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補遺 やつらの足音がきこえる(二十二)

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「『女はわからん』と言われたそうですよ。」
 りくは苦笑しながら、そう告げた。 
 松蔵は黙っている。

 こぶえに、りくねえさんは研ぎ師と手をとってどこぞに行ってしまった、と申し出させたとき、ふくは当然ながら、憤激したそうだ。そんな娘には見えなかったが、……と天を仰ぎ、ご時世じゃと嘆いたという。
 それは構わない。ふくが勿論姫さまに下女の不始末を告げたのも、仕方のないことだ。
 ただ、姫さまは驚いた様子だったが、何も言わなかったらしい。そのまま、また日課の読経に戻ったようだ。
 問題は―りくにとっては―、新三郎にもすぐに伝わったことだろう。これも致し方のないとは思うのだが、りくはつらかろうよ、と松蔵はわかっている。

「『あいつだけはやめておけ、と昔、言うてやったのに。』と首をひねられたそうで。」
 りくは、また、笑った。
 「裏」の隠家の、蔵の中だ。灯のひとつもない中に、松蔵と二人になっている。
「左様なことも、たしか、あった。……ずいぶん昔のことじゃ。」
「りく。」
 松蔵は、りくを遮った。
「こぶえに、“りく”を名乗らせたのじゃな。」
「おふくさんの好みそうにしてやった。あのお離れの下女は、たれであろうと“りく”じゃと言えば、それらしい。なるほど、と喜ばれたとのことですよ。」
(自分を忘れさせないため……? いや、逆じゃな。まったくおらなくなってしまうためじゃ。こぶえが新しい“下女のりく”になれば、このりくは、あいつらの覚えから、だんだんに消えてしまう。……いっそ、そこまでと思い切ったか。)
「そこまで……。」
「は?」
「いや、りくは直に三人目になるな。こぶえとて、お前とつながりがあるのだから、探られると弱い。」
「まあ、あれは飯炊きの役が務まる柄じゃない。そちらのほうも、仕込んでやれるつもりでいたが、……。」
「あの齢だと、駆け落ちは無理かな。……使い物にならぬとて、追い出させるか。」
「気の毒なことじゃ。おふくにきつく叱られたうえじゃからな。」
 りくはおかしげに笑った。そして、真面目な顔になると、
「連中の正体は知れましたか?」
 松蔵は頷いた。左衛門尉の秘密を直接知ったに違いない「伊勢の者」の口封じに使われた三人は、浪岡城に招き入れられた一党に属している。その正体は、この二日のうちに割れた。
「本田の者じゃと。」

 坂東の合戦で、北条氏が重用している、「忍び」を抱えた一族とその土地の名だ。夜戦や火付け、城への侵入を得意とする、戦の別動隊を勤めることが多い集団であった。
 「伊勢の者」にとっては、同業とは言え、些か勝手が違う連中ではあった。
いまの上方や中国、九州と坂東の戦にさほどの違いがあるわけでもないはずだが、西国の「草」は諜報や謀略の仕事を得意にし、本分ともする。信じがたい異能も、それに向けて磨かれる傾向があり、だからこそ女も多い。荒事での体力的な不利は、身分を偽っての潜入や篭絡の才がそれを補ってくれる。
「本田」を始めとする東国では、「忍び」と言う言葉自体が夜戦や放火、侵入と言った奇襲を意味した。彼らは異常な能力を持った戦闘集団を以て自認している。
そして、ひどく猛々しく、荒々しい。戦場働きにつきものの略奪や暴行で問題とされるほどで、統制の取れた秘密の集団という側面が、この戦士たちにはどうも乏しい。現に、りくはさっさと殺されてよかったのに、行きがけの駄賃とばかりに犯されようとした。西国の「草」や「忍び」とて戦場で乱暴狼藉をしないわけではないが、平時の仕事でそんな真似はしない。危険だからだ。現に、りくを襲うのに夢中になったのが、腕は立つのだろう二人の命取りになった。
 
(あんな者どもを、城中に入れおって。左衛門尉は、それだけで北畠の主の器ではないわ。)
「本田か。……松蔵さんは、さすがに、よく勝てたものじゃ。」
「さほどのことはなかった。本田の中でも、筋目の通った者は、奥州には来るまい。」
 それを聞いて、りくが妙な顔になったのがわかって、慌てて言い添える。
「わしらは違うぞ。北畠さまの繋がりがあらばこそ、はるばる伊勢から遣わされた。伊勢を追い出されたわけではない。」
「左様ですか。」
「左様じゃ。」
「……で、これより如何なりまする?」
「左衛門尉の考えじゃ。やつらの一党、これからも使われよう。いまいましいが、『伊勢の者』と競わせるくらいのつもりでおろうな。危うく思えて、ならぬが……。」
「いえ、それではなく、明日からのあたしの身の振りですよ。うちのお頭とお話あったんじゃろう?」
 松蔵は、りくの顔をまじまじと見つめる。
「……なんでございますか?」
「りく。」
(りく、お前は、本当は左様なこと、考えたくもなかろうに……!)
 無理をしていやがる、と松蔵には痛ましい思いしかない。
「本田の連中は、仲間の仇をとりにきますかね。まあ、三人とも山の中で死んだ態にしておいたそうじゃから、騙されてくれればよいが。……研ぎ師のことなど気にしなければ、松蔵さんは討ち取られたようじゃし、下女のりくという女はつっと働いているようじゃし、……話はそれで済みそうで?」
 りくは、妙に多弁だ。台所で働いているとき、二人きりであっても、こんな風に自分にぺらぺらと話しかけたりはしなかった、
(つらいのじゃ。悲しくて泣きそうじゃから、こんな風になりよる。笑いよる。)
「りく。……じゃからと言うて、お離れに戻るのは、お前にもできん。」
(わかっている!)
 りくは、何を言われるやら、という顔を作った。
(左様なこと、わかっているんじゃ……! どれほど、若旦那に会いに行きたいと思ったか! せめて床下からでも、お別れしたいと思うて、眠れもしなかったことか!)
 自分たちは嘘をつき通していたのだ、との松蔵の言葉が、胸に刺さっていた。
(せめて、ほんとうのことを最後に言いたい。あんたらを騙していました、と。あたしは、まともな下女ではありませんでした。いや、猫を隠したりして、それだけでもまともには勤まっていなかった。それをかばって、郎党の同心(仲間)じゃと言うてくださり、まことにうれしかった、と。新三郎さまを、お慕いしておりました、と……!)
 そんなことは絶対にできないのだ、と思うと、りくは震えるほどに口惜しく、哀しいのだ。
(身の振りなんぞ、なんだってよい! 無いがよい! あたしは、消えてしまいたいのじゃ……!)
「りく、明日からの身の振りなんぞ、何だろうとよいじゃろうがな、……。」
 松蔵がそう話し出したとき、りくの膝の力が抜けた。思わず頭を抱えて、しゃがみ込んだ。
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