左様なこと、考えたくもなかろうに……!)
無理をしていやがる、と松蔵には痛ましい思いしかない。
「本田の連中は、仲間の仇をとりにきますかね。まあ、三人とも山の中で死んだ態にしておいたそうじゃから、騙されてくれればよいが。……研ぎ師のことなど気にしなければ、松蔵さんは討ち取られたようじゃし、下女のりくという女はつっと働いているようじゃし、……話はそれで済みそうで?」
りくは、妙に多弁だ。台所で働いているとき、二人きりであっても、こんな風に自分にぺらぺらと話しかけたりはしなかった、
(つらいのじゃ。悲しくて泣きそうじゃから、こんな風になりよる。笑いよる。)
「りく。……じゃからと言うて、お離れに戻るのは、お前にもできん。」
(わかっている!)
りくは、何を言われるやら、という顔を作った。
(左様なこと、わかっているんじゃ……! どれほど、若旦那に会いに行きたいと思ったか! せめて床下からでも、お別れしたいと思うて、眠れもしなかったことか!)
自分たちは嘘をつき通していたのだ、との松蔵の言葉が、胸に刺さっていた。
(せめて、ほんとうのことを最後に言いたい。あんたらを騙していました、と。あたしは、まともな下女ではありませんでした。いや、猫を隠したりして、それだけでもまともには勤まっていなかった。それをかばって、郎党の同心(仲間)じゃと言うてくださり、まことにうれしかった、と。新三郎さまを、お慕いしておりました、と……!)
そんなことは絶対にできないのだ、と思うと、りくは震えるほどに口惜しく、哀しいのだ。
(身の振りなんぞ、なんだってよい! 無いがよい! あたしは、消えてしまいたいのじゃ……!)
「りく、明日からの身の振りなんぞ、何だろうとよいじゃろうがな、……。」
松蔵がそう話し出したとき、りくの膝の力が抜けた。思わず頭を抱えて、しゃがみ込んだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
【18禁】「巨根と牝馬と人妻」 ~ 古典とエロのコラボ ~
糺ノ杜 胡瓜堂
歴史・時代
古典×エロ小説という無謀な試み。
「耳嚢」や「甲子夜話」、「兎園小説」等、江戸時代の随筆をご紹介している連載中のエッセイ「雲母虫漫筆」
実は江戸時代に書かれた随筆を読んでいると、面白いとは思いながら一般向けの方ではちょっと書けないような18禁ネタもけっこう存在します。
そんな面白い江戸時代の「エロ奇談」を小説風に翻案してみました。
下級旗本(町人という説も)から驚異の出世を遂げ、勘定奉行、南町奉行にまで昇り詰めた根岸鎮衛(1737~1815)が30年余にわたって書き記した随筆「耳嚢」
世の中の怪談・奇談から噂話等々、色んな話が掲載されている「耳嚢」にも、けっこう下ネタがあったりします。
その中で特に目を引くのが「巨根」モノ・・・根岸鎮衛さんの趣味なのか。
巨根の男性が妻となってくれる人を探して遊女屋を訪れ、自分を受け入れてくれる女性と巡り合い、晴れて夫婦となる・・・というストーリーは、ほぼ同内容のものが数話見られます。
鎮衛さんも30年も書き続けて、前に書いたネタを忘れてしまったのかもしれませんが・・・。
また、本作の原話「大陰の人因の事」などは、けっこう長い話で、「名奉行」の根岸鎮衛さんがノリノリで書いていたと思うと、ちょっと微笑ましい気がします。
起承転結もしっかりしていて読み応えがあり、まさに「奇談」という言葉がふさわしいお話だと思いました。
二部構成、計六千字程度の気軽に読める短編です。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる